東祖谷京上→京柱峠→豊永→本山→小松 75km
https://ridewithgps.com/trips/119621102
まだ暗い内から裏手の祖谷川の瀬音もカジカの声も賑やかだ。昨夜音がするほどの雨が降ったような気もする。四国は夜明けが明らかに東京より遅い。5時過ぎでやっと明るくなり始める。1時間とは言わないが、40分ぐらいは遅いかもしれない。その明るくなり始めた空が、ここ2日ついぞ見なかった色になっている。真っ青なのだ。雲一つ無いという以上の、まだそんなに明るくないのに光が漲る夜明けの空だ。
起きたばかりの段階では、流石に疲れは感じられない。それならと思って準備してある2コースのうちの長めコースを確認してみた。全体的には祖谷渓を下って愛媛県の山中でしばし平坦に近い状態で進み、おもむろに900mの白神隧道を越えて今日の宿があるさめうら湖の早明浦ダム下手に出る。獲得標高差は丼勘定で1500mぐらいに収まる筈、そう心配することは無さそうに思える。しかし、新宮ダム・柳瀬ダム周辺のアップダウンを過小評価しているかもしれない。こういう小さいアップダウンが疲れているときにはてきめんに効いて、予定通りに宿に着けないという事態が起こるのだ。しかもこちらのコースには商店など無く、脚を踏み込んでしまえばリカバリーが難しい。ここは無理せず、京柱峠を経由することにした。更に言えば、南側の標高800mの赤荒峠越えなど止めて、本山経由の最短コースにしておくのがいいかもしれない。
7:35、京上発。集落の旧道でまずは祖谷渓谷分岐の新居屋へ。こちらの居屋は祖谷とは違う文字を使っているのが面白い。
分岐近くで京上をバイパスした与作の新道が合流してきた。合流点に「京柱トンネル新規開通促進」等という看板が掛かっていて、前回2004年にこの風景と看板を眺めたことを思いだした。
再び細道となった与作は、京柱峠へ向けて登り始める。森の中を緑色に明るく彩る木漏れ日は、この2日間見ることは無かったものだ。この段階で早くも、2回目の京柱峠が素晴らしい訪問になることを実感した。2001年はそもそも霧が濃く、麓から峠のどこも何も見えなかったのだ。
登りが始まると共に、相変わらず疲れていることも実感した。森の中、木漏れ日の緑色の光の中で息が切れ、しばし立ち尽くす。登れなくなっているとは言えこういうのは悪くない。短縮コースとはいえ京柱峠に来て良かったと、また思った。
森が開けた樫尾の集落では、山中に京柱トンネルらしき工事現場が見えた。或いは与作新道などではなく、何かの高速道路かもしれない。
それ以上に、何と崩落復旧工事通行止めの標識が現れて驚かされた。出発前に県道クラスは通行止めをチェックしていたのだが、確かに国道は見過ごしていたかもしれない。看板には迂回路が示されていて、これがまた与作の距離半分以下ぐらいのつづら折れ3段で、峠近くまで登ってしまう道のようである。多分ほぼ全区間きりきり登る道なんだろう。そして核心の工事区間は、林道合流点のすぐ手前であるようだった。与作とは言え大の国道が白昼堂々通行止めになってはいるものの、何にしても迂回路が示されているのはまあ良心的だとも言えるし、迂回路があるから国道を通行止めにして工事できているのだろう。それが公共の福祉というものであり、自転車で通行する物好きの都合はやはり二の次になってしまうことは、物好きの私にも理解できる。
実際には目の前の迂回路方面に、20%に迫るような激坂が早くも登場している。集落の道なのに路面もコンクリート舗装だよ。などとと思いながらもう早々に押してしまう。
集落の中では途中で風景が開け、ますます斜度の激しい坂が続いているのがよく見えた。これが今回の京柱峠なのだ。
そして集落上手で一旦斜度は落ちつき、水平に斜面を横切った後つづら折れの3段目が始まり、更に斜度を増したコンクリート舗装の激坂が森の中に続いた。
これで午後の15時過ぎだと精神的につらいものがあるが、まだ8時台。のんびり明るい陽差しの中を、脚を停め停め休み休み延々と押してゆくワタクシなのであった。
しかし斜度は厳しい分、距離はそう長くないのが救いではある。
林道が与作に合流した場所では、さっきの案内通りにすぐ下手に工事区間が伺えた。大々的に路盤を掘削して構築し直しているようで、これは通れないね、と実感できた。
峠までの最後の区間では、少し離れた稜線の鞍部にアンテナ鉄塔が見えた。多分そこが京柱峠であり、道はそこまで緩めに登りながら山肌を巻いてゆくのだ、ということがわかった。
10:00、京柱峠着。屋根付の峠名標は以前眺めたとおり独特の佇まいである。それ以上に濃霧の中だった前回と違い、今日の峠は青空の中と言っていい。手前の東祖谷側、行く手の高知県とも、谷閧ヘ新緑に覆われ、真っ青な空の下彼方の霞へ消えてゆく。
前回2001年の記録を読んでみたら、京柱峠に8時半に着いていて驚かされた。東祖谷の菅生から窪川まで1日で走っちゃった日とはいえ、自分の走りとは思えない。今の自分には絶対無理だな。などととても楽しく幸せに振り返ることができる。
20年以上経った今でも5月の旅を全身で実感できることに感謝しながら、峠名標に自転車を立てかけおにぎりを1個。少し休んで高知県大豊町側へ。
東祖谷側の登りと違い、与作の下り斜度がかなり急なのには驚かされた。徳島側と高知側で標高差も斜度も全然違う峠なのである。
稜線部から南小川の谷閧ヨ、森の中を何段ものつづら折れで高度を下げた後、道沿いには急斜面集落がおもむろに現れた。
左要素
その後集落は短い森と交代で断続しながら、ほとんど連続しているかのように続いたのであった。これも東祖谷側との顕著な違いである。下り量も距離もかなり高知県側の方がボリュームがあるせいかもしれない。
時々拡幅区間が現れるものの、基本的には2001年の訪問からあまり拡幅が進んでいないようにも思える。と思っていたら、東居屋側と同じく京柱トンネルらしき道をこちらでも造っているような工事が散見された。
昨日通った東祖谷の与作と共通しているのは、山腹にくねくねと細道が貼り付いていて、基本的にさくさく下れず行程がはかどらないこと。そして下りボリュームも距離も量があること。
集落は大体与作沿いか与作から上にあるようで、所々で与作から上に細道が分岐して登ってゆく。森や斜面の草花、道に貼り付く民家や登って行く道は、谷閧フ空間と共にずっと眺めていたい気にさせる親しげな表情を持っている。そういうものに脚を停めていると、もうやたらと時間が掛かってしまう。
所々に現れていた拡幅区間の割合は道を下ると共に次第に増え、やっと谷底に降り、昔YHをやっていた常福寺を過ぎて、11:30、豊永着。一昨日徳島で眺めた吉野川と再会だ。この段階であまり根拠の無かった希望予定時刻より1時間、いや、1時間以上遅れている。
数km先の吉野川橋まで吉野川の谷閧ノは国道32が続くのだが、ここは天下の2桁国道を避け、2001年にも通った県道113へ。
川岸の森の木漏れ日の中に、対岸の幹線道路とは別世界の静かな細道が続いていった。かと思えば、時々森が開けて小さな集落が現れる。
終始土讃線が間近だったり少し離れたりして並行している様子は、ちょっと去年の元三江線沿線を思い出す。
大田口からは国道32を少し経由して12:00、吉野川橋着。
12時でここか。やはりペースは着々と遅れつつある。GPSにトラックを入れていた南回りのコースはここでショートカット確定、吉野川沿いの県道262へ。
左要素
本山まで約20km、やはり森の中や農村に静かな細道が続いてゆく。森も農村もあまり長く続かず頻繁に入れ替わる、里の道だ。
一応吉野川の上流へ向かっているものの、全体として登っているのか平坦なのかよくわからないぐらいなのが、今日の私には大変優しい。
所々で道は川原に近づき、森が開けて堂々たる吉野川の清流を眺めさせてくれる。その度にさすがは吉野川、などと知ったようなフレーズが頭に浮かぶ。素晴らしい細道だ。
森の木漏れ日、愛らしい集落。途中から対岸に現れる、与作の拡幅済み区間を他人事のように眺めてのんびり進んで行く。
小さな集落が無くならずに点在し、何処までも続くのがいかにも四国らしい。
13:30、吉野川対岸の本山着。
都合良く見つけたファミマに立ち寄りつつ、前回2001年の自分の行動をチェックしてみると、何とここ本山は10:30に通過している。嘘だろ。自分のペースじゃない。東祖谷の菅生出発からして6:15、全体的に時刻が早いとは言えるが、今日7時半過ぎに出発した京上は7時ちょっと前の通過と思われるし、同じく10時到着の京柱峠などは8:30に通過している。30分遅れを勘案しても、今のところその時のペースからもはや2時間半差が付きつつある。これでは焦る気にもならない。
本山からは吉野川に沿って与作から離れ、さめうら湖岸へ続く県道263へ。
与作との分岐にある吊り橋の大きなアーチ梁には記憶がある。そしてその向こうには、早明浦ダムのコンクリート壁が立ちはだかっているのだった。あんな所行くのか、とちょっとびびってしまうその高さを見て、やはり2001年「あんな高い所行かねえよ」などと思いながら次の郷の峰トンネルを目指したことを思い出した。まあ今日はさめうら湖岸に宿があるので仕方無い。
湖岸へのちょっとした登りでも、3回脚を着いてしまうぐらい疲れている。早く宿に着いて休もう。
幸いさめうら湖岸では湖岸の道はほぼ平坦だった。
湖面が青空と午後の陽差しにきらきら輝き、木漏れ日もきらきらと路上空間を緑に照らしている。それでいて暑くなく、大変快適だ。
一体この疲れが明日までに回復できるのか、という私が抱える非常に大きな問題とは全く別に、大変素敵なツーリングである。最終日までこの道が続くといいんだが、そんなことは絶対に起こらないよな。
15:35、大川「旅館筒井」着。さあ、これから全力で休まねば。一寝入りして16時過ぎ、外は西の風がかなり強くごうごう吹き荒れるようになっていた。無理せず早上がりで正解だったかもしれない、と思いつつもう一寝入り。
明日はいよいよ町道瓶ヶ森線の再訪だ。何しろ4年前に訪れているので、粛々と同じペースで進めばいいという安心感はある。ただ問題は、疲れで坂を登るのにしょっちゅう脚を着く必要があるということだ。瓶ヶ森線の終点から宿がある久万高原町直瀬「古岩荘」まではほぼ下り基調。途中100mとか90mの登り返しが2回あるものの、前回は瓶ヶ森先週点の土小屋で12時半(と思っていたが実は13時半だった)。これなら途中かなり休んでも、それほど遅れることは無いだろう、とこの時は思っていた。
何しろ明日の天気予報は降水確率0%の終日激晴れだ。よほど疲れていない限り出発して、粛々と進めば何とかなる。はずだ。
夕食は併設の「食堂 筒井」でカツオたたきに土佐鶏唐揚げ、山菜の煮物など大変美味しい。前回も猪鍋が出たことを思い出す。村役場の隣に建つこの宿、大川村のパレスホテル的ポジションの宿とも言える。
記 2023/5/28
記 2023/
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