札友内→仁多→萩野→中虹別→清里峠→緑→越川→根北峠→西北標津→武佐→開陽
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区間2
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区間3
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区間4
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区間5
159km
ルートラボ
4時、眠気覚ましに天気予報をチェック。弟子屈で6時だけ雨で他は1日中曇り、中標津も同じ。清里峠を越えた知床山脈の向こう側の清里町、斜里町では終日曇り。明後日、明明後日は雨っぽい。今日は昨日考えた通り、明後日12日に予定していた清里峠・根北峠経由を、振り替え実施すべきだ。
今日のコースが決まったので、明日11日の行動ももう少し詳しく考えておくことにする。明日の予報は中標津町・標津町・別海町・標茶町とも6時と15時の枠が雨でそれ以外は曇り、降水確率は60%と70%。ということは9時と12時の枠、境目でいうと7時半〜13時半は曇りという予報のようにも受け取ることはできる。毎年の根釧台地202kmコースの進行を考えると、この時間帯なら全体の半分以上、いや、3/4近くがここに入るだろう。ということは、明日は根釧台地202kmへ出発すればいいんじゃないかという気もする。が、この季節の北海道、ましてや根釧台地の奥では、あまりからっと明るい曇りは期待できない。というより過去実績を考えても、曇りの実態は多分水滴がぱらつく霧雨〜雨一歩手前状態ぐらいが続く、というぐらいを想定するべきだろう。予報が現地では悪化していたって何の不思議は無い。
明日についての判断は、まだ先送り可能だ。少なくとも今日は、ますます清里峠、根北峠へ行っておくべきだろう。
外に出ると、霧雨一歩手前ぐらいでぎりぎり水滴を感じない、という程度に湿度の高さが感じられる。そして半袖2枚にレーパンでかなり寒い。これなら雨具を着込んでも、平地で汗をかくことは無いだろう。
5:40、札友内「鱒や」発。
まずは釧路川対岸へ。鱒や入口の道は鱒やへの分岐で通行止めの廃道になっているため、国道243を少し弟子屈方面へ下り、屈斜路湖東岸・野上峠方面への国道391を少し経由してから、おもむろに霧雨の弟子屈原野(という地名なのです)突入。国道243の上手、南北方向に続く町道へ。
開けた裾野の牧草地、観光牧場っぽい牧場、森の中に道が続く。次に摩周湖へ登ってゆく道道52が現れた。道道52は、1986年に1回摩周湖へ向かって登って以来、脚を向けていない。既に当時、余りに観光バスが多かったのと、登りが長くて辟易したのだ。もはやどういう印象だったかも忘れてしまった道である。ただ、その漠然とした印象に、目の前で直交している道道52沿いの、なんとなく鄙びた観光系店舗の佇まいが含まれているような気はする。そして1986年当時は、そういうものも北海道らしさの一環として受け止めていたように思う。ふと忘れていたそんなことを思い出させるのだから、きっと当時と道の雰囲気はあまり変わっていないのかも知れない。
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ここで本来はそのまま町道を直進すべきなのだが、GPS画面、下手の国道243沿いにセイコーマートのマークを発見。出発したばかりではあるものの、道道52で少し下手へ下って国道238との交差点へ。
ここのセイコーマートは、2000年代前半、私にとって弟子屈でのデフォルト休憩場所だったように思う。屈斜路湖、摩周湖、釧路湿原方面という道東定番の観光地へ便利なポジションにあるためか、私がよく訪れていた頃にこの店舗が全道で売り上げNo.1だった時期もあったようだ。当時朝6時台にしてレジ待ちに20分掛かって、その頃店の周囲に浮浪者がいたこともあり、その後もう10年以上立ち寄っていない。弟子屈でのデフォルト休憩場所だった「ように思う」とは、あまりに訪れていない期間が長く、その店はもともともう少し先の国道391との交差点にあったのが閉店してしったという話を聞いた気もする。つまり、この店とは別の店だったような気もするし、そうでないような気もする。それぐらいに店の周辺には記憶が無く、とりあえず今日は店の周りに浮浪者はいなくて、レジ待ちも無かった。
再びさっきの町道で霧っぽい牧草地を更に南下した後、近年仁多から弟子屈へ直接降りるのによく使う道へ。毎年のコースがワンパターン化するのに伴い、開陽から弟子屈へ向かう経路でこの道をいつも弟子屈峠から弟子屈の町に下るのに使っている。
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今日はいつもと逆方向からの登りで、見慣れた景色や森、畑、牧草地、農家など、細かい起伏と共に逆の順番で登場するのが新鮮であり、弟子屈からどこかへ移動しつつあるという気分にしてくれる。
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牧場農家っぽい生活感が漂う仁多の集落を過ぎると、道は国道243の合流点へ登ってゆく緩斜面へ。
ここまでで路面は完全に真っ黒くしっとり状態に変わっていた。そして何とかぎりぎりで雨にはなっていなかった空の水分、もっと言えば霧粒が、緩斜面上手、国道243のスノーシェッドが見えてきた辺りで急に雨に変わった。現象としては、空気のバランスが雨側に推移して、大気中の水分が一気に落ちてきたというように思われた。そう思われたというより、覚悟していた事態に推移したという方がニュアンスとしては正しい。もうここから先は清里峠を下るまでしばらく雨なのだろう。
スノーシェッドを抜けた国道243は弟子屈・虹別間のピーク部分を越え、根釧台地へ。根釧台地特有の開放感より、ひたすら低い雲で薄暗く、水分で重たい風景が続いた。この場所で雨に降られるのは初めてではないので、過去の訪問とその時の気分など思い出しつつ、緩い下りの経済走行で萩野へ。経済走行が可能ということは、幸い向かい風でも横風でもないということだろう。
萩野へ下っても、農道へ分岐して道道885へショートカットしても、依然として予想通りに雨は続いた。
西別川の谷を渡り、道道885は養老牛手前まで続く一直線区間へ移行。清里峠へ向かう道道は道道150であり、道道150と道道885は、養老牛のながかわ商店の交差点で接続している。しかし今日は清里峠へ向かうのに養老牛まで行かずに、もっと手前の中虹別から、森の中を道道150へ行き着く道へ脚を向けてみた。
地図上では、舗装だと有り難いなと思うぐらいに細道で描かれている位の脇道で、そしてルートラボを気楽に脇道系で組んでいるうちに、あまり意図せずにこういう道を選んでしまう場合が時々ある。本当のことを言えば、道道885・150とは三角形の2辺と1辺の関係にある道であり、多少ショートカットになると思っていたのだ。しかし、実際にはむしろ遠回りと言っていいぐらいの関係だったことに、後で気が付いたのであった。
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本日の現実としては、道道885から北側に曲がって2つめのグリッドの途中、牧草地の中で、道はダートに替わった。意外に早い。 そしてその後もしばらく牧草地が続いた後、カラマツの大森林に突入。明らかに、この先は山裾の森であり、清里峠への道道150までしばらくこのままダートが続くのだろうと思えた。
丸太が留置してある林業系の広場を過ぎ、道にそれまでより明らかに草が茂り、轍は深く足下は柔らかくなった。タイヤの跡もやや薄くなったものの、途切れてはいないのが救いだった。時々、オフロードバイクらしき細目の、そして恐らく昨日着いたと思われるぐらいに新しいタイヤ跡もみられた。そのまま森が密になったり疎になったりして路面も薄暗くなったり意外にも明るくなったりして、ダートは結構長い間続いた。途中で地図を確認すると、道道150までは意外に距離がある。それぐらいにこの道には注意を払っていなかった。
森の中、滴る水滴は次第に増えてきた。少しづつ標高が上がると共に雨は濃くなったようである。道端の茂みには熊っぽい甘い臭いが時々漂い、そう思っていると風化しつつある大きな糞を見つけた。やはり順当に見知った道道を行くべきだったと思ったものの、戻るのも面倒くさい。まあこのまま突破してしまえ。できるかな。
そんな状況でも森の中、地図通りに道は続いた。一応ダートでの距離感覚はあるので、いつか必ず道道150に合流できると思ってはいたものの、地図通り合流できたときには嬉しかった。しかしやはり、雨の日にこんな道を通るものではない、とまた思った。
道道150でも引き続き雨が降り続いた。大変緩い斜度の道なので、そもそも標高300mを超えるまでにしばらくかかった。標高300mを越えるとさすがに斜度は少し増したものの、400mを越えてからは再び坂が一段落。何とほとんど平坦な区間まで登場した。そういえばこの峠、向こう側から登ってきたときに緩いにも程があると驚いたのを思い出した。
坂は緩くても、峠の標高が450mを超えているのはやや意外である。峠の手前はスノーシェッド。最後に峠の面目躍如的な距離数10m程度の最急勾配の先が清里峠である。到着は9:50。裏摩周展望台への道道1115が分岐している。というより清里峠を越えたこの道の清里側は、道道1115となるのだ。
確か最後に裏摩周に脚を延ばしたのは2001年だった、等と思い出す。あの日は激晴れで、ゴマフアブに包囲されて泣きながら劇坂を登ったのだった。今日のところは峠に立ち寄る理由は何も無く、そのまま通過。
下り側も、無人の大森林が延々と緩斜面に続く。
幸い自転車で下るには、経済走行に有利なぐらいの下りではある。しとしと降り続ける雨の中、延々と続く森を眺めつつ、あまり脚を動かさず登り返しも無く、かといって30km/hぐらいのいいペースは維持できていて、かなり淡々とした気分で下れる道だ。思えば今日のコース上、清里峠も斜里峠も北海道でも峠区間の距離が長いことが特徴である。
標高280m辺りまで下ると、ようやく周囲に畑が登場。標高260mぐらいでは急に雨が上がった。と思ったら、路面まで一気に乾いてしまった。周囲の山のすぐ頭上ぐらいの高さには、とろんと濃厚そうな雲がまとわりつき、均質に拡がっている。恐らくこの先、根北峠のこちら側までこんな感じで、ある高さから急に雨が降り始めるのかもしれない。
更に下り続け、まだかよ、まだなのかよ、と思って地図を読み返そうと思った辺りで、やっと「緑」の文字が道の脇に見え始めた。前回2009年の訪問は緑からの登りだった。その時のとにかく長い登りという印象が、今回上書きされた清里峠訪問だった。
緑では国道から逸れ、畑の中に続く裏道を経由。
確か駅前には自販機は無かったはず、なら国道を通るメリットは薄い(後日、実は駅周辺に自販機が存在していたことを知った)のである。
緑から更に下った青葉一区で、GPSトラックに従い道道1115から広域農道へ分岐。ここから斜里岳の裾野を時計回りに進む区間である。
斜里の風景の特徴は、伸びやかに拡がる斜里岳の裾野と何故か少し淡い色に思える空、そしてここ以外にあまり見かけない、不揃い気味の防風林である。中標津や十勝の整然とした防風林より木々の背が低く、1本1本の立ち姿が妙に不整形で、防風林というより少し列を作ってすぐに途切れ、途中で単なる植木になっているような箇所が目立つのだ。それらの要素が、斜里独特のどこか寂しい最果て感を形成している。ちなみに、この淡く寂しいような印象は、さらに先へ進んだ峰浜から知床半島側では、急に全てが濃厚に感じられるように激変するのが面白い。
斜里岳北側裾野には、所々で中腹から登山道や林道に変わる車道が、単独に山裾を登っている。そういう行き止まり系の道は外し、あくまで穏当な地形の場所主体に、清里峠から根北峠まで斜里まで下り切らず適度に地形の変化を期待しつつ、久しぶりの斜里地方の風景を味わおうというのが、今日の訪問の基本的な方針だ。
しかし、今日は結局国道244の越川まで、終始空は淡い青色じゃなくてどんよりと濃く重い雲で覆われていた。時々水滴がぱらついたものの降り続くような雨に至ることは無く、覚悟していた範囲の上限ぐらいで天気は比較的安定し、気温も何とか半袖2枚ぐらいでちょうどいい位には上がっていたのは幸いではあったものの、期待していた広々とした雰囲気はあまり味わえなかったように思う。
区間の前半、川向から江南へは裾野の起伏を横断するようなアップダウン。中半の来運から三井は標高が100m以下まで下がるためか、地形は起伏横断というよりやや平坦に安定する。
ただ、平面全体の傾斜は絶えず続いていて、妙に調子良く進める箇所や、その逆に訳もわからず妙に脚が重い箇所が入れ替わりつつ推移した。
丘陵と平面には森と畑と集落が続く。中標津に比べると畑作農家が比較的多く、時々小集落もある。廃校跡らしき集会場や、近年のものらしき公園的施設なども見かけた。しかし商店の類は全く無く、自販機すら1〜2ヶ所で見かけただけだった。
何となくのろのろと、いつまでも清里近くの裏道をふらふらしているような気がしていたが、いつの間にか下手に町を遠望する位置に来ていた。何とその町は斜里っぽい。そして、空は次第に暗くなり始めていた。
少し道を間違って登り方向に進むと、風が吹いて水滴がぱらつき始めた。何となくこの後の天気が危ぶまれる。少なくとも、少し高度を上げるとこうなるということがよく理解できた。これから向かう国道244に次第に近づく道ではあるものの、この道では国道244合流手前に軽い丘越えがあり、あまりショートカットも期待できないし、越川の早川商店に寄れない。
10年以上前、確か既に相当に寂れていたこの早川商店、現在営業しているかどうかはわからないものの、最低限自販機ぐらいはあるだろうと思われる。できればここで最低限水ぐらいは補給していきたい。
越川への下りは、やはり我ながら人が変わったように好調ペースに変わり、12:40、越川の早川商店着。
商店という名前でスマホ地図に載ってはいるものの、やはり想像通りシャッターはもう長いこと閉ざされたままっぽく、自販機が1台だけ店の前を守っていた。それでもここで持ってきたおにぎりを片付けるのには何の不足も無いし、流石の国道、腰を下ろすような道の縁石には事書かない。いろはすをボトルに入れてHotchefのクロワッサンを腹に押し込むうち、根北峠方面の谷上空がかなり重く暗くなってきた。山の姿も霞み始めている。さっきの不安通りの展開に変わりつつある。でも今日開陽へ向かうためには、根北峠へ向かわねばならない。
雨具を着込んで12:55、越川発。
やはり雨はすぐに降ってきた。「わかってたんだけどね」などとつぶやきながら雨に打たれ、谷底の緩い登りをとぼとぼと進みはじめると、しかしその後意外にも越川上手の、周囲の茂みが森っぽくなってきた辺りで雨は上がり、結局根北峠まで、いや、その後振り続くような雨にはならなかったのは幸いだった。まあ天気予報が大きく外れなかったというだけのことかもしれない。
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雨が弱くなってきた越川上手で、旧根北線の橋脚遺構が登場。来る度に遺構周囲の整備は進んでいる一方、周辺の樹木は成長を続け、10年ぶりの今回は遂に橋脚が足下から見上げられるだけとなっていた。ここに訪れた一番最初の時には、周辺の茂み(確かまだ茂みだった)からすっくと立ち上がった端正な橋脚アーチのシルエットに、思わず脚が停まるほどだったのに。
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長い長い谷底区間の後、国道244は峠の登り終盤でようやく次第にじりじり標高を上げ始める。
離陸後は、山腹を巻いてゆく道に、道幅、路側帯、照明やガードレールなど、そこかしこに国道峠ならではの頼もしい構築物がみられ、いかにも国道峠っぽい雰囲気が漂う。
そういう道の雰囲気、景色にあまり記憶が無い。前回この峠を通ったのはたしか2008年。あっという間にもう10年経っていたことを実感する。しかし峠手前では、観測小屋や機器等諸施設が記憶通り。自分のHPで写真を時々眺めているからである。
14:40根北峠通過。標高495m。越川は標高70mだったので、根北峠まで標高差420mを約15kmもかけて登ったことになる。やはりかなり緩めの峠だが、自分もそれなり以上にペースは落ちているのが情けない。
峠下は比較的普通の下りで谷底へ急降下。それからが延々と長い。
そんなことは予めわかっているし、今日のコースではもう清里峠である程度慣れている。しかし斜度は緩くても、谷を囲む山々の佇まいというか森のボリュームというか、渾然一体の山深さと迫力には「知床山脈」がひしひしと感じられる。さすがの根北峠だ。
下り区間の半分ぐらい、瑠辺斯辺りで現れる登り返しは、以前のトラウマでかなりしつこいように思っていたが、実際に訪れてみたら勢い+α程度で登れてしまう程度。そう大した登り返しではなかった。
その辺まで次第に明るくなってきていた雲が、知床方面へ向かって切れて、遂に真っ青な夏の空が現れた。日差しに照らされた明るく濃い緑もりもりの山肌に、またもや知床が感じられる。
こちらにもどんどん青空が拡がることを期待してはみたものの、だいぶ下った金山橋をピークとして再び次第に雲が空に拡がり、その雲は午前の雲とは違って多少高めの雲ではあったものの、その後開陽まで空が晴れることは遂に無かった。
金山橋あたりで道端の森外側の谷間が急に落ち込み、国道244も谷底を追いかけるように再び下り始めた。
延々と続いた山と森が切れ、西北標津の牧草地へ道は着陸するように降りていった。
西北標津で内陸へ向かう町道裏道へ。
あまりダートに踏み込まないように経路を選びつつ、裏道でさらに南下し、内陸から武佐へ向かう道道975に合流。
武佐までの地形は、平坦なまま全体的に傾斜していてぱっと見坂なのか何なのか全くわからない、根釧台地でよくあるパターンだ。広々とした牧草地の1本道なので、視覚的には斜度が全く感じられないのだ。脚には抵抗と意識しないぐらいに登り抵抗があり、自分が疲れていると勘違いする、そんな程度の嫌な傾斜だ。
ある程度登って、途中で道の向きときれいに拡がった裾の放射方向の微妙な関係で道が下りに変わると、急に脚が楽になり、それまで登りだったことがよくわかる。
向かい風だとてきめんにつらく、過去の訪問ではむしろつらい印象が強い道だ。今日は追い風気味なのが大変有り難い。追い風がありがたく感じられるのは、過去にここで苦労したお陰である。しかしそういう感覚とは全く別に、右手に知床山脈の整った山の姿を望みながら、広々と開放感溢れる牧草地、整然と続く防風林を進む道はとても楽しい。整然とした風景は、牧草地と防風林、つまり人の手が入った土地であることがその理由だ。
根釧台地一番北側の山裾に、虹別からずっと道道885・150・町道北19・道道975と続く1本道の共通の雰囲気として、中標津〜標津的な平野部牧草地の風景の、好ましい要素が凝縮されているように思う。そういえばこの道、ミルクロードなどと呼ばれることも多いのであった。
武佐から大きく角度を変えて町道19へ。風景はここまでにも増して広々としているのに、実態として山裾を登っているこの道は、やはりここまでに比べて明らかに脚に抵抗を感じる。視覚的には登っているという気が全くしないのが始末に悪い。ここまで来ると、毎年の根釧台地202kmコースの一部であり、いつもは下りに使っているので、どれぐらいの登りなのか頭では理解してはいる。
西北標津からずっと、再び雲が空一杯に広がってはいたものの、午前中のような重く低い雲ではなく明るく高く、もうしばらく雨の心配は無いと思えた。さっき国道244で青空を見て、もしかしたらこのまま夕方へ向かって雲が消え、開陽台では晴れの夕方に会えるかも知れないとまで思った。
しかし、少し甘かったかもしれない。武佐から山裾へと町道北19が登り始める辺りから、空の雲は再び厚く重くなり始めていた。
北開陽に近づくと、開陽台の全貌と展望台はよく見えた。更に開陽台の真上部だけ、何故か雲が明るい。すなわち、開陽台からの視界は開けている、ということである。しかし周囲とその外側ぐるっと全周が遠くまで、厚く雲が垂れ込めていて、景色が薄暗い。
開陽台からのそんな風景、つまり遠くまで視界は開けてはいるものの、雲が厚く全体的に薄暗い根釧台地を、以前何度か見たことがある。そういうときは、開陽台の登りをえっちらおっちら登ってどんより灰色の空と一面薄暗い根釧台地を眺め、それなりに満足して有り難いと思い、すぐ開陽に降りていた。そして直近の訪問として、去年はけっこう晴れた部類の開陽台に会えている。今日開陽台へ脚を向けても、どういう風景に会えてどんな気持ちになってどういう行動を取るか、けっこうな確度で想像が付いているように思えた。そして自分はやはり晴れの日の開陽台の方が好きだ。晴れでも曇りでも霧でも昼も夜も開陽台は開陽台なのだが。
去年から1年間、再び開陽台に来ようと思い、開陽台の手前まで来ることができていること自体は大変ありがたく素晴らしいことだ。しかし今日の所は、何も無理しないでもいいのではないか、と思えた。可能性は低いものの明日は202kmコースに行けるかもしれないんだし。
16:40開陽「民宿地平線」。
明日の天気予報の好転を期待していたが、夕方の時間予報では相変わらず6時に雨、15時に雨。これだけなら3年前の202kmコース訪問時と同じではある。しかし今日の天気を見ていると、曇り予報の実態には全く期待が持てない。恐らく1日中霧雨〜本降りなのだろうと思われた。宿主の石川さんにもご意見を伺ってみると、即答で一言「ザーザー降りでしょう」とのこと。今までもかなり確度が高い石川さん予報であり、天気予報よりかなり悪くてもこちらの方が信頼度は高い。
少なくとも夜明けに起きて雨が降っていたなら、明日の202kmは即中止することにした。
記 2017/10/14