西川角→替坂本→黒石
(以上#5-1)
(以下#5-2)
→窪川→家地川→打井川
(以上#5-2)
(以下#5-3)
→おんじ→檜の畝
(以上#5-3)
(以下#5-4)
→住次郎→中村
(以上#5-4)
(以下#5-5)
→来栖野→下長谷
119km
ルートラボ
夜が明けても、空はどんよりと低い。山の低いところに雲がかかっているし、そもそも小雨が降っている。天気予報は今日こそ9時から晴れ。今の天気にその兆しは全く無い。これから晴れるのだろうとは思う。
今日のコースも計画段階での仕込みは多い。窪川の台地から200m下る太平洋岸の加江、四万十川中流で唯一国道381から離れる家地川、奥内井川から黒潮町の太平洋岸への内陸部、そして土佐清水方面内陸の三原村。小ネタばかりだが切れ目無く盛りだくさんだ。ただ今日までの行程を考えると、風景を眺める時間が確保できていることが楽しさに直結している。
午前中9時頃まで雨っぽい今日の天気予報を前提に考えると、前半の加江への約40kmの寄り道は、太平洋や森の中の道で雨や曇りかもしれない。そして大回りなだけに後半の工程への影響は大きく、単純に距離を稼ぐための行程になってしまいそうに思えた。ならば加江経由を丸ごと止めて、その分お昼前からの県道55で山奥の農村風景をのんびり眺めればいいではないか。太平洋の風景だって、今日は黒潮町から中村まで海沿いに細道GPSトラックを細かく組んでいる。
最終的には分岐点の天気で判断しよう。
雨具を着て、スイス人のお遍路さんと広島からのご家族に挨拶し、6:40、西川角「四万十川ほとりの宿」発。
荷物を積んでいる間に雨は止んでいた。道はまだ黒々と濡れていて山裾の雲がまだ残っているのに、いつの間にか上空の雲が薄くなって全体的に青い色が見え始めている。これなら今日こそは天気予報どおり、9時頃から晴れるのだろう。
川角橋で四万十川東岸へ渡り、東川角でコーヒーを飲み、雨具を脱ぐことにした。朝にペースのとっかかりが悪いことへの言い訳のようなものだ。どうせ今日はまだあまり大した登りは無い。
県道323で四万十川支流の谷間、「魚の川」方面へ。地名に道道と平仮名が入っているのが面白い。まだ山裾に低く残る低い雲の切れ間から日差しが現れ、しっとり濡れた風景全体が斜光線にきらきら輝き始めた。
雲の下に日差しが射すと、空全体が乱反射して、幽玄たる陰影を雨上がりの風景に加え、気温が一気に上がり始めた。と思っていると、速い雲の動きで日差しはすぐに隠れた。
路面はまだぬらっと濡れていた。今は晴れ始めているこの場所も、間違い無くついさっきまで雨が降っていたのだ。
龍石トンネルを抜け、替坂本から県道326に乗り換え、再び小山越えで大井川の谷間へ。
雲は相変わらず早く動いているものの、辺りは明るくなったり暗くなったりして、青空が現れたと思ったら軽い雨がぱらついたり止んだりしていた。
平野から谷間に入ると、まだ天気は不安定なようだ。加江方面への寄り道コースはあまり悩まずに見送り決定、下り方面へ。
弘見からは県道325へ乗り換えて黒石へ。この辺り、320番周辺の県道番号が連続する。
黒石は農業大学校がある小さな町だ。
またもや缶コーヒーで休憩中、空が再び晴れ、みるみるうちに青空は拡がり始めた。この先に向けて大変に希望が持てる。お昼過ぎの太平洋岸では美しい海岸線に出会えるかもしれない。朝の加江経由を諦めて余裕ができた分、2011年に感動的だった中村→土佐清水の太平洋西岸岸壁に向かってもいいだろう。最終的に三原村で18時の夕食に間に合えばいいのだ。
黒石からは小さい峠を越えて窪川へ。5、60mのちょい坂には、ちょこざいに「藤の越」等という名前が付いている。
あっという間に通り過ぎた藤の越の向こうは、早朝からここまでずっと濡れていた路面が乾いていた。こんなに小さい坂に峠的な名前が付けられているその位置づけには、そういうそれなりの理由があるのかもしれない。
町には裏側から例によって細道GPSトラック頼りで入り込み、8:30、窪川駅前着。
2004年以来の窪川駅も街中にあるという興味津々の鰻屋もそのまま通過、市街地から土佐くろしお鉄道沿いに四万十川岸の細道へ。
四万十川の両岸には低山が迫り、平地っぽい窪川以北の風景から雰囲気が一変していた。窪川から江川崎まで、四万十川は中流域に移行すると言っていい。
しかし岸辺には相変わらず鬱蒼とした茂みが多く、まるでニホンカワウソが潜んでいそうなのも相変わらずだ。
国道381対岸の南岸、山裾に張り付く静かな細道を進んでゆく。
しかし、若井から新田へはその細道が少し途切れてしまうので、他人事で眺めていた北岸の国道381を少し経由する必要がある。
国道ならではの気流に乗れるというか平滑な路面のお陰というか、ペースはぐっと上がるし、それでいて交通量は目くじらを立てるほど多くないとは言え、やはり幅の広い道そのものが楽しめない。一方、空の雲が明らかに低くなり始め、空には青い部分が全く無くなっていた。今日は本当にこれから晴れるのかと少し不安になりつつ、息を止めるように新田を目指す。
新田から再び南岸の道が復活するので、野地橋を渡って県道329へ。一方、四万十川が南へ大きく屈曲するため、国道381はしばし四万十川を離れてショートカットする。
この間、四万十川は唯一のダム、通称家地川ダムで川面を8m程下げる。四万十川にもダムのようなものは存在するのだということを、実は今回初めて知った。ただ、8mという落差はダムにしては少ない。家地川ダムは正確には佐賀堰堤と言い、堤高が低いのと魚道が確保されているとのことで、本当はダムではないらしい。でも、そういえばさっきから川幅がやたらと広くなり、川というより湖のように水がたぷんたぷんになっていた。
ちなみに窪川から四万十川にしばし並行していた土佐くろしお鉄道は、若井から四万十川をしばし離れ、何とループ線で大きく標高を下げる。そしてループ線の途中でJR予土線が土佐くろしお鉄道から分岐し、再び家地川で四万十川に合流している。窪川から宿毛へ向かうのが土佐くろしお鉄道宿毛線、窪川から宇和島へ向かうのが予土線という位置づけであり、両線が分岐するのが窪川ではなく山中でいきなり分岐するという、他ではあまり見かけない路線構成となっている。
四万十川にJR予土線が合流する前に、国道381も再び北岸に合流し、再び四万十川、JR予土線、国道381が揃って、江川崎まで一緒に西へ向かって行くことになる。
通ってしまえばあっという間の家地川ダム。一応コンクリートでダムっぽい構造物が作られていはいるものの、「実はダムではありません」という事情も一応納得はできるし、これしきで四万十川の清流の度合いを下げるのも少し可哀想な気はする。そして、下流側の風景も、若井辺りのダム上流側とあまり変わらない。ただ、川の水量はかなり減った。
この辺りはNHKの古いドキュメンタリーで見かけたことを覚えている。悠然と流れる川の雰囲気と地形の空撮が印象的だったので、多分ここで間違い無いと思う。昭和40年代後半の映像と現状は、未舗装だった道が舗装に替わっていることが違うぐらいである。
引き続き南岸の細道の後、打井川で分岐して県道55で南側の内陸へ。
四万十川の谷間から打って変わって、打井川の谷間はかなり狭く、常緑樹が南国らしく密に生い茂っている。
内井川の分岐には、これから向かう県道55の二つの小さい峠の二つ目、四万十市・黒潮町界の四万十市側が全面通行止めで、平成29年6月まで工事期間であるとの表示が早々と出ていた。もしその通りだと、県道55からは予定コースの黒潮町には出られない。迂回コースとして県道367へ、住次郎からは国道439に合流してそのまま中村を目指すしかない。住次郎から中村は2011年に訪れていて、国道439の中でも徳島近郊と並んで国道439らしくない、やや裁けた風景が20km以上続くことがわかっている。
その通行止め情報がこんな手前から出ている。たかだか看板風情がなかなかどうして人の気持ちを見透かすように、「通行止めなんですからね」と念を押しているような気がする。まあしかしこういう場合の常として、そしてリカバリーの可能性を考慮した今日の現実的な選択肢としても、そのまま行ってみるしかないのである。
同じく内井川の分岐辺りから看板が出ていた「海洋堂かっぱ館」と「海洋堂ホビー館」は、このマイナーな県道55沿いの施設にしてはけっこう賑わっているように思えた。
ホビー館に至っては路上に交通整理係までいた。その時はテーマパークみたいなものかと思っていたが、帰ってから調べてみると、海洋堂とはフィギュアの人気メーカーだとのこと。
新築ジブリ系っぽい海洋堂かっぱ堂、続いて廃校リニューアルっぽい海洋堂ホビー館を過ぎると、県道55はぐっと細くなった。
森が道に覆い被さり、狭い田んぼや畑が狭い道と一体の空間になる、細道県道らしい風景がやっと現れてくれた。
山間の集落、奥内井川で県道55は隣の谷間への峠越えへ向かう。内井川の谷間をそのまま遡る道は、県道367と名前が変わり、番号の上では県道55から分岐する形になっている。この奥内井川の分岐で、さっき看板が出ていた通行止めの実態が明らかになった。まず通行止め看板に写真が付いているのに驚いた。そしてその写真は、崩落土砂がつづら折れの2段に渡って完全に道を覆っているものだった。これなら歩いたって通れないという、全面通行止めだということが大変わかりやすい。場所もちゃんと描かれていた。それは四万十市と黒潮町の境界である峠部分の四万十市側、峠へ向かって道が谷底から離陸を始めるつづら折れ部分のようだ。工事期間はと言えば平成29年度6月末まで。黒潮町の海岸を通って中村に行きたかったが、今日は住次郎経由確定だ。ここまでやらないとこの道を訪れる人は納得しないのかもしれない。まあ、私も人のことは言えない。
県道55は狭い田んぼの脇をぐいぐい登り、更に杉の森をぐいぐい登る。
とはいえせいぜい標高差140m。峠というより海岸の丘陵らしい丘を越える越えだ。
房総半島でこういう峠をよく見かけるように思う。
峠部分には鳥撃場という名前が付いている。正確に言えば、名前の付いている場所は峠というより峠の周辺ということのようだ。鳥撃場とは、誰かお偉いさんが鳥を撃ちに来たのだろうか。四国には何かと面白そうな場所が多いとまたもや思う。
谷底の森が開け、下りきった集落の名前は平仮名で「おんじ」。
斜面に作られた田んぼの土手の間を道はすり抜け、県道55と県道367の分岐に到着。
分岐手前の田んぼで農作業をされていたおじさんから、この先の道について情報収集のヒアリングをしておく。結論を言えば、やはり県道55はもうしばらく全面通行止めになっているようだ、とのこと。
しかし、少し先で分岐に出ていた看板は、ここまでの情報を覆すものだった。何と「本日通行止め解除」と書いてある。GWに間に合うように、あの崩落土砂を撤去したのだろうか。ならば行くしか無いだろう。後ろでおじさんが怪訝そうな顔をしているような気もするが、まあいい。
先に進むと、すぐに崩落復旧工事の鋼矢板土留めが現れた。明らかに件の崩落通行止め箇所とは別の場所だ。通過してからふと、「ひょっとして通行解除ってこれのことか」と思った。そうかもしれない。
まあ今はとにかく先へ進んでみよう。可能性が1%でもあればそれに懸けるのがデュエリストだとある人から聞いている。私はデュエリストではないが、今は1%の可能性に懸けてみたい。
20分ぐらい進む間、いつの間にか次第に道の斜度は上がり、落ち枝や小落石が目立ち始めた。
さすがになんだか雲行きが危ういと思い始めた檜の畝(これも地名)から、斜度がぐっと厳しくなり、すぐ写真通りの崩落が登場。
まるっきり写真通り、道には全面的に、かつ盛大に崩落土砂が被っていた。今ここで写真の通りだと、この上にあるつづら折れのもう一段上でも通行不能なのは明らかだ。結局看板通り、崩落土砂はまだ全く撤去されていないのだった。そして「本日崩落通行止め解除」は、やはりさっきの場所だったのだと思われる。来年の6月一杯までには、この道は通行可能になるんだろうな、きっと。
というわけで県道55を逆戻り。戻ってみると下りがしばらく続き、ここまで結構登っていたことに改めて気が付いた。
おんじからは県道367で、国道439の住次郎へ向かう。こちらではさっきの奥内井川での県道55と367の関係とは逆に、県道367がそのまま谷間を下ってゆく道となっているのが面白い。
常六、中が市、大つえ、片魚口、竹奈路、長瀬と小さな集落が、くねくね屈曲する後川の小さな谷間に続いた。
適度な狭さの道と谷間にのどかな風景が適度な風景の変と共に続き、私のような自転車ツーリングに本来はとても楽しいだろうと思わせられる道だ。
しかし、おんじから少し下った辺りから、雨がぱらぱら降り始めていた。
昼から晴れるのではなかったのか、などと考えるのも無駄だ。見ればわかるだろう、雨なんだよ。それに楽しみだった黒潮町海岸区間を通れないこと、これから既済の、しかもあまり楽しくない道をしばらく走らなければならないこと。
気分は冴えない。こういう時には中村で何か美味しい物でも食べて、気分を晴らしたい。
住次郎で国道439へ合流すると、やはり前回2011年訪問時の記憶通りにすぐに道巾が拡がった。更にこの先記憶によると、国道439は全国に名だたる酷道与作というよりごく普通の地方幹線道であり、もう中村へ近づくにつれ地形なりに辺りはごく普通に開けてゆくだけだ。中村を通過したという事象と中村の街の風景以外、具体的にどこがどうだったとかが全く印象に残っていないのである。
今回も残念ながらほぼその通りの展開で、それでも谷間が少し拡がった蕨岡で脇道へ入り込んではみたものの、あまり悪あがきの余地は無く基本的に国道439そのもので中村に向かう必要があった。
たださすがは国道沿い、住次郎の先から雨は完全に上がり、その後天気が終始安定していたのは助かった。
というよりもうお昼過ぎである。一体いつになったら予報通りに晴れるのか。もう晴れに期待する気は完全に失せているが。
13:00、中村着。朝に前倒しで下方修正しているので、時間はたっぷりある。太平洋西岸に向かおうか。いや、それじゃ住次郎からの国道439に引き続き、まるっきり2011年と同じ行程になってしまう。しかも今日は曇りである。海岸線へ脚を向けてもどんよりと低い雲に冴えない色の海、荒々しい岩場に、毎日雨で参っている気持ちが更に打ちのめされそうだ。それに前回あんなに感動的だった海岸の道に、冴えない天気の日に再訪してしまうと、美しい思い出が冴えない風景で上書きされてしまう。何より、今日は未済経路へ向かうべきだろう。
中村から先、予定通り県道346に向かうとすると、やはり時間は余り気味だ。もう三原村まで、あと30kmも無いのだ。どこかお店に入って何かうまいものでも食べて気晴らしにしたい。こういう時には地元の然るべき方から教えていただくのが一番だ。街中のローソンで買い物ついでに普通の主婦っぽい店員さんにヒアリングしたところ、国道439沿いの「一風」を紹介してもらい、四万十産(養殖だが)の鰻丼をいただく事ができた。ふわっとたっぷりで、味わい豊かな大変美味しい四万十鰻だった。
14:00、中村発。県道346の四万十川橋から西岸の平地へ。ここへ来てまたもや雲は暗くなっていた。今日はついに晴れなかったことになるのかもしれない。もう宿まで直行しよう。
四万十河岸では昔ながらの町並み、中村宿毛道路近くではいきなり今時の幹線道路風ロードサイド店まっただ中、最後は中村宿毛道路の高架下に沿ってとぼとぼと県道346は西側の山裾へ。
同じ一続きの県道346沿いにめまぐるしく変わる沿道風景の一見奇妙な取り合わせに、時代に翻弄される地方主要都市というようなものを見た気分になった。
そんな感傷とは全く別に、山裾から谷間に入ると県道346は急激に峠越え系細道に替わり、谷底の川沿いに高度を上げ、密森を名無し峠へ離陸していった。
名無し峠の標高は330m。さっきの鳥撃越の方が標高そのものは高いが、こちらは四万十川河口近くからの登り始めで標高差は320mぐらい。
それでもそんなもんではあるものの、間違い無く今日最大の登りである。
周囲の密林はなかなか眺めは開けない。
しかし、静かで落ち着いた道である。ややしっとり気味の路面には、サワガニもひょこひょこ登場した。
そして、そうこうするうち空は少し明るくなり始めていた。
峠の向こう側は、登り距離の半分ぐらいの下りだ。
狼内で下りが終わって唐突に森の中から田んぼに出た。狭い山間の田んぼではなく、いきなり拡がったにしては開けている谷間である。雲は相変わらず多いものの、辺りは直接太陽に照らされ、日なたになっていた。
山裾のT字路で、太平洋岸へと下ってゆく県道346とはお別れして、三原中心部へ向かう県道県道46へ脚を進める。
高知県南西部に訪れる観光客のほとんどは、中村・宿毛から海岸沿いに足摺岬や土佐清水へ向かうと思われる。かく言う私も、今回の旅程を計画するまで、海岸沿いの中村・宿毛・土佐清水に囲まれた内陸山間に、こんな農地が拡がっているとは思いもしなかった。しかし意外にも、ここ三原の谷間は、田んぼや畑が山間の平地一杯に拡がり、道も比較的しっかりしている。つまり、農業に対して機能的に整備された場所であるように思えた。
三原の谷間全体は全体として曲がりくねっているものの、三原の中心部や今日の宿の下長谷へも、もう一続きの谷間だ。このまま宿には向かえるのだが、折角日差しが出てきた。まだ15時過ぎ。
屈曲した谷間の平地はあくまで山間、終始農業に適した程度の広さであり、安定感や落ち着きが感じられる空間であるものの、迫力やら変化という観点からはやや物足りない。かといって天気は今すぐ悪化しそうにもなく、緊急に身の振り方を決める必然性に三原の谷間を隅々まで走り回るのだ、などという気がもりもり沸いてくる訳でもない。
というわけでやや受動的に三原中心部と下長谷への分岐へ脚を進める途中、ちょうどいい具合に上長谷で手持ちの地図に出ていない道を発見。道は谷間を挟む山の片方へ向かっていて、山の向こうは三原村の中心部だ。つまり、山をトンネルで抜けて。町へショートカットする道っぽい。そう言えば「三原のじまんや」という物産館があるんだった。何か物産館で食べられるかもしれない。
15:40、三原着。物産館「三原のじまんや」に寄ってみるものの、軽食コーナーは16時で営業終了らしく、もう店じまいに入っていた。そして夕方の物産館には、宿到着を目前にしたワタクシ的には全体的にちょっとボリューム多めのラインナップが待ち構えていた。もう少し暖かく、もう少し小腹系のものが食べたかったのだが、と思ってやっと、自分は何か具体的に食べたかった訳ではなかったことに気が付いた。
雲は相変わらず早めに動いていて、空は再び暗くなり始めていた。徹底的に手持ち無沙汰な寄り道になってしまったものの、宿ももう近くだし、どぶろくが待っている。
16:05 下長谷「農家民宿 くろうさぎ」着。
お米の味が濃厚などぶろくを頂き、風呂に入って一寝入り。気が付くと、夕方になってやっと空は晴れ始めていた。近所へ少し散歩に出かけてみると、まだ雲は早く動いていたものの、大分低くなった夕方の日差しが、雲を物ともせず鋭く差し込んできていた。田植えが終わったばかりの田んぼも、山々を映した水面も、夕方の日差しで眩しく鮮やかだ。
明日の予報は6時の三原だけ雨でその後は晴れ。宿毛市の平田へ下ってしまえばもう晴れているかもしれない。そういう予定に対し、希望と確信が持てる展開だ。明日こそ予定通りの山間細道へ向かおう。その後は16年振りの宇和海だ。
記 2017/6/28
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