四国Tour23#6
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睡眠時間が10時間を越えると腰が痛くなってくる。横寝したりして何とか痛みを和らげる夜だった。
5時頃やっと明るくなり始めても、空にはかなり濃い雲が低く垂れ込めていて、あまり明るくならない。6:30からは朝食だった。しかし宿の美味しい朝食が、何だか腹に入らないような気がする。今日も疲れは深刻なのかもしれない。果たして出発しても、動けるのか心配だ。おまけに、7時前からは雨がぱらつき始めた。舗装面がしっとり濡れている。
雨はしとしとぐらいまで密度が上がり、すぐぱらぱらぐらいまで弱くなったようだった。大丈夫、今日の雨は6時までという予報だ。山間から谷間に出たら、きっと雨も上がるだろう。
と信じることにしてとりあえず雨具を着込み、7:30、川西路「農家民宿 いちょうの木」発。
四万川川の谷閧ヨは、80mぐらい登って維新トンネルという凄い名前のトンネルを抜けて降りてゆく。坂本龍馬脱藩コースに因む名前のようだ。トンネルの上には旧道があったようで、大越峠という名前が地形図には描いてある。登りの途中では、野球のユニフォームを着た何人もの少年達がどんどん私を抜いて行った。でも速度は目一杯遅いものの、昨日と違って息が上がらない。昨日の朝のような疲れは取れていると思っていい、かもしれない。
短い維新トンネルを抜けて向こうの広野に出たら、雨は完全に止んでいた。トンネルの先には、檮原町農村広場という運動場が、しかも丘の上にあった。さっきの少年達は更に丘に登り、野球場に向かうのだろう。なかなかスパルタンな場所の運動場だ。或いは昔学校がそこにあった、ということかもしれない。
広野から県道2へ。山間を曲がりくねる四万川川沿いには、想像通り谷閧ノ農村と渓谷と森が続いていった。道の両側に民家、小ぢんまりした集落が貼り付くように並んで膨らんで消え入り、森に変わり、また集落が始まる。ここまでの細道国道沿いの集落と違えど大きくは変わらないとも言える、親しげな愛らしい表情の、四国標準細道農村セットである。一方森では、曇りだろうが雨がちょっとぱらつこうが、緑の木漏れ日が路上空間を包み、深緑生い茂る広葉樹林、雨の残りかウォッシュボードなのかぬらぬら濡れた路面とともに瑞々しさ一杯だ。これだから四国は好きだ。
8:00、下西の川で国道193交差。ここ、実は梼原の町からすぐ南である。昨日地芳峠から下って来た国道193をもう少し下るとここに着くのだと何だか感慨深いが、細道のこちらから眺める国道193自体は幹線道路然とした車の多い道であり、あまり近寄りたくない雰囲気を発散している。
国道193は仲間トンネルで岩山をぶち抜き、屈曲した四万川川をショートカットする。こちらは予めGPSトラックに仕込んでおいたその部分の旧道を経由してみた。今日はこういう細道大回り旧道を片っ端から通る予定だ。そのための余裕ある行程なのだ。
しかしその次、川口から山湖ダムを経由して県道22の川井トンネルを大回りする旧道は、何と途中で崩落通行止めになっていた。多分このまま廃道になるのだろう。何だよ、と悪態をついても仕方が無い。大回りだから新道がトンネルで抜けるのであり、用途が無ければあとは朽ちていくだけなのだ。今後はちょっと覗いて雰囲気がヤバければ、早めに撤退する方がいいのだ。
川井トンネルを抜けた少し先で、再び県道22は細道となった。
狭い渓谷に細道が続き、小さな集落と森が断続する構成は、ここまでの県道2、そして場所が近いだけあって2011年に通った与作と基本的に同じだ。しかし与作の記憶と比べると、こちらの方が谷間が狭く深く屈曲が激しく、道を取り囲む谷間の空間に上下左右の変化、つまり景色の変化が大きいように思える。与作はやはりそれなりの国道なのだ、などと思わせられる。
空は暗い。でも気分は、こういう風景の中を走りに四国に来たんだ、という充実感で一杯だ。何たって下り基調のためか、谷間の中程を上下する位のちょい坂ぐらいなら、体調は全く心配なさそうなのも気分がいい。
佐渡ダムで少し拡がった川幅を眺めて少し降下、一旦谷閧ェ更に細くなった後、再び谷閧ノ農家が現れ始めた。
9:15、中平で与作に合流。川も梼原川に四万川川が合流、梼原川となる。
明らかに四万川川の谷閧謔闃gがった谷閧ノ通る与作は、しばし拡幅区間となっている。またもや与作が何だか国道らしく見えてくる気がした。
拡幅新道が谷を越え、切り通しで峰を突っ切り、次の集落が現れた。そろそろだぞと気を付けていると、9:25、鳥巣の駄馬(という地名なんです)着。
2011年以来12年振りのパン屋さん「Le PainChemoi」に立ち寄らねばならない。補給食、いやお10時補給という実用面からも、ツーリングのネタ的にも。
「Le PainChemoi」は問題無く営業中だった。店内にはお砂糖系のパンと、お惣菜系の食事パン(?)が充実していて、ツーリストとしては大変有り難い。しかし一杯食べたいのに、いくつも選ぶと腹が追いつかない。しばし悩んでベーコンポテト、ピザトースト、クロワッサン2個、フィセルサンドを今回のラインナップにした。なるべく前回食べてないものを選んだつもりだったのに、ちなみに後で高地Netに前回のチョイスが載っているかもしれないことに気が付いて見返すと、ピザトーストとクロワッサンとフィセルサンドが前回と見事にダブっている。我ながら進歩が無い。笑ってしまった。
味はと言えば、しっかり歯応えがあるフランスパン生地がカリッとしかし硬すぎず、歯応えと香りがしっかりと味わい豊かで大変美味しい。何も都内が偉いとは思っていないが、都内にやって来ても普通に大人気で大繁盛だろうと思う。私が買っている間にお客さんが3組やって来た。
鳥巣の駄馬から先少しの間小さい集落と森が断続していた。
森が続き始めたと思っていると、ちらちら見える梼原川の幅がやたらと広くなり始めた。都賀発電所のダム湖である。
都賀ダムの先は少し纏まった下りの後、古味野々からまだしばし細道が続いた。都賀ダムは大正の近くだと思っていたのだが、意外に手前なのは、今日は与作に途中から合流しているからかもしれない。
大正まで相変わらず屈曲する谷閨A細道と断続する集落に、次から次へと写真で見慣れた風景が現れるのには意外だった。結構大正に近い場所だったんだななどと思う風景も現れた。
梼原川沿いの細道区間、やはり与作の中でも一番風景に独特の親しみやすさと居心地の良さがあった。そして2011年に感動したこの特徴は未だ健在であることを再確認できたのは、今回の旅程でもとても嬉しいことだったと思う。しみじみと、また来ることができて良かった。
11:25、大正着。梼原川は四万十川に合流してここで終了。今日の行程もここから四万十川を下り始める。町にはJR予土線の駅があり、12時までに着いたらお昼ぐらい食べられるかもしれないと思っていたが、いざ着いてみると特に食べたいようなものは無い。それほど「Le PainChemoi」のパンに満足していたかもしれない。また、何となく気が急いていたかもしれない。だらだら行動するより着実に脚を進め、今日も早めに宿で寝っ転がって休む方が良いのである。実際にはそういうことをあまり落ちついて判断しているという訳でもなく、大正に来れた嬉しさとともに何となく方向として感じられている、ぐらいの気持ちである。
何故かGPSトラックが表示されないことに気が付いたが、とにかく進みたい勢いに乗り、構わず四万十川に沿って旧道っぽい回り道へ。
谷閧フ幅は梼原川より四万十川の方が格段に広いものの、細道の行く手には期待通りこれまでと同じく木漏れ日の森、静かで小さな集落が幅の広い四万十川と一体となり、空前絶後の絶景など無いが親しげな表情であり、たまらなく愛おしさすら感じられる路上空間が不思議さを感じるぐらいに続いてゆく。
唐突に国道381に合流した後、次の細道には向かうことができたものの、2本目は入口を間違えて国道に進んでしまった。一度細道を見失うと、車が高速でやって来る慌ただしさに追われ、次の入口がわかりにくい。道端に立ち止まり、スマホ画面でRideWithGPSを確認しつつ、のんびり進もうと思った。軽めの行程だし、ちょっと早めの進行になっているんだから焦る必要は無い。それにその方が、今日の体調には都合が良い。
一方で国道381はごく普通の、車がばんばん(という程でもない)通る道だ。しかし所々、開けた大きなカーブなどでぐるっと四万十川が見渡せる。静かな、そして堂々たる、そして親しげな川原と川面が山間を広く大きくのたうって続いてゆく。流石の貫禄に、思わず脚が停まる。四万十川の中流区間、梼原川の谷閧ニは全く違うスケール感ではあるものの、なかなかいいではないか。
谷閧ノはJR予土線も通っていて、曲がりくねる細道や国道381と所々でオーバークロスする。開通は1974年、細道がくぐってゆくコンクリート橋梁はいかにも昭和40〜50年代風の佇まいだ。それは石勝線や紀勢南線、そして去年訪れた三江線に共通する。ちょうどあの頃できた、一連の行け行けどんどんローカル線なのだ。等と思いながら見上げる橋梁を突如、東海道新幹線風のデコレーションで有名な単行気動車が、線路から飛び出すのではないかと思われるほどの速度でぶっ飛ばしていった。
昭和手前には小さな丘越えがある。旧道には四手峠という名前も付いている。国道のトンネル手前で予土線を越え、トンネル前を過ぎてこちらは四万十川沿いに谷閧もう一回りしてゆく。
国道381がショートカットする谷閧四万十川に沿って大回りしてゆくうち、空は晴れ、陽差しが辺りを照らし始めた。欲を言えば午前中この天気なら四万川川・梼原川区間で晴れだったのだが、まあ今晴れてくれたことを喜ぶべきだろう。
13:50、昭和通過。町にコンビニか何かあると思ったが、あまりそれっぽい店は無い。旅行者がほしがりそうなものは、大体道の駅にあるんだろうな。等と思っていたら国道の脇、道1本裏手に「川の駅」なる施設があるようだ。しかし生憎、何か立ち寄って食べるような気はしない、疲れているにも拘わらず。そして国道から道の向こうを伺った範囲では、そういうものが有りそうな施設でもないようだ。
十川の先で対岸に渡る時にも、大正では十川までには何か目新しいようなものを食べられるかもしれないと漠然と思っていたこと思い出した。しかしこのまま国道381から対岸の細道へ向かうことに何の迷いも無い。食糧は持ってるしさしあたって何か具体的に特に食べたいようなイメージは無い。それに徹底的に静かな道を通りたくて来ているのだ。今日の行程には、集落で見かける道端の自販機が合っている。それに、今のところどこかに立ち寄る気は自分には無いんだろうな。次の細道に向かいたい気の方が強いということでもあるな。等と他人事のように思うほど、今日は気楽にのんびり進めている。
14:50、江川崎通過。というよりこちらは中半家で対岸に渡り、森の中の細道を通っている。江川崎は対岸にいつのまにか過ぎていった、という方が正しい。等と思っていると森が切れ、ボートのレストハウスのような施設が現れた。対岸から国道441が渡ってくる立派な橋もある。2001年にこの橋を渡り、向こう岸に渡ったことは憶えている。
江川崎を過ぎた、と思ったところで思い出した。お昼に電話をくれと、今日の宿の女将さんに言われていた
のだ。もう到着間もないが、宿に電話しておく。
用井で支流の藤の川川の狭い谷間に入り、森の中を少し遡る。午後ともなると、やはり登りで息が切れる。早く着けて良かった。
道から川原際の杉の森に急降下し、15:05、用井「寿荘」着。
インターネットで見たとおりの、大変渋い佇まいの木造平屋建ての宿である。到着して軒下に自転車を停めて荷物を降ろしていると、母屋から女将さんが現れて部屋に案内してくださった。本当は1人部屋のはずだったのが、昨日まで連泊の筈だったお客さんが連休後半の混雑に備え今日の宿泊をキャンセルして帰ってしまったため、私は振替で2人部屋を使って良いとのこと。何て勿体無く有り難いことだ、と思いながら一人で広々とした部屋を使わせて頂いた。その後17時頃、別のお客さん2名が飛び込みで泊まることになり、私が泊まるはずだった1人部屋で泊まられたらしい。何だか申し訳ないが、その時既に私はお風呂に入った後で、布団も掛けずに居眠りしていたのであった。
夕食は18時から。川原側の桟敷であぐらをかき、夕方の藤の川川を眺め、何とも野趣溢れる素敵な食事だ。これもインターネット情報で知っていて、楽しみにしていた。食事はあめごの塩焼きや山菜天ぷら、ウドの煮付けなど山の物が一杯だった。中でも絶品だったのは川海老塩焼き。揚げたのかと思うほど脂が乗っててカリカリだったが、女将さんに尋ねると炙っただけとのこと。こんなに大きく香り高く脂の乗った川海老は食べたことが無い。もちろん量も一杯で、大変美味しい夕食であった。渋い宿に美味しい食事。良い旅だ。
記 2023/6/8