紀伊半島Tour18#5
2018/5/1 近露→御坊-1

近露→中辺路町栗栖川→龍神村栃谷→龍神村原→平→高津尾→御坊 (以上#5-1)
(以下#5-2) 区間2 (以上#5-2)
(以下#5-3) 区間3 (以上#5-3)
(以下#5-4) 区間4 (以上#5-4)
(以下#5-5) 区間5
114km ルートラボ>https://yahoo.jp/IWtdrf

ニューサイ写真 RICOH GR GR18.3mm1:2.8 A地点からC経由でB地点へ 赤は本日の経路 濃い灰色は既済経路

 窓の外が明るくなってきた。部屋がやや肌寒く、窓を少し開けてみるとひんやりしっとりと濃霧が立ちこめていた。
 その時点で2度寝、次に本格的に起きたのはは5:00。相変わらず濃霧は漂っていて青空は見えなくても、靄が光り輝いている。天気予報通りの晴れで、最終日の行程に臨むことができる。
 今日はまず国道311旧道大坂隧道から富田川の谷へ下り、栗栖川から県道198の水上栃谷トンネルで龍神村へ登り返し。山中を曲がりくねる日高川沿いに紀伊半島西海岸へ下って御坊終着である。最大の登りは県道198のたった240m。大坂隧道は登ると言ってもせいぜい140mだし、一度田辺市龍神村に出てしまえば、その後は日高川沿いでは海岸へほぼ一方的に約330mの下りとなる。
 国道指定から外れた旧道(っぽい道)主体に、海岸近くまで延々と辿る日高川沿いの道は、最終日に取っておいた大きな楽しみである。
 現在、国道は山間をのたうち回って延々と続く谷間を、トンネルと橋梁で突き抜けてゆく。しかし私のやや古い地形図「川原河」ではまだその新道は部分的にしか開通していなくて、日高川沿いに集落を結ぶ細道に国道の色が着いている。もう10年以上前から、この集落と細道に訪れたいと思っていたのだ。雨天輪行時に少しだけバスで通り、想像通りの親しげな表情の農村風景を眺めたこともあった。

 6時から、朝日が差し込む1階の食堂で朝食を頂く。朝食はやはりたっぷりで、特に鮎の塩焼きが大変美味しい。しかも子持である。鮎の季節ではないのにと思って尋ねると、冷凍ではなく氷漬にして保存すると、鮮度が保てるとのことだった。
 7:05、近露「熊野古道の宿 まんまる」発。
 日置川沿いに川沿いの茂みから丘の裾を抜け、朝もやが眩しい近露の盆地へ。田んぼのカエルが全力で鳴く声が辺りに響いている。彼らにとっては生存競争と子孫を残す使命を遂行中、こちらは暢気に旅をしている、これも熊野古道の歴史の中ではほんの一瞬の出来事なのだろうな。
 まずはその熊野古道へ。盆地中程で日置川の橋を渡り西側の山に取り付き、後は逢坂隧道へ緩緩と登っていくはず。2009年には私は逢坂隧道を訪れているのだ。どこから入ったかは忘れたが。
 しかし、細道が盆地の裾を登り始める途中で、「逢坂隧道通行止め」という看板が現れた。ほんとか。熊野古道それ自体には山道区間もあれば、時に短いものの国道と重複している区間もあったりする。そんな中でこの逢坂隧道区間は、細道の国道旧道と熊野古道の重複区間が比較的長く、お手軽に熊野古道を辿った気分になれるのが大変お徳用(?)だ。通った時の雰囲気は悪くなく、小さな断面の可愛らしいトンネルが気になっていたので、その後訪問の予定も無いのに時々通行可能状況を確認はしていた。そういう時は大体通行止めであることが多く、今この道が通行止めと書いてあってもあまり驚かない。更に言うならば、前回も通行止め表示は出ていて、現地へ行ってみたらバリケードすら無く全く問題無く通れたような気がしないでもない。
 まあしかし、もしトンネル入口が厳重に塞がれていたら引き返すのが面倒ではある。何も世界遺産の熊野古道じゃない大坂隧道に文化財的価値があるとしても、必要以上に有り難がる必要は無い。それに国道311の大坂トンネルはまだ通ったことは無いし、大坂隧道と比べて登り140mがたったの60mになる。こっちに行くか。

 RICOH GRU GR18.3mm1:2.8
紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 近露「熊野古道の宿 まんまる」出発 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
 RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8

 まだ7時台、国道311は国道にしちゃ車は少ないものの、当然の如くごくごく普通の、程良く経年が進んだ立派な国道である。この4日間通ってきた細道群の静けさ、包まれるような緑との一体感、楽しさには比ぶべくも無い。60mとはいえ登り区間は道と杉の森しか眺めるものは無いし、道路脇の道の駅も、何台か停まっている車やバイクも、何か自分の周りの空気とは別の場所の、画面の中の画像のように見えてしまう。
 淡々と逢坂トンネルを抜けると、新道と旧道が合流する竹垣内まで150m一ひと下り。急峻な杉の密林を地形図と照合し、くねくねしているはずの旧道を探してみるものの、森が密なせいかどこだかさっぱりわからない。
 まあ、今日はあまりこの辺に目的がある訳じゃない。

 竹垣内から栗栖川まで7km、富田川に沿って100m下り続ける国道311には、何だか非常に裁けた雰囲気が漂っている。道幅が広いせいか標高が下がったせいか、或いは谷間全体の雰囲気なのか。青空の下、新緑の山々と富田川を眺めながら、一定の下り斜度によりかなりの経済運転でも20km/h台後半で下ってゆける、そんな絶好調的状況ですら、ただ無為に下りに身を任せている気分になってくる。経由しようとGPSトラックに描いていたはずの、対岸の旧道への分岐もつい通過してしまい、「まあいいや、前通ったんだし」などと思ってしまう。どんどんやる気が失せていた。
 2007年の訪問時、私はこの国道311富田川区間で、急にこのまま帰っちゃえと思ってそのまま紀伊田辺から帰ってしまった。その時は疲れていたせいだと思っていたが、今また、もしこの後ネタが無ければこのまま帰ってしまいたいような気になってきていることに気が付いた。これは多分、国道311と富田川の谷間の雰囲気によるところが大きい。国道311だって、三重県の尾鷲市九鬼から熊野市大泊までは海岸線の絶景細道、ツーリング天国なのだ。
 しかし今日は、この後日高川沿いに西側の海岸線へ下る重要ミッションがある。天気も最高に良い。まずは強い意志を持って転倒などせぬよう気を付けて、栗栖川へ下らねば。

 8:00、中辺路町栗栖川着。今は田辺市となった中辺路町の町役場が、ここ栗栖川にあったようだ。そういう場所だけあって、裁けた道端のどこにでも自販機がある。退屈だった国道311とも栗栖川でお別れだ。とりあえず自販機が数台置いてある商店を選び、缶コーヒーで小休止とする。思えば今朝はまだ缶コーヒーを飲んでいなかった。


 栗栖川南端の覗で、おもむろに県道198へ分岐。
 龍神村までは鍛冶屋川沿いの狭い谷間を9km強、登りは240mぐらい。最後に山間の県道トンネルにしちゃだいぶ長い全長2300mの水上栃谷トンネルがある。
 この水上栃谷トンネルも、長年興味津々だった。最初は昔のツーリングマップルだった。くねくね山間をのたうち回る日高川から分岐して、いきなりまっすぐな直線と曲線だけの道が、等高線が入り組んで詰まってどこが何なのかよくわからない山中に描かれていたのだ。そのため、実態が想像しにくい図柄と、「水上栃谷」という漢字4文字の名前をセットで印象づけられてしまった。その後地形図を見て、状況のイメージは何とかできるようになった。
 実は紀伊半島には他にもこういう道がある。国道311の尾鷲市海岸沿い、それまでくねくね海岸沿いに続いていた道が、いきなり拡幅されてトンネルと橋で山中をショートカットしてしまうのだ。十津川村の十津川街道新道区間もそうだ。どこも現地では、地図で見ていないと全く意識しない程スムーズに通過できてしまう。道路設計とか土木技術とか、あるいはそういうものを詳しく見せてしまう地形図は、大したものだと思う。

 県道198は序盤から谷間をぐいぐい登り始めた。先行きがやや心配になるものの、斜度はすぐに5%〜それ以下程度に落ちついた。でもそれぐらいの坂でも、悲しいことに私のペースはてきめんに落ちてしまうのだった。
 広めで今風の道には、やはりそう多くないながらも県道なりに車がいる。小皆、船原、熊野川辺りまで、道は狭めのくねくね曲がる谷間を、法面やら橋やトンネルで突っ切ったり飛び越えてゆく。
 周囲は山の中だし谷間も比較的狭いのに、谷間の狭さと広い道しか印象に残らず、周りの風景はあまり身近に感じられない、ちょっと不思議なタイプの道だ。よく見ると、橋で入り組んだ山肌の小さい谷を豪快にダイナミックにばんばん越えてたりしていて、一昨日の瀞峡トンネルみたいに下りで通ると、もう少しそういう所を細かく眺めることができるのかもしれない。しかし、日高川の谷で海岸沿いに出ることが今日の最重要ミッションなので、今日近露を出発して水上栃谷トンネルを通るためには、この道を登り方向で通る必要があるのだ。

 沢、向垣内辺りになると、それまで谷底にあって道から見えにくかった鍛治屋川と集落の雰囲気が、やっと視界に入ってきたように思えた。それでも、道幅がそこそこ広くて車がいて、やはり全体的に何となく他人行儀でどこか落ち着けない道だ。いや、車の量は普通に少ないと言って構わないかもしれない。辺りの風景は緑一杯で、初日の三瀬谷辺りより余程落ちつく道であるようにも思われる。それに広い道であっても、国道169の下北山村七色貯水池〜小森貯水池辺りは、車が極端に少なくてなかなか落ち着けるのだし。まあ、今回は細道の数々の印象が強烈すぎたかもしれない。

 聳え立つ山肌に真正面から穿たれたような水上栃谷トンネルの入口で、登りがほぼ終わった。実際の水上栃谷トンネルに、地図で見たような線形の違和感は全く無い。そしてトンネルを通っている間はコンクリート壁にナトリウム灯の光が続き、外界の日差しや生命溢れる緑の世界とは全く異なる、人工物だけの世界である。空気がひんやりしているのも、異次元感覚を盛り上げる。これこそが、違和感のある地図表現で読み取るべきものなのかもしれない。

 8:55、栃谷着。
 水上栃谷トンネルの出口から外界に放り出されるように龍神村側に抜けた途端、県道29と合流。県道29は以前、この近くの安井から紀伊田辺までバスに乗った時に通ったことがある。その時には、拡幅された国道425から集落の中へ、まるで民家の軒先に車体が接しそうな旧道細道を辿ってゆく路線バスに感心し、いつかこの旧道を辿ってみたいと思っていた。
 いきなりの交差点から道がすぐ曲がって登って日高川の谷間へ下って、方向感覚が非常に掴みにくい。こういう時にGPSトラックがあって非常に助かる。
 拡幅新道になっている国道425を少し経由し、細い鉄骨トラス橋梁の細道橋梁を渡って対岸の広瀬へ。集落の生活道のような細道へ脚を進める。


 日高川沿いの細道区間とともに、道端の空間と時間が身体を包むツーリングの時間が帰ってきた。広瀬の集落はすぐに途切れ、国道425の新道をオーバークロスした後、細道は曲がりくねった深い谷間の川岸へ降りてゆく。道端には林道っぽい看板が出ているものの、路側帯に細道系国道によくみられる白ラインが描かれているので、元国道なのではないかと思わせられる。でも、この道が元国道でなくても別に構わない。この狭く切り立った谷間で、この道が昔から使われている道なのは間違い無いことだろう。
 激しく曲がりくねる谷の森の中、川縁に続く道は完全に平坦という訳でもなく、しばしば20m前後の登って下ってがある。しかし全体としては岸のどこかを乗り越えたりせず、谷間がいきなり急降下し始めることも無く、至って静かに穏やかに途切れること無く、細道は続いてゆく。
 この辺りの日高川は、いかにも山の川っぽい青緑色の淵が印象的だ。水はまあまあ透明であるものの、流石にこれだけ流域に集落が続いていると、同じ中流域でも日置川や古座川や北山川等のよに水は清らかという程ではない。川底には異物もみられる。渓流というにはやや広い川原は石が主役で、時々荒々しく大きな岩場や見応えのある岩畳も見られるものの、基本的には絶えず石の川原が続いている。
 川原を挟む両側の山はあまり高くないが、裾が切り立って上の方が丸く木々が生い茂る、紀伊半島でよく見られる岸辺の山々だ。時々、対岸への吊橋が現れた。川沿いから100m前後ぐらいの山を越えて次の谷へ移ったり、山の向こうへ向かう道も、その道沿いに眺めが楽しそうな集落が点在していることも、地形図では見かけていた。今日は岸辺をコンプリートで通るべく、極力岸辺に続く道を、そして両岸に道がある場合は、静かで穏当そうな方を選んでGPSトラックを組んでいるので、おとなしくトラック通り徹底的に川岸に脚を進めることにする。

 日高川の谷間とともにくねくねぐるぐる回り、原で森の中から川岸の集落へ。岸辺が拡がった応地の集落から、細い橋を、すぐに新道の国道425を渡って北野の集落へ。拡幅新道の国道425は、対岸のトンネルから日高川を橋で渡ってこちらに渡り、また山肌のトンネルに飛び込んでゆく。手持ちの地形図「川原河」では、北野からこちの細道に国道指定の色が付いている。
 また集落の外れから森へ、そして次の芝、津越の集落へ。狭い平地に畑、集落、学校が展開し、集落から森へ、また集落へ、田圃に畑、農家、小中学校や自販機、時々郵便局、農協、萬屋。路側帯の白ラインが続くこちらの道で集落が途切れると、対岸が集落に変わったり、どこかの山中から細道が合流したりまた分岐していったり。
 大きく曲がりくねるこちらの道は、しばらく進んでも地図上の位置は意外な程変わらない。谷間が曲がりくねっているため、似たような場所で距離を稼いでいるのだ。御坊までこういう道を辿る状態ではあるものの、ルートラボにより全体の距離は把握できているので、今日の行程に心配は無い。
 津越で日高川と国道425新道を渡り、鍛冶ヶ谷でまたもや対岸へ渡ってゆく国道425新道と交叉し、こちらは細道のまま森の中を対岸の新道と日高川を挟んで谷間に続いてゆく。
 拡幅別ルート化が進んだ国道425の、山と谷を突き抜けてゆく豪快さには、長い間この谷間の交通を阻んできた谷間の屈曲や岸辺の山坂が、現代の土木技術によりやっと克服されたことが感じられる。交通量が増えて車の排気ガスが谷間の空気に混ざったり、車が通る音が谷間に響いたりはするものの、土木技術そのものは谷間の何かをそれほど破壊している訳ではない。
 新道の道路空間には大型車・乗用車が高速で通り過ぎ、こちらには生活空間が続いている。しかし新道と旧道は同じ谷の新旧の道であり、道が二つあるからこそ私もこの場所に来れているのだ。
 ということを、実際に谷に来れて初めて実感できていた。

紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 広瀬 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
 RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8
紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 広瀬→原 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
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紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 国道424・425 金比羅橋 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

 方栗で対岸の道が途絶え、次の集落本村で国道425・424に合流。しばし新道を経由した後、小屋谷口で再び対岸の細道へ。前回2015年に小家まで通ったときは曇りだったためか、一度通った筈の道の風景に全く気付かないまま、小家の金比羅橋で2015年の既済区間が終了。こちらは国道424と別れて対岸に渡り、椿山貯水池沿いの道へ。
 曲がりくねる谷間に集落はすっかり途絶えたものの、山に挟まれた谷間の空間はここまでの谷間より多少拡がり始めた。岸辺には山が続いていて、時々曲がりくねる谷間と川原を見渡す以外に何か脚を停める要素は無い。しかし広い川原の岩畳や緑色の川面、曽気どき水没しそうな岸辺に頼りなく生えている若木、そして山を駆け上がる緑の森は見応えがある。
 対岸に国道424が通っているお陰で、こちらには車が殆どやってこない。道幅はやや広く、岸辺の山は森ばかりで、川をひたすら下っているはずなのにより山深さが感じられるようになってしまっていた。一体この山はどこまで続くのか、あまり里が現れないと却って心配になるほどだ。それでもいつの間にか対岸が遠くなり、谷間が名実ともに湖に変わり始めて、やっと椿山ダムに近づいていると実感できるようになってきた。

 11:15、平着。
 GPSトラックは椿山ダムの堤体を渡り、対岸の集落へと続いている。ここには確かルートラボで何かの観光施設っぽい名前が描いてあり、何か食べられるかもしれないと目を付けていた。そのため、宿にはおにぎりを作ってもらっていない。
 まだお昼前だが、そろそろ腹が減り始めていた。ここまで日高川沿いの細道を辿ってきて現地を見るに、ここ以外に何か食事ができそうな画期的な店が現れるとも思えない。いや、国道に向かいさえすれば、ところどころに道の駅があることはわかってはいる。必要以上に国道を経由せずに、何か食べられるチャンスなのだ。
 案の上それっぽい場所に「美山温泉」という看板がみられた。何となく看板の方へ脚を向け、そのままそれっぽい案内の通りに「愛徳荘」併設の食堂へ。

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紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 小家→椿山貯水池 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
 PENTAX K-1 HD PENTAX-D FA15-30mm1:2.8 ED SDM WR パノラマ合成  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8
紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 椿山貯水池 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA
 RICOH GRU GR18.3mm1:2.8  RICOH GRU GR18.3mm1:2.8 パノラマ合成
紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 椿山ダム #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

 11:40、平「愛徳荘」発。
 あまり目立った起伏の無いこの谷間にしては、ここで一気に50m標高が下がり、下りきった愛口で標高180m弱。ここからはもう完全にあまり大きな下りも登り返しも無く、御坊まであと50kmちょっと、ほぼ一定に下り続けるはずだ。毎日山奥で10%の峠を登り下りしていた今回のツーリングの、いよいよ最終局面である。
 流域には集落が再び現れ始めた。椿山貯水池の手前から谷間の幅は多少拡がった反面、山々が切り立って川岸には平地があまり無い。そして少ない平地がまとまって存在している。渓谷と集落が一体化していた龍神村に比べ、大きな渓谷の中に平地と集落が点在する、全体としての空間を感じさせる。大分下流に下って来たはずなのに、まだ風景が下流っぽくなることは無さそうだ。
 こちらの岸には相変わらずのんびりした雰囲気が続いていたが、竿元で遂に対岸の国道424へと渡るトラックがGPS画面に現れた。この先こちら側には道が途切れるということだが、現地とルートラボが違う事だってある。今は道が続くような雰囲気を感じたので行ってみたら、やはりすぐ道は廃道っぽくぬかるみ始めた。1%の可能性を信じてそのまま進むより、今はあまり深入りしないことにしておく。御坊で早い時間の列車に乗れる可能性だってあるのだ。昼食を食べ終わり、私もそういうことを意識し始めていた。

 おとなしく引き返してしばし国道424へ、再び対岸へ渡るまで1km足らず我慢。御坊まで登り返しは無いはずだったが、上越方で国道424は山の低いところを乗り越えて、山を挟んでぐるっと回り込んでいる反対側の谷間へ降りてゆく経路になったいた。そのピーク手前の細道分岐は、道の掛け替えで乗り換えポイントは坂の上に変わってしまっていた。しかし、坂の上まで登らされたからと言って国道通りに谷間をショートカットしてしまうと、折角ここまで谷の形通りに下って来たのに画竜点睛を欠いてしまう。それに、やはり川沿いの細道を大回りする方が楽しい。
 地形図の名前にもなっている川原河の集落を対岸に眺めて、ぐるっと谷間を回り込む。阿田木では、さっき通った国道424が行く手の対岸から降りてきて交叉し、こちら側の山中へ分岐していった。いつの間にか日高川の谷間の形通りに沿いにぐるっと回り込んだため、山を越えてショートカットしてきた国道424に対して進行方向は逆向きになっていたのだった。
 前方から山を越えて下ってくる国道424をこちらから眺めると、幅が広く車が多く、何だかまるっきり見慣れない道だ。あの坂の上にいたのは20分も前じゃないのに。

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 阿田木から道の名前は県道26となって、相変わらずぐるっと大きな曲線で曲がってゆく谷に続く。青緑色の川を両側の山が相対して囲む大きな谷間に、幅が広がった道は続いてゆく。周りの山はまだ高く、日高川は相変わらずくねっているものの、川幅と谷間空間が拡がったことで、谷間の雰囲気は次第にやや開けたものになり始めていた。
 三十木で県道26から対岸の県道25へ。県道26が日高川沿いから丘越えショートカットするので、日高川沿いに続く県道25へ乗り換えるのだ。その少し先でまたもや対岸の町道へ。この辺り、GPSトラックを描くときに広そうな道より狭そうな道、県道より町道、いろいろ画策して頻繁に川岸を変えたことを思い出した。しかし、より狭い道を選んだつもりが、実はこちらの方に集落が多いためか拡幅済みであり、交通量は少ないものの時々車がやって来る。対岸に眺める県道25は岸辺の木立が道を覆う静かそうな道。舗装の細道に希に軽トラが通る程度だ。もう少し慎重にトラックを選ぶんだった、と思った。
 坂野川橋ではその県道25がこちらの岸に渡ってきて、そのまま山中へ登ってゆく。川沿いの県道はまた名前が変わって県道196となる。こちらは橋を渡って対岸の町道へ。相変わらず道はほぼ平坦な細道だが、この辺りから谷間の幅と平地が拡がり始めた。どこがどこだったかは全く覚えていないものの、我ながらそれなりに意図を持って細かく計画しているのだった。
 全体的には谷間は相変わらず静かで、川幅は更に少し広くなったものの、川原には相変わらず大きな岩や青緑色の川が見応えたっぷりだった。

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 13:40、高津尾通過。というより対岸の賑わいに地図とGPS画面を照合し、その集落が高津尾だということを知った。高津尾は地形図では「川原河」の西側に描かれている。日高川が曲がりくねりすぎているために、「川原河」の東端にある水上栃谷トンネルから、通常の地形図の2枚分以上ぐらいの距離感とともに、やっと「川原河」の西側に到達したのだ。何となく標高はどんどん下がってきてはいて川幅も拡がってきてはいても、周囲の風景は山深くなるばかりの今日の行程なのだが、初めてだいぶ下ってきたことを理解できた。
 ひょっとしたら15時台のくろしおに間に合うかもしれないと思い始めた。

 大分川幅が拡がった日高川を挟んで眺める対岸の道に、いつの間にか交通量が増えていた。一度山越えへ向かった再び県道26が、再び日高川の谷間に降りて対岸の道になっていたのだった。
 こちらの道は県道196という名前に変わっていたが、谷間の幹線道路である向こう側に比べてひっそり静かな細道が続いていた。中津の観音寺橋で県道193がこちらに渡ってきて、そのままこちらの道と合流して道の名前が県道193に替わっても、相変わらず細く静かなままの道だった。
 しかし川沿いの平地部分は増えていて、道が平地の中へ向かって川縁から離れ、結果的に地形の目新しい変化が少なくなってきていた。というのは後で振り返って思い出すことであり、ただ細道沿いの入れ替わる風景を眺めて進んでいただけだった。
 まあそれぐらいに進んでも進んでもあまり変化の無い道だと思ってはいたものの、地形図をみるとどんどん御坊に近づいてもいる。目安にしていた高津尾だって、とっくに過ぎた。行く手の山も目立って低くなり、山の上には風力発電の風車が目立ち始めていた。それは以前紀勢本線乗車時に眺めた、海岸沿いの山々を思い出させた。
 計画時に地形図を見て、静かで楽しそうな谷間が続くんだろうなとは思っていたものの、こんなに延々と山深い谷間が続いたのは予想外だった。しかしやっと、風景が全体的に、海岸近くを予感させる雰囲気となっていたのだった。

 と思っていると、日高川にかなり細い橋が架かっているのに気が付いた。GPSトラックがその橋を渡っている。県道から細道へ逃げるコースをGPSトラックで組んでいた、松瀬に到着していたのだった。ここまで来たらもう御坊はあと数km。
 辺りも急に平地が拡がって、もうすっかり畑の中。自分で組んだGPSトラックはまさかと思うような畑の中へ入っていったものの、その通りに進めば裏道コースに迷いは無い。

 対岸の集落で、タイヤにずりっとした感覚を感じた。後輪がやや潰れ気味だった。停まって自転車をひっくり返して点検、石踏みによるスネークバイト系スローパンクというより予想外に摩耗したタイヤの布部分が露出していて、結論から言えば御坊までそろそろ走ってごまかすことに。
 踏み込まない、変なところを乗り越えない、道の端っこの砂利は踏まない等細心の注意で御坊まで。

紀伊半島Tour18#5 2018/5/1 近露→御坊 松瀬 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA

 14:45、御坊着。何とか辿り着けてひと安心。
 紀伊半島Tourシリーズで、過去に始発終着地が紀伊半島西側になったのは和歌山だけ。その時は早朝に出発してからすぐ高野山に登ってしまった。1日かけて半島西側を辿り、海岸に到達したのは、今回が初めてだ。安全に5日間、予定通りにコースを辿れたことに感謝、満足だ。
 次の特急くろしおは15:13、輪行時間は30分弱。これなら余裕である。

 特急くろしおは、新型なのに何故かスピードダウンした経済車287系ではなく、今や少数派となってしまった制御付自然振り子車のオーシャンアロー283系が来た。283系は意外なことに阪和線内でもぐいんぐいんに振子を効かせて突っ走ってくれた。最後に283系に乗れたのも、やはり2日目に参拝した池神社の御利益かもしれない。

記 2018/6/9

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Last Update 2018/6/10
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