仁宇布→(道道49)辺渓
(以上#9-1)
→(道道252他)瑞和→(国道40)南
→(市道・林道)瑞穂→(道道688)母子里
(以下#9-3)
→(国道275)幌加内
(以下#9-4)
→(道道48他)下幌加内→(道道72)共和
→(道道915)嵐山→(道道98)江神橋
(以下#9-5)
→(市道他)西御料→(国道237)西聖和
→(国道452)五陵→(農道)大村
170km
RIDE WITH GPS
辺渓からは道道252で智北、智恵文を経由。
国道40の交差点までは去年通った道だが、今年は国道40へ。
名寄バイパスへ車が流れてしまって静かな国道から、更に静かな南への町道へ、智恵文川に沿って入り込む。空の雲は再び低くなり、雨すらぱらついていた。
ツーリングマップルには、この先にややつづら折れっぽい道が投げやりに描かれている。その投げやりな曲線がやや気に掛かったが、この道を通ると、名母トンネルから母子里へ抜ける道道688へのショートカット効果があまりにも高いのであった。私も一応学習能力は少しはあるので、こういう投げやりに描かれた道の場合、まず確実に何かやばい雰囲気が漂っていることは感じてはいる。だから事前に「ここでこちらへ曲がらなければならない」とは、何となく明確には決められなかった。
結局その場所へ来ても、どうしよう、まだ時間はあるし行っちゃえ、ぐらいの軽い気持ちで曲がったのだった。
谷間を進み、道の登り基調がやや鮮明になり出した辺りで、農家の方が一家総出で作業をされていた。この先の道の状況を尋ねると、ダートらしい。やはりダートが来たか。確かに1/5万図では、この道が黒の単線になっているのはわかってはいた。でも、自転車なら行けるねえ、ということで、最後の「ねえ」のニュアンスが気になったものの、「熊はいないよ」とのお話しが決め手になった。
やがて道は砂利ダートに変わり、辺りは森になった。森に入ってすぐ、ややわかりにくい分岐で分岐を見逃し、再び辺りが開けた牧草地を押し上げの後、やはり行きどまりに。GPSを持っていたのに。一応1/5万にも載っている道なのだが、現状は廃道っぽい。正面の森の奥に、かすかに、しかし確実に車の通る音がするのが始末が悪い。
しかし、「自転車は通れるねえ」ぐらいの道があるはずなのである。少し戻ってみると、さっき見逃した分岐を発見。
その後はしばし薄暗い森の中、アップダウンとつづら折れの林道が続いた。やや心細い気持ちではあるが、もう等高線も曲がり具合も1/5万図の通りである。途中枝を巻き込んで、前ガードがひしゃげるトラブルはあったものの、無事道道688に合流できたときには嬉しかった。
幅の広い舗装道路の頭上は、いつのまにか雲が切れ、濃い青空が拡がり始めていた。そして青空の下には、名寄盆地が広々と拡がっていた。
▼展望180° 道道688 名寄盆地を見下ろす
道道688の峠部分は、「名母トンネル」だ。1992年開通と新しいだけあり、全長は前後のスノーシェッドを加えると2kmを越える。名寄・母子里で名母、かつての深名線のトンネルが名寄・雨竜の「名雨トンネル」だったことを思い出させてくれる。
道道688起点の名寄盆地からトンネルまで標高差約300mの山腹登りだが、母子里側は140mの谷間の下り。景色もかなり違う。今日はそのどちらも青空の下、緑の中を走れる喜び一杯の道である。
▼動画57秒 道道688 母子里到着
谷間の先が開け、小山に囲まれた狭い盆地が現れた。9:35、母子里着。
母子里には、かつて北海道へ来たら必ず訪れていた時期があった。初めての母子里は、2度目の北海道鉄旅行。深名線の、かなり長く暗い森の峠越えと名雨トンネルの後、静かで適度に明るく開けた緑の盆地との衝撃の出会いだった。その後、1日だけだったが農場のアルバイトもさせていただいた。その年母子里の丘を描いた鉛筆細密画は、学校の課題で一番評価の厳しい先生に激賞されていた(と友人から聞いた)。冬にも何度か来ている。
それが気が付いてみれば、2005年以来6年ぶりの母子里なのであった。もう日差しが眩しく熱いので、日陰に入って辺りを見回してみる。久しぶりの母子里、車1台来やしない国道275の交差点。ホクレンのスタンド、萬屋、小中学校跡の広場、北大演習林の森、もう何年も前に無くなってしまったとほ宿の跡、記憶より高くなった気がする木々。みんなそれなりに6年ぶりの時を経ている。またいつか。
▼動画30秒 展望360° 母子里の交差点
記 2011/12/15
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