仁宇布→(道道49)辺渓
(以上#9-1)
→(道道252他)瑞和→(国道40)南
→(市道・林道)瑞穂→(道道688)母子里
(以上#9-2)
→(国道275)幌加内
(以上#9-3)
→(道道48他)下幌加内→(道道72)共和
→(道道915)嵐山→(道道98)江神橋
(以上#9-4)
→(市道他)西御料→(国道237)西聖和
→(国道452)五陵→(農道)大村
170km
RIDE WITH GPS
美瑛到着希望時刻まであと2時間。過去旭川を通過してそのまま美瑛に向かったパターンは、何と1986年まで遡る。距離的には30km強、まあ大丈夫じゃないかとは思うものの、信号が多い市街地通過に何かと時間が掛かるはず。去年は江神橋から旭川駅前のホテルまで、コンビニ立ち寄り込みで30分もかかってしまったのだ。
今年は近年の経験を活かし、石狩川から美瑛川の自転車道へ。
途中の乗り換えでは市街地迷走気味だったが、基本的には車のいない快走路で、土手の景色や市街の見晴らしもいい。
とある旭川出身の知人が、「旭川は町としてまとまりの良い規模である」と言っていたことを思い出しながら、赤くなってきた日差しの中、住宅地から文教地帯、公共施設、やや遠望気味の市街中心部などを眺める。
のんびりと良い気分だ。さすがに川沿いで夕方、今日もだいぶ涼しいと感じられる気温になってきた。
自転車道から降りた後、どうせほんの少しだと思って、美瑛丘の裏手まではあまり経路のイメージが無かった。というより、幹線道路の国道237しか選択肢が無いのを、何となく真面目に考えたくなかったのだ。実際にその場所に来ると、やはり予習通りに国道237を通らざるを得ない状況がそこにはあり、仕方無く息を止め、間近に通過する車に我慢しつつ数km。1986年は旭川市街から全部この道だったことをふと思い出す。
17:00、西聖和着。少しだけセイコーマートで最後の休憩と、明日の食料を仕入れておく。
西聖和からは国道452へ。国道とは言え先の国道237とは大違いの、交通量の少ない田舎道だ。おまけに美瑛裏手の丘から、なんだか山の中に入り込んで途中で途切れてしまう、道内ではあまり見かけないパターンの哀愁漂う国道である。
狭い幅の道は集落を抜け、田んぼの中を抜けてゆく。真っ赤に拡がる田んぼの彼方には、真っ青な旭岳が見えていた。いよいよ美瑛にやってきたのだ。
ふと気が付くと、電柱や自分の影がずいぶん長くなっている。もうあと少し。
丘陵裾野の薄暗い密林から、谷間の道を丘へ登ると、畑が一気に拡がった。道の下草が刈り取られ独特の道標があちこちに建つ、独特の美瑛そのものの雰囲気まっただ中である。今回は3年ぶりの美瑛だが、かつて1990年代半ば、最終日美瑛というのが私の北海走Tourの常套パターンだった。もうだいぶ昔、JR北海道の「美瑛休暇」という名前のキャンペーンもあり、その響きになんとなくやられてしまった記憶もある。訪問に間が開くと、景色や雰囲気は何かと記憶と少し違う所が時々あるようにも思うが、基本的には懐かしい雰囲気で一杯の美瑛なのである。
もう後は夕陽に照らされて真っ赤に染まる丘をのんびりと、GPSの経路通りに辿ってゆく。宿に続く最後の道からは、再び正面に旭岳が見えていた。これも懐かしく嬉しい美瑛の景色である。
18:10、美瑛ポテトの丘YH着。
美瑛ではほぼ毎回とほ宿の遊岳荘に泊まるのだが、今回は経路の小刷新を図り、少し離れたここを選んでみた。北海道のYHの中でも屈指の人気を誇るらしいこのYH、さすがに雰囲気も設備も食事もヘルパーさんも抜群だ。アットホームな雰囲気はYHというよりペンションに近く、宿泊人数の多さでホテルっぽい雰囲気も漂う。しかし、夕食時にペアレントさんからのいろいろな説明があるところは、やはりYHそのもの。何ともステキなYHだ。
夜、寝る前に外に出てみると、一面の星空である。しかし寝る前なので、もうコンタクトレンズは外してしまっていて、ゴージャスな輝きをぼんやりとしか眺められないのが残念だ。せめて宿の灯りと前庭の木立から逃れ、真っ暗な宿の前の道へ出て少し星を眺めてみた。
夜風の涼しさが気持ちいい。等としばらく闇と涼しさに浸っていると、意外にもカが多いのに気が付いた。というか、既に足が何カ所か刺されている。早く部屋に戻ろう。
明日はいよいよ最終日。天気予報は午後から雨、それまで空気を読みつつ、行けるところまで行くだけだ。しんどければ、早めに撤退してしまう方がいいかもしれない。
記 2011/12/15
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