北海道Tour17#11
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大村→美瑛→上富良野
(以上#11-1)
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下りで更に余裕を稼いだお陰で、想定タイムリミットの何と1時間以上前だ。ならばここは、何が何でもなんぷ亭へ行ってなんぷカレーを食べておかねば。
それには、東幾寅へのアクセスを確実にしておく必要がある。もう迷う余地無くタクシー輪行、駅前にタクシーを探すとその名も「幾寅ハイヤー」の営業所を発見。東幾寅15時着として、タクシーならいくら何でも14:50発で楽勝だと思うが、念のため14:45幾寅発でお願いしておく。前のお客さんの都合やら帰ってくる途中の不可抗力で、タクシーが遅れて到着することだってあるのだ。
13:55、輪行開始。速攻でてきぱき片付け、自転車を幾寅ハイヤー事務所前に置き、さあなんぷ亭だ!14:20にはオーダー、14:25に食べ始めることができていた。
希望はしていたがまさかなんぷカレーまでこなせるとは思っていなかった。やればできるものだ、と思う。なんぷカレー自体も前回2年前に比べ、期待以上に更に磨きが掛かっていた。もう感無量である。11日間の行程最終日として、北海道に何も思い残す事はない。
でも、やはり根釧台地に未練はある。かもしれない。と、この時は思っていた。やはり思っているということは、実現への強力な後押しになるのである。
14:40には完食し、すぐに幾寅ハイヤー前へ。14:45少し前に、かなり大型のワゴン車が登場して驚いた。「自転車を載せます」と言っておいたので、気を回して下さったようだった。
14:55、東鹿越着。もともと人気の無い場所の信号所みたいなこの駅が、まさか天下の根室本線の終着駅になろうとは、誰が想像できただろう。
ひっそりと寂れたホームでキリギリスやエゾゼミの声を徒然なるままに右耳から左耳へ流して10分。15:05、新得からやってきた代行バスが到着した。代行バスは大型の、けっこうゴージャスな観光バス。代行手段の方が本来の手段よりゴージャスになってしまっている。この区間における鉄道と車の現状を象徴しているようで、何だか皮肉だ。ちなみに、バスは「ふらのバス」だった。
乗客の多くは、一目でわかる、近年日本のどこへ行ってもお得意さん(その後秋に似たような構成のメンバーを、大阪京都、丹後の美山、会津の大内宿などで見かけることになる)な、推して知るべしのメンツであることに多少驚いた。彼らは日本の田舎に興味を持っていて、30年ぐらい前に我々がやっていたのと同じような旅を、日本の田舎で楽しんでいるのである。
乗り換え地点 | パターン1 | パターン2 | パターン3 | ||
幾寅発
代行バス 東幾寅着 |
11:47
↓ 11:57 |
14:45
タクシー 14:55 |
14:53
↓ 15:03 |
17:20
↓ 17:30 |
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東幾寅発
JR根室本線 富良野着 |
12:09
普通 滝川行 ↓ 12:49 |
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15:13
普通 滝川行 ↓ 15:52 |
17:40
普通 富良野行 ↓ 18:20 |
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富良野発
JR富良野線 美瑛着 |
13:38
普通 旭川行 ↓ 14:15 |
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16:12
ノロッコ6 旭川行 ↓ 17:21 |
16:55
普通 旭川行 ↓ 17:38 |
19:10
普通 旭川行 ↓ 19:50 |
15:13、幾寅発。普通列車ではバスで降りてきたメンバーによる、大声での会話、ロングシートで足を組むその足の放り投げ方、ガラガラバッグの通路への置き方(というか占有の仕方)、まあ他の場所で見られる通りの立ち居振る舞いが垣間見られた。ローカル線ののんびりした雰囲気の車内に似合わないとかいう気はするものの、これは国民性のようなもので仕方無いことなのかもしれない。もう少し時間を掛け、国民同士がお互いに理解し合う必要があるのかもしれない。地元の方は少数派で、彼らのやってこない隅の方でおとなしくしているのだった。こういうのはきっともう、毎日の事なのだろうし、地元の方にとっては夏の鉄道マニアが入れ替わっただけなのかもしれない。私も昔は周遊券の旅で車内を占有していたような気もするし、あまり大きなことは言えない。
富良野には15:52到着。次の富良野線普通列車は16:55で美瑛着は17:38。その前に臨時で、16:12にノロッコ号が出る。折角早めに富良野を出発できても、ノロッコ号の運転はやたらとのんびりしているため、美瑛到着は17:21。16:55の普通列車とあまり変わらない。しかし、ノロッコ号に乗らないと、富良野駅で1時間も普通列車を待たねばならない。そこで、存在自体は知っていたが、過去の人生で移動手段として使う気は無かったノロッコ号に、座席指定料金\500を払って乗ってみることにした。こういうのをチャンスというのかもしれない。あるいはあまりに美瑛駅に観光客が多く、そのまっただ中で1時間過ごすことが煩わしかったせいかもしれない。
ノロッコ号はほぼ満員で、車内は大変賑わっていた。車両は客車というのか、オハテフ500とかオクハテ510とか、改造元が51系か50系だというのはわかるものの、オハテフ(考えてわかった)とかオクハテ(調べてやっと理解した)とか全くピンとこない。機関車はDE15。以前1990年台に急行宗谷に乗って以来のDE10系だ。非電化DLのエースDD51に比べ、コンパクトにメカメカしさと程良いかわいらしさが凝縮されたDE10系は、以前からどちらかと言えば好きな位の機関車だった。元々撮り鉄系の私がディーゼル鉄道車両のエンジン音に興味を持つようになったのはごく最近のことであり、改めて機関車の直後で聴くDE15のエンジン音は気動車に比べてなんだか余裕を感じさせあり、それでいて速度が上がるとともに機関車らしい迫力を感じさせてくれた。
富良野を出発すると、ほぼ西向きの窓から、かなり厳しく熱い西日が差し込み始めていた。しかし盆地をのろのろ走っている間は、むき出しの構体以外のほぼ全面の開口から風が目一杯入ってきた。その風は、たとえ富良野盆地まっただ中の富良野線であっても、美深のトロッコで感じられる森の風とよく似た開放感が感じられた。ノロッコ号という列車がJR北海道に登場して20年近く経った今、これがノロッコ号か、とやっと納得することができたのだった。
富良野から上富良野へ必要以上に時間をかけて列車が進む間、日差しも弱くなり始めていた。時々雲が日差しを隠してくれると風が急に涼しく、なんとも夏の夕方っぽい。今日ももう夕方だ。
上富良野から美馬牛へは丘越え区間の森の中。西日の木漏れ日、時々森が開けて眺める鮮やかな丘陵の緑に、北海道最後の夕方を存分に感じることができた。今回もいい旅だった、明日はもう東京なんだとしんみりさせられる。
美瑛駅前では盆踊り真っ最中だった。多分これが、去年出会うべき盆踊りの風景だったのである。しかし去年、仁宇布から自走できていたら、美瑛駅前は通らないことにも気が付いた。やはり毎年毎年、旅の時間は連続しているのだ。
17:45、大村「美瑛ポテトの丘YH」着。
いよいよ北海道最後の夜。外ではカンタンやコオロギが鳴いている。するどくキリキリキリッと、エンマコオロギが鳴き声で戦っている。初秋を感じさせてくれる音を聴くのが、都会の夜じゃないのはとてもいい。こういう旅が未だにできている、私は幸せ者である。
記 2018/2/1
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