区間1
(以上#2-1)
(以下#2-2)
区間2
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区間3
(以上#2-3)
(以下#2-4)
区間4
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区間5
km
5時過ぎ。外で見かけた自販機に缶コーヒーを買いに行く時に、防波堤に登って海を眺めてみた。
入り江の外海の空が光るように明るくなっている。その空に雲が全く無い。海面は鏡のように静かで、岸辺の山々は赤い光が作る青い影の中だ。空気はきりっと涼しい、というより肌寒く、雨具を防寒着にしても耐えられるかどうかという感じだ。宿の部屋に炬燵が置いてあるのがよく理解できる。
6時前、自転車に荷物を積むときに、もう一度防波堤に登ってみた。湾の外側から朝日が射し込み始めていた。空気はひんやりしているものの、さっきよりは大分上がっている。何とか走れそうな感じだ。
味しい鯵の干物の朝食を頂いて、6:50、二木島旅館民宿川口家発。
港から40m登って国道311に取り付き、岬を越えてゆく。濃厚に道を覆い尽くす新緑の広葉樹林、その隙間から路上に斑を作る木漏れ日。紀伊半島まっただ中にいきなり放り込まれた気がした。昨日丸々運休して出発が二木島になった、そのことならではの現象だと思う。昨日全く走っていなくても、旅は始まっていたのであった。
トンネルを抜けると遊木町の漁村を見下ろしつつあっけなく道が下り始め、向こうの岬に挟まれ静かに波打つ凄い青濃度の海が現れた。湾の内側に向かって下り始めると共に、道は4mぐらいの細さになった。7:15、新鹿手前の私的自転車撮影ポイントに狙い定めて脚を停める。日本一の砂浜といううたい文句の白い砂浜が大きな弧を描く新鹿の海岸が、静かな内海の正面に見える。そして切り立つ山々、その山をもりもり覆い尽くす常緑樹と新緑の濃淡緑が、海岸と湾を取り囲む。朝の光、景色の彩度と濃度が凄い。遂に、また新鹿海岸に来れたという気持ちで一杯になる。
まずは自転車写真を撮らねば。2021年にK-1のDFA21mmLimitedを買ったとき、撮りたいと思っていた具体的な何カ所かのうちのひとつがこの場所だ。今日、最高の天気と時刻とともに、念願の風景が目の前にある。人生こういう日が来るのだ、と思わせられるような状況なのだ。
しかし目の前の風景に、PCデスクトップ写真よりかなり樹木が育っているのはちょっと意外ではある。また、そういう過去の写真だと海は明るいエメラルドグリーンだが、目の前の海は濃紺というか深緑というか、空を映しているのとも違う濃い色だ。或いは海底の白い砂が、何かの理由で流れていったのかもしれないなどと妄想する。思えば前回ここに来たのは2015年。前回9年経ったのだと自分で思っていないことが、一番の原因かもしれない。これこそじじいのツーリングだ。それによく見ると、色が濃いのは海岸近くの海底まで海が透けて見えているせいだということがわかった。そう考えると、ものすごい透明度に改めて驚かされる。こんな風景が幅員4mの国道で楽しめるのが凄い。
入り江の中央に降りた国道311は、海辺の町中へ脚を進めてゆく。過去の訪問で見かけた看板の宿は、今回はことごとく閉まっているのだった。計画時に宿を調べた段階で気付いてはいても、少し悲しいことである。町中に営業中の商店を見つけ、町の元気な表情に少し触れた気がしてほっとする。
たまたま目に入った砂浜への小さい橋を渡って砂浜を少し眺めてみる。日本一美しい砂浜だ、と思うと意外に木辺やら何やらが目に入る。リゾート地の砂浜とは違う、この海岸の素朴さなのかもしれない。自転車道っぽい細道が海岸をぐるっと廻ってゆくのを見つけ、行けるとこまでと思って進んでゆく。
砂浜で自転車の写真を撮ってしまった。「塩が痛い痛い」と自転車が悲鳴を上げているような気がして、「ごめんごめん、」とちょっと申し訳なく焦りつつ、この際もう少し海岸の近くを。
結局最後に少しだけ階段を担いだものの、無事湾の反対側、海水浴場の駐車場広場に到着できた。さっきの自転車撮影ポイントから、30分以上かけて湾の反対に回ってきたことになる。こちらからも少し眩しい朝日で逆光の湾を眺め、駆け足ではあっても過去の訪問で一番時間を取って、朝の新鹿で立ち止まれたことに満足し、先へ進むことにした。
それにしても今日の新鹿海岸は凄い天気だった。2006年の初訪問から18年、過去何度かの訪問中で一番晴れたと思う。この後これほどの晴れにはもう出会えないとしても、またいつか。
7:50、新鹿発。再び岬の稜線へ登ってゆく。確か次は波田須町の先まで登りだったような気がした。
岬まで登った道の登り斜度が安定すると、森が切れ始めて下手が畑と田圃に替わり、ところどころで空と熊野灘が拡がる始める。波田須町だ。所々に熊野古道の看板が出ている。途中、GPSトラックが国道の道端から民家脇の細道へ下っている。空間がすとんと落ちていて、斜度がかなり厳しそうだ。多分というか間違いなく集落の急斜面直滑降と思われる。新鹿で時間を取ったし、もうそちらは行かずに国道311を進んでゆく。
波田須町からの登りは、記憶に比べてあまりボリュームのあるものではなく、意外にあっさりトンネルを通過。あれっと思っているうちに大泊まで下りなのであった。今日は二木島始発のせいか、だいぶ熊野灘区間での展開が速いような気がする。つくづく昨日の雨が悔やまれるものの、こういう今の気分は悪くない。尾鷲発二木島着のパターンは今後使えそうだなと思う。
海は新鹿と何ら変わらず、透明度が高く白い砂浜そのものは美しい。しかし国道311は、軒が低く落ちついた大泊の町の先で国道42に合流。当然のように道は一気に幅広く、交通量が段違いというか別世界のように増えてしまった。4回目なのでこうなることは判っているし覚悟もしている。でもやはり、全体的に落ち着きは悪い。
行程上、熊野市市街の先で再び国道42から別れて山中へ向かう国道311に乗り換えるまで、熊野市市街を通過してゆく。
大泊から熊野市市街へは旧道細道トンネルを使う。一応車も通れることになってはいる道なのだが幅がかなり狭いので、通っても軽トラぐらいなのが親しみやすい。また、熊野市市街側は国道42からは少し離れた町中に出る。そこでは軒の低い瓦葺き、昔ながらの佇まいの木造家屋が元々旧道っぽい格調とともに続き、熊野市市街というより本来の地名の木本の町という言葉が頭に浮かぶ風景なのだ。短いながら私にとって熊野市の好感度をぐっと上げるトンネルなのだ。
商店街では歩行者天国の朝市をやっていた。自転車を押してゆくと、秋刀魚寿司始めいろいろ弁当になりそうな物も売っている。こういう所は熊野市は親しみやすい。
8:40、計画段階で目星を付けていたローソンに脚を停め、おにぎり、ケーキなど補給食料を多めに仕入れておく。今日だけじゃなく、明日も食料難民になる可能性があることを、紀伊半島では注意する必要がある。
8:55、ローソン発。駅前を経由し、裏道から再び海岸沿いの国道42へ。かつて泊まった熊野市青年の家YHの建物を一目眺めようと思っていた。事前に旧道っぽい細道に目を付けてはいたものの、建物はあっけなく国道と細道の分岐に建っていた。
旧道細道は車が来なくて好都合ではあるものの、凄い晴れの今日は、むしろ国道沿いの海岸が見ものだ。少し獅子岩前の海岸を眺めてから、おもむろ内陸へ向かう。
GPSトラックは集落の生活道から田圃の裏道、農村の細い道へくねくね突っ込んでゆき、おもむろに再び国道311に合流。丘陵地をいくつか横断するアップダウンを、てれてれだらだらとのんびり進んでゆく。過去の訪問では、一見短く見える距離を甘く見て適切な時間を取らず、この辺りで坂を強引に登ろうとして疲れてしまった記憶がある。こういうしんどい区間は、面倒でも無理しないことが心安らかなツーリングにつながる。
無理さえしなければ、山間に向かって波状に続く一つ一つの丘は、どうせ大したボリュームではない。そういう丘を一越えして谷閧ノ下ると畑や田圃が現れる。里が現れる度に次第に谷が狭くなって長閑な雰囲気濃度は濃くなり、丘は少しづつ高くなって周囲にも高い山が現れ始める。途中、熊野自然の家の分岐看板が現れた。2015年に通った札立峠と深い森の道を思い出す。
アップダウンが続いて交通量は皆無という程でもないこの道を避けようとすると、もう少し海側に少し回り道する道はある。国道311よりはのんびりしていそうなので、いつかはそっち方面も行ってみてもいいかなとは思うものの、いつになるかはわからない。まあパターンとしては、瀞峡・丸山千枚田方面と熊野灘の狭間で、必要性と時間の余裕に応じて行けるか行けないかが決まるんだろう。
内陸はやはり暑い。まあ夏よりはましで、まだ耐えられる。自販機で脚を停めポロシャツを脱ぎつつ、こんな暑さがすっかり普通になってしまったと思う。
周囲の山々が俄然切り立ってきて、斜面地集落の尾呂志を過ぎ、トンネルの入口でおもむろに杉の森へと分岐する旧道で風伝峠へ。過去に国道311を通った時は、主に行程に無理があったため、たかだか100m登り返すこの旧道を避けたことが多かった。今日は可能な限り脚を向けてみるつもりでいたのだ。
取付で乗り上げるようにほんの少し高度を上げ、その後は斜度が落ちついた。濃く深い杉の森は、梢が高く開放的な雰囲気だ。しかし森の上手から、野良犬なのか猿なのか声がするのはやや不気味だった。距離は100mか或いは200mか、猪か熊じゃあなさそうではある。ある程度から向こうは勝手が全く伺えないことに気が付き、改めてその深さを思い知らされるような森だ。
峠手前の茶屋っぽい建物は閉まってはいたものの、ピークできゅっと道幅が狭くなる峠部分も杉の森の中。旧道であることと往年の佇まいが想像される。
峠を越えた道は山腹の森を下ってゆく。登り返しが始まって峰を越え、時々頭上が開けたりする辺りから、道幅はますます細く、舗装路面の轍を除いて草や苔が生えたり落ち葉が溜まってたり、細かい落石が現れ始め、路上空間がますます狭く小さく道の雰囲気は変わり始めた。
県道40へ合流すると、更にぐいぐい登ってゆく。地形図ではそういう風に読めるし2002年の記憶でもそんな感じだったので驚きはしないものの、やはりそうなのか、と粛々とギヤを目一杯落とす。
この先丸山千枚田までも、やはり距離は長くないが拡幅済みの道幅にしちゃ斜度は厳しめだ。風伝峠からこの辺まで距離はそんなに無い。しかし、道が細くてそろそろ進んできたのでそれなりに時間は過ぎているし、道の展開がころころ変わったためか十分に峠を越えたという気分になっている。さすがは風伝峠。それとともに、改めて行程が紀伊半島のペースであることを感じさせられる。
県道40に合流してから、すれ違ったり追い抜いてゆく車が妙に増え始めていた。丸山千枚田を訪れる人だ。森が切れて現れた展望台では、森が切れて千枚田を見下ろす眺めが拡がった。切り立つような急斜面に弧を描いて、目の前から上下に空間が拡がっている。谷底へ駆け下りるように層をなして下ってゆく棚田。その垂直方向への規模は、2002年に訪れて、そしてその後も地図で眺めていた以上だ。明るい草の緑は、ここまで通ってきた杉の森の濃い緑、広葉樹の森と違う緑であり、空を映す水面、陽差しとともに目に浸みる。気を付けないと転げ落ちてしまいそうな気になってしまうほどの急斜面。腰の後ろが痒くなりそうな高所恐怖が、これから自分がその中へ下ってゆくわくわく感と、他の場所ではあまり見かけない地形の空間感覚と一緒に自分の中でぶつかりあっている。
もう少し進んで県道40の登りピークから、棚田の中へ飛び込むように降りてゆく。がしっと緻密に、丁寧に積まれた石垣や棚田の縁が段をなして急斜面を下ってゆく中を、こちらはつづら折れの細道で、景色に脚を停め停め下ってゆく。2002年もこの道を通っているはずなのに、焦って下ったことしか憶えていない。
10:50、丸山千枚田休憩所着。あずまやのベンチに腰掛け、おにぎりとケーキを腹に入れるとする。棚田を眺める場所として、上下にも円弧の内側にも、中間地点の大変良い場所にある有り難い場所だ。こういう場所が無料で開放されていて、何かうるさく仰々しい施設じゃないのは素晴らしいことだ。
一息付いて水を飲む。ぎゅっと濃厚な、谷間に上下左右に展開する棚田の空間感覚も、少し下手の空中に突き出す巨石を見渡してみると、こういうもの全てを、再訪してやっと思い出せていることをつくづく実感する。
2002年の訪問では、確か宿の夕食時刻ぎりぎりで、ここは通り過ぎたんだった。あの時丸山千枚田には2回も泊まっているのに。そして2回目は、真っ暗になってから20時過ぎにタクシーで帰ってきたんだった。2009年にも、上の県道40を通過はしている。毎回毎回、そういう立ち寄る余裕の無い行程しか組めなかった。2002年など折角泊まったんだから、ここで朝の時間を取っても良かった、もう少しこういうステキな風景を味わうようなツーリングをしても良かったとつくづく思う。行程に対して脚があるとか無いとかじゃなく、根本的に自分の旅にそういう余裕が無かったことを後悔する。でもそれは今だから言えることかもしれないし、いや、あの時の後悔があるから今こういう旅ができているのかもしれないとも思う。ことにする。
11:20、丸山千枚田休憩所発。棚田の中、巨石の脇から道は折り返して下ってゆく。最後にやっと見覚えのある建物が現れた。2002年に私が泊まった後、今は閉館してしまった公営の「千枚田荘」だ。手入れはされているようだが今は物置なのか、ややひっそりした雰囲気だ。千枚田で作ったとのお米がとても美味しかった記憶がある。
棚田の外れから森の中へ。細道を滑らないようにきりもみ急降下、その後急に大栗須の集落が拡がった。森の中から周囲が開けて、人里に戻ってきた印象はあるものの、ひっそり寂れたような、どこか違和感に近い雰囲気が感じられるようにも思う。2002年の訪問時にもこういう雰囲気が感じられたような気もする。それなら、この地独特の雰囲気なのかもしれない。明るい日なたの休耕田らしき草むらで、キジがのっしのっし、高い声で一声鳴いた。
入鹿で集落に生活感が出てほっとして、間もなく板屋で、風伝トンネルから下ってきた国道311に合流。
板屋は、元役場の熊野市支所があるぐらいの、この辺では比較的纏まった規模の町だ。自販機に立ち寄るチャンスでもある。しかし、何故か毎回不思議に谷間に通る国道311に慌ただしい雰囲気が漂っているような気がして、立ち寄る気にはならない不思議な場所だ。何が悪いとか気に入らないというわけではないのに。
今回もそのまま何となく受動的に、てれてれ勢いだけで進むうち、板屋の小さな町は通り過ぎてしまった。
次はGPSトラックに従って、国道の小山を抜けるトンネル脇から、小山を回り込む川に沿った旧道っぽい細道へ。
森の中から対岸に渡る橋が現れた。唐突に今日3つめのテーマ、瀞峡未済経路廻りが始まったのだった。
ここまで板谷川の狭い谷間を下っていたのが、GPSトラックに従いその橋を渡り対岸の小さいトンネルを抜けると、その向こうは広く大きな北山川の谷間に変わっていた。道はそんなに曲がっていないのに、不思議な展開ではある。北山川が曲がりくねっているのでこういうことになるのだ。
そのまま細道を進み、北山川の川沿い集落木津呂へ向かう。山間にくねくね屈曲して続く北山川は、この辺りで180°ターンを2回繰り返す。180°折り返す北山川に挟まれた島みたいな岸辺の集落が木津呂だ。北山川には直接木津呂へ渡る橋は無い。このため、木津呂は曲がりくねった北山川沿いの行き止まりとなっている。実際には木津呂の先にもう少し道が続いてから行き止まりになるっぽいのだが、そこは今のところあまり考えていない。どうせ無人の森の中で唐突に道が途切れることを、Web地図で確認済みだ。木津呂に行ければいい。
北山川沿い、特に瀞峡にはこういう場所がいくつかある。しかし私は北山川には何度も訪れていても、こういうところには今まで訪れたことが無い。やはり今まで、行程上の理由を大義名分に、訪問をサボっていたのだ。
切り立つ岩山に貼り付き、木漏れ日の森の中、北山川沿いから次第に道は高度を上げてゆく。時々岩肌を強引に掘り割りで道を通したような場所もあるかと思うと、のろのろ進むうちいつの間にか100mぐらい登ってしまい、北山川の広く澄んだ川面が見渡せ、思わず脚が停まったりする。見下ろすその川面の透明度に驚かされるのは毎度の事、つくづく本当に水がキレイな川だ。そしてその透明度が、のんびりと長閑で伸びやかながら、どこかきりっと清らかな、川の風景全体に影響しているとも思う。
登り切った辺りで林道が分岐してゆく。そちらの道は地形図では破線の道が北山川沿いに高度を下げ、次に向かう瀞峡沿いの集落へと北山川沿いを渡る小橋が描かれている。そんな点線の道は信用できないし、この先そちらへ向かおうという気も全く無い。稜線をひょいと乗り越え森に突入するその道に、踏み込むとまず確実にろくなことにはならなさそうな雰囲気が漂っていることだけ確認し、こちらはそのままこちらの谷間を北山川岸近くまで下ってゆく。
森が開けて現れた木津呂の集落は、人里としてごく普通に親しみやすい表情が、手入れの良さそうな梅畑や民家に漂っている。空き家っぽい家や休耕田はあれど、空地じゃない畑は綺麗に手入れが行き届いている。車が停まっている家もある。放置されている感じは全く無い。
そのまま木津呂の先へ、一応脚を進めてはみた。しかし一旦60m登った道が再び川沿いへ下り始めるところで、何となく満足して(というか面倒になって)、もう引き返すことにした。ここで12:30。
再び木津呂の集落を通って登り返す。北山川沿いの道のピーク、向こう岸へ下ってゆく林道の分岐で、この道を下ったら担ぎ込みで1時間かそれぐらい、地形図に載っている小橋で北山川を渡り、瀞峡のショートカットができるかもしれないなどと妄想してみる。現実としては、やっぱりそんなアブナイ賭けをするわけには行かない。そうじゃなくても地道に行かねば。まだお昼。
元の橋へ戻り、再びトンネルを抜けると国道311の大きな白い橋が見えてきた。何だかこっちの世界に戻ってきた気になると共に、やっと次に進める気になる。
橋を渡ってトンネルを抜け、国道311はまたもや登り始めた。そして途中で1車線の細道となった。ここは2002年の初訪問時からもう何度か、通るたびにしつこい一登りにうんざりさせられている。なんでこんな所でわざわざ登って下るの、という。
まあこの道を通る限りは毎度の話。きりきりっと急な坂で丘を一つ越え、国道169新道に竹箸で合流。前回は国道169を降りてきたから、今回登りでしんどいのは順当な流れと言えばそれまでではある。
谷底の玉置口にもひと分岐ある。集落も何も無い急斜面の、数えるのが面倒なつづら折れで単純に100mぐらい登った最後は行き止まりという、かなりものすごい道だ。もともとGPSトラックは引いていないし、そちらには行かないことにしておく。以前まだ新道が影も形も無い頃、国道169の旧道から一度間違って踏み込みかけたような気がしないでもないし、そんなのは思い込みかもしれない。何しろ初めて通った2003年は、この辺は泡を喰っていたし、その先の蟻越峠区間で散々しんどい思いをさせられたのだ。等と思いながら、橋の上から玉置口の谷底と印象的な白い鉄骨トラス橋を眺め、脚を進めるとする。
瀞峡トンネル入口の、2003年以来向かおうと思っていた国道169旧道は通行止めになっていた。無理に突入しても、延々登った後に盛大な崩落やら何やらに遭遇するのは目に見えている。もう粛々と、瀞峡トンネルへ向かってしまうことにした。大義名分としてはこちらから登るのは初めてだし、実際2km以上の長い国道トンネルではあっても緩めの登り斜度は大変有り難い。そして今日みたいに暑い日には、トンネルの冷やっとした空気が更に有り難い。
多分旧道はこのまま廃道になるのかもしれない。それなら次回以降の訪問は、こちらになってしまうんだろうなとも思う。
瀞峡トンネルを抜けると、すぐにこちらの新道から見上げる位置に国道169旧道が並行する、瀞峡区間まっただ中の風景が現れる。この国道169の、象徴的な場所だと思う。
13:30、瀞峡分岐着。ここで寄り道2本目、瀞峡まっただ中北山川の河岸近くまで降りてゆく道へ。以前は谷底へ一目散に下ってゆく道を国道169の旧道からも新道からも眺めるだけ、「あんなところはちょっと下れないね」等と思って通過していた。今回は余裕がある分を、そういう道への訪問に費やそうと思っている。まあ、玉置口は通過してしまったので、ローラー作戦というほどでもない。決め決めの計画でもない。あくまでのんびり、あまり考えずに時間が許す範囲の話だ。
手持ちの平成6年腰部修正1/5万地形図「十津川」には、この谷に小さな集落が描かれている。そして以前NHKの朝のニュースで、瀞峡ホテルとして宿泊営業されていた建物を引き継がれた方が、瀞峡ホテルをカフェとして営業されていることが紹介されていた。今回はこの谷間を、是非とも一目眺めてみたいと思っていた。
谷間へ降りてゆくと、ボリューム・斜度とも地図で眺めたのと上から眺めて想像したぐらいのボリュームの谷下りの後、カーブの先に木造廃屋と何故か郵便局、そしてバス折り返し場所が現れた。元瀞峡ホテルの建物はそのバス停の、瀞峡に降りてゆく斜面に貼り付くように建っていた。
ここに立ち寄って軽食か飲み物か何かを頂いて、木漏れ日の瀞峡を眺める自分を想像していなかったわけじゃない。でも、今日も14時近い。そこまでの余裕は無さそうだ。そしてそういう理由だけじゃなく、先にどんどん進みたい気分になっている。
下った分が帰りに丸々登り返しになって、再び国道169へ。14:00、瀞峡分岐発。
何度かの訪問で印象的な東野トンネル、他いくつかのトンネルと橋で、本来は切り立つ複雑な地形の谷間をばんばん直線気味に通過してゆく。地形図に描かれた急峻で屈曲する谷間の印象とは全く違い、ほんとにあっという間に小松分岐に到着。
いつもの小松に降りてゆく道が分岐する広場状の場所に、工事現場の仮囲いが立っている。その向こうには、谷間の空中に構台がかなりできあがっているのであった。その先、山肌に穿たれたトンネルはもう貫通している。小森を抜けて北山村の中心部に向かう新道区間が、来年の開通に向けて着々と絶賛工事進捗中なのだ。
小松には2度降りたことがあるし、小松で工事現場を眺めることができたので、引き続き粛々と先へ進んでゆく。次は瀞峡を望む私的撮影場所の再訪だ。
急に細道に変わった国道169はこちらからだと登り基調だ。楽しみにしていた私的撮影場所は、ところがその場所ではガードレール外の斜面に2018年以来6年間で成長した木が生い茂り、瀞峡は全く見えなくなっていたのだった。
小森ダムまで道は一登り。いつの間にかスパルタンに斜度を上げているタイプの、ちょっと国道離れした厳しい細道だ。その後細道区間は下尾井手前で続いたが、新道の橋を造っている工事現場が現れた後、道幅が拡がって森が切れ、集落と道の駅が現れた。
14:40、下尾井着。ここには道の駅「おくとろ」その他公営観光施設がある。道の駅で補給食ぐらいは問題無く購入できることは知っているし、、今日は補給食を十分準備して行程に臨んでいる。とりあえず有り難く立ち寄り飲みものを仕入れ、表のベンチで昨日早朝地元駅のコンビニで仕入れた最後のバームクーヘンを食べてしまう。まだ熊野市で買った食料もあり、ネタ的には全く不自由していない。
のんびり行程を進めているうち、それなりに時間は過ぎているのは瀞峡の山深さ故かもしれない。ここで少し休んで出発は15時頃。小森へ訪問してから、その後不動バイパス経由で七色ダムへ脚を向けると宿到着は17時を過ぎるだろう。明日は曇り後雨予報、午前中しか走らないだろうから、17時を過ぎても全然構わない。むしろ今日もっと走っておくべきかもしれない。まあでも、熊野灘の絶景、風伝峠・丸山千枚田・木津呂・瀞峡ホテル・ツーリング的絶景と細道廻りに十分満足だ。そろそろ空に雲がうっすら拡がり始めているし、小森の後はもう宿に向かおう。
15:00、下尾井道の駅「おくとろ」発。北山川対岸へ渡る吊り橋の上瀞橋は、一度渡ったことがある。その時は確か動画を撮ったはず。今は動画の代わりにThetaの360°画像が、広い幅の川を吊り橋で渡る空間感覚を記録できる(と思っている)。
対岸に続く道を登り方面へ。しばらく登りが80mぐらい、杉や広葉樹の薄暗くも静かで涼しい森に続いた。木漏れ日がまぶしい丘の背中をひょいと乗り越えると、向こう側の斜面は日なたの光の中。そろそろ赤みが混ざった光で、木漏れ日の緑がますます明るく鮮やかだ。
森が開けて小森の集落が現れた。多少静かな気はするものの、畑には人がいる。石垣や並木が小綺麗に整えられ、所々で豊かに茂る桜の木立や並木。風景に費やされた人の手の優しさがあちこちに感じられる集落だ。
河岸近くまで降りる集落の周回道路を下ると、ダムへ向かう細道の入口に小森トンネル建設中の現場があった。小森へ行こうと思ったのは今回が初めてじゃない。しかし地形図を眺め、さっき登ってきたたかだか80mの丘越えが果てしなく億劫に感じられ、その度に先行きを口実に通過していたのだ。そういうときには、どうせ北山川の川岸近くまで降りるんだからトンネルで行けると、住んでいらっしゃる方も便利なんだけどなあ、とも思っていた。今、正にその道を作っているのだ。というよりトンネルはもう貫通していて、あとは道の体裁を整え、橋を作るだけなのだ。
さっき北山川の対岸を通った小森ダムへはここから2〜300m。しかし、何となく小森を訪れるだけで十分満足できていた。この満足に浸りたい気がしたのか、ダムへ向かうのは、この際止めておく。或いはたかだか2〜300mの道が日陰になっているというそれだけのことで、ちょっと億劫に感じていたかもしれない。
15:15、小森発。再び集落へ周回道路を再び登り、さっきの道に戻り、丘を越えて吊り橋まで戻って来きたらちょうど15時半。長年の課題だった小森訪問を終え、充実した気分になっていた。もう今日はこのまま不動バイパスへ向かってしまおう。
国道169対岸の林道で杉の森をしばらく進み、森が開けて育生町大井から新大沼橋で再び国道169へ。天気予報通り、空には薄い雲が拡がり始め、厳しかった陽差しを和らげてくれていた。
北山川沿いに国道169をもう5km。のんびりしているとは言えやはり拡幅国道、風景は今日の林道や細道の数々に比べて多少気が急くように感じられた。しかしこの期に及んで国道169には未拡幅区間が現れた。確か七色ダム周辺にも、以前は未拡幅区間はあったと思う。やはりまだまだ侮れない道だ。
16:00、七色の不動バイパス分岐発。この道、バイパスという名前ながら、実体は山中まっただ中を80mぐらい登ってやや長めのトンネルを抜け、奈良県吉野郡下北山村に抜ける県道風の道だ。以前奈良県の下北山村から和歌山県北山村の瀞峡方面に向かう時に、この一登りを避けたつもりでけっこうな大回りになってしまったことがある。たった80mなんだからこっちを回った方が良かったよなあと思いつつ、それは両方通った今だから言えることかもしれないなどとも思う。そろそろ登りがしんどい時間でもあり、活発な妄想と共にたかだか80mをゆっくり登ってゆく。
トンネルの手前では「歓送」との北山村の看板が立っていて、そしてトンネルを抜けた向こう側では「奈良県」「下北山村」との表示が出た。
あまり調子に乗らないように谷閧下って既済経路の県道229に合流、その先の国道425白谷トンネルを思い出し、そして国道168に合流して北山ダム湖の眺めに脚を停め、全体的にのんびり落ちついた気分で進んでゆく。
久しぶりの道の景色を思い出したり眺めたり、あんまりのんびり進むので17時は越えるかもしれないと思いながら、でももう大したことにはならないだろうという安心感がうれしい。
17:00、下北山「きなりの郷」着。
チェックインしてすぐに温浴施設のお風呂へ。夕食は18時から。何組かお客さんは泊まるようではあったものの、18時に朝食なのは私だけのようだった。
おいいしい夕食を食べながら、改めて今日1日を思い出す。運休した昨日の分を取り返した以上に、来れて良かった感一杯の、凄い1日だった。
明日の天気予報は今までと大きく変わらずお昼前から雨。降水量4〜6mm、降水確率60〜70%だから、あまり降らないうちに新鹿へ下ってしまうのが適切だろう。12か13時まで雨が降らなさそうなら、新鹿から尾鷲まで行けるかもしれない。でもまあ、そんな展開はあまり期待できないかもしれない。緩めに行きましょう。
記 2024/6/1