上池原→寺垣内
(以上#2-1)
(以下#2-2)
→白谷トンネル
(以上#2-2)
(以下#2-3)
→小川
(以上#2-3)
(以下#2-4)
→滝→十津川
(以上#2-4)
(以下#2-5)
→牛廻越
(以上#2-5)
(以下#2-6)
→湯ノ又
(以上#2-6)
(以下#2-7)
区間7
97km
ルートラボ
4時。もう辺りは薄明るいが、どうせ朝食は7時だし、夏の北海道と違って荷物も少ない。5時半まで2度寝できる幸せ、ああ、休暇中なんだと実感。
5時半にはもう完全に夜が明けていた。カーテンを開けて引き戸を開けると、谷間は切り立った山に囲まれていて、その山肌はまだ薄暗い影の中。見上げる空は真っ青で、朝の光が迸るように明るい。予報通り、今日は日中下界が暑くなるのだろう。
朝食前に荷造りを全部終え、フロントバッグだけ手元に残して自転車にくくりつけてしまう。時間があるので日焼け止めもべたべたに塗りたくっておく。べたべたに塗りたくるのは、3年前に亡くなったとある友人の影響だ。自分は今日も元気にツーリングできる、と周りの山の緑を眺めて思う。
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7時から食堂で朝食。昨夜の夕食同様充実していて大変美味しい。昨夜は別室で宴会だった大団体さんと、今朝は食堂で一緒の朝食だ。部屋毎にやって来るのか、眠そうに何人かづつまとまって、言葉少なに朝食を食べ始めている。グループツーリングの時の自分たちもそんな感じだと思う。
今日のコースは大まかに言えば2つの峠越え、終着は和歌山県田辺市龍神村だ。まずは昨日に引き続き国道425。最初のハイライト白谷トンネル越えは、標高差600mの登りにかなり長く続く山腹空中区間、そして全体的に交通量極小。ツーリング天国の細道だ。過去には2005年、2007年の2回訪問している。3度目の再訪が、崩落通行止めや雨天運休でずっと延期になっていた。今回は天気最高、行程は朝一の余裕たっぷりで、満を持した11年振りの訪問となる。
7:45、「下北山きなりの郷」発。上池原の谷間には日差しが当たり始めて、辺りがすっかり明るくなっていた。
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谷間が狭くて大きく曲がりくねっていて、道の向きも頻繁に変わるため、国道168を経由して再び国道425へ向かうまでGPSトラック頼りだ。途中今回の行程全体でも珍しいコンビニとなるヤマザキデイリーストア「カーブの店」へ。同チェーンにありがちな萬屋とコンビニの合いの子みたいな雰囲気のお店で、「きなりの郷」予約時に聞いていた通り、ここなら朝っぱらから食料を仕入れることができると思った。今日のところは軽くチョコを購入しておく。朝食をたっぷり食べた後だし、昨朝地元ファミマで仕入れたバームクーヘンも4つ丸ごと残っている。お昼前には白谷トンネル越え区間を下りきり、確か食堂があったような気がする十津川温泉に着けるだろうし。
8:00、上池原発。
標識に従い国道168から国道425へ曲がると、いきなり道は集落の生活道に替わった。民家の軒が続く静かな細道が日なたで明るく、今朝もツーリングが始まったという実感が嬉しい。
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集落外れから、道は早くも180mの登りへ。もちろん地図でも過去の訪問でもそんなことはわかりきっている。10%位の坂がしばらく続く筈で、以前何度か下った時にこんな坂絶対登りたくないと思っていたこと、途中谷間を見下ろす眺めに脚が止まったことは覚えている。
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杉主体の森につづら折れの折り返しが3回、途中やはり上池原の谷間を眺め降ろす場所があった。青空の下、明るい谷間に集落の営みが感じられた。
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折り返しなどで日なたは日差しが厳しいものの、最上段はほぼ木立の中。まだ空気は暖められていなくて、ひんやり涼しく快適だ。
この後すぐ寺垣内まで下ってしまうので、朝一の幟無駄遣いではある。しかし、上池原から国道168を5km走らせられるのに比べたら、こっちの方が随分楽しいことには間違い無い。
杉の森の向こう側は池峰の集落。坂を登り切って向こう側はすぐに集落だったはず、と思っていると、登り切る手前の森に囲まれた、鏡のような明神池が道端に登場。「池神社」という小綺麗な神社もあった。
これから連休中のツーリングでの安全を祈願しておくのに、今この国道425沿いの神社はこれ以上の場所は無いと思われたので、お参りさせていただく。後で紀伊半島Tour18全体の天気を思い出すと、お参りしてからちょうど国道425に関係する日だけが絶好調のど晴天だった。参拝の御利益は十二分にあったと言える。
西ノ川の谷底を5km強、標高差100m強。池峰の集落から寺垣内の上手までは集中的に、しばし結構な斜度で杉の森に下りが続いた。2007年の訪問では寺垣内から逆方向、登りでこの道を通っている。ややしんどかった記憶があり、この坂なら登りはしんどいだろうと納得させられた。
寺垣内は下北山村の中心部。村役場は国道169沿いではなく、この寺垣内にある。学校もあって、山の暮らしが明るく朝日に照らされていて、ところどころで朝餉の煙が上っている。青い山影、日なたの透けるような輝くような明るい新緑とともに、山間のごく普通の風景こそがツーリングを実感させてくれる。
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景色を眺めて下りに身を任せているうち、以前泊まった「松葉館」は通り過ぎてしまったようだった。9:05、寺垣内の分岐から国道425方面へ。
奥地川の谷から白谷トンネル越えだ。峠の名前が付いていないだけで、標高差550m弱の堂々たる峠越えの道である。
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道幅が急に狭く、カーブが急になり、辺りは広葉樹林が路上に梢を伸ばす明るい木漏れ日の密林となった。鮮やかなピンクのツツジ、木々に巻き付いた藤も、新緑ととも道を彩っている。
広葉樹林は時々杉の森に替わった。杉は当然のように植林っぽい。しかし他の場所で見かける杉に比べ、何故か梢の下の空間に鬱蒼とした密林の風格が感じられる。でも、それは細道ならではの気分かもしれない。
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ほぼ平坦に近い渓谷に、そういう深い森がしばらく続いた。凄い透明度の渓谷を森の隙間から時々眺めつつ、木漏れ日と瀬音とひんやりした森の空気に包まれていると、緑に染まりそうな気分になってくる。緑に染まりそうという感覚を、今回のツーリングではよく感じる。紀伊半島訪問毎度の気持ちである。やはりこの緑は格別なのだ。
狭かった渓谷が更に狭くなり、渓谷が道に寄り添い始めた。ルートラボの高低差断面を思い出してそろそろかと思っていると、おもむろに坂区間が始まった。
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斜度は初っぱなからもう10%以上。細かい緩急はあり、急な場所では15%ぐらいはある。緩い場所でも10%は下らないんじゃないかと思われる。もう白谷トンネルまで600m弱ぐらい、殆ど斜度は変わらないはずだ。
渓谷沿いの森の中からは、前方に高い山が立ちはだかるのが見えた。確か上の方に…と思って探すと、法面吹付コンクリートが以前の記憶通りに見えた。あれが行く手の道のはずだということを知識で知ってはいるが、その見上げ角度は標高差500mとは思えない。あれ本当に行く手の道なのかと思うのも、知ってはいる。
道は谷底からくるっと回り込んで折り返し、山腹を離陸開始。
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相変わらず斜度が厳しいだけあり、すぐに面白いように高度が上がる。しかしそれは進んだ距離にしては高度が上がっているというだけの話で、位置は一向に進まない。
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切り立つ岩場に貼り付く容赦無い登り、岩場の切り立ち度、小橋で渡ってゆく沢、緑の美しさなどなど、風景の要素が南アルプスを望む丸山林道に酷似していることに気が付いた。
入り組んだ山肌をショートカットする短く小さなトンネルも、何だかそれっぽい。無いものは残雪の南アルプスぐらいか。
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峠下の80mぐらいまで斜度は殆ど緩むことなく、道は山肌をどんどん登ってゆく。
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最後のつづら折れで尾根を折り返すと、谷間を見渡す展望が開けた。そうだ、向こうから来た2007年は、白谷トンネルから少し下ったところで展望が開けたんだっけ。
ガードレールの中から谷底を見下ろしてみると、かなり見下ろし角度が急なのに、真下の谷底が見えないほどの急斜面だ。
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何か落としそうで少し怖い。道端の法面補強には見覚えがある。まさにさっき、下から見上げた法面補強なのだった。
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10:20、白谷トンネル着。標高870m。
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空に開けた山肌の岩場にトンネルが穿たれていて、その手前に稜線から急降下する沢がある。沢と行っても水は涸れていて、大小無数の岩が転がって積もっているだけなのだが、それが何とも厳しく荒々しく、いかにもこの国道425のハイライト地点らしい。こういうところも山梨辺りの林道、それも2000m級の林道と表情がほぼ同じ所である。しかしこちらは国道なのが凄い。
見下ろす谷間は、かなりの急斜度で谷底へ落ち込んでゆく鋭角的な空間だ。鋭角的というより、何重にも続く両側の斜面に隠れて、落ち込む谷底が見えない。ひたすら斜面を埋め尽くした山肌を駆け上がる濃淡の木々が、視界を埋め尽くしている。岩場も緑も荒々しい表情の場所だ。過去の訪問では先を急ぐばかりで、あまりこういう雰囲気を味わうことはできていなかった。一転して平和に拡がる青空が見上げ、こういう天気の良い日に再訪できて良かったと、つくづく思う。
ライトを点けて943m。狭くひんやりしたトンネルを抜けると、向こう側は狭い谷の中。やはり細かい岩が散らばる路面の細道を気を付けて下り始める。
山腹を下って一度谷底まで降りてから、向こう側でまた100m程登り返す。こういうことはわかっていれば粛々と進むだけだ。やや近くに見上げる涅槃岳の整った形はが新緑に彩られ、濃い色の青空をバックに存在感がある。
涅槃岳登山道にもなっている白谷池郷林道の分岐が登り返しの谷底になっている。標高650m、あっという間に200m下ったことになる。谷池郷林道は標高1060m位まで登り返してから、今朝出発した上池原まで下る道だ。車両通行止めはいいとして、見える範囲では路面がやや不安定気味なので、あまり立ち入る気はしない。こちらは引き続き国道425の登り返しへ。
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再びギヤを目一杯落とし、まずは最初の10%基調約60m、ゆっくりゆっくりではあるが、岩場に続く静かな新緑の細道は楽しい。
道の外側は細目の木々が茂っているものの、外側に谷間の対岸の山々がちらちら眺められる。谷底は全く伺えないし、そんなことは地形図でわかっている。
順当に60m登った辺りから斜度が落ちつき、約3kmの水平区間が始まった。
かなり切り立った急斜面の岩場中腹に道が貼り付いて、まず3kmで僅かに40m登り返し。その後6kmで段階的に260m程下ってゆくのだ。
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「21世紀の森森林植物公園」から先は白谷の名前が変わった芦廼瀬川の谷底まで一気に230m急降下、白谷トンネル越えと呼べそうな区間は一段落する。
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岩場としては細かく屈曲しつつも、比較的通りのいい谷間とその空間感覚、谷底からかなり高い位置に続く空中の細道、瑞々しく緑に染まる岩山が見応えがある。
道は屈曲する岩肌に貼り付いてひたすらくねくね、先へ先へと続いてゆく。
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道の外側には木々が茂り気味で、外側の展望はちらちら見える程度。
谷の奥で見上げた涅槃岳はもう見えなかったが、白谷対岸の山は切り立って高く聳え、岩肌が緑に埋もれていたり、或いは岩が現れていたりした。
登り返しが終わった辺りからブナらしい巨木が増え始めた。
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大きな模様に彩られた太い幹には、人工物が必死に自然に抗うこの山奥の山の神様のように存在感が感じられた。
沢を横断する谷の部分では、道の脇から斜面が落ち込んで茂みすら無い。カードレールが無く「転落危険」の看板が立つ道端から、落ち込んだ谷底を見下ろすのが怖ろしい。
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路面には崩落岩石のかけらが多く、滑って転んで道の脇から転落しようものなら助かると思えない。結局数台だけだったものの、忘れた頃に車もやってきた。
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16〜18km/hぐらい、平坦な道としてはかなりゆっくりなペースで進まざるを得ない。
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道端に「しゃくなげ園」の幟と、石楠花の木が現れ始め、21世紀の森森林植物公園まで道が少し登り返した後、いよいよ下り始めた。明日向かう予定の上葛原トンネルへの分岐を過ぎ、更に斜度は急になり、山肌から向きを変えて切り立つ山肌を一気に緑溢れる谷底へ。下り途中ぐらいからハルゼミが鳴き始めた。もう少し季節が下ると、きっと谷中でハルゼミの大合唱が聞けるのだろう。
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下りきった小川で白谷の名前が変わった芦廼瀬川を渡り、まだ6km谷底に下りが続く。道幅は相変わらず細く、カーブが続き、路面には細かい石が途絶えることが無い。
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のんびり下るうちに次第に木立の空間は拡がり、気が付くと次第に谷間も拡がり始めていた。気温も天気予報通りにかなり暑くなり、木陰や沢のひんやりした空気を感じることが無くなっていた。
もう12時前。白谷トンネルに着いた時点では、もっと早く下ってこれるのではないかと思ったこともあった。事実、過去の訪問では今日より遙かに短い時間でで通過できている。今日は登りではなく、白谷トンネルのこちら側でイメージより時間が掛かったような気もする。それなのに、山間の道が里に近づくにつれ、きらめく木漏れ日に渓谷の瀬音、ひんやりした木陰が遠ざかるようで、何だか寂しいような気もする。
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12:05、滝着。見覚えのある国道168へのトンネル手前の上空、コンクリート橋がずばーんと横切っていた。この道を訪れていなかった11年以上の間に開通していた、国道168のトンネル新道である。そしてこちらの国道425からそのコンクリート橋を、同じくコンクリート造のループ橋が結んでいる。ルートラボで見て随分強引な合流だなと思っていたが、これがその実態だ。
当然旧道を通る予定だ。しかし国道168旧道の、これから向かう十津川方面に通行止めとの標識が立っていた。事前情報では見た記憶が無かったのに。
一度はそのまま進んでみたものの、結局すぐ先でかなり凄まじい崩落により撤退。谷間全体が曲がりこんで先へ続き、旧道が川面近くを渓谷とともに下ってゆくのを眺め、おとなしく新道へ。十津川街道、久しぶりに通りたかったな。
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ループ橋を登り、粛々と今戸トンネルへ。
さっきまでの国道425の緑と光と水の世界から打って変わった、コンクリートとアスファルトと照明の薄暗闇を1.85km。
トンネルを抜けると次は橋梁、その先で旧十津川街道と合流し、やや落ちついた風情の折立市街から更に広い川幅の十津川の渓谷へ。
しばし下って12:30、十津川温泉着
標高は160m、曲がりくねった渓谷は全部青緑色のダム湖になっている。小島が浮かぶような陸地を十津川街道が繋いでいて、そこに十津川温泉の小さな市街が集積している。記憶通りにバス発着所もあった。
道端に飲食店かコンビニを探しつつ、そろそろ市街が一旦終わる辺りで、何か食べられそうな「ドライブイン長谷川」へ。ここまで来る間にラーメンの幟を見かけたが、脚を停めた決め手は店の名前だ。だってもしかして世田谷の長谷川支店だったら嬉しいではないか。ここはツーリングの聖地十津川街道なんだし。
等と思いながら、ラーメンを注文。出てきたのは独特の優しく味わい豊かで素朴な塩ラーメンだった。チャーシューじゃなくてバラ肉(或いは猪かも)に、野菜は白菜が入っていたのも珍しい。
食べながらこの後の行程を確認してみる。今日の宿は龍神温泉だ。行程としては、県道735の引牛越を経由するトラックがGPSに入っている。実は国道425も牛廻越という峠を経由して直接龍神温泉に向かっていて、むしろ県道735の引牛越より距離は近い。
ただ、今日はここまで曲がりなりにも予定通りに事が運べている。天気もいい。この先も予定通り、やや大回りの引牛越経由で龍神温泉へ向かうのに全く問題無さそうだ。2005年の訪問では、引牛越経由で龍神温泉より大分南の龍神村安井まで3時間。蕨尾発の段階で15:50だったので、相当に泡を食った訪問だったのだ。今はもうそんな走りはできないし、今日はもう少しゆっくり落ちついた再訪にしたいという大義名分もある。
13:00、蕨尾発。温浴施設「昴の湯」の看板が見える。昼食が食べられたかもしれない、等と思いながら、いや、ツーリングなんだからやっぱり長谷川だよ、などと思ったりするうちに、すぐに上湯川の谷間とこれから向かう県道735が国道425から分岐。国道425よ、しばしの別れだ。
県道735が遡る上湯川の渓谷は、川原の縁からすぐに高く切り立つ山に挟まれている。深い谷間の川幅は広く、谷間は比較的見通が良い程度の屈曲なので、薄暗いという雰囲気ではない。
谷間を挟む山肌はボリュームたっぷり、何か下界から隔絶されたような清らかさが漂う稜線まで良く見渡せる。時々思い出したようにごく小さな集落か民家が現れては山中へ消えてゆく。全体的に、道の斜度の割には初っぱなから山深い表情が印象的だ。
谷底に貼り付いた道は、その幅が再びというか順当にというか狭くなると、川面近くから高度を上げ始めた。渓谷が道から50m位の深さになり、周囲の山々の眺めががらっと変わる。
標高220m辺りまで登ると斜度が一旦落ち着き、渓谷を遡りつつ細かくアップダウンを重ねながら標高400m弱ぐらいまで次第に高度を上げてゆく区間に移行。
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その後約10km、下出谷、殿井、小壁と、小集落というより民家がまばらに現れる地域が続く。
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細道は、広葉樹林や杉の森、渓谷の断崖に、時々その長さが不思議になるほど延々と続いてゆく。道の周囲は森と渓谷ばかり。登っている気はするが、実はあまり標高は上がっていない。時々民家が出現して、自分のいる場所を地図で探し、「まだここなのか」と驚いたりする。もともとペース自体が遅いのに加え、風景がなんとなく変わらないので、ますます進んでいない感が増幅されているのだ。またペースが遅いのは登り斜度のせいより、急カーブが続くために転ばないよう自然と自主規制していることも大きいかもしれない。地元軽自動車が時々通るので、尚更あまり調子に乗って真ん中を進む訳にいかない。
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ただ、午後の日差しでまぶしい木漏れ日、杉の森の涼しさは厭きることが無い。空腹なのにおにぎりを食べるのも憚られるほど泡を食った2006年とは違い、たっぷり時間を取っている今日、落ちついてこの道を辿れている。時間に追われてとても不安だった前回、午後の薄曇りだったせいもあって、良い道だと思いながらこの道を楽しめていなかったことを反省した。
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また、自販機は国道425が蕨生で国道168と分岐してから全く登場していないものの、岩場の所々には湧き水がみられ、中には塩ビ管で配管されているものもあった。今回はこれらの湧き水は飲まなかったものの、地図で見て上に集落が無い場所がほとんどだったことから、この道で水に困ることは無いと思われた。
大桧曽を過ぎて標高400m辺りから、杉の森の中で急に斜度が上がった。。
細道の登りは、くねくねカーブの内側で前輪が浮く。多分軽く10%以上を越えそうだ。記憶通り、スパルタンな登りである。
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寺垣内の小さい集落もお構いなしに、その先もぐいぐいと登りが続いた。
ただ、牛廻山登山道の分岐がある古谷川を過ぎると、斜度が少し緩くなった。大分高度が上がったためか、道はいつの間にか谷沿いから離陸していて、杉の森の間に周囲の山がちらちら見え始めていた。
この長い道も引牛越まで最終段階だ。気分的にだいぶ楽になった。そうなっても、山肌の細かい屈曲は引牛越の手前まで続いていた。
その尾根部分では、行く手の落ち込んだ稜線に道がくるっと回り込んでいるのが見え始めた。前回1度越えているからわかる、引牛越である。訪問前はこういうことは全く忘れているのだが。
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何度も次が引牛越かもしれないと思った末に、15:20、引牛越着。標高770m。
記憶以上に狭い岩壁掘り割りの、補強法面の間をくるっと回り込むように通り抜ける峠だ。引牛越の名前が付けられてから長い間、この掘り割り部分は無かったに違いない。それでも鉈の刃のようにエッジの効いた稜線が、峠部分だけ落ち込んでいたのだろうと思われる。そこだけなら、何かまるで渓谷谷底の岩場のようでもある。○○峠などと名前が付いていないのも、国道425の牛廻越と同じように牛の一文字が付けられているのも、何か歴史的な厚みというか、全体的に不思議な存在感が漂う峠道だ。ただ、場所としては道幅だけなので、道端の岩に自転車を停める以外にやることはない。
峠の龍神村側を下り始めると、意外にすぐ丹生川の渓谷に降りてしまう。裏を返せば、高い場所まで谷底が高度を上げているということだろう。
相細い道幅、荒れ気味の路面は相変わらずなので、こちらもあまり調子に乗らず、速度を抑え気味にそろそろ下ってゆく。というより今までゆっくりのんびりなので、下りもあまり急がなずのんびり下りたくなっているのだ。
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ほぼ空き家数軒だけが残る河俣を通過した後で、おもむろに和歌山県田辺市の看板が登場。そうそう、引牛越は峠が県境ではなく、ここまで奈良県吉野郡十津川村なのだった。改めて十津川村がここまで続くという、凄まじいまでの十津川村の広さに驚かされる。東西だけじゃなくて、南北にも十津川村は大きいのだ、確か。さすが日本一の面積の村である。そういえば和歌山県南部も、何処へ行っても田辺市と新宮市ばかりになった。今は田辺市のここは、以前は龍神村だったな。
丹生川沿いには緩い下りだけが淡々と続き、あまりアップダウンは無い。自転車が脚を進めるのに、こういう断面形状の道は大変効率が良い。
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道幅、路面、細かいカーブに岩肌に森、極小の交通量。道そのものは終始ここまでと全く変わらない。
午後になっても相変わらず空は晴れまくっていたが、15時を過ぎるとさすがに谷間が翳り、ひんやりした心地よさを感じられるようになってきた。
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下りに身を任せている分、ひたすら風と緑の湿気、そして壬生川の瀬音にカジカや鳥の声が感じられる。
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十津川側より谷間の深さ自体は浅いのだが、加庄口、友、東平、加財、峰、森と森の狭間に小集落の間隔がやや短い。全体として谷間の営みが感じられ、それが景色の変化となり、時間の経過をより早く感じさせてくれていた。
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16:05、三ツ又沢出合着。何だか雰囲気たっぷりの細い橋が現れた。その向こうで、こちらよりやや幅の広い道が分岐している。ここは龍神温泉への、鋭角三角形の短辺のようなショートカット道の分岐だ。実はその手前から「龍神温泉」の標識が出ていたので、通過してしまいそうな分岐を見落とさずに済んだ。
ショートカットのこちらは龍神温泉まで12km、登りは標高差200m程度で三ツ又林道は未済経路だ。このまま県道735を終点の龍神村西まで下ると、距離は20km以上、国道371の拡幅済み新道をまた100m以上登り返す必要があり、更に全部既済経路である。全く問題無く、ショートカットの三ツ又林道へ向かうことにした。
三ツ又沢はかなり狭い谷間だ。まるっきり森の中だったり、岩が切り立って渓谷らしかったり、景色はそこそこ変化があるものの、屈曲して狭い谷間空間はやや閉鎖的な印象が勝つ。
斜度は標高差200m未満ぐらいの途中まで淡々、後半の古溝手前から緩くなる。
最後までずっとこれだといいのにと思っていると、古溝から三ツ又トンネルまでのラスト30mは10%を軽く超える、この時間にややしんどい劇坂だった。まあ、こんな坂今日は珍しくもないし、地図で何となく覚悟はしていたし。
三ツ又トンネルからの下りでは谷間の風景に迫力があり、下るとともに山深くなるような気すらした。
少しどきどきしつつ、しかしやはり順当に地図で読めた距離感覚位の場所で、唐突に五百瀬の集落が登場。
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渓谷を越える国道371の橋も見えた。もう宿まであと数kmも無い。
時間があるので、曲がりくねった渓谷を湯ノ又トンネルの新道で通過してゆく国道371を少し離れ、大きく曲がりくねる日高川沿いの旧道へ脚を向けてみた。
旧道は渓谷沿いへ進んでゆく。舗装面にやや草生す箇所が見られるものの、そんなことは今日通ってきたような細道と全く同じ、今更何の問題でもない。
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曲がりくねる谷間の先っぽで集落が登場、渓谷の細道は集落の生活道へと表情を変えた。小学校の脇から小橋、萬屋、民家の軒先へ。こんな細道で人の営みに出会えるのが嬉しくて、宿到着間近なのについ自販機休憩をする。鮎友釣りの看板が掛かった萬屋の軒下では、おばさんがおじさんを散髪していた。
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もう風景全体が赤くなり始めている。夕方こんな状況で宿まであと60kmだとつらいのだが、今日はもうあと2kmぐらいのはず。
湯ノ又で国道371から分岐、岩の切り通しに面した狭い旧道へ。16:55、湯ノ又「民宿龍神」着。
宿の存在自体は2002年の計画時点で知っていたし、国道371の新道を何度か通る度、日高川の対岸に写真通りの佇まいを確認していた。旧道沿いの宿に自転車を停めて荷物を降ろしていると、元気そうな少年、続いてそのお姉さんっぽい少女が飛び出てきた。二人とも日焼けで真っ黒な顔に目がくりくりきらきら、大変元気そうだ。野球のユニフォームを着ていて、「お客さんですか」「自転車なんですか」と話しかけてくれるのが嬉しい
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民宿龍神は日高川の岸、崖地の斜面に建っている。1階は龍神街道旧道、階段で降りた地下1階は客間、地下2階はお風呂になっていて、国道371の鉄骨橋を渓谷とともに見上げる高さにある。特に客間とお風呂からは日高川の川原がとても近く、熊野川の瀬音と軽やかなカジカの声を間近に聞くことができる。
まずは温泉へ。その後の夕食は大変盛りだくさん。猪鍋に鹿肉唐揚げ、他にも田辺のお刺身など、気さくな女将さんが説明してくれた。お米がまた美味しいものの、若い頃のように4杯も5杯も食べられないのが心苦しい。
部屋に戻ってもまだ明るい。日高川では、カジカが夜中まで軽やかに鳴いていた。春のいい宵だ。何ともステキな宿である。でもすぐ寝てしまった。
記 2018/5/28