中国地方Tour22#3
|
|
外が明るくなると共に、かなりどんよりの曇りだということがよく見えた。昨日の夕焼けの山々が思い出される。天気予報では大田市は終日曇りとのこと。広島市では午前中曇り、午後は晴れだ。どちらも昨日の朝まで今日5月1日も晴れの予報だった。まあ、連休後半の明日以降は3日間晴れるらしいので、雨さえ降らなければ良しとせねば。
今日は広島へ向かう。約15年前、某導入促進事業強制労働の広島検査前泊で教えていただいて以来、広島お好み焼きが大好きになってしまった。会社に戻ってからも、会社近くで見つけた広島お好み焼き店(良い店があった)に毎週通っていたほどだ。そのため、一度自転車で広島を訪れ、夕食に広島お好み焼きを食べなければならないと考えていたのだ。40年前どうしたこうしたとかよりも重要な、今回最大のミッションなのだ。
広島入りの経路決めにはいろいろと悩まされた。狭い山間や狭い海岸部が近郊〜市街地になっていて、そこを幹線道路が経由していて脇道に乏しく、経路の潰しが利かないのだ。経路に悩むうち、広島市街に続く太田川に山間の渓谷で突き当たる国道261を見つけた。太田川の渓谷から川沿いに続く道は、広島駅近くまで唯一の車が少なさそうな道であるように見えた。そのため、太田川までは国道261経由となる。これが第1案。もう一つ第2案は、三次経由のコースだ。第1案より多少大回りなので距離が20km長い代わりに、登り標高差が多分100〜200mほど少ない。特に後半は裁けた近郊地帯を通るため、幹線道路区間が多い。こちらも市街地区間の終盤で太田川沿いを経由できる。この2択を昨日の疲れ次第で決めようと思っていた。今のところ、身体が深刻に疲れているという感覚は無い。第1案で行けそうだ。
6時半から荷積みを進め、7時予定の朝食には6:50から望むことができた。とろとろに脂のりのりのどぐろ干物と、席で沸かしてくれる宍道湖しじみ汁が素晴らしく美味しい。まあ、ホテルの値段が値段である。
7:25、さひめ野出発。まずは元三江線沿線の町、粕淵へ。走り始めても意外に脚が動くようなので、第1案で行けそうだ。
三瓶山高原道路から細道で裾野の牧場を経由し、山腹の森へと細道が続く。
出発早々、粕淵手前で合流する道の2択分岐が登場。当初向かう予定にしていた林道の路上に杉の枝が積もり気味だ。登り返しが20m弱程度とはわかっていても、目の前の道が登り返している。それに、この先多くの区間が森の中っぽい。昨日1日走って、自分は里の細道が好きだというのを思い知っていたこともあり、素直に里方面へと向かうことにした。
里方面の道は県道40。昨日三瓶山高原道路へ向かった車の多い県道40が、粕淵へと降りてゆく谷間の道である。長原で県道40に合流すると、こちらでも朝っぱらから相変わらず車が多い。しかし県道40に並行し、旧道っぽい細道が山肌に張り付いて粕淵まで下っているのを、地形図で確認済みだ。
合流した県道40の道幅が広くなったお陰でつい調子に乗って下り速度を上げてしまい、最初の細道分岐を間違ってしまったものの、少し下ってトラックが画面に戻って来た。分岐で通行止めにはなってなさそうなので、有り難く問題無くそちらに向かうことにする。
森の中から里の田圃脇へ、再び森に戻ると急斜面に貼り付いて細道は谷間を下って行った。
基本的には外側も頭上も広葉樹が覆い被さり時には折れ書けた枝が垂れ下がり、斜面側はごつごつの岩場か法面補強だ。路面はやや荒れ気味で、金属の横断側溝や亀裂段差が現れるものの、苔は中央部だけだったり轍部分はまあ比較的良好だったり、毎日何とかそこそこ通行はあるような形跡がある。森の外側は谷間の空中であり、時々斜面の農村や県道40の喧噪が他人事で眺められる。まあ、朝から凄い道ではある。下る一方で良かった。
粕淵手前まで森と岩場は続き、高速道路(と思ったら国道375だった)をオーバークロスし、おもむろに集落上手に放り出された。この展開はストリートビューで予習済みだ。
7:55、粕淵着。切り立つ山に囲まれ、広い谷間一杯に拡がってゆったりと流れる江の川の、狭い岸辺に貼り付いた町だ。東城以来のコンビニもあるという規模の町であり、何だか久しぶりの町の雰囲気には少し戸惑いすら感じられる。などというのも、見知らぬ土地を旅しているという証しというものだろう。
GPSトラックに身を任せて進んでゆくと、道の脇に草ぼうぼうの線路が現れた。4年前に廃止されたJR三江線である。
1982年の中国・山陰地方訪問時に、私は三江線に全線乗っている。当時から全線直通列車は1日3本だったので、江津早朝発の列車に狙いを定め、前の晩は山陰本線の波子で駅寝したのだった。三江線ではあの揺れてうるさいキハ11に乗ったにもかかわらず、途中で居眠りしてしまった。既に2週間近く駅寝と撮影ばかりの旅でやや疲れていたのだ。しかし、江の川沿いに続く美しく長閑な農村風景がとても印象に残った。当時から、いつかあの風景の中を自転車で走ったら楽しいだろうな、とは思っていた。のんびりとした田園風景の中、江の川沿いに農村から今いる粕淵ぐらいの町へ、また農村へ。
今、その希望が実現しつつある。でも、三江線は4年前に廃止されてしまっていたな。あれから40年、私も17歳じゃなくて57歳だ。
などと思いながら、江の川に掛かる元三江線の錆びかけた鉄橋を眺め、粕淵の町からGPSトラックを辿っていた。気が付くと、江の川の流れが逆だ。川を遡っているではないか。これは第2案のトラックだ、こっちじゃない。とりあえず逆戻りするより、前方に折り返しできそうな橋を見つけた。
ふと、道端に建つ建物に何だか親しみやすそうな雰囲気が漂っているのに気が付いた。前庭のような道端の広場に石碑が建っていて、「昭和50年三江線全通記念」とある。その建物は元浜原駅なのだった。じゃ、私が乗った1982年は、全通後7年しか経っていなかったのか。そう言えば、中間の区間でまだコンクリート構造物が新しかったのを、改めて思い出した。そして、帰ってから浜原駅は、長らく全通していなかった三江線の北側区間、三江北線の終点だったことを知った。
記 2022/5/26