仁宇布→(道道49)辺渓
(以上#9-1)
(以下#9-2)
→(道道252他)瑞和→(国道40)南→(市道・林道)瑞穂→(道道688)母子里
(以上#9-2)
(以下#9-3)
→(国道275)幌加内
(以上#9-3)
(以下#9-4)
→(道道48他)下幌加内→(道道72)共和→(道道915)嵐山→(道道98)江神橋
(以上#9-4)
(以下#9-5)
→(市道他)西御料→(国道237)西聖和→(国道452)五陵→(農道)大村
170km ルートラボ
起きると4時、荷造り開始だ。広めの部屋にカメラ関係を店開きしているが、とにかく素速く片付けてしまえ。今朝は5時半から朝食が食べられる。しかもファームイン・トントの窓の外には牧草地が拡がっていて、仁宇布下手の山々が一望できる。はずだった。
食堂に降りてみると、窓の外は一面の濃霧。視界は50mぐらいしか無い。まあ霧だって夏の北海道の大切な景色なのだ。ここは有り難く朝食と霧の景色両方を楽しまねば。
今日の行程は美瑛まで。経路は一昨年通った下川・岩尾内湖・愛別経由か、母子里・朱鞠内湖を経由してから去年通った添牛内・幌加内・江丹別峠経由か、今朝までずっと悩んでいた。夕べの天気予報は、朝のうち雨でその後晴れ。果たして天気予報通りではある。最初はなるべく山間に向かいたくない。下川方面と朱鞠内湖のどちらが山間かは甲乙付けがたいが、里に近いのは朱鞠内湖だし、まず美深盆地に降りることになるので、条件はいい。しかも、母子里と朱鞠内湖は、思えば2005年以来訪れていないし、去年断念したコースでもある。ならば、今日は母子里と朱鞠内湖経由に決定だ。
という具合に、もはやいつ訪れたかだけでコースが決まるほど、私のコースはマンネリなのである。でもやっぱり国道40を通りたくないので、旭川方面へはこんなコースになってしまうのである。
朝食をたっぷり戴いてから霧の中の前庭に自転車を下ろし、ゆっくり荷物を積んで、6:15、仁宇布発。
ファームイン・トントが建つオホーツク沿岸部との境の山裾はまだ薄暗い霧のまっただ中だったが、仁宇布中央の道道120と60の交差点に近づくと、空の中が明るくなり始めた。
霧の中を道道60へ進み、美深方面へ下り始めると、有名なトロッコ線と併走する辺りから視界が晴れ、トロッコ線の転回所辺りでは完全に霧がなくなった。
美深盆地へ下りきるまで20km強、標高差200m。谷の雰囲気は山深く険しいものの、下り斜度はかなり緩い。しかし、この谷を延々遡って仁宇布で終着となっていた旧国鉄美幸線の単行気動車にとっては、なかなかの勾配路線だっただろう。
もし仁宇布から先へ路線が延びていたとしたら、何か新たな展開はあったのだろうか。昨日歌登から延々美幸線の未成線に沿ってきたが、枝幸への道程がやや便利になるぐらいで、何も無さそうな気はする。だって紋別、浜頓別への路線ですら廃止になったのだ。
エンジンを唸らせて谷間を遡っていく単行気動車を想像しつつ、時々だだっと下る以外はすっかり斜度の落ち着いてしまった森の道をてれてれ下ってゆく。雲の中は次第に明るくなっていて、灰色から陽の色に変わりつつあった。
去年の濁流を思い出し、橋の上からペンケニウップ川をのぞき込むと、さすがに今年は水量は少ないが、多くの流木がいろいろなところに引っかかっていた。
下っても下っても、谷間の先に新しい山が現れて、なかなか谷間は終わらない。20kmは長い。それでも最後に小さな発電所を過ぎ、拡がった谷間が一面のソバ畑になった。美深に降りてきたのだ。7:10、辺渓着。
辺渓からは道道252で智北、智恵文を経由。
国道40の交差点までは去年通った道だが、今年は国道40へ。
名寄バイパスへ車が流れてしまって静かな国道から、更に静かな南への町道へ、智恵文川に沿って入り込む。空の雲は再び低くなり、雨すらぱらついていた。
ツーリングマップルには、この先にややつづら折れっぽい道が投げやりに描かれている。その投げやりな曲線がやや気に掛かったが、この道を通ると、名母トンネルから母子里へ抜ける道道688へのショートカット効果があまりにも高いのであった。私も一応学習能力は少しはあるので、こういう投げやりに描かれた道の場合、まず確実に何かやばい雰囲気が漂っていることは感じてはいる。だから事前に「ここでこちらへ曲がらなければならない」とは、何となく明確には決められなかった。
結局その場所へ来ても、どうしよう、まだ時間はあるし行っちゃえ、ぐらいの軽い気持ちで曲がったのだった。
谷間を進み、道の登り基調がやや鮮明になり出した辺りで、農家の方が一家総出で作業をされていた。この先の道の状況を尋ねると、ダートらしい。やはりダートが来たか。確かに1/5万図では、この道が黒の単線になっているのはわかってはいた。でも、自転車なら行けるねえ、ということで、最後の「ねえ」のニュアンスが気になったものの、「熊はいないよ」とのお話しが決め手になった。
やがて道は砂利ダートに変わり、辺りは森になった。森に入ってすぐ、ややわかりにくい分岐で分岐を見逃し、再び辺りが開けた牧草地を押し上げの後、やはり行きどまりに。GPSを持っていたのに。一応1/5万にも載っている道なのだが、現状は廃道っぽい。正面の森の奥に、かすかに、しかし確実に車の通る音がするのが始末が悪い。
しかし、「自転車は通れるねえ」ぐらいの道があるはずなのである。少し戻ってみると、さっき見逃した分岐を発見。
その後はしばし薄暗い森の中、アップダウンとつづら折れの林道が続いた。やや心細い気持ちではあるが、もう等高線も曲がり具合も1/5万図の通りである。途中枝を巻き込んで、前ガードがひしゃげるトラブルはあったものの、無事道道688に合流できたときには嬉しかった。
幅の広い舗装道路の頭上は、いつのまにか雲が切れ、濃い青空が拡がり始めていた。そして青空の下には、名寄盆地が広々と拡がっていた。
▼展望180° 道道688 名寄盆地を見下ろす
道道688の峠部分は、「名母トンネル」だ。1992年開通と新しいだけあり、全長は前後のスノーシェッドを加えると2kmを越える。名寄・母子里で名母、かつての深名線のトンネルが名寄・雨竜の「名雨トンネル」だったことを思い出させてくれる。
道道688起点の名寄盆地からトンネルまで標高差約300mの山腹登りだが、母子里側は140mの谷間の下り。景色もかなり違う。今日はそのどちらも青空の下、緑の中を走れる喜び一杯の道である。
谷間の先が開け、小山に囲まれた狭い盆地が現れた。9:35、母子里着。
母子里には、かつて北海道へ来たら必ず訪れていた時期があった。初めての母子里は、2度目の北海道鉄旅行。深名線の、かなり長く暗い森の峠越えと名雨トンネルの後、静かで適度に明るく開けた緑の盆地との衝撃の出会いだった。その後、1日だけだったが農場のアルバイトもさせていただいた。その年母子里の丘を描いた鉛筆細密画は、学校の課題で一番評価の厳しい先生に激賞されていた(と友人から聞いた)。冬にも何度か来ている。
それが気が付いてみれば、2005年以来6年ぶりの母子里なのであった。もう日差しが眩しく熱いので、日陰に入って辺りを見回してみる。久しぶりの母子里、車1台来やしない国道275の交差点。ホクレンのスタンド、萬屋、小中学校跡の広場、北大演習林の森、もう何年も前に無くなってしまったとほ宿の跡、記憶より高くなった気がする木々。みんなそれなりに6年ぶりの時を経ている。またいつか。
▼動画30秒 展望360° 母子里の交差点
9:50、母子里発。
前述の牧場バイトの丘、鉛筆細密画の丘などを眺めつつ、順当に朱鞠内湖岸へ。
空にはやや雲は多いものの、すっかり晴れ基調。湖の南岸へ向けて僅かに登り基調の程良いアップダウンが続く。
▼動画32秒 国道275 朱鞠内湖畔の森
白樺の森の向こうに、時々開ける真っ青な湖面、その奥に聳える奥羽幌の山々は、まるで別世界のように明るく鮮やかで、しょっちゅう脚が止まる。6年ぶりだったが、こちらに来てほんとに良かった。
▼動画55秒 国道275 湖南の台地広々
広々とした湖南の台地から湖岸区間最高地点の丘を過ぎ、国道275は朱鞠内へ下り始める。途中では旧深名線湖畔駅周辺が眼下に広がる。
▼展望180° 国道275 湖畔の集落が拡がる
かつての私の定宿「しゅまりの宿」があったこの谷間、やはりここでも牧場バイトをさせていただいたことがあり、25年経って見下ろす谷間の景色が感慨深い。やはり6年ぶりの木々は、ボリュームが増えているような気がする。
朱鞠内に下ってからは、雨竜川の谷間の下り基調。悲惨な建設の経緯から「出る」と噂の高い朱鞠内トンネルをびくびくしながら抜けると、現れた谷間に一面白緑色のソバ畑が拡がった。これから40kmぐらい断続する、幌加内のソバ畑が始まったのだ。
大学から添牛内では、国道239と短い併用区間で離合する。
人気の蕎麦屋「ほろほろ亭」の賑わいを眺めつつ、11:35、添牛内発。
去年15時前にここを通過して、旭川に19時に着けた。途中あまり休まなかった記憶があるが、もし同じペースで進めれば4時間ちょっとで16時前、少し余裕を見ても16時。今日の宿「美瑛ポテトの丘YH」の夕食に間に合う、18時頃の到着が射程距離に入って来た。
▼展望180° 国道275 拡がるソバ畑
ちょっと安心して眺める、眩しい光の中のソバ畑、白樺の森。間近に迫る奥羽幌の山々を背景に一直線の道、その頭上に真っ青な空に元気な雲がもくもくと、勢いよく泳いでいく。
日差しと照り返しがじりじり熱く、まだ道北とはいえ昨日よりずっと南へ来たのを実感する。
添牛内の次は政和の谷間だ。
森、畑のやや分節的な空間がやや狭かった添牛内と比べ、段丘を下る途中でいきなり拡がる政和の谷間には一杯に白緑のソバ畑が拡がり、その静かな拡がりは大変感動的だ。
▼動画41秒 国道275 政和盆地着陸
政和の谷間一杯のソバ畑の中、国道275は一直線に南下してゆく。
少しだけ商店などもある政和の集落を通過し、また眩しいソバ畑の中を過ぎ、道の駅「せいわ温泉ルオント」に到着。
時間に余裕があるので、ここで少しお土産関係とソフト、ついでに給水もこなしておく。走っていないと暑い。ましてや木陰の無い国道275。
幌加内までもうひとっ走りだ。雨煙内まではまたもや狭い谷間、というより渓谷に近い切り立つ崖地もあり、あまり空間は開けない。
道が谷底に降りるとともに前方が開けると、いよいよ幌加内盆地だ。
▼動画1分13秒 国道275 上幌加内到着
さすがに幌加内町の中心部だけあり、母子里からのどこより谷が抜群に広い。盆地というより平野と呼びたい開放感すらある。その盆地一杯に、田んぼが拡がっている。もう北海道もすっかり米の名産地の一つになっているが、ここ上幌加内の田んぼは、ソバ畑とともに幌加内の象徴的な風景だと思う。
辺りが開けると、向かい風が気になり始める。田んぼが登場してからが長く感じられるが、町営蕎麦工場が登場するともう幌加内市街の手前だ。
13:15、幌加内着。幌加内町が日本中に誇る蕎麦が大変気になる時間帯だが、もうこのまま行ってしまおう。今回も結局蕎麦はお預けだな。
次は江丹別峠だ。
取り付きまでは10km、近年のメインルート、白緑のソバ畑が一面に拡がる、弥雲内、沼牛の丘を経由。
▼動画1分4秒 弥雲内の丘
少しずつ高度を上げ始める登り基調に、例によってペースがあまりにがくっと落ち、我ながら笑ってしまう。しかし、緩やかに起伏した丘に続くソバ畑、田んぼ、再び谷間に迫り始めた周囲の山々が非常に美しい。赤とんぼも飛び交っている。
交通量も少なく、静かな景色に時々足を停めて見入ったり写真を撮るのが楽しい。幌加内蕎麦は残念だったが、ここで時間の余裕がある方が絶対いい、と思い直す。
等と思っていると、一番楽しみだった山裾の細道だけ、低く漂う雲に回りが翳ってしまったりする。
まあでも、今年もこのソバ畑を青空と共に眺められて良かった。
江丹別峠への道道72では、登り始めの取り付き部分が工事中だった。看板の完成イメージ図によると、途中以降はともかく取り付き部分の経路がだいぶ変わり、拡幅もされるようだ。昔ながらの道道の、やや古びた表情だったこの道も、次第に今風に変わってゆくのだ。とりあえず取り付き部分が少し楽になるのは有り難い。あまり標高差は無いのに、なだらか下り基調の幌加内盆地後の登りなので、いつも何か足に堪える印象があるのである。
工事区間には一部ダートも登場したものの、その後はいつも通り。
木陰の無い路上にお昼の日差しは容赦なく降り注ぎ、木陰の無い照り返しがじりじり暑く、だらだらの登りをえっちらおっちらてれてれ登る、しんどい江丹別峠だった。
峠の向こうはもはや旭川市。
稜線から山腹へ、拓北のソバ畑を見下ろして谷底へ、緩い下りがつづら折れ無しで長く続く。
下りきって森が開けると、辺りは田んぼとソバ畑の美しい静かな景色だ。江丹別も蕎麦が有名なのである。
しかしさすがに道内屈指の暑さの旭川市内、ましてや道北の仁宇布からやってきて、何だか一気に暑くなったように感じる。風も何だかぬるく、笑ってしまうほど。またこっちの世界に帰ってきた気になる。
道ばたの牧場ソフト売店に少し足を停める。近年の過去の通過では早朝や夕方で、もうお店が閉まっていたので、ずっと気になっていたのだ。ソフトを1本所望したところで、先客の地元おじさん風の方がにこにこしながら「ごちそうします」とのこと。有り難い、そしてとてもオイシイ。何でも旭川からご夫妻でよく江丹別のソバ畑を見にやって来て、大体ここでソフトを食べて帰って行くとのこと。
江丹別中央、共和、嵐山。道道72から道道915に乗り換えて続く谷間はやや狭く、あまり景色も開けない。
もう旭川まで下ってしまうだけの15km、淡々と進むには距離も長く、さすがに旭川郊外でここまでの道北の田舎道に比べ車も増え始める。
いつもやや退屈な気分になってしまい、なんとなく道と谷間に悪いなとは思うが、一方でそもそも旭川のような大都市にこれだけ近づいているのだ。と改めておもうぐらいに、旭川からの距離にしては都会っぽさをあまり感じない景色が続く。
石狩川を渡る江神橋までその田舎の景色は続くが、橋の向こうから急に旭川市街が始まる。この時点で16:00。
美瑛到着希望時刻まであと2時間。過去旭川を通過してそのまま美瑛に向かったパターンは、何と1986年まで遡る。距離的には30km強、まあ大丈夫じゃないかとは思うものの、信号が多い市街地通過に何かと時間が掛かるはず。去年は江神橋から旭川駅前のホテルまで、コンビニ立ち寄り込みで30分もかかってしまったのだ。
今年は近年の経験を活かし、石狩川から美瑛川の自転車道へ。
途中の乗り換えでは市街地迷走気味だったが、基本的には車のいない快走路で、土手の景色や市街の見晴らしもいい。
とある旭川出身の知人が、「旭川は町としてまとまりの良い規模である」と言っていたことを思い出しながら、赤くなってきた日差しの中、住宅地から文教地帯、公共施設、やや遠望気味の市街中心部などを眺める。
のんびりと良い気分だ。さすがに川沿いで夕方、今日もだいぶ涼しいと感じられる気温になってきた。
自転車道から降りた後、どうせほんの少しだと思って、美瑛丘の裏手まではあまり経路のイメージが無かった。というより、幹線道路の国道237しか選択肢が無いのを、何となく真面目に考えたくなかったのだ。実際にその場所に来ると、やはり予習通りに国道237を通らざるを得ない状況がそこにはあり、仕方無く息を止め、間近に通過する車に我慢しつつ数km。1986年は旭川市街から全部この道だったことをふと思い出す。
17:00、千代ヶ岡着。少しだけセイコーマートで最後の休憩と、明日の食料を仕入れておく。
西聖和からは国道452へ。国道とは言え先の国道237とは大違いの、交通量の少ない田舎道だ。おまけに美瑛裏手の丘から、なんだか山の中に入り込んで途中で途切れてしまう、道内ではあまり見かけないパターンの哀愁漂う国道である。
狭い幅の道は集落を抜け、田んぼの中を抜けてゆく。真っ赤に拡がる田んぼの彼方には、真っ青な旭岳が見えていた。いよいよ美瑛にやってきたのだ。
ふと気が付くと、電柱や自分の影がずいぶん長くなっている。もうあと少し。
丘陵裾野の薄暗い密林から、谷間の道を丘へ登ると、畑が一気に拡がった。道の下草が刈り取られ独特の道標があちこちに建つ、独特の美瑛そのものの雰囲気まっただ中である。今回は3年ぶりの美瑛だが、かつて1990年代半ば、最終日美瑛というのが私の北海走Tourの常套パターンだった。もうだいぶ昔、JR北海道の「美瑛休暇」という名前のキャンペーンもあり、文字の響きになんとなくやられてしまった記憶もある。訪問に間が開くと、景色や雰囲気は何かと記憶と少し違う所が時々あるようにも思うが、基本的には懐かしい雰囲気で一杯の美瑛なのである。
もう後は夕陽に照らされて真っ赤に染まる丘をのんびりと、GPSの経路通りに辿ってゆく。宿に続く最後の道からは、再び正面に旭岳が見えていた。これも懐かしく嬉しい美瑛の景色である。
18:10、美瑛ポテトの丘YH着。
美瑛ではほぼ毎回とほ宿の遊岳荘に泊まるのだが、今回は経路の小刷新を図り、少し離れたここを選んでみた。北海道のYHの中でも屈指の人気を誇るらしいこのYH、さすがに雰囲気も設備も食事もヘルパーさんも抜群だ。アットホームな雰囲気はYHというよりペンションに近く、宿泊人数の多さでホテルっぽい雰囲気も漂う。しかし、夕食時にペアレントさんからのいろいろな説明があるところは、やはりYHそのもの。何ともステキなYHだ。
夜、寝る前に外に出てみると、一面の星空である。しかし寝る前なので、もうコンタクトレンズは外してしまっていて、ゴージャスな輝きをぼんやりとしか眺められないのが残念だ。せめて宿の灯りと前庭の木立から逃れ、真っ暗な宿の前の道へ出て少し星を眺めてみた。
夜風の涼しさが気持ちいい。等としばらく闇と涼しさに浸っていると、意外にもカが多いのに気が付いた。というか、既に足が何カ所か刺されている。早く部屋に戻ろう。
明日はいよいよ最終日。天気予報は午後から雨、それまで空気を読みつつ、行けるところまで行くだけだ。しんどいければ、早めに撤退してしまう方がいいかもしれない。
記 2011/12/15
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