四国Tour23#2
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16:35、見ノ越発。今まで下って来た国道438がまるで知らないどこかへ消えてゆくように登ってゆくのを見上げつつ、こちらは与作で谷底へと高度を下げてゆく。
しかしこの下りに大きな誤算があった。まず線形がくねくねのため、地図上での見かけ直線距離に比べそもそも距離が長い。
そしてくねくね細道のため、風景に脚が停まる以上に700mの単純下りにしちゃあ全然ペースが出ないのだ。四国毎度のパターンを、3年間のコロナ自粛で完全に忘れていたとも言える。
道は広葉樹林の中に続いていた。時々森が切れて前方の視界が開けると、空は明日の晴れに向かい雲が切れ、早春の趣の谷間全体が弱くも赤い光に満ち始めていた。こういう光を小学生の頃冬の夕方や朝に凍えながら眺め、雲の形にどこか知らない国がそこにあるのではないかと妄想していた。下っても下っても延々と続く谷間の果てが、そういう知らない国に続いてゆくように思える程、道は延々と続くのであった。
早春の山間っぽい雰囲気と共に、たまに現れる奥祖谷かずら橋、名頃ダム湖、かかしの里、前回ランドマークとして眺めていた各ポイント。それらは前回2004年登りで訪れた時の印象とは、まるで違って見えた。そもそも奥祖谷かずら橋、名頃ダム湖はどういう場所だったかまったく憶えていないし、かかしの里も写真で撮った絵面しか憶えていない。
などという気持ちを余所に下りは延々と山中に続き、時刻はどんどん過ぎてゆくにも拘わらず、かかしの里の名頃以降の集落はなかなか現れなかった。
途中2001年に泊まった菅生で少し民家は現れたものの、その先道の周囲はまた山中になってしまった。
その菅生から下りで通った2001年の訪問でも、こんなに下りが長かった記憶は無い。とはいえ後で行程を見直すと、菅生から京上への下りでは今日と極端にペースは違わないことも確認できた。つまり、2001年・2004年とも焦って風景を眺めていなかったのである。そのため訪問の印象が、頭から完全に消えていたのだった。2日とも計画ミスで距離オーバーだったことが第一印象に残っている日だ。詰め込み過ぎの行程のせいで、いかに焦っていたかを改めて実感した。あの頃は体力あったなーとかいうより、何だか自分がかわいそうに思う。そしてこれが20年後のツーリングというものだろうな。まあただ、2004年はその日泊まった某宿が最悪に汚かった衝撃の方が強く、翌朝絨毯に潜むおびただしい線虫に愕然として、道の記憶など全部吹き飛んじゃってたかもしれない。
結局下りで1時間半近く掛かり、17:55、京上「旅の宿奥祖谷」着。夕食予定時刻の18時ぎりぎりの到着となってしまった。宿のご厚意でまずお風呂に入れていただき、夕食は45分遅れ。とにかく目論見違いと想定外の疲れが明日以降への課題となった。
まあ、気を取り直して今日はゆっくり休もう。とはいえ明日も明後日も降水確率0%の激晴れだ。更に晴れ予報は明明後日まで続く。四国Tour史上空前絶後の、晴天3日間が始まるのだった。
明日の宿は2017年に泊まった高知県土佐郡大川村「旅館筒井」。経路は2コースを準備している。祖谷渓谷から徳島県三好市へ下り、愛媛県四国中央市の金切湖を経由する距離長めコースと、京柱峠から南の山中を経由して大川村へ出る短めコースだ。両方とも大川村の手前で、山中のややマニアックな細道峠を経由するように計画している。しかしこの疲れでは、その両方とも無理そうに思える。短縮コースを更に短縮した最短の谷間コースで極力早く宿に着き、その分とにかく寝て疲れを回復し、明後日の町道瓶ヶ森線再訪に備えるべきかもしれない。少なくとも明日は祖谷渓谷ではなく京柱峠へ向かう方がいいんだろうな。
などという現実的な心配を余所に、部屋の外には谷底から祖谷川の瀬音とカジカの声が賑やかだ。旅に来れている良い気分しか無い。悩んでも確実に朝はやって来る。目的を間違わず、その時できるだけのことをするしかないのだ。
記 2023/5/28