四国Tour11#6-6 2011/5/4 岩松→大洲

岩松→(県道4他)中駄馬 (以上#6-1)
→(林道大峠線)大峠隧道→(林道西谷線)黒尊 (以上#6-2)
→(県道381)口屋内 (以上#6-3)
→(国道441)網代→(県道8)目黒 (以上#6-4)
→(県道8)松丸→(県道280他)日吉
(以上#6-5)
→(国道197他)鹿野川ダム→(県道32)大川橋
→(県道55・44他)大洲  171km  RIDE WITH GPS

#6-2の大峠隧道出口 新緑の木漏れ日が眩しい 絶景連発の今日の最高に心に染みた景色 RICOH GR DIGITAL 3 GR6.0mm1:1.9 国道197から国道197経由で鹿野川貯水池へ 赤は本日の経路

 15:00、日吉発。ここからは国道197だ。

 登りになっている日吉の町中のてっぺんが峠で、その向こう側は全然町っぽくない普通の農村の下りである。こういうのは峠としてかなり珍しいパターンで、過去記憶に無い。

 肱川の谷を下るこの区間の国道197は、国道としては比較的交通量は少ない。広葉樹主体の渓谷は美しく、紅葉の時期を想像してしまう。また、さっきの国道320より谷間が狭いためか、斜面に展開して断続する棚田、農村の風景はダイナミックだ。

 しかし道自体は、ごく普通のがっしりした頼もしい国道である。旧道なのか、時々脇道らしき道が谷底へ下ってまた対岸の集落へ登り返している。景色は良さそうだがアップダウンがかなり際限無さそうで、なかなかあっちへ行く気にならない。

 今日も15時を過ぎ、日差しはやや赤みがかった色になり始めていた。

鹿野川貯水池到着 RICOH GR DIGITAL 3 GR6.0mm1:1.9

 いつの間にか渓谷の水量が増していた。鹿野川貯水池に差し掛かったのだ。

国道197から脱出 ひと安心 RICOH GR DIGITAL 3 GR6.0mm1:1.9
鹿野川貯水池から県道32経由で大洲へ 赤は本日の経路

▼展望240° 国道197 坂石 画像上でマウスをドラッグしてください
 国道197の新道と行き交う自動車はトンネルへと消えて行き、こちらはこちらは湖岸にくねくね張り付く旧道へ。

 新緑の道、緑の湖面は、赤っぽい光で鮮やかで、交通量皆無の静かな道は山影の中でひんやり涼しく、鳥の声を聞きながらの極楽サイクリングである。
▼動画1分33秒 鹿野川貯水池 川平

 たまに山中のトンネルから谷を渡る国道197が隣の頭上に姿を現すと、車が行き交うその光景に、さっきまであんな道を通っていたのだ、と思ってしまうほど。でも時間もそろそろ夕方、車は増えているのかもしれない。
▼動画2分20秒 鹿野川貯水池 川平→西
▼動画49秒 鹿野川貯水池 山首

もうすぐ狩野川ダム 何となく日差しも柔らかく赤く RICOH GR DIGITAL 3 GR6.0mm1:1.9

 鹿野川ダムからは対岸の県道32へ。

 国道197とは肱川をはさみ、ダムの谷間のあっちとこっちの関係だ。こちらもやはり交通量が少なく、対岸の国道197の喧噪を横目に、新緑に包まれて静かに走る。

 途中あまり意義を感じられない大規模アップダウンがあったが、まあそういうのも静けさの理由になっているのだろう。

報われない豪快アップダウン登場 この期に及んで… 文句ぶつぶつ RICOH GR DIGITAL 3 GR6.0mm1:1.9 パノラマ合成

 夕暮れの県道55・44は田舎道の集落と畑の中。

 肱川の谷底はもうすっかり広く、景色はのんびりしているものの今日通ってきたような谷間に較べやや漠として、大洲到着へ向けててれてれ流してのんびり走る。まあこの分なら大洲到着も18時前だろう。

 夕方の薄曇りで、景色はもうふんわりとほの赤く、新緑の鮮やかなコントラストではなく、けだるいグラデーションの緑色の中にあった。

岩松から鹿野川ダム経由で大洲へ 赤は本日の経路

 曲がりくねった肱川と、昔ながらの城下町、そして国道・県道・JRが錯綜する大洲の町。もともと複雑な構成なのに、前回訪問から10年経っている。しかし今回はGPSナビに従って、景色と交通安全だけに集中し、前回通った道やその景色を思い出していればいい。

 17:40、大洲郷土館YH着。その大洲の町の核の一つ、大洲城隣に建つYHだ。隣とはいえ、大洲城脇の小さな庭園とは空間として一体で、建物自体は普通の住宅っぽいものの、YHとしてなかなか格調が高い。
 前回すでにややご年輩だった宿の方は、まだご健在だった。宿の中も相変わらず小綺麗だが、宿泊は私の他はお友達家族+ペットらしい全員女性の1グループ。あきらかにホステラーと呼びたいようなツワモノは、近年どこのYHでももうすっかり居なくなった。まあこれは有り難いことだと、私は思っている。

 

 「今日はご家族連れの方が普通の部屋を全部使って戴くので、特別室に泊まっていただきます」とのことで、部屋へ案内されてびっくり。YHの名前の「郷土館」たる所以の郷土資料館、その脇にまるで部屋ごと展示室のように造られていた、床の間付畳敷きの部屋なのだった。ま、まさかここに泊まれるとは。「前回憧れの部屋でした」と、感謝の気持ちをお伝えしておいた。

 YHには朝食も夕食も提供の無いYHなので、代わりに近所にできたという郷土料理店へ向かった。明日のお昼にはもう松山空港から飛行機に乗ってしまうので、ここは最後の晩餐に鰻重を投入。「養殖鰻を肱川に連れてきて、1月慣らしてお出ししています」とのこと、濃厚ながら嫌みの無い、忘れられない鰻だった。

 さて、明日はもう松山空港から出発しないといけない。しかし、最後の最後で行程をやや甘く見ていて、どうもあまり余裕が無いことに気がつき始めていた。おまけに大洲から朝が峠を登って海岸へ下ると、その後は国道378。一応「夕焼け小焼けライン」等という嘘臭い名前は付けられているが、いかんせん拡幅済の国道である。ましてや松山へ向かう道。最後の最後で車に悩まされるに違いない。明らかに計画ミスである。だめ押しで、明日の天気予報は雨後曇り。大変芳しくないのだった。
 どうする。地図を見ながらいろいろスタディした結果、とりあえず早起きし、天気が曇り以下なら大洲駅から輪行で松山に向かう、晴れならその時考えるということに。

記 2011/5/29

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Last Update 2020/3/20
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