北海道Tour23#11
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宿のコテージから出て見上げる朝の空が真っ青だ。朝日に照らされ始めたミズナラの梢が時々ざわっと風に揺れる。青と緑の鮮やかさに目が覚める。まず出発段階では、天気に文句は無いだろう。
天気予報は相変わらず、美瑛と富良野で終日晴れだが、南富良野では10時以降が曇り。しかも13時以降は降水確率40%、昨夜より悪化している。北落合へ向かっても、まず確実に曇り以上の雲の量だろうな。今日は西達布辺りで9〜10時、その辺まで晴れれば御の字かもしれない。
昨夜の段階では、北落合まで行ってかなやま湖を経由し、15時ぐらいまでに金山に着けば普通列車に間に合う。輪行で17時過ぎに美瑛に帰って来れれば、行程として辻褄は合うと思っていた。どの辺で何をして帰りはどうするか。現実的には麓郷辺りで引き返し、八幡丘に向かうという一択かもしれない。多分そういうことを念頭に置き、空を伺いつつのアドリブ行程になるんだろう、深く考えても仕方ない。と、思っていた。今、この激晴れを見ても結論は出ない。
5:15、大村発。
まず宿から前の道に降りて数10m進んだ段階でしばし立ち尽くす。過去の美瑛訪問歴の中でも空前絶後と言っていい、今日の激晴れを実感した。ものすごい青濃度の空ときりっと冷えた丘の空気。いや、期待するほど空気が冷えてないことに、道北から美瑛に来たことを感じさせてくれるのは毎年のこと。
雲は隅の下にちょちょっと出ているだけだ。それは十勝岳から南富良野方面である。あの雲が、天気予報より早い段階で押し寄せてくるのかもしれない。ましてや予定の道は山裾ばかり。
美瑛市街に降りて新栄へ登り返す。美瑛西側の丘から同じく西側の丘へ向かうだけなのに、いちいち美瑛市街に降りなければならい。毎回大変かったるい。
その新栄でも、真っ青な空と朝日の直射日光の中、拡がる丘をみわたすことができた。
これだけ空が澄んでいて広々していると、空の中にいる気分になる。クライマックス北落合への、ドラマチックな出発だと思えた。いや、既に十勝岳裾の雲が少しずつ大きくなり始めている。
新栄から美馬牛へは、地形の関係で何度かアップダウンがあり、その度に道は曲がりくねって度々分岐があり、予定コースはその分岐を乗り移っていくつか谷から丘を越えてゆく。
眩しすぎる陽差しのせいで、日陰でGPS画面が見えにくい。GPSトラックの道を外していることには、途中から気が付いていた。途中でまた少し大回りぐらいで元の道に復帰できるだろう、上富良野へ向かっているんだから、と思っていた。しかし、上富良野方面に向かいそうな道がなかなか現れない。少し登り始めているなと思ったので地図を確認すると、もはや上富良野方面とは全然違う方向、十勝岳の方へけっこう進んでいることが判明したのであった。この段階でもう7時前。上富良野到着希望時刻だ。
まだ何とかなる時間ではある。今から美馬牛まで戻ればいいだけだ。でもこのままベベルイ基線から幾寅へ向かっても、天気予報は南富良野で11時以降曇り、13時から降水確率が40%となっている。そしてそっち方面の山裾に、確かに雲の種みたいなものは認められる。2011年には幾寅まで来た段階で北落合方面の黒く低い雲を見て、行程を取り止めた。今日も天気予報通りならそれに近い展開が予想される。それに、幾寅へ行ってもなんぷカレーは食べられない。
どうする、このまま幾寅へ向かうか。今、ベベルイ方面の上空に雲が出始めているという現実がある。ここ美瑛は今のところすかっと青空だし、この後の天気予報も夕方までずっと晴れだ。美瑛でそれなりにふらつけば、しんどくなるまで1日目一杯楽しめることはわかっている。1986年の美瑛訪問では美瑛に連泊してそういう1日を過ごしているし、1990年代には美瑛でそういう時間を過ごそうと思っても、行程の都合や雨やらの制限でなかなか実現しなかった。そのチャンスが今、目の前にあるのだということに気が付いた。
じゃあ今日は、前向きに1日美瑛ポタにしましょう。早朝からの懸案に対し、心が決まった。
そうなると、当面この谷間を進み、とりあえず久しぶりの白金街道沿いの道の駅に向かうのが適切かもしれない。以前ならここでツーリングマップを開いて、その辺りのめぼしい施設等頭に入れておくところだが、いまはもうスマホ地図でそういうのが十分すぎるほどわかってしまう。
そちらの方面がコースの潰しが利かないという記憶はあった。道が少ないので、決まった方向から入って決まった方向から出てゆく、そんな行程に限られてしまうということだけを憶えていた。それでも、まあいい。少なくとも近年こっちに来ていないというだけで、脚を進める価値がある。久しぶりの白金街道だし、まだ朝の段階なのでそういう風に行動してみよう。
谷間に畑が無くなって辺りは森だけになっても、谷間を遡る登りはしばらく続いていた。GPSトラックから全く外れている脚取りではあっても美瑛の概略は馴染み深いので、地図で細かい位置を確認していくだけでいい気楽な道程だ。それに何だか90年代に美瑛を彷徨っている時の続きみたいな、懐かしい気分だ。
軽く丘を越えて道道966、通称白金街道の谷へ。本当に久しぶりの白金街道、多分2000年以来だと思う。そういえば2000年にも1日美瑛ポタで楽しんだことがあった、とやっと思い出す。あの時は遊岳荘に泊まったんだよな。
木陰を見つけて足を停め、少し水を飲む。気温は美瑛なりに時刻なりに順当に、今日も凄まじく暑くなり始めているようだ。けっこう汗をかき始めている。
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田圃が拡がっていた谷間はすぐ狭くなって辺りはカラマツの防風林に変わった。そして間もなく、道の駅の標識が現れた。
8:30、道の駅びえい「美瑛ビルケ」着。モンベルアウトレットなども併設されている、かなり小綺麗で裁けた施設だ。確か2000年にはまだその原型すら無かったと思う。白金街道方面へ脚を進めてゆくとりあえずの目的地として、WCとか休憩のために少し立ち寄ろうと思っていた。そろそろ飲みたくなっていた缶コーヒーも、自販機で飲むことができた。
今日も鳴き始めたエゾゼミの声を聞き流し、ウッドデッキをひょこひょこ歩くミヤマクワガタを観察させていただきながら、地形図を開いて現状と先行きを検討する。さっき登りが続いただけあり、実はこの場所標高450mもある。標高600m台後半の白金温泉に足を延ばすチャンスなのかもしれない。1985年冬に初めて訪れ、前回は2000年。懐かしい温泉だ。でも白金温泉に向かってしまうと、その先戻って来るだけになる。2000年に入った白金温泉の殺されそうな熱さも思い出した。これから200mぐらい登った後にあんなに熱いのはちょっと。
とは言えここからすぐ先の小さい丘を越えると、次はほぼ上富良野へ降りてしまうしか選択肢が無い。当初は美馬牛から直接上富良野に降り、ベベルイ基線へ向かう予定だったので、わざわざ白金街道に向かったことを自ら無駄にしてしまうような否定する行程になってしまう。何の気無しにここまで来てしまった、その気軽さが完全に裏目に出てしまいつつあるのであった。わかっちゃあいたが、なるべく避けたいたるんどる事態に陥りつつある。
上富良野に向かった行程が無駄にならないようにする必要がある。と思いながら改めて地形図を眺めてみると、上富良野から美瑛西側というか西側の山裾に向かう道を見つけた。過去36年間の美瑛訪問でこちらに向かったことは無いどころか、意識したことすら無い。上富良野から旭川方面へ向かうのに美瑛西側の丘を通り抜けたことはあった。しかしこの時は旭川方面に向かうのが目的だったので、比較的高率のいい、もう少し中央側の留辺蘂の台地を経由していたのだ。今見つけた道は、留辺蘂から谷2つを挟んだ西側を通っている。この道を通れば、美馬牛辺りまで未済経路主体のコースが組める。時間次第では一旦美馬牛へ降りて休憩できるし、美馬牛から留辺蘂の丘を出直し再訪すれば、夕方まであまり人気の無い場所で過不足無いぐらいのボリュームで楽しめるだろう。うん、これで行こう。
8:50、道の駅発。道道353で上富良野へ。まず80mぐらいの軽い丘越えへ。登りはやはり暑く、車が何故か数台続けて通過してゆく。既知の道だけあり、登っていると途中の地形と線形に、ふと過去の訪問を思い出した。
暑いとは言え丘越えはやはりあまり登らず、早々に下りに移行した。斜度はすぐ落ちつき、しばらく谷閧フ底を森に囲まれ淡々と均等に下ってゆく。
森の向こうに谷間が拡がり、その後水面が拡がり始めた。日新ダム湖だ。ダム堤上に道が続いているようなので、立ち寄ってみる。以前絶対来たことがある筈なんだが、風景に見覚えがない。多分道道353が拡幅されていて、ダム堤上が改修されていて、湖水も今日はかなり多いんだと思う。
ダム堤上で自転車から降りてみた。何故水があるだけで、人は何となく感動するんだろうと思う。湖岸の森が陽差しを受けて緑濃く鮮やかだ。あまり広くなく浅い谷の小さな湖の水面が、鏡のように廻りの景色と雲一つ無い真っ青な空を映している。
もう陽差しはかなり高く昇り、頭上から凄まじい強さの直射日光がぎらぎら照りつけ始めている。気温がかなり上がっている。きっと上富良野へ下ると、こんなもんじゃないんだろうと思う。何たってあの富良野盆地なのだ。
不安通り、谷間から富良野盆地に下るともう凄まじく暑い。走っていて皮膚がちりちりするほどだ。もともと暑い富良野盆地なのに、こちらは昨日まで道北の山間仁宇布にいたのだ。感覚が慣れていない。
9:50、上富良野セイコーマート着。この先美瑛の山裾に向かうと、多分美馬牛に降りて何か食べられるのは早くても12時以降になるだろう。ここでややしっかり目のお10時にしておくことにする。そうでなくても暑すぎる。少し休まねば。
陽差しから現実逃避したつもりで、軒先の日陰に腰を据え、アイスやら冷えた水を頂く。少しは楽になった気になれた。調子に乗って日なたに出ると、アスファルトの照り返しがかなり熱い。出発して辺りが畑になったら少しはましになるんだろうか。期待するしかない。
先に軒下で一服されていたお婆さんが話しかけてきた。お元気な方のようで、少しお話しする。このご時世おやじに話しかけられるとだと何かの詐欺じゃないかと思うが、お婆さんだと安心するのが我ながら可笑しい。そのうちに町内会の顔役らしきお爺さんもやって来た。こういうとき、地元の方が話しかけてきてくれる自転車ツーリングは得だと思う。
軒下で長居してしまった。辺りはますます暑くなっているが、いつかは出発しないといけない。いつまでもうだうだしている訳にはいかないのだ。北海道最後の1日が日陰で過ぎていってしまう。
10:30、上富良野発。灼熱の上富良野市街を横断し、GPS画面と地図を照合しつつ、道道581へ。西側の丘を180m弱登り、富良野盆地を取り囲む400m台の丘陵を越え、裏側の谷に降りてゆく道だ。
ぐいぐいと登ってゆく道の畑の周囲は空に向かって開け、畑と上富良野市街、富良野盆地と一つの空間なのがいかにも富良野盆地の里の道らしい。里の道が故に、道端には木陰が全く無い。しかも1日で一番暑い時間帯が始まったばかり。涼しくなる要因は全く無い。覚悟はしていたものの、照り返しが全力で襲ってきた。暑くて暑くて仕方無い。まあしかし、ゆっくり登ればすぐ熱中症になるという程でもないので我慢して登ってゆくものの、いや、やはりかなり暑い。まああまり気が遠くならないうちに足を停めて水を飲むことにする。
のんびり登ったピーク手前で道が向きを少し変えると、上富良野から富良野盆地、向こう側の山裾から十勝岳を一望する大展望が拡がった。雲が出始めている空と眼下の下界が一体の大きなお皿みたいな、他ではあまり見かけない空間感覚は、ベベルイ基線の本幸辺りからいつも眺める富良野盆地そのものである。しばらく登って振り返る、ベベルイ基線での眺めの楽しみ方も思い出す。それはこの場所が、ベベルイ基線のまさに反対側だからだろう。今日ベベルイ基線に行けなかった悔しさが思いがけず返せたような気がした。そんな理由だけじゃなくても、やっぱり美瑛から富良野盆地のツーリングを楽しめている。嬉しく大変感慨深い。
■ピークを越え、盆地から続いていた農地が少し続いた後は、道道581は西側の谷間へ下ってゆく。すぐに辺りは森の中になった。そして道が下り基調ではあるものの、標高にしちゃあまり下っていない。
上富良野側からこんな道は以前は無かったはずだし、私の持っている地形図には載っていない道だ。GPSの地形図には載っているから、ちゃんとした道なのだとは思う。いつの間にかこの道ができていたのに気付かなかっただけだ。
長い下りの途中で、道道581は芦別からの道道70と合流した。それでやっと確信できた。これは1986年に撤退した通行止めの続きだ。
その時は、美瑛西側の谷底ダートを遡り途中から道がかなり荒れ始め、通行止めも現れて名実とも通れなくなったところで撤退したのだ。どこかに確かに芦別方面と書いてあったことが記憶に残っている。いたいけな若者だった私は何となく怖ろしい物、見ちゃいけない物を見たような気がしていた。当時の地形図ではどこなのか特定できなかったし、その後ずっと、あの道は今の地図で何処なんだろう、或いはその時通行止めの先に突入すれば芦別には進めたのかもしれないなどと時々思い出しつつ、やはり煮ても焼いても食えなさそうな道だったと思って放置しておいたのだ。
今、目の前の芦別方面への道道70は、完成しているばりばりの今風舗装道道だ。とは言え完成したばかりというわけでもなさそうだから、結構前から完成していたんだろう。そんな場所は美瑛に一杯ある。1990年代に美瑛の道はどんどん拡幅整備されて線形が整っていった。丘の形そのものだって農地改良事業によって少しずつ変えられ、風景全体の印象が1980年代から変わっている場所もあるのだ。そういう変化の一つを、反対からこの地点に到達して実感できたことで、何か美瑛での宿題を解消したような気がした。今日の大きな出来事だったように思う。
道道70が山裾の中腹をあまり下らずに進む間、谷底の二股川はどんどん高度を下げ、眼下のけっこうな渓谷となった。谷間東側の稜線が高度を下げてくると、道は突然谷底へ下り始め、森の中から農村が登場。二股に到着したのだ。
全国の二股の例に漏れず、ここも留辺蘂川と二股川が谷間で合流している。そしてこぢんまりとしながら、山間の里らしい纏まった拡がりのある集落だ。初めて訪れる集落だと思う。ちょっと山中から人里に降りてきたところで、少し足を停めて地形図を確認しておく。
道道70は二股の中程で方向を変えて留辺蘂の丘を越え、美馬牛方面へ向かってゆく。地形図によると、道道70と別れたこちらの道は、もう少し細い農道だか町道だかに変わり、二股の先更に狭くなった谷底に続いてゆくようだ。この道が、1986年に私が美瑛西側から入り込んだ谷底のダートと思われる。そして二股のもう少し先で、美馬牛へ別の道が分岐していることになっている。谷底ダートは、確か向こう側から2回以上通った記憶がある。しかしここ二股まで辿りつくこと無く中で分岐するダートで留辺蘂の丘に登ってしまったと思う。まあ、ちょっと進めば知っている道になるんだ、と何となく安心できた。
地形図で見た通り、道道70は広い普通の道道っぽい佇まいのまま留辺蘂の丘に登っていった。こちらはそのまま町道となった谷底の道を、更に先に進んで行く。
しかしもう1本の美馬牛への道が分岐する箇所で、こちらの町道は突如更に細道に変わり、狭い河岸の森に突入していくようだった。細道というか、雰囲気的に何だか廃道っぽいあやしさがぷんぷん漂っている。スマホで確認すると、この先で道は途切れているようだ。道の荒れ方を見る限り、或いは本当に廃道になっていても不思議じゃなさそうだ。ここで思い出した。向こう側からだとこの道、確か途中から新道建設のため通行止めになっていたはずだ。
ここはもう美馬牛へ向かう道へ脚を進める方がいい。仕方無く、折り返すように分岐して美馬牛へ向かう。ところが谷が開けている方に向かっているのに、道はやや深めのダートに変わってしまった。谷が再び開けるまで距離は短かそうだし、特に谷が狭くなるような箇所も無さそうなので、引き返しを余儀なくされるようなことは無いと思ってはいた。でもやはり、熊が現れそうな茂みはちょっと不気味で怖ろしい。
おっかなびっくりのろのろと谷底のダートを進み、間もなく既知の風景が現れたときは嬉しかった。確かここも谷間への下って登ってが面倒な印象があり1986年以来訪れていなくて、その後どこだかわからなかった場所だ。ここなら、もう美馬牛は近いはず。
■急に人里っぽくなった片田舎の畑の中、ぐるっと南から回り込むように国道237を横切り、13:20、美馬牛着。山中や谷間から台地上の開けた里にやってきて、標高も低く森も山の風も無くなり、何しろとにかく暑い。
確か商店ぐらいあったはずだと思って脚を向けた駅前で、ちょっと休めそうな佐藤商店へ。まずとにかくソフトを所望、店内の座席に座って地図を眺める振りをしながら空調の冷風直撃とともにとにかく身体を冷やす。助かった、と思いながらソフトをもうひとつ。
冷風に直撃される口実だけじゃなく、地形図を眺めてこの後の作戦を検討することにする。13時半と言えばまだお昼過ぎと言っていい。しかし例えば16時まで行動するとしてあと2時間半しかないとも言える。実際、何だか山裾の道で一仕事終えて里に下りてきた気分になっている。1986年以来の大ネタの後で、行ってみたいような未済経路の小ネタも周辺に無い。宿がある大村までの距離と経路と途中で風景に脚を停めることを考えると、もうあまり大したことは画策できなさそうだとも思う。
ここはもう順当に、大村まで留辺蘂から美瑛西側の丘陵へ、大回り気味に脚を進めてゆくことにした。それだけでそれっぽい時間になってしまうだろう。
13:45、美馬牛発。まずは再び西側の丘を北へ。
なるべく未済経路っぽい道を通ったつもりではあるものの、流石は農道の幹線。見慣れないと思っていた道のところどころに、過去の写真のどこで撮ったかわからなかった風景を見つけたり、または露骨に「あ、この道だったか」と思ったり。美瑛ではアドリブ気味に行動することが多かったので、あまり意識しなければ同じような道を自然に選んでいるのだと思う。とは言え際限無く直登アップダウンが続く美瑛の丘は、気楽なサイクリングを許してくれない。
丘から谷を渡って次の丘へ移る途中、谷底の集落で見つけた看板屋さんの店内に、もう30年以上前の美瑛市街にあった思い出深い「だるま家食堂」の看板を見つけることができたのは嬉しかった。
美瑛の名店と言っていい美味しいラーメン店だったこのお店、今は確か代替わりして永山のショッピングセンターに移転しているという話を聞いたことがある。しかし今までわざわざ永山までラーメンのために脚を延ばすことは無く、長年の宿題となっている。このため、懐かしいお店に再び出会えた気になった。看板がレプリカだったとしても、少なくともこの店を憶えている人の手になるものだろうし。
空に雲が出始め、陽差しが薄れてきたこともあり、大村西側の台地まで、期待していたような脚が停まる風景ポイントは無かった。このため意外にもすぐ宿に着きそうになってしまった。
少し悪あがきし、更に小さく回り道して東側から大村へ入ることにした。丘の上で夕方っぽくなってきた風景を眺めて、大分涼しくなってきた風に吹かれて思い返す。今日は天気の良い日に美瑛で1日過ごせて良かった。そして自分で忘れていた、北海道Tour長年の宿題を、いろいろと終えることができて良かった。
こんな気分で美瑛で1日過ごせたのは、確か一番印象的だった1986年以来だ。
15:45大村着。
今日も夕食はブランルージュ。今夜は鶏肉キャベツ煮をお願いしてある。何時までも幸せな旅行ができてこんなにありがたいことはないと思いつつ、美味しい料理と草むらの虫の声で更に良い気分。北海道最後のいい夜となった。
記 2024/2/11
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