北海道Tour01 #10 2001.8/18 浜頓別→旭川

浜頓別→(国道275)中頓別町
→(道道120)兵安
→(道道647)上頓別
→(国道275)新成生
→(道道72)江丹別町
→(道道915)嵐山
→(道道98)
224km

旭川市内
6km

旭川

江丹別

幌加内

政和

添牛内

朱鞠内

母子里

美深

音威子府

兵安

中頓別

浜頓別


 窓の外を見ると、何と雲が切れて青空まで出ている。出発の朝になってようやく、という気になるが、今日は気持ちよく走れそうだ。そのうち太陽まで出てきた。

 6:00、トシカの宿発。
 今日は旭川まで行く。計画段階では中頓別・歌登・似宇布まで道道120で行きたかったのだが、中頓別の先の兵安から歌登までが通行止めなので、迂回しないといけない。まあそれ以上に、後の行程を考えると、今日は何より先に行っておく方が良さそうだった。
 例によって、早出の分コンビニで朝食を取り、6:25、浜頓別発。

 太陽が出るだけで、町外れの牧草地の眺めが、緑の色や遠景など全然違う。去年も感心した正面に見える見事な山は珠文岳・ポロヌプリ山というのか、敏音知岳はあんな形をしているのか。このまままた去年と同じように88高地へ足を延ばしたくなったが、いや、今日はだめだめ。
 7:10、中頓別発。これから兵安まで、つかの間の悪あがきで道道120に入る。兵安からは国道275の上頓別まで道道647がショートカットしており、一昨日通った道を通らなくて済むのだ。何よりもいくら国道275が静かとはいえ、道道の風景はやはり更に静かで気持ちを緩くできる。
 低い山の中の谷間を進み、兵安へ。兵安では最後の悪あがきで、農家の方に歌登まで歩行者は通れるのか、つまり押しなら問題の区間を通過できるか聞いてみた。しかし、行った人はみんな帰ってくるとのこと。しょうがない。先へ進むか。

 国道275に再び合流後、峠と言っても丘みたいな天北峠を越え、9:30、音威子府発。ここから美深まで道北の幹線、国道40号との重複区間となる。幹線国道とはいえ、道北もこの辺まで来るとかなり交通量は少ない。
 天塩川を遡る形で美深まで、やはり盆地にはトウキビ・ソバ・ジャガイモなど、様々な畑の風景が続いた。美深が近づくと、朝から昼になったという以上に気温が上がってきた。道北エリアとはいえ、やはり音威子府と美深では気温は全然違うのだ。

 11:00、美深発。
 ここから再び国道275の単独区間となる。朱鞠内湖、幌加内のソバ畑を通る、国道とは思えない静かな道が続く。94年に母子里→美深99年に石狩沼田→母子里と分割で通ったことがあるが、その時の印象が良く、道北からの帰りは国道40ではなく断然こっちだと決めていた。
 まず美深から幌加内町へ入るのに、美深峠を越える。例によってそう高くない山に囲まれた谷間の牧草地の間を、だらだら直登で標高を上げる、典型的な北海道の峠だ。やはり例によって、峠付近での周囲の山々の、深い樹海の風景が圧倒的だ。

 峠を登ったよりもはるかに少ない下りで着くのが、母子里である。
 低く見える山に囲まれて、緩やかな擂鉢状の盆地に牧草地や笹原に何軒かの農家・小学校、点在する樹木が拡がるこの母子里は、名寄・美深・朱鞠内など外部からのアプローチが山深いだけに、突然開けた別世界のような印象がある。85年の夏に初めて深名線で通過して、名寄からの峠越えとのあまりの風景の変化に衝撃を受けて、しばらく夢中になってしまった。その後、朱鞠内湖畔を淡々と進む深名線に揺られ、たまたま「湖畔」という駅の張り紙の通りにたどり着いたのが、初めての「しゅまりの宿」、というか「旅人宿の世界」だったというわけだ。
 この母子里の東大演習林で記録された、-41.2℃(だったかな)という気温が日本で一番低い気温とのこと。「日本で一番寒い」というフレーズは、幌加内町の観光ネタの一つになっている。
 この母子里は美人の里でもあるそうで、もともと幌加内町は美人が多いそうなのだが、毎年の幌加内町ミスコンテストの上位はこの母子里の女の子が取っていったそうだ。冬の深名線の「北母子里」で美人の女子高校生が何人か降りて、それで前述の「しゅまりの宿」で聞いた話だ。何でもかつての深名線では、名寄高校から帰る女の子達が、40分ほどかかる北母子里までベストテンを毎日やっていたそうだ。
 母子里と「しゅまりの宿」のインパクトに完全にやられてしまい、その後も何回か訪れた。「しゅまりの宿」で紹介されて、母子里で牧場のバイトをしたこともある。
 今もご夫婦で牧場を続けていらっしゃるそのお宅に、久しぶりに挨拶しようとしたが、ちょうどご不在だったようだった。

 母子里から再び外周の丘へと登り、今度は朱鞠内湖畔の道となる。
 一度登ってしまうと、そう厳しくないアップダウンが続く。雲一つ無い今日の空を反射して、見事に真っ青な湖面が時々現れるのを眺めつつ、コマンドシフターをかちかちやりながらのんびり走るのが楽しい。向こう岸の樹海に続いて、遠くには羽幌の山々が見える。あんな山が見えるなんて過去の訪問では意識したことがなかったのに、それだけ今日が晴れているということなのか。

 湖岸から下り、13:30、朱鞠内着。
 ここで99年に未済の、「しゅまりの宿」再訪を果たさないといけない。宿主さんの通称「ハッパさん」は88年に宿を廃業したが、現在は陶芸家として活動されている。かつての宿の建物は、元常連さん達の会員制別荘となっていて、ハッパさん一家は毎年夏に遊びにやってくる、という噂を以前から聞いていた。更に去年、美瑛の遊岳荘でもその話を確認しておいたのだ。
 道道から逸れて北のちょっとした坂を登って下ると、見覚えのある青いトタン屋根の小さい家屋があった。

(2枚とも1986年撮影)

 宿の中には何人か人がいた。見覚えのある女性の方は、ハッパさんの奥さん、ヒラメさんだった。ハッパさん一家は今まさに帰ろうと出発するところで、ちょっと近所に挨拶に行ったとのこと。中に入って待つことにした。
 宿に入ると、玄関の脇に6畳間の居間があって、反対に炊事兼食堂があって、…かつての旅人宿、濃厚な北海道の「旅」というものを感じた衝撃的空間が未だにそこにあった。かつての自分が見えたような気がしたが、ミニコンポのあった場所にiMacがあるのが何とも2001年ではある。
 5分もしないうちに帰ってきたハッパさんに挨拶することができた。10年以上の時を経ていきなり再登場した私は、しかしながらちゃんと思い出してもらえたようで、近況報告や世間話などの後、その場を辞した。13:50、しゅまりの宿発。

 朱鞠内から先は添牛内・政和・幌加内と下り基調となる。
 幌加内町はソバの日本一の産地とのことで、雨竜川に沿った細長い盆地上の谷間には一面のソバ畑が拡がり、夏には満開となる。99年に一度来て、国道なのに車が少ない静かな道であることも手伝い、とても気に入ってしまったのだ。
 連続するわずかな下りに乗じて一気に進む。狭い谷間の朱鞠内、まだそう平地が広くない添牛内から政和に出ると、盆地上に拡がった平地一杯に、薄緑色のかった白いソバの花が拡がった。もう周りの畑じゅうソバの花なのである。ところどころの林はシラカバが目立つ。

 ちょっと自転車を停める。静かな盆地に青い空、ソバ畑の白、シラカバの白、木々の緑、遠くの山の緑、この風景を見に来たのだ。エゾゼミの声、キリギリスの声がにぎやかだ。ヒバリのような鳥の声もする。まだ太陽はかなり高く、皮膚がぴりぴりするが、風は涼しい。

 美深以来一度もコンビニ補給をしていなかったので、道の駅「せいわ温泉ルオント」の食堂で天ざるで昼食後、幌加内に降りる。縦に異様に長細い幌加内町を縦断して、南側までやってきたことになる。相変わらず満開のソバ畑の中を進み、小さな幌加内の町で給水。15:35、幌加内発。
 旭川までは江丹別峠越えとなった。そう広くない道道の峠はやはり静かで木陰が心地良い。時々見える幌加内の盆地、ソバ畑や山々が、午後の赤みを帯びた光の中で、逆光になったり影になったりしていた。。
 峠を下ると、何と無く寂しく寒そうな道北の雰囲気を引きずっていたそれまでの景色は、一気に何か道央の田舎、という雰囲気になった。どこがとはあまりうまく言えないが、山々が丸いように見える。
 更に下り続け、ソバ畑・水田の田園風景から狭い谷間の森を経て、石狩川に出た。

 18:15、旭川YH着。過去20数度の北海道旅行で、旭川に泊まるのは初めてだ。特にこの旭川YHは駅から遠く、JR利用だとなかなか使いにくい面がある。
 しかしこの旭川YH、ペンション風だし風呂は広いし、食事は悪くないしでなかなか充実した内容で気に入った。
 食事は充実していたが、やはり旭川ラーメンは食べないわけにはいかない。21時過ぎから出かけてはみたものの、まあそれでもラーメン村までは足は延ばせず、いい加減眠かったので、街中で目に入った「山頭火」でお茶を濁すことに。

記 2001.8/21

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Last Update 2004.1/1
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