下畑野川→河口→中黒岩→七鳥→長崎→とろめき→日野浦→森→長者
(以上#3-1)
(以下#3-2)
区間2
(以上#3-2)
(以下#3-3)
区間3
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区間4
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区間5
72km
ルートラボ
一昨日夜の段階で、5/3の天気予報は晴れ後曇り。ところが昨夜曇り後雨に変わった。そして今朝、空は午前中すら心配になるほどのどんより曇りである。雲が低く暗いのだ。少なくとも今日後半の石神峠は、もう最初から行かない方向で考える方がいいかもしれない。まあ天気予報が不安定なので、現地へ行ってみたら何の問題も無いのかもしれない。
問題は前半のとろめき訪問だ。ここは2001年の四国Tour01で、既に地形図にその地名を見つけて興味を持っていた。その後16年間に2回四国を訪れているが、未だとろめきを訪れていないのは、訪れるのは簡単なようで面倒しか言いようが無い場所だからだと思う。このため、今年は計画初期の段階で、とろめきを訪れることを目的とし、そういうコースと日程にしたのだ。だから、何としても訪問したい。小雨ぐらいなら何とか。
6:50、「民宿和佐路」発。畑野川の町へ下り、県道209へ。9km先、国道33と合流する河口まで有枝川のやや狭い谷間を約140m、かなり穏やかな下りである。
県道209では、道端に迫るように水が張られた田植え前の田んぼと隅々まで丁寧に手入れされた農村が、狭い渓谷の森と代わる代わる現れた。
鏡のような水面に映る山々をはじめ、人々の暮らしと地形、季節が一つになった風景に、この谷の営みとその歳月が感じられた。
河合は落ち着いた生活感が感じられる集落だった。
また、中野村では、集落内で60m標高を下げるつづら折れ沿いに、斜面農村らしい風景が続いた。
河合(二つある河合のうち南側)、中野村、本村では、やや廃屋が目立つように思われたものの、全体的には静かな春の農村風景を楽しむことができた道だった。
国道33は流石の二桁国道、しかも30番台。一言で言えば、やはり車が多い。
地形そのものや谷間の構成は県道と変わらなくても、やはり道路空間というか道の範囲が決定的に慌ただしく、なんだか埃っぽい。
実際に車が立てる埃が目に入って難儀する。そして県道209の本村辺りから既に、雨未満の水滴が空気中に漂い始めていた。
中黒岩で県道212へ分岐する直前、「面河渓まで20km」の標識を発見。土小屋までは37kmもあるとのこと。昨日は800mぐらいの標高差を下ったせいか距離の印象は全く無い。そういう距離感覚が全く無かったことが驚きだ。
県道212からは、面河川に沿って再び緩やかな登りが始まる。
国道33と似たような道幅ながら、やはり決定的に車の量、埃っぽさが少なく、渓谷という言葉が自然に頭に浮かぶ。
昨日通ったばかりの県道12との短い重複区間で、昨日も眺めた七鳥の町並みを今朝は逆方向から辿り、町中で国道494方面へ。
すぐに県道210が分岐、今日最初の(というよりこのまま石神峠に行かなければ最大で最後の)纏まった登りが始まった。
さっき通った県道212と県道番号で2番違いの県道210は、打って変わってほとんど林道の森の中の細道だ。
そしてすぐに県道210は分岐して中腹の別の集落へ向かい、こちらの道は本物の林道となる。
県道210については、林道と分かれてから山肌を少し屈曲した後、急斜面をまともに直登する計画路線っぽい破線がGPSの画面には描かれている。しかしいくら直登するにしても、この絵だと斜度20%以上、程というものがある。
7%程度の斜度で淡々と高度を上げてゆく道の周りは杉と広葉樹に覆われ、殆ど展望は開けない。
そして晴れならいざ知らず今日はやや薄暗い曇りなので、木漏れ日きらきらという感じではない。
たまに木々の外側が見えないことも無いものの、国道494の谷間方面が雲に包まれているのが見えるだけだ。とりあえずこちらには雨は降らないで欲しい。
中腹の蓑川は斜面の集落だ。数軒の民家が道端に現れた。
石垣で段々が造られた田んぼは、急斜面のためひとつひとつがやや小さく、様々な形で重なって斜面を登っている。どこの田んぼも水が張られたばかりでまだ泥水色、例によって蛙が賑やかだ。
農家の庭先も、道沿いの狭い平らな部分を存分に活用するためか、道ぎりぎりまで軒、納屋、薪置き場にそして様々なものが露出している。
道沿いに森と農家は断続して現れ、上手からは集落の全体像が眺められた。
蓑川を過ぎると、薄暗かった周囲の森が次第に開け始めた。
峠部分手前の標高850m辺りでは、一気に周囲の山々の展望が拡がる場所も登場。
県道212の破線が登ってきて再び林道と合流する場所も確認できた。道端の荒れ地には合流点ぐらいは作れそうな空間が確保されていて、その先は杉林がまるごと伐採された禿げ山部分が斜面をストレートに下っていた。やはりこの斜度じゃまともな道にはならなさそうなのだが、まだラフな計画なのかもしれない。
石鎚山らしき、ずいぶん遠くにある山も眺めることができた。空の色は相変わらずあまり明るくないものの、北側は比較的雲が高いように思われた。
峠部分からは再び杉の森へ。
密ではあるが梢が高く、やや明るめの木立が続く。
しばらくきりもみ状態のように下ると、民家が断続した後森が開けた。二箆(ふたつの)の集落だ。
空は相変わらずどんよりだ。谷を挟んだ正面の山には、多分1000m辺りから上に濃厚な雲がまとわりついてる。南下するにつれ、雲が増えているようにも思う。
この先、更に南の石神山が標高1000m程度。場所はやや離れているし時間も経つから、現地では絶対行けなさそうじゃないかもしれない。でももう無理して石神峠に行くのはやめよう、と思った。
今のところはまず「うつぎょう」「よらきれ」方面訪問だ。
うつぎょう、よらきれとは、とろめきを初めて地形図で発見したとき、その近くでやはり目を引いた二つの地名である。平仮名の名前もさることながら、語感も相当に異彩を放ち、とろめきと併せて訪問したら、二度と戻れなくなるんじゃないかと思われた。
その後16年が経ち、地図でわからなければWebの航空写真で見てみる、という計画手法が可能になった。今回の計画時、うつぎょうとよらきれは、航空写真では集落らしいものは全くみられず、手前の集落からはかなりしんどそうな斜度で登る必要がありそうなことを確認できていた。というわけで手前まで行ってはみるが、その先は行ければ行こうという方針になっている。
置俵、そして谷底の長崎はかなり山奥の集落ながら、畦の線を描く石垣はびしっと揺るぎなく、農家の庭先には春の花が一杯だ。鯉幟も所々でみられる。人々の暮らし、営みが感じられる農家の生活空間を訪れている、という気分になる。
こういう道を走りに来たんだよな、と思わせてくれる道が、今回のコースには多い。長崎では石垣上の低い軒の農家、やはり石垣の狭く不整形な田んぼ、そして農家の軒先に積まれた薪等、さすがに谷間奥の一番山深い雰囲気が一杯だ。
集落の一番奥から、いよいようつぎょうへの登りが始まっていた。しかし、見上げる登り斜度はかなりやはり激しい。途中から斜度は更に激しくなるはずだし、その登りを20分ぐらい汗水垂らして登った森まっただ中で「ここがうつぎょうか。よし、いよいよ次はよらきれだ」などとつぶやくのも、かなり億劫であるように思えた。
あまり悩まず、ここは次のとろめきに向かうことにした。
県道210に戻って森の中を更に下り、いよいよとろめきへの分岐へ。
意外にごく普通の林道同士の分岐っぽいその場所には、「トロメキ稲村林道」という表示があった。稲村とは下手の山腹の集落のようだ。地図上ではその稲村との間で線が描かれていないので、多分道は未開通なのだろう。
森の中を谷底へ下る途中、舗装道路の分岐が登場。谷の下手方面に向かう道だ。地形図にはこんな道は無い。もしやこれは県道33方面へ直接下る道なのではないかと思った。帰りにでも通れれば、登り返しが少なくて済むのかもしれない。
トロメキ稲村林道は一度谷底へ下り、反対側の10%の登り返しの後、すぐにとろめきに到着した。
集落手前の激坂の一番上には林道開通記念碑があった。山腹急斜面に張り付いた畑、田んぼ、そして石垣の農家。ごく小さい集落ではあるが、前後上下方向へ土地を使いこなしているため、変化に富んだ景色が拡がっていて、驚かされる程。そして農家も石垣も畑も田んぼも、ここまでの他の集落と同じく生き生きとした生活感に満ちている。
集落の一番奥まで行ってみた。まあ奥と言ってもすぐそこではある。
林道の折り返し、再び10%を越えそうな斜度で山中へ登ってゆく手前から振り返るとろめきの拡がりが、狭い谷間の急斜面から空へ開けていた。それはまるで下界と空の接する場所であるように。
現実には、谷間下手の上空にますます濃い雲が次第に高度を下げてきているようだ。もう11時半過ぎ。念願のとろめきに訪問できたことだし、次は国道33沿いに適当な昼食場所を探すか。確かツーリングマップルに何か書いてあったし、何か食べられる店があるといいな。
帰り道はさっきの分岐で迷うこと無く下り方面へ。
途中ところどころで森が切れ、今日ここまで眺めたどの集落より急斜面の田んぼ、そして黒藤川の集落が現れた。
見事な急斜面への貼り付き度に脚が停まる。有名な長野県の秋葉街道方面、日本のチロルと呼ばれる下栗に勝るとも劣らないようにも思えた。というより、これがこの辺りの山里の住まい方なのだ。
しばらく中腹をやや緩めの下り基調で横切っていた道に、上から県道210が降りてきて合流し、そのまま民家、畑や田んぼの間をどんどん降りていった。
途中から空気中に水滴を感じ始めた。相変わらず、というか前方南側の山々にかかる雲の色はますます濃くなっていて、頭上も雲の動きが結構速い。これは間違い無く降りそうだ。というより、いつ頃から降り出すのか、という次元に推移していた。
12:00、下りきった日野浦で朝に通った国道33に合流。私にとって16年間の懸案を達成したここまでの寄り道は、国道33ではわずか数kmの移動距離である。
合流点に「土居のうまいもん」という名前の飲食店兼土産物屋を発見。ちょうど水滴は明らかな小雨のぱらぱらに変わりつつあった。まあそうでなくてもちょうどお昼、そろそろ腹が減ってきていたところなので、迷わずお店へ。
国道33は深い谷間の渓谷に通っている。道の周囲にはまとまった平地は無く、この店も軒のすぐ外はもう国道33である。店先の車の通行を眺めつつ、ラーメン大盛り、ソフトを連続で頂く。
再び、石神山は無いなあと思う。というよりこれは、天気のせいにしているが、その実態は計画時にノリノリで軽薄に詰め込みすぎたコースをやっぱりこなせないということではないのか。全く逃げ道が無かった昨日の亀が森林道と違い、現実的で楽ちんなエスケープルートもちゃんと確保しているし。なんだか恥ずかしく恨めしい。下方修正の理由がはっきりしているのは、むしろ有り難いのかもしれない。
店を出ると、意外にも影ができるぐらいに辺りは明るい。とりあえず出発にはいいタイミングだ。12:30、「土居のうまいもん」発。
国道33は、面河川の深い谷間に続いてゆく。川幅は二桁国道なりにやや広く、切り立った山の緑に挟まれ、谷底の川原にごつごつごろごろ荒々しい岩場と青い水面が見応え一杯だ。ただやはり、路上はなんだか埃っぽい。通常ならこれもツーリング許容範囲、何とかぎりぎり上限かもしれない。昔ならこれぐらいは楽しんで走れていたとも思う。しかし、一昨日からの素敵な細道の数々は、既に私を細道しか走れない身体に変えてしまっていた。
落出で国道494の巨大ループが折り返して山中へ消えていった。地図では高低差100mを一気に駆け上がるこの道の脇に旧道らしき細道がつづら折れで急斜面を登っている。実際に眺める細道も、新道とは無関係の楽しそうな道に見えた。
しかし今、目の前の旧道で登り返してまた下ってくる気はしない。対岸に少し登り返して高地休場、なんていう名前の集落もあるのだが、やはりもう無駄に登る気は無い。計画時、無責任にいろいろ考えていた自分が恥ずかしい。
面河川は大渡ダム湖となり、国道33は湖岸を数10m程度の比較的穏当な高低差で推移しつつ東へ向かってゆく。数10mとは言え登り返しはしんどい。相変わらず道はやや埃っぽく車は多い。
低い雲の動きは早い。雲が切れて青空が見えた後、雨具着替えが必要になるぐらいの通り雨が降った。雨具を着てしばらくすると、再び雨は止んだ。全体的に天気はかなり不安定と言えた。
石神峠への道、別枝大橋では、ダム湖となっている広川巾を渡る細く長い橋と、対岸に畑や農家が断続する楽しそうな雰囲気が漂う道が見えた。ここで石神峠へ向かわないのは残念な気もする。
いや、やはりしんどい気持ちの方が先行しているし、天気のせいにしてしまえるうちにもう有り難く天気のせいにして通過することにした。
大渡ダム大橋から対岸へ。赤い鉄骨トラスが見事だったので地形図を見直してみると、対岸に細道を発見したのだ。あまりアップダウンも無さそうだし、大渡ダムの向こうでは国道439へ直接下れそうだ。実は一つ手前の別枝大橋から、既にこの細道に向かうことはできたようだった。
再び空は心配になるぐらいに雲の色が濃く、全体的に暗くなっていた。対岸の道はやはり静かで、桜並木は青々とし、湖面が間近だ。
ダムの先で谷が一気に100m落ち込む。水が一杯で広々としたダム湖から打って変わって急に落ち込んだ谷底を見下ろし、つくづく登りじゃなくて良かった、などと思う。
前回ここを通った2001年は雨の中。国道439との重複区間を終えて100m登ってゆく国道33を国道439から見上げて、「とろめきは立ち寄るという訳にはいかない場所だな」などと考えていたことも思い出した。
谷底の小さな町、森で国道439に合流。
町中は国道439が未拡幅だ。「百貨店」という名前の万屋、古びた木造理髪店、幅員6m程度の橋などがいかにも旧道然としている。与作ルールてんこ盛りだと思った。
町を出ると道幅は拡がって、与作というより国道439というか、ごく普通の田舎国道となる。
道と川と森だけの長者川の谷間を淡々と少し遡り、「えっ、こんなに近いの、この時刻で」という距離で、14:10、長者着。少し手前から雨が降り始めていて、雨の到着となった。
長者という場所は、国道439と県道18の分岐点から少し下手の谷間の集落だ。国道439は谷底で、東側の山肌をつづら折れで大峠へ向かって登ってゆく細道の県道18に、民家の記号が群がるように貼り付いて描かれている。どこをどうみても、細道沿いの斜面集落っぽいなと思っていた。
実際にも、谷底の国道439沿いには公共施設はあるものの、多くの人が住んでいるのはむしろ急斜面だった。谷底から斜面を駆け上るように何段も積み上げられた石垣の段々、更に上に急斜面にびっしり貼り付く集落は、まるで戦国時代の砦のようでもある。季節柄か谷間には数十の鯉のぼりが掛かっている。ここまでの国道439で、「だんだんの里 長者」と看板が出ていた、その「だんだん」の意味をようやく理解できた。
見事な斜面地集落だ。こんな素敵な場所に、今日泊まることができるのだ。確か前回、雨の中でこの風景を眺めて、しかしその時はまだまだ先の窪川へ向けてそろそろ焦り始めていていたために、立ち止まって景色を眺めることもできなかったことを思い出した。つくづくその時の自分が可哀想になってきた。まあその時の失敗があるからこそ、今日余裕ある計画ができていると言える。
しかし、今はまた雨が降り始めていた。見上げる空は、相変わらずどんより薄暗く、雲はますます低い。普通、15時以降が宿到着の常識的な時間である。ここは素敵な景色を眺めながら、やはりここまでの看板で目を引かれていた農家レストランで2度目の昼食を頂いて時間を潰そうと思ったものの、水曜日は営業していないようだ。そこで宿に電話すると、もう問題無く入れるとのこと。ありがたい。
田んぼのつづら折れの急斜面をインナーロー投入で這い上がり、集落の中へ。
細道県道18の両側に密集した集落がほんとに続いていた。いや、集落というよりこれは町並みと言っていい。急斜面で狭くなってしまう敷地故か、民家はしばしば3階建てである。道に迫る建物が、狭い道をますます狭く感じさせる。こんな山間にこんな町があるとは。
登ってわかったが、下から眺めると一見田んぼに見えた石垣の段々は畑が主体だった。ただ、田んぼもあるので、蛙の声が谷間に響いていた。今夜も蛙けろけろの中で眠れそうだ。
14:25、「高木旅館」到着。
早めの到着だが、今日はもういいのだ。部屋からの段々の展望は楽しみだったが、薄暗い障子を開けると、そこは段々とは反対の上手側、隣地への擁壁が間近に立ちはだかるドライエリア状態。再び障子を閉め、風呂の後は早々にビールを呑んでひっくり返った。
ざーっという音で目が覚めた。15時半前、音がするほどの雨が降っていた。どういう事情があろうと、今日は早仕舞いで正解なのだった。
記 2017/6/11
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