中国地方Tour22#2
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さすがに西日本、夜明けが遅い。東京より40分ぐらい遅いかもしれない。5時で何とか明るくなって6時で完全に朝らしい明るさになった。
空は晴れて朝陽がかっと鋭く眩しいものの、昨日の寒さが残っているのかかなり寒い。今日はしばらく防寒が必要だろう。
7時に朝食、お昼用のおにぎりをいただき、日焼け止めを顔と腕に塗ったくり、7:30東城松本荘発。腿はモンベルツーリングニッカーに隠れてるから当面いいや。
この時期、下手をすると日中25℃を越えるのが当たり前という印象があるが、今のところ気温は11℃で指先はかなり寒い。松本荘の女将さんが「小奴可は東城に比べて別世界(寒いという意味)」と仰っていた。今朝はツーリングニッカーと雨具上着が大変頼りになる。
東城の市街を旧道で通り抜け、町外れの宮平から裏道の県道12で小奴可へ。
標高320mの東城から国道314、芸備線、そして県道12が三者三様の経路を経て、標高550mの小奴可で合流している。県道12は一番車が少なさそうで、比較的のんびりした風景が楽しめそうだという選択だ。小さな丘越えはあるものの、他の経路に比べて目くじらを立てるようなものではない。
栗田から森脇へ、広めの谷間に集落が続く。空は晴れから薄雲が拡がって曇り基調と言っていい。しかし、谷間には田植え直前の水を張った田圃が拡がり、出たての新緑の山肌と共に瑞々しい風景なのがとても嬉しい。コロナ禍の3年間を経て、自分はまたツーリングで走れているのだ。蛙も田圃じゅうでケロケロ鳴いている。まあ、蛙は楽しいだけじゃなくて全力で命の限り必死に鳴いてるんだが。
森脇から谷間は狭くなって、谷底は森と渓谷と県道12だけになった。
そして淡々と登り続けたまま、もう少し上流の千鳥で再び集落が、というより平野に農村が拡がった。
標高640mの最高地点は集落外れのちょっとした丘の茂みだし、その向こうは、やや高めの丸目の山が単独で聳える中に盆地が開け、同じような集落が緩やかに下っているのであった。
標高600m前後にしちゃ高原っぽい地形と風景である。
少し下って、9:10、小奴可着。もう少し早く着けるとよかったのだが、まあ順当に距離なりに時間が掛かっているとも言える。
小奴可には、1984年に芸備線の撮影に来ている。1982年に乗った芸備線のダイナミックに変化する山間の風景が忘れられず、2年間地形図等で狙いを定めた訪問だったのだ。当時から、高原っぽい雰囲気を背景とした長閑な農村風景に、ここを自転車で走ってみたいと思っていたことだけは憶えている。その後鉄道の写真だけが残り、具体的な土地の印象はすっかり忘れてしまっていた。今、小奴可の堂々と独特のボリュームを持った山々と盆地の農村風景が、38年前の印象を思い出させてくれていた。
踏切から駅の方を伺ってみた。1984年には間違いなくここに撮影に来ているはずなのだ。何か記憶が蘇るかと思ったが、駅方面の光景に何も思い出せない。少なくとも小奴可を訪問した前の日、ここで駅寝はしていないと確信できた。ならば駅寝したのは東城だったか備後落合だったか、大穴で道後山か。と思っていたが、記録が見つかったので読み返すと、どうもその旅行では小奴可駅で2泊駅寝していたっぽい。ちなみに風呂と食事は三次だったようだ。
記 2022/5/19