北海道Tour23#10
|
|
![]() |
朝4時でもまだ外に嵐の音がする。真夜中に聞こえた大嵐ほどじゃないものの、普通にかなりの強風だ。1階の食堂に降りても、夜明けの空は雲が低く、雨はほとんど止んでいるようにも見えるもののかなり暗い。
それでも今朝は出発だ。今は嵐でも、8時頃から晴れる予定になっている。8時だと上幌内から幌内越峠を越え、サンル大橋辺りには着いていたいという時間だ。その頃晴れたら、ドラマチックな展開だろうな。と無理矢理前向きに考える。
5:25、仁宇布ファームイントント発。仁宇布の盆地は宿の室内から眺めるよりますます大嵐の様相だ。雨こそ降っていないものの、相変わらず雲は低く、ものすごい速さで次から次へと空中を飛んでゆく。
写真を撮る気にもなれず、交差点もさくさく通過してしまう。しかし、美深に降りる気にはならない。今がどうでもこの後8時には晴れに替わる。今日はめでたく数年振りに美瑛に自走到着するのだ。
仁宇布から松山峠への登りは130m。向こう側から登るときの半分ぐらいなので、松山峠という語感への警戒感に対して安心だという妙な先入観がある。この安心感が、仁宇布から美瑛へ向かう場合にこちらを選ぶ要因の一つにもなっているのだ。
まあそんなことは期待せず、道道49をいつものようにだいぶゆっくりで淡々と進んでゆく。いつもと違って、登り以上に向かい風(というより乱気流)が吹き荒れ、周囲の森がかなり盛大に首を振っている。雨も時々ざーっと降っては止む。しかし雨なんかより、やはり風がものすごい。路上のところどころに、落ちた葉っぱが溜まっている。その量が凄い。そしてどの葉っぱも緑色でまだ生気がある。明らかに昨夜から今朝にかけて落ちたばかりの葉っぱだ。過去見たことが無い光景であり、改めて昨夜の大嵐の強さを思い知らされてくれる。ファームイントントで佐藤さんが自転車を中に入れてくださって助かった、と改めて思う。
そしてこういう状況でも、いつものように車はそれなりにやってくる。大型トラックもいる。ぎりぎりこれなら熊は出ないだろう、というぐらいに。もちろんその存在は、こういう天気だと心強く有り難い。
松山湿原への分岐を過ぎ、谷間を進むうちに空中に舞い始めていた水滴が、松山峠手前辺りから「強い雨だ」と言えるぐらいになった。まあしかし、山中でこれぐらいは何の不思議も無い。
6:05、松山峠通過。峠手前の離陸区間からすぐに谷底に降りると、そのままイキタライロンニエ川沿いの谷間に深く薄暗い森が続いてゆく。考えてみればここも通れるのかどうか1週間前までわからないまま時間と行程が進み、4日前に通れそうなので通ってきたばかりだ。そして今日、復路として再び通れている。その有り難さが混じった既視感と、不気味で押しつぶされそうな森の圧迫感が、自分の中でぶつかっている。しかしそんなもん、下りに任せてどんどん通り過ぎてしまう。熊のことを考えただけで熊が現れそうで怖ろしいし、脚を停めても速度を抑える必要があるぐらいの下りがしばらく続くからだ。
谷を大分下ると、相変わらず小雨が続いているにも拘わらず、低い雲の合間からかなり強い朝日が射し始めた。斜めの陽差しに照らされた大粒の雨、木漏れ日は打って変わってきらきら眩しい。晴れの日の暑さを思い出させるほどだ。印象的な緑の光は、生命の実感と表裏一体の、深い森のど迫力を改めて思い知らされてくれる。雲は厚くても、その上は晴れに向かってかなりすかっと晴れているのだと思うことにした。
6:25、上幌内着。4日前に狐の親子がたむろしていたパーキングエリアに脚を停め、小雨の中で朝食のおにぎりをいただく。相変わらず空には低い雲が垂れ込め、再び陽差しは消えつつあるは、しかしそれでも残りが斜めからかなり強く射して小雨に当たっているせいか、虹が濃い色で二重で出ている。しかしこれだけ濃い色の虹がダブルで現れるのも、人生初めてじゃないかと思う。まだ晴れないな、とも思う。最近私は虹を見ても素敵だとか嬉しいとか思わない。あまり歓迎したくない天気の時に限って、虹に出会う機会が多いからだ。
標高差140mちょっとをのろのろ登り、6:55、幌内越峠通過。
峠周辺の原生林区間からサンル牧場に続く樹海に下っても、小雨は止むどころか再び本降りに変わっていた。1時間後ぐらいに晴れるにしちゃあ、何かおかしい。展開が遅いのかもしれない。この山奥だし天気の変化が遅れても不思議なことじゃないし、現実に4日前は天気の変化が遅れて急に曇りから晴れに変わった。今朝好き好んで出発したのは自分なのだ。夕方には、朝そんなこともあったなあと、赤く染まった美瑛の丘で思っていたい。
下り区間の牧草地から森が何度か繰り返される間、路上には広葉樹の葉っぱや小枝が散らかっていた。それは松山峠区間を越える、かなり多くの頻度と量だった。下ってゆくうちに何度も路上に被さるように傾いた樹が現れ、遂に路上を横切って倒れかかった樹すら現れた。その場所では辛うじて自転車を担ぐ必要は無く、自転車から降りてそろそろと押して通過すると、間もなく下手から、救援車とレッカー車がやってきた。道の状況を点検し、通行に支障があれば撤去したり、場合によって通行可否の判断がなされるんだろう。さっきの樹は間違いなく撤去されるんだろうな。そしてこの辺りは、昨夜仁宇布で感じた以上の、かなりの大嵐が吹き荒れたんだと思った。
訪問できた4日前、それ以前の訪問でも、晴れたときの爽やかな森だったこの区間。その印象だけで何となく親しげに思っていた。しかし、やはり人に優しいような場所ではないのだと、この区間の山深さにも改めて気付かされた。
7:55、サンル大橋着。結局8時になって全然晴れてないどころか、雨じゃないにしても未だに空気中に水滴が感じられる。いつものどこか異国のように非現実的に明るい空を映して明るく輝く湖は、かなり薄暗く寒々しく、風が強くて山の木々が全体的に揺れているのが怖ろしい。写真を撮ろうと自転車を欄干に立てても、倒れそうにふらふら動き始める。早々に退散した。
下川の手前、行きに迂回した放牧地橋。突破すれば押して通れるんじゃあないかとその後思っていた。往路では時間的にも何とかなりそうだったので、もう安全策でさっさと迂回したのだ。復路の今、分岐からすぐ向こうの放牧地橋を、行けそうなら行ってしまえという下心と共にのぞき込んでわかったことは、やはり工事通行止めのフェンスはかなり高く、歩行者も通行不能だということであった。ちぇっ。
おとなしくまた看板通りに迂回しつつ、かなり思い切った工事計画だねとかちょっと皮肉っぽく思ってみる。ここを歩きで通る必要がある人は、サンルダム下の農家にたまたま臨時で用事がある人ぐらいなのかもしれない、等とも思う。
早出がほぼ完全にパーになってしまった。まあ、今回は往きに通っている箇所の工事通行止めなんだから、知ってればその分早く出る必要があったのに、やらない自分が悪いとも言えないこともない。脚があれば全て問題にならない話なのかもしれない。
8:50、下川着。幌内越峠辺りまでは、放牧地橋が通れたらセイコーマートなんて寄る必要は無いと思っていた。しかし結局迂回が必要だったこと、そしてここまで眺めてきた嵐の痕跡と何となく嵐がだらだら続いているようなお天気に、早朝の行け行け気分は何となくだれつつあった。この際なので、だれついでにセイコーマートに立ち寄ってみる。自分の補給よりも母に下川産濃厚トマトジュースを送れたので、悪いことばかりじゃないとは思えた。
ただ、この時間でも相変わらず、雲は低く空は薄暗く、雨が上がる気配は全く無い。撤退するなら今がチャンスだ。名寄まで走っても1時間掛からないだろう。今なら10時台確か後半の旭川行きに余裕で間に合う。どうする。
と思いながら結論を出さず、9:10、下川発。出発して、微妙に空が明るいような気がして、一度はそのまま前進で道道101を進み始めた。町中を出る前に雨が強まってきたので引き返しかけ、またすぐ思い直して道道101を糸魚隧道へ進むことにした。この後晴れたら後悔するに違いないからだ。まだ天気予報は信じられる。それにまだ引き返す時間じゃない。余裕はたっぷりある。もう少し悪あがきしてみよう。
下川の南でまたもや雨が本降りで降り始めたので雨具を着込む。もう引き返さない。というより引っ込みが付かないのでとりあえず前へ進むのと、雨の勢いが前に進む気を削ぐのとで微妙にバランスした結果、かなりのろのろと前進してゆく。
結局、それが最後の雨になった。盆地から谷間に入る手前で、ここまで乾くことが無かった路面は急に一気に渇き始め、空が次第に明るくなってきた。
そして雲が動き始めたと思ったら次第に青空が見え、路面や周囲の森が急に明るく照らされるようになった。陽差しが出ると共に辺りがむわっと暑くなり、毎度の事ながら閉口したものの、これでもう安心だ。木陰の多い道なので、しばらく暑さは何とかなる。
やっと、久々の美瑛自走到着が見えてきたという気になれていた。
10:40、糸魚トンネル通過。
登りは緩々でかなり長く、下りはあっという間だと思っていたら、こちらも意外に長いのであった。
山間が少し続いた後、やっと糸魚の農場と畑に降りてきた。その後斜面の下りも一気に行ける印象があったが、現実は結構長い。
それでもまだ10時台。空はすっかり晴れ、例によって路上の空気が熱くて仕方無い。しかし今のところ下りだし水はあるし、気分は上々の有頂天だ。美瑛に到達できるぞ今日こそは、と何度も思う。
10:55、十和里着。見覚えのある交差点を左へ曲がり、いよいよ本日のハイライト、岩尾内湖区間だ。
すぐに年期が入って黒ずんだコンクリートのダムが立ちはだかるように現れた。2017年以来6年振りの訪問なので、やや緊張する。壁みたいに立ちはだかっている佇まい、その脇の岩場に貼り付いてダムへ登ってゆく道を見上げ、こちらからの訪問だと心が折れそうになることを改めて思い出す。しかし、登ってしまえばそれなりに登れてしまうのも毎度の事だというのもわかっている。まあとにかく、今回も標高差60mの7%へ。
ゆっくりゆっくりえっちらおっちら登る間に、いつものようにやはり汗だくになった。そして登り切ると、懐かしい岩尾内湖がいつものように拡がった。いや、拡がりはいつも通りでも、今日の岩尾内湖は奥まで空気が澄んでいる。もうしばらく、雨が降るような心配は無いことが確信できた。
岩尾内大橋の真ん中で岩尾内湖を見渡し、対岸へ渡ると湖岸アップダウン区間である。管理事務所を横目に眺めてみると、いつも取り付く島が無い玄関が、今日は開いている。中に入れるようだ、というより入っても良いよ、というような友好的な賦に気が漂っているのが目新しい。6年振りの訪問だし、こういう表情が伺えたことが無い施設なので、何の気無しに少し立ち寄ってみることにした。
何かを期待していた訳じゃない。初めて訪れた1989年から、ここは屋外の水栓すら設けられていない。ツーリストにとって絶望的に事務的な事務所である、と毎回思っていた。しかし、事務所が事務的なのは当たり前のことでもある。国土交通省様の建物は、税金を投入して造っているのだ。一介のツーリストが、何かダム管理業務以外の何かを希望するような余地は無い。納税者ならそんなことは当然だ。
等と毎回皮肉っぽく絶望して通り過ぎる事務所なのに毎回とりあえず様子を伺ってみるのは、何か有り難いもので次回何か役立つようなものが見つかるといいな、と思っているからである。何も温浴施設があったらいいなとか観覧車が欲しいとか、そういうことを言っている訳じゃないのだ。
しかし1989年以来、毎回期待を裏切られてきた事務所の中に、何と!今回は自販機を発見できた!ここで水を飲めないことを、長い間大変不満に思っていたのが、34年目にして遂に解決できたことになる。画期的な大発見と言っていい。
上機嫌で水をボトルに満タンに入れて出発。すぐに路上のど真ん中に、バリケードとガードマンの方が登場。手を振って停められ、この先の湖岸区間が、何と通行止めとのことを説明された。
私が向かう茂尻方面へは、一旦さっきの十和里まで下り、逆方向の朝日へ降りてから登り返さないといけない。そちら方面が通れるのかはわからないとのこと。気軽に言ってくれるね。それならそれで十和里か坂の下に何か掲示しとけよとも思うものの、原因が昨夜の嵐ならそんなのまだ間に合わないということも理解できる。
朝日から岩尾内湖を経由しねいで茂尻方面へ登る道は、以前一度通ったことはある。道として何か問題があるわけじゃない。通って楽しいのはこちらの岩尾内湖なので、毎回岩尾内湖を経由しているのだ。
何はともあれ、11:25、問答無用で折り返しとなったのだった。もう早出貯金は完全に無くなった。時間的にはまだ遅れているという訳じゃないものの、とにかく引き返そう。急ぎすぎて焦って転倒することだけは避けねば。こういう時こそ落ちついて、急がば回れだ。
11:35、再び十和里を通過、単純に行って戻って40分ロスしたことになる。痛い。いや、まだ午前中、まだ大丈夫。
ダムから開けた谷間を朝日へ、一方的な緩い下り基調をだだっと下ってゆく。こういう下りは嫌いじゃないんだが、地形図だと近くに思える朝日がなかなか近づかない。下りながら時間が過ぎてゆく。いや、とにかく焦ってはいけない。
11:55、朝日着。市街半ばの分岐から看板に従い、茂尻方面へ。再び登り基調に替わった道を、ちょっと焦りつつ、しかしやっと再び脚を進めている気になって、谷閧フ奥へしずしずと進んでゆく。やや低い雲が空を覆い曇り始めてきたものの、天気はまだ何の問題も無さそうだ。谷閧フ空間はこぢんまりと至ってのんびり静かな風景だ。一度は通っているはずなのに、風景にさっぱり記憶が無い。しかし一度通っている道だ。あまり極端に悪い印象も無いので、そんなにあやしいような道じゃあないのだ。多分。とりあえず安心して粛々と前へ進もう。
分岐から10分弱ぐらい、南朝日まで走ってみたところで、向こうから車が何台か、何故か続けてやって来るのに気が付いた。茂尻方面から下ってくる車だ。それが、明らかに過去のこの道の訪問の印象より多い。しかも続けて何台か続けてである。
最初は単に休みなので車が多いだけなのかもしれないと思っていた。しかし、突如考えが浮かんだ。
こちらから向かった車が、茂尻の先於鬼登峠かどこかで引き返してるんじゃあないのか。
もしそうなら、このまま進むと遅かれ早かれ折り返しになる。普段なら考えすぎだと思うが、今日はそういう可能性が有り得る。現に岩尾内湖岸で即席みたいな通行止めで引き返す羽目になっているし、さっき道道49で路上の倒木を見たばかりだし。於鬼登峠は道道49に負けず劣らず山深い。有り得るという以上の可能性を考えるのが自然かもしれない。
そうなってから折り返すとどういうことになるのか。士別へ降り、旭川へは国道40を使うしかない。いや、士別へ行っちゃったらもう大型車の多い国道40なんか走らずに輪行したい。しかし宗谷本線の近況を思い出すに付け、士別駅にさえ着けばあまり待たずに旭川へ向かう列車が来るという期待はできない。というより、今から朝日に戻って何とか士別へ辿りついても、午後一杯宗谷本線に列車が無くて美瑛到着が遅れ、夕食時刻に間に合わなくても不思議じゃないと思う。
いや、今が夕食時刻に間に合わせる最後のチャンスかもしれない。突然不安にかられた。
|
ということは、朝日からまたタク輪か何かで一刻も早く士別駅に向かうべきなのかもしれない。そもそも士別から宗谷本線で輪行がちゃんと繋がるのかどうかが先だ。というわけで、まずは士別から輪行する場合の時刻を調べてみると、士別13:56→宗谷本線快速なよろ→14:59旭川15:33→富良野線各停→1606美瑛という、比較的穏当な時刻と乗り継ぎで列車が繋がった。この段階でまだ朝日→士別のバスは調べていない。あるかどうかわからないし、朝日へ行きさえすれば、最悪士別から呼んででもタク輪が可能だと思ったからだ。
とりあえず可能性が繋がった。というより、これが今一番確かな可能性であるようにすら思えたので、朝日へ引き返すことにした。朝日から士別までの輪行については、何か問題があると思っていなかった。全く調べていないのに。
12:15、朝日着。町中を自転車で走っていた夏休みの高校生っぽい少年にバス待合所の場所を聞き、バス待合所で時刻を確認してみた。12:40に士別駅方面へのバスがあるではないか。輪行時間25分。自転車を輪行して、荷物パッキングまでこなした過去最短の時間だ。でも、今回はバス内でバッグをまとめることが可能かもしれない。それなら作業は輪行だけになるから、無駄の無い最高のタイミングとも言える。じゃ、これでやってみましょう!
雲は再び去りつつあり、時々陽が差して辺りはかっと暑くなった。茂尻の集落を抜け、天塩川の上流を眺めつつ於鬼登峠を目指す自分を想像しつつ、輪行作業を進め、15分ちょっとでバッグの緊結を残して無事完了。この間に士別行きバスがやってきた。有り難いことに運転手さんが自転車を拒むようなことは無く、自転車と荷物を積んでも邪魔にならなさそうな座席を落ちついて選び、なるべく小さくなって座席に身体を押し込んで、水をぐいっと飲むともう12:40。バスが動き始めた。
朝日の谷から士別の盆地へ、陽差しに照りつけられる田園風景が過ぎてゆく。受動的に窓の外を眺めつつ、結局今日も青空輪行になっちゃったな、と思う。
南朝日で折り返してからバスが出発するまで、流されるように、しかし全く無駄無く一気に輪行に推移した今日の撤退を、やっと思い返すことができていた。それほど一気呵成に物事が進んだのだ。あのまま進んでいたら美瑛まで自走で行けたのかもしれないとも思う。いや、やはりそんなことに悩むより、安全策に舵を切った突端にかなり効率の良く行程が繋がった、ということを有り難がる方が適切だろうな。おやじサイクリングなんだから賢く楽に旅しようぜ、なあ。
前回この道を通ったのは1989年。士別まで28km。嵐に近い雨の上紋峠を越えた後、下ってきてもまだもの凄く低く暗い雨雲に追われ、時にはバスと追いかけっこするように、士別へ延々と下り続けたことは憶えている。どういう行程のどういう経路だったか、しばらく思い出す必要があるほど憶えていない。でも、この道が退屈でしんどかったことは印象として憶えている。その時とほぼ同じと思われる経路で、今回はバスに乗って道の退屈さを再確認しているのが感慨深い。とにかく、バスは偉い。
景色が市街に近づき、かなり年季が入ったショッピングセンターを眺め、そういえば30年以上前は士別の方が名寄より栄えていたものだったとか、士別のショッピングセンターを見て「さすが士別」と思ったことなどを思いだした。
13:10、士別着。バスを降りると盆地の士別は山間の朝日より更に、そして過激に暑い。駅前のロータリーから平屋の駅舎を眺め、4年前の2019年、大雨で名寄から先が運休になった特急サロベツの代行バスが、トイレ休憩で立ち寄ったのが士別駅だったことを思い出す。もちろんトイレ休憩でかなり助かった。
待合室には当然のように冷房なんか無いものの、直射日光から逃げることができて随分助かる。2019年、雨の中で士別駅に助けてもらい、今日また士別駅に助けてもらえている。
13:56の快速なよろまで46分。自販機で美瑛までの切符を買ったら、次は駅蕎麦だ。待合室には、何と駅蕎麦が営業しているのだ。改めて名寄より大きい町だった1980年代後半の士別を思い出しつつ、ひたすら有り難く天ぷら蕎麦を注文する。これで空腹からも助かった。駅蕎麦屋さんは売店も営業していて、駅蕎麦屋のおじさんは私の蕎麦を作った後お昼休みに入ったようだった。のんびりした駅だ。
この段階で列車までまだ25分ぐらい。切符売り場の一角には水槽が置いてあって、駅の灯りにやってきたらしいミヤマクワガタを飼っているが、この猛暑でミヤマクワガタは潜ってしまっているようでお会いできなかった。ならばもうホームに出てしまえ。屋根の下でも蝉の声を聞き夏の風に吹かれていることができる。まあただ、吹いているのは日なたのアスファルトで熱くなった空気なのであった。
時間通りにデクモはやって来た。13:56、士別発。特急サロベツほどの豪快さは無くても、各停なりに塩狩峠で、デクモはきっちり仕事をこなしてゆく。
14:59、旭川着。富良野線乗り換え時間の間に、例によって駅ラーメンを食べ、母にエンジュのお椀を送っておく。目的意識があってやることが決まってれば、大変効率が良くてきぱきと事が進んでゆく。
次は富良野線だ。旭川15:33発、16:06美瑛着。美瑛では、駅前で毎回恒例農業祭りの準備中だ。幸い本番は明日なので、今日は全然うるさくなくて助かる。明日は駅に近寄らないようにしよう。
ポテトの丘まではもうタク輪してしまう。16:30、ポテトの丘着。もう10年以上、私にとってここは夏の旅の最後の宿だ。骨折で大分難儀されていそうな宿主さんとお話ししつつ、今年もこういう旅ができるのは本当に有り難いことだと思う。旅先でこういうことを思うことが増えた。私も歳なんだろう。
明日に向けた自転車組立と風呂が終わるともう17:50過ぎ。次はブランルージュで18時予約の美味しい夕食だ。早朝から山中の倒木や嵐、そして通行止め、撤退と輪行、そして懐かしい美瑛の夕方。いろいろあった1日だった。振り返るのはまだ早いとは思いつつ、道東からここまでの毎日を改めて思い出す。今年もやっとここまで来たという気になる。
■天気予報では明日は晴れそうだ。しかし予定コースの北落合では、10時頃から曇りっぽい。そんな展開は珍しいことじゃない。以前北落合方面の空が余りに暗いので、幾寅で行程を終えたこともあった。そういうときでも、富良野盆地や美瑛は晴れていることが多いという印象がある。明日もそういうパターンになるかもしれない。途中で判断が必要になるだろう。
記 2024/2/3
#10-2へ進む #10-1へ戻る 北海道Tour23夏 indexへ 北海道Tour indexへ 自転車ツーリングの記録へ Topへ