四国Tour23#2
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昨夜ものすごい音とともに降り続いた雨は、天気予報通り朝までには止んだようだった。木屋平川井「つるぎの湯 大桜」の宿直のおじさんは実は宿の重要人物のようで、朝食の準備に参加していたり、ちょっと早めに着席した私に話しかけてくれるのであった。昨日の夕食で蕎麦の実のお汁がとても美味しかったお礼を伝えると、他にも木屋平は剣山からの水が美味しいとのこと。なるほど、それも昨日の夕食で感じていたことだった。
野菜が多く大変助かる朝食を頂き、7:25、雨上がりの木屋平川井「つるぎの湯 大桜」発。宿からすぐ下手の川井の集落へは下らず、まずは山中の与作へ合流する林道へ。
初っぱなの林道アップダウンの厳しい斜度に息が切れ、出発早々しょっちゅう立ち止まり、明らかに15%以上だなと思ったところで押しを入れた。昨日の疲れが残っているかもしれない。足下を見ると、サワガニが路上を歩いている。四国の山間細道ではよく出会う生き物だ。踏んだりしないよう気を付けねば。
少し登って与作に合流。宿の前から直接川井に下ってしまえば楽だったものを、わざわざ与作へ合流して登り返したのには訳があった。2004年に与作から川井峠へ登った時に眺めた国道492と与作の分岐を通って、国道492へ向かいたかったのだ。
その分岐は国道の分岐にしては大変あっさりと、行き先を示す国道の青看板だけが二つの道が国道であることを示していた。単純さというより思い切りの良さがいかにも四国山中の細道国道分岐らしくて、印象に残っていたのだ。川井峠への登り区間にあったのでより印象的だったかもしれない。
2004年に眺めた大変あっさりした分岐は、しかし今回幅広の新道が追加されていて、以前の細道国道が山中で分岐してゆくちょっと不思議な光景とは異なる、今風のニュアンスを醸していた。むしろそれより、新道の橋から眺める川井の谷間が、切り立った高い山肌に囲まれて深く落ち込み、上から下まで民家が点在し、雨上がりの幽玄たる雲が大変見応えある風景を作っている。谷間の川もごうごうと、昨夜の雨のせいかかなり流れが激しい。ここまでの細道区間からは見間違うような拡幅新道の与作が、もう少し先で見ノ越に取り付くべく谷を豪快に登ってゆくのもよく見えた。
国道193で明るい新緑の谷間を下ってゆく。
川井は標高390m、県道255に分岐して登り返しが始まる穴吹町宮内は標高80m。この間大きな登り返しは無い。下り基調が続く国道493では、しかしあまりペースが上がらない。岩場に貼り付くような細道区間が多く、路面が濡れていて、あまり速度を出せないのである。
だいたい20km/hとかそれ以下でそろりそろり、こよなく美しい新緑のトンネルや谷間を、ウォッシュボードもごく普通に現れる細道で下ってゆく行程が延々と続いたのであった。
尚、並行する穴吹川の渓谷は、昨夜の雨で終始濁流状態。のみならず、この日通った全ての谷間で、谷底の川が迸る濁流となっていた。朝までに雨が止んでくれて本当に助かった。
穴吹川区間では 「恋人峠」という地名とそのいわれの看板を見かけた。深い谷間まっただ中の、余程の岩場だったのかもしれないなどと想像させられた。
9:10、穴吹町宮内着。計画時にストリートビューで商店が無いのは確認済みだ。正直、ここには8時半過ぎには着けるものと思っていた。まあ、30分遅れだしまだ深刻な遅れじゃない。
県道255へ分岐し、軽く400mちょっと登り返して稜線を越え、見ノ越へと続く国道438の谷に降りる。
麓の集落から森の中、そして山間の集落から再び山腹の森へと、県道255はぐいぐいと高度を上げてゆく。
メインイベントの国道438見ノ越の前にちょっと登り返しに寄ってみたつもりだったのに、通ってみれば登り10%以上となかなか厳しい斜度が続く。昨日「四国の峠は大体7%でしょう」などと知ったかぶりをした罰が早くも当たったと思った。
そしてこういう登り返しで、私は時々脚を着くようになっていた。グリーンラインでは獲得標高1500mまでこういうことは無い。
昨日の疲れが出ているのか、それとも荷物が多いのか。等と考えても始まらない。幸い行程には余裕がある。
そして峠を越えた貞光側の山間集落の眺めは苦労に値するものだった。
なかなか谷底に降りてくれない下りに、少しじれったい気分にもなった。
10:30、貞光皆瀬川向で国道438に合流。もう1時間ぐらいは早く着けると思っていた。まあ、まだ十分許容範囲内だ。
少し商店で休憩してから、ここから淡々と登ってゆく国道438へ脚を進めてゆく。
皆瀬川向から少し幅広の道が続いた国道438は、すぐに朝下って来た国道492とよく似た表情のかなり細い道となった。
旅館や民家が谷間に賑やかな長瀬で一旦道は拡がったものの、その先は再びかなり細くなった。
貞光川の切り立つ深い谷底に、新緑の森と国道438が延々と続いてゆく。ところどころで現れる集落は、道端と切り立つ斜面に密度濃く張り付いている。四国の細道国道のイメージそのものの風景が、入れ替わり立ち替わり現れていた。
今日は貞光川が昨夜の雨で迸り、相変わらずしっとり濡れる路面と共に渓谷全体の印象を厳しくしている。
そして少なくとも見ノ越への山肌に取り付いてからおもむろに登り始めると勝手に思い込んでいた道の斜度は、長瀬を過ぎると少し上がった。それは私のペースを想定より遅めるに十分な斜度であり、この先見ノ越への1300m以上の登りにおいてプロフィールマップの斜度変化の通りなら、かなり手前から段階的に想定外の斜度が待ち構えていることが確信できる斜度である。
予想通りに11:40、谷底に役場や民家が集中する一宇で、道に迫る民家の佇まいとは裏腹に斜度は5〜6%位ぐっと増した。そして12:30、河内で斜度は更に上がった。
道が次第に渇き始めているのは有り難い。そしてたまに、雲が薄くなっているのか、何となく陽差しの色を思い出すような明るさが風景全体に現れ始めていた。
13:00、葛籠着。標高610m。つづろと読むだけあり、つづら折れの途中の急斜面集落である。地図をよく見れば、道の線形もそれに対応しているような地名も見落とすことはなかったのではないかと思われる。
葛籠の手前、まだ標高500m台だった谷底から、道はぐいぐい700m、800mと登り始めていた。いつの間にか賑やかに頭上を覆い尽くしていた新緑の色は淡く、薄くなり始め、そして空が次第に明るくなり始めていた。今日一杯は曇りのはずだったのが、明日の晴れが早まっているように思う。いいぞ。
とは言え、大分手前からもう100m置き、いや7〜80m置きに脚を着き、少し息を整えるような状況が続いていた。明らかに少し、いや、想定よりかなり疲れている。昨日は800mの川井峠一発だったから、これほど疲れているのはちょっと変だ。歳のせいなのかもしれない。
辺りにはいつの間にか早春の趣が漂っていた。標高が上がって季節が逆行しているのだ。
15:40、スキー場通過。標高1350m。最高地点まであと100mちょっと。ここまで脚を着いては休みながら登ってきているせいで、たかだか700mに2時間半もかかっている。かなり余裕を見込んだ行程のお陰で、これでも何とか最低限夕食には間に合うだろうとは思われる。
■一旦斜度が落ちついてくれたのは有り難かったが、引き続き国民宿舎まで道は更に最後の登りとなっていた。
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16:10、ラ・フォーレ剣山前着。標高1454m。ここが本日の最高地点である。手持ちの地形図には国民宿舎と描かれているので、ついさっきまで国民宿舎を目指していた。でも麓から頻発していた「ラ・フォーレ剣山」の看板に、あれは国民宿舎のなれの果てかもしれないなどと思ってもいた。
与作最高地点の見ノ越へ、山中からいきなり下って来て合流する国道438の、ここが最高地点なのだ。2004年に与作から見ノ越を登り、国道438には少しびびっていただけに、ぼろぼろの到着ではあるものの長年の宿題が果たせて大変嬉しい。
気が付くと、というよりもう大分前からかなり冷えている。登りの発熱が無くなればやってられないほど寒くなりそうだ。レインジャケットを上下着込み、下りに備えることとする。標高600mちょっとの宿まで800m。
くるっと稜線を回り込むと、剣山を囲んで彼方へ続いてゆく稜線と、山肌に囲まれた空間が一気に拡がった。山々は新緑一色というより、明らかにまだ葉が出揃っていない早春の趣だ。そのちょっと寒々しいような山々に囲まれ、西へ開けて続いてゆく谷間とうっすら雲が拡がった空が、赤っぽくなり始めた夕方の光で一杯になっている。以前剣山の裏側の剣山スーパー林道で、こんな風景を眺めて「まだ続くのかよ」などと思っていた事を思い出させてくれた。
稜線近くに国道438の細道は張り付いて、見ノ越まで下ってゆく。山肌に沿って道が向きを変えると共に、山々の眺めは刻一刻と変わってゆく。全体的に春というより早春の、ちょっと寒々しいような眺めであると共に、2004年に与作側から登ってきて見ノ越手前で眺めた、国道438に漂う厳しい雰囲気の秘密が納得できたように思えた。これだけでも国道438訪問の意義があったというものだ。
いや、与作合流まであと少し。転倒などしないように気を付けねば。
16:20、見ノ越着。ここまで想定外に難儀した今日の行程だった。しかし何回か下方修正したタイムリミットの16時半には何とか間に合った。これで宿の夕食時刻には迷惑を掛けずに済みそうだ。
■2004年の訪問を思い出しつつ、今回は国道438側に自転車を立てて写真を撮っておく。宿題の詰めみたいなものであり、大変感慨深い。
短いトンネルを抜けて、木屋平側にも行っておく。
「朝はこっち側の谷間にいたんだよな」などと思いながら見渡す空間は、険しい山肌に挟まれた谷間が稜線を一目散に下ってゆく。与作が稜線に貼り付いて下ってゆくのもよく見える。雄大とか絶景というより、その空中細道っぷりがハードボイルドで怖ろしさすら感じさせる。やはり剣山を挟んだ剣山スーパー林道にも似ているかもしれない。2004年には幅広の新道が豪快に谷間をのたうち下ってゆくのを目の当たりにして、麓まで中尾山に避難したことが印象に残っているが、道が拡がるのはもう少し下った先の風景であり、見ノ越からはしばらく細道が続いていることも思い出した。
16:35、見ノ越発。今まで下って来た国道438がまるで知らないどこかへ消えてゆくように登ってゆくのを見上げつつ、こちらは与作で谷底へと高度を下げてゆく。
しかしこの下りに大きな誤算があった。まず線形がくねくねのため、地図上での見かけ直線距離に比べそもそも距離が長い。
そしてくねくね細道のため、風景に脚が停まる以上に700mの単純下りにしちゃあ全然ペースが出ないのだ。四国毎度のパターンを、3年間のコロナ自粛で完全に忘れていたとも言える。
道は広葉樹林の中に続いていた。時々森が切れて前方の視界が開けると、空は明日の晴れに向かい雲が切れ、早春の趣の谷間全体が弱くも赤い光に満ち始めていた。こういう光を小学生の頃冬の夕方や朝に凍えながら眺め、雲の形にどこか知らない国がそこにあるのではないかと妄想していた。下っても下っても延々と続く谷間の果てが、そういう知らない国に続いてゆくように思える程、道は延々と続くのであった。
早春の山間っぽい雰囲気と共に、たまに現れる奥祖谷かずら橋、名頃ダム湖、かかしの里、前回ランドマークとして眺めていた各ポイント。それらは前回2004年登りで訪れた時の印象とは、まるで違って見えた。そもそも奥祖谷かずら橋、名頃ダム湖はどういう場所だったかまったく憶えていないし、かかしの里も写真で撮った絵面しか憶えていない。
などという気持ちを余所に下りは延々と山中に続き、時刻はどんどん過ぎてゆくにも拘わらず、かかしの里の名頃以降の集落はなかなか現れなかった。
途中2001年に泊まった菅生で少し民家は現れたものの、その先道の周囲はまた山中になってしまった。
その菅生から下りで通った2001年の訪問でも、こんなに下りが長かった記憶は無い。とはいえ後で行程を見直すと、菅生から京上への下りでは今日と極端にペースは違わないことも確認できた。つまり、2001年・2004年とも焦って風景を眺めていなかったのである。そのため訪問の印象が、頭から完全に消えていたのだった。2日とも計画ミスで距離オーバーだったことが第一印象に残っている日だ。詰め込み過ぎの行程のせいで、いかに焦っていたかを改めて実感した。あの頃は体力あったなーとかいうより、何だか自分がかわいそうに思う。そしてこれが20年後のツーリングというものだろうな。まあただ、2004年はその日泊まった某宿が最悪に汚かった衝撃の方が強く、翌朝絨毯に潜むおびただしい線虫に愕然として、道の記憶など全部吹き飛んじゃってたかもしれない。
結局下りで1時間半近く掛かり、17:55、京上「旅の宿奥祖谷」着。夕食予定時刻の18時ぎりぎりの到着となってしまった。宿のご厚意でまずお風呂に入れていただき、夕食は45分遅れ。とにかく目論見違いと想定外の疲れが明日以降への課題となった。
まあ、気を取り直して今日はゆっくり休もう。とはいえ明日も明後日も降水確率0%の激晴れだ。更に晴れ予報は明明後日まで続く。四国Tour史上空前絶後の、晴天3日間が始まるのだった。
明日の宿は2017年に泊まった高知県土佐郡大川村「旅館筒井」。経路は2コースを準備している。祖谷渓谷から徳島県三好市へ下り、愛媛県四国中央市の金切湖を経由する距離長めコースと、京柱峠から南の山中を経由して大川村へ出る短めコースだ。両方とも大川村の手前で、山中のややマニアックな細道峠を経由するように計画している。しかしこの疲れでは、その両方とも無理そうに思える。短縮コースを更に短縮した最短の谷間コースで極力早く宿に着き、その分とにかく寝て疲れを回復し、明後日の町道瓶ヶ森線再訪に備えるべきかもしれない。少なくとも明日は祖谷渓谷ではなく京柱峠へ向かう方がいいんだろうな。
などという現実的な心配を余所に、部屋の外には谷底から祖谷川の瀬音とカジカの声が賑やかだ。旅に来れている良い気分しか無い。悩んでも確実に朝はやって来る。目的を間違わず、その時できるだけのことをするしかないのだ。
記 2023/5/28