中川→(道道541他)歌内→(国道40)雄信内→(道道256)幌延
(以上#8-1)
(以下#8-2)
→(道道121他)沼川
(以上#8-2)
(以下#8-3)
→(道道1119他)下増幌→(道道1077)東浦
(以上#8-3)
(以下#8-4)
→(国道238)浜鬼志別→(国道238)浜猿払→(村道エサヌカ線・天北南部広域農道他)浜頓別
158km
ルートラボ
昨夜時点で天気予報は夜明けまで雨、6時から晴れだった。4時に起きて一度外を眺めると、夜明けの明るい澄んだ空が見えたものの、しばらくいつものように出発準備とながら朝食を進めて5時頃もう一度外を眺めると、いつの間にか空一杯に厚く低く薄暗い雲が拡がっていて、荷積み中に雨まで降り始めた。これだと天気予報の通りではある。
今日の宿は浜頓別「トシカの宿」。宗谷本線沿いに道道を乗り換えて幌延、内陸の道道121を周辺の未済裏道主体で内陸を宗谷湾数kmまで北上し、宗谷丘陵南の道道1119でオホーツク海へ半島横断、最後は静かなエサヌカ線で浜頓別へという予定だ。特に通行止め情報は無い。
似たようなというより、今日とかなり似たコースを2012年に訪れている。天気に恵まれて何とか走れそうな今日も、一昨日に引き続き2012年のコースと似た道を通るのは何だか因縁を感じる。
今回は前半の幌延以北で、道道121周辺の未済脇道をいくつか通る点が目新しく、楽しみだ。ちなみに内陸の道道121は、仁宇布から中頓別までやはり内陸ど真ん中の山中を延々北上する道道120の1番違い。ともに道北内陸の基幹道としての位置づけが感じられる。
荷積みが終わったところで、ちょうど雨が止んだ。幸先がいいようではあるものの、山の谷間にはまだ低い雲がとっぷりしつこく貼り付いて溜まっていて、いつ再び降り始めても何の不思議も無い。大丈夫、これから晴れるという天気予報を信じて、多少降られても希望を持って進もう。
5:50、中川「ポンピラアクアリズイング」発。案の状、町外れから再び水滴が空気中にぱらぱら感じられ始め、そして町を出るとあっけなく雨に替わった。勢いは弱いが密度が濃い雨で、雲の低さとどんより具合を見るとなかなかしつこそうだ。こういう雨は、意外とすぐに服がずぶ濡れになって身体が冷えて動けなくなってしまう。出発したばかりで何だか前に進もうという気が削がれるものの、仕方無い。立ち止まって雨具を着込む。
雨は、弱まったと思うと道の向きが変わっただけでまた強くなったり、なかなか途切れてくれない。そして空は意外に明るいような気はするものの、劇的に明るくなり始めるということは無い。まだしばらく基本的に雨が続くのかもしれない。今日のように雲が低くて密度が濃い状態では、山裾では当たり前のように雨っぽくはなるのだろう。
歌内から私的基本パターンで国道40へ。途中、歌内大橋から濁流の天塩川を眺めてみる。というより、ざーっという重低音に、橋の上で思わず脚が停まった。流速がやや速い泥水が、川幅一杯に溢れそうだ。川面には水煙が漂っている。息を呑んだ。近年の訪問では道北の天候が不安定で、穏やかな天塩川を眺めた記憶が無いが、これまでで最大級の迫力だ。恐怖を感じるほどだ。
今、今回の大雨が過去の北海道Tour中最大級であることを実感した。道東の中標津からここ、道北まっただ中の歌内まで、大雨による行程への影響としては最悪の事態からは逃れることができていたことがよくわかった。
しかし一方、空の南半分が見事に晴れ渡っていることに初めて気が付いた。いままで走ってきた区間は、もうすっかり見事に晴れ始めていて、空が南半分の雲一つない青空とこれから向かう北半分のどんより雲に、まるで冗談みたいに分かれているのである。雨雲と晴れの境界が南からやってきて、北上する自分のいるところに迫っているのだ。だから雨が降ったり止んだりするのだろう。雨雲と晴れの境界よ、早く追い越してくれ。等と思っていると、また雨が降ってきた。
国道40では、雨が止んだり大雨だったり。雨具は上下バッチリだし、バッグは防水スプレーでこてこてに防水済だ。ほんの少し追い風気味なのが有り難く、安定しない道路際路面のスリップを避けるために25km/h制限で進むほど。しかしやはり雨だと辺りは暗く、風景の色は全体的に灰色っぽく、何より太陽の光を浴びることができない。
思考は自然と内向きになり、対照は目の前にあるものと全く無関係に、そして自分の中だけを回り続けてゆく。もしこの場所で今晴れだとしても、暑すぎればやはり身体を動かすのもつらいし、思考だって鈍る。自転車で走っているだけのことなんだが、どうもあまり自由ではない。つくづく人間なんて弱いものだと思う。
雄信内の先から道道256へ。
南幌延の手前で雨が消えるようにすっと止んだ途端、軽いというか乾いた風が吹き始め、空気が一気に軽くなった。見る見る路面も乾き始め、急に空の雲が明るくなってきた。天気が回復基調に移行しつつあるのだ。
7:50、幌延着。宿でちゃんといろいろと朝食は摂ったものの、今日はこの先オホーツク海岸の浜鬼志別までセイコーマートは無い。せっかくのセイコーマートだし、雨も一段落着きつつあるので、少し休憩することにする。その間、雲の中は眩しく明るくなり、ところどころ雲が切れて青空が見え始めていた。いいぞ。
8:10、幌延発。幌延の町中には徒歩通勤の人々がいそいそと仕事へ向かっている。その中に、登校中の小学生が目立つ。横断歩道には緑のおばさんもいた。おばさんと言っても多分私より15歳以上確実に若そうな人ではある。
夏の北海道ツーリングで普段見かけない風景に、尋ねてみると、道北の小中学校は今日から2学期開始らしい。もう8月も18日だ。北海道の多くの小中学校が8月21日に2学期始業であることは知っていた。道北は夏休みが短い分、冬休みと春休みが長いのだろう。
町外れから再び空が暗くなって、セイコーマートで一度脱いだ雨具を再び着て丘陵を登る羽目になった。雨が降っているかと思うと空の中が妙に明るくなり、途端に日差し成分で体感気温は一気に上がり、ここまでおよそ縁が無かった汗というものをかき始め、何もこんなに急に気温が上がらなくても、と思う。まあまだ雲が厚く、日差しもそう長く続かない。
ゆめ地創館の手前で、GPSトラックに従い、まずは脇道一発目。
しかし、200mほど進んだところで舗装路面が切れ、のみならず道全体が茂みに完全に埋もれた。明らかに廃道である。仕方無い、最初の脇道は撤退だ。希望を捨てずに次へ行こう。
次は豊富町大規模草地育成牧場だ。本流の道道84交差脇で分岐して、道道121とは少し離れて牧草地の丘陵を進む、数kmの回り道である。
茂みが続く狭い谷底から丘陵の裾を登る途中で、勢いよく流れていた雲が切れ始め、どんどん青空が増え始めた。
丘陵の中腹から稜線へと高度が上がると、辺りの眺めは周囲の丘を越え、一気に拡がった。
近景から遠景へ、緑の牧草地と茂みが丘に続き、移動と共に刻一刻とダイナミックに動いてゆく。
そして雲は勢いよく動き、日差しが現れた途端にボリュームたっぷりの緑の丘が軽やかな草原へと、風景のニュアンスがまたがらっと変わる。
以前道道121を訪れた時に、地形図から期待していたがやっぱりほんの少し物足りなかった、その期待通り、いや、期待を超えた空間体験である。この景色のどこかに、実はその道道121もちらちら見えているのかもしれない。
毎度のことで、何故もっと早く来なかったのかが悔やまれる。
牧草地の丘に、道は結構長い間続く。そして丘のアップダウンもそれなりにある。実は道道121より100m弱ぐらい高い場所に登ってはいて、北向きに下り基調の道道121と比べてやや時間の掛かる寄り道ではある。しかし、楽しくて仕方ない。良い道である。見事な眺めにしょっちゅう脚が停まるので、ますます歩みは遅い。
後で思い返すと、何だか過去経路の焼き直しだよなと思っていた今日のコースへの気持ちは、この丘で完全に変わった。
道道121に戻り、もうすっかり晴れ基調の空の下、沼川の谷間にどんどん下って行く。
丘陵から谷間の平地に降りてきて道端にも牧場農家が目立ち、ひたすら牧草地だけが続いた大規模草地育成牧場よりずいぶん人里っぽい。
何度か通っているせいもあり、すっかり既知の場所に戻ってきたという気分になる。
10:20、沼川A-COOP着。
沼川は声問川の谷の平地から少し丘陵の裾を登った場所にある。実は集落手前の丘陵登りがやや直登気味で、毎回閉口する。というのはさて置き、集落にはセイコーマートも他コンビニも無いものの、代わりに手頃な規模のA-COOPがあり、屋根付きのバス停もある。かつては天北線の駅があり、「沼川」という名前が地形図の名前にもなっている、この辺りでは比較的頼りになる集落だ。
この先、浜鬼志別まで商店は無い。いつものようにA-COOP店舗の軒下で地べた座りで小休止。ツーリストのやること立ち居振る舞いは、51歳になってもあまり変わらない。
10:40、沼川発。
少し山裾側に回り道してから道道1119へ、宗谷湾からわずか数km手前の下増幌を目指す。
2012年訪問時、沼川から下増幌へは、西側に並行して北上する道道121を継続して通っていた。
もう山裾区間の一部を除いて標高はほとんど20m台。
風景にはさっきの大規模草地育成牧場のようなドラマチックな展開は無い。
とはいえやや狭い谷間は、牧草地でも低山が背景だったり、時々人里離れて妙に山深い。
低地に拡がった平地に右往左往する道道121より、こちらの方が風景の展開は多彩であるように思える。
そして、山裾だとやはり雲は消えていなくて、明るく熱い日差しを時々隠して、ちょっとした丘越え時に暑さから助けてくれていた。
下増幌手前で道道1119と離れて稚内市道へ。宗谷湾の海岸へ続く平原に、電柱と共に一直線の細道が続く。海岸までもう数km。平原の開けた空間で西からの横風が強く、やや難儀する。大丈夫、東向き横断区間の道道1007では、この風が追い風になってくれるだろう。
ここまでいろいろと寄り道してきたものの、コース変曲点の下増幌には何とかお昼前に着けそうだ。これならレストランさるふつの、早すぎるランチタイム終了時刻(14時)にも何とか間に合うかもしれないという気になってきた。いや、順調に進めば可能性はある。青空には勢いよく白い雲がちぎれて飛んでいる。日差しが出れば草原は輝くように明るく、曇れば気温がぐっと下がり、気分は上々だ。
11:50、下増幌着。そのまま宗谷半島横断の道道1007へ。
オホーツク海岸の東浦まで無人の森が続く、内陸の分水嶺越えだ。しばらく谷底に茂みが続く区間では、道の姿はややくたびれた雰囲気の道道そのものだ。路盤もそう高くない。
しかし、おもむろに離陸し始めたと思うと、いつの間にか道幅、路盤部、フェンス等々の雰囲気が、ここ10年以内ぐらいに開通したような新しい道道の雰囲気に替わっていた。まあこういうことは2012年に訪れてわかっている。
中央のピーク部分まで、あとは登りが続くはず。とはいえ斜度は5%程度と思っていると、意外にすぐ丘陵稜線部に到達。
峠部分を乗り越え、あっけなく下り区間へ移行した。標高160m、それぐらいでももう少し登りが厳しい道はあるような気がする。全体的に登りも下りも斜度は緩いのだ、この道は。
峠部分直下、橋と切り通しで一気に谷底へ下る区間の、オホーツク海岸へ絵年と続いてゆく樹海、そして樹海を飛び越えて飛び込んでゆくような道の展望は、道道1007全体で最大の見所だ。
この区間のために、数年前まで地図でこの道を未開通の線で眺めていたのだ。この眺めと自分がこの道を通れていることが感慨深い。他の未開通道道も、いずれいつか通れるようになり、こんな感慨を覚えるのだろう。
樹海の谷底に下りきると、道の表情が峠越え区間とは露骨に替わり、再びややくたびれた2〜30年ぐらい前の道道の雰囲気が漂い始める。長年この道が途中まで続き、登り始めで終わっていたのだろう。ツーリングにはこれぐらいの方が落ち着ける。
オホーツク海岸まで約10km。周囲はずっと樹海、樹が高いだけ下増幌側より更にだらっと単調な味わいだ。そして、こちらのオホーツク側では薄曇り。日差しは影が目立たないぐらいに弱い。まあこれぐらいが却って暑くないかもしれない。
もうほんの少しでオホーツク側だと思っているとだらだらと冗長な、大変カジュアルな平地の森だ。
13:05、東浦着。浜鬼志別まで15km。さっきまで東向きの風だったのが、オホーツク海岸では南南東向きに替わっていて、見事な追い風である。これならレストランさるふつは楽勝だ。
海岸沿いの国道238には、登りも下りも殆ど現れない。道道1007の森から東浦で眼前に海が拡がったときには、「おお!」ぐらいの感動はあったものの、5分も海が続くと、変わり映えしない海の風景にそろそろ退屈になってくる。現金なものだ。
空の雲はかなり高いものの、完全に空一杯に拡がって、日差しは完全に消えていた。海岸線の微妙な凹凸や小さな川、丘や、苗大路、知来別、知来別シネシンコ、浜鬼志別シネシンコと独特な地名を時々眺め、交通量はだいぶまばらながらいかにも国道らしく時々通り過ぎる大型車に抜かされたりすれ違ったりしながら、番屋がぽつぽつ並ぶ海岸で脚を回す。ややどろんと、それでも重いというほどでもない色のオホーツク海が、行程の単調さを盛り上げる。幸い今日は追い風基調なので、進むのが楽なのがまだマシだ。
しかし追い風だけあって進行は意外に早く、13:30、浜鬼志別の漁協売店到着。近年ここの前を通るように計画しても、毎回お盆休みだったこの売店。今日はもうお盆明けで営業中だ、やった! と喜んでしまうほど、やはりここの冷凍ホタテは過激に安い。お徳用パックだとホテルさるふつ売店のざっと半額程度。いや、あっちも札幌価格や内地価格より安くて甘くて美味しく、不満など何も無い。こちらが安すぎるのだ。
浜鬼志別のセイコーマートはこの際もう通過、13:50、ホテルさるふつ着。自転車を停めて速攻でレストランへ。やはり昼食営業は14時までだった。せめて15時だと大分来やすくなるのだがとは思うものの、この国道238のまばらな交通量を見ていると、営業合理化としてある程度仕方の無いことのような気もする。とりあえず直近の行動として、全力でホタテフライ定食を食べることに迷いは無い。
14:15、ホテルさるふつ発。走り始めると、ホタテフライ定食で腹ががぼがぼになっていることが実感される。こういう時に追い風なのは、大変に有り難い。
浜猿払まで9km。辺りはまるっきり平野なのに、道端に登場するのは茂みと電線と時々の民家かライダーハウスだけ。
道が海岸からやや内陸へ入り、海の眺めは次第に無くなり、風景を更に単調にしていた。
芦野への分岐、スノーシェッドを過ぎ、浜猿払へ。浜猿払から今日の終着浜頓別へは、近年毎度の村道エサヌカ線を使う。
このエサヌカ線は、浜猿払の集落を外し、少し先で国道238から海岸沿いへ向かう正規ルートが設定されている。しかし一介の自転車ツーリストとしては、少しでも交通量が少ない細道の方が落ち着く。集落経由の細道では、一番海岸沿いの道沿いの民家がことごとくぱっと見築10年以内、いや、その多くは築5年以内の、しかもけっこう大きな住宅ばかりだ。真新しい民家自体は北海道では珍しくないものの、この辺はその傾向が顕著だ。羅臼では海岸の漁村が羅臼御殿と呼ばれていることを思い出した、その羅臼御殿よりさらにゴージャスに見えるこちらの家々も、聞くところによるとホタテ御殿というらしい。
浜猿払の集落を過ぎると、細道は本格的にエサヌカ線に移行する。
海沿いの牧草地に幅6mぐらいの道が、道幅が1点に収束するぐらい視界の彼方へ一直線に続いてゆく。国道238がもっと内陸へ向かってから低い丘を横断したり、何度か緩く曲がったり、時々低い台地に乗り上げたりして、最終的に海岸沿いの浜頓別へ辿り着くのと違い、こちらは海沿い1本道。浜頓別へ距離はやや短く、海岸近くなので丘の緩い登り下りも無く、何と言っても大型トラックが全く来ない。ただ、風の影響は受けやすい。幸い今日は、オホーツク海岸へ出てからずっと追い風が続いている。
エサヌカ線は最初は岸壁の端から海が見えるほどの海岸沿いに、次は海は見えにくいがまだ波の音が聞こえるぐらい、というように少しずつクランク状に内陸へスライドしてゆく。クランクで内陸側へ移ってから最初のうちは次のクランクが見えることが無い程度に、それぞれの区間は結構長い距離で続く。
そしてクランクを経由し、内陸側へ移ると共に、前方にうっすら低く見えていた歌登の山影が、少しずつ大きく、色が濃くなってきた。
再び空の雲が流れて、日差しが現れていた。さすがに牧草地で脚を止めるとすぐにゴマフアブが寄ってくるものの、天気も風も時間的にも全く心配が無い今日のエサヌカ線である。途中で猿払村から浜頓別町に入ると、道の名前は村道エサヌカ線という名前じゃなくなるが、そんなことはどうでもいい。浜頓別まで17km、1本の道なのだから。
山影が次第に大きくなってきた。坂皆無で追い風という好調要因と、写真を撮ったり草原を眺めて道端でパンを食べたり、どうしても時々立ち止まってここにいたいという気持ちがせめぎ合った結果、浜頓別までは2時間かかった。
まあ、幸せなのんびりペースである。思えばルートラボで計画精度が抜群に上がり、ドコモ回線で現地の天気予報をほぼリアルタイムで収集できるようになって、無理な計画をしなくなった。
16:10、浜頓別着。
セイコーマートに立ち寄って、お金を下ろして明日の朝食にHotchefの(豚丼)とクロワッサンを買ってから、16:40、「トシカの宿」着。
夕食は待ってましたのジンギスカン。同じテーブルの方々がジンギスカンを熟知した方で、野菜と肉を焼く順番、食べるタイミングにペースなどなど事がスムーズに運び、大変有り難かった。
明日の天気予報は、朝の予報からかなり悪化して午前中雨に変わっていた。その後曇り時々晴れである。仁宇布までの行程をどうするかが問題だ。
仁宇布まで行くなら、道道120の歌登から先の山奥で雨に降られたり、そうでなくてもなるべく17時以降に仁宇布に着くような行程を組みたくない。そして、仁宇布まで公共交通機関で辿り着くためには道道120経由ではなく、音威子府・美深経由となる。
つまり、雨の降り方や明朝の午後予報次第では、道道120での自走仁宇布到着ではなく、本来の経路とは全く離れた音威子府から輪行に切り替える必要がある。つまり、予定コースを進みながら仁宇布自走と音威子府アクセスの両方を藪睨みする必要があり、更に決断の時刻はなるべく遅くできるコースの方が、結果的に無駄の無い行動ができる可能性が高い。
もし明日朝の時点で天気が予報より悪化して、雨が午後まで延びそうなら、もう朝からバス輪行に切り替える方がいい。このため、自走でもバス輪行でも浜頓別は朝の早いうちに出発する必要がある。とりあえず自走として、コースは国道272で小頓別→歌登の一拓だ。これなら小頓別、最悪歌登まで決断ポイントを先延ばしにできる。走行距離は仁宇布までフルコースの場合で120kmとかなり短め。天気が不安定なので、こればかりは仕方無いかもしれない。中頓別から直接歌登へ向かう道道120の兵知安峠は通行止めという情報だし、とにかく朝雨が降っていて、お昼以降も曇り予報なら、大回りで知駒峠に向かう選択は全く無い。
そして更に明後日の天気予報は、何だか夕方から大雨らしい。かなり大型の低気圧が着々と脚を進めてきていて、天気図を見ればその確度は一目瞭然なのだった、悲しいことに。明後日夕方、美瑛の自走到着と翌早朝の旭川空港アクセス手段を何か考える必要があるかもしれない事態もありうる、と思った。そして実際の展開はそんな簡単なもんじゃなかったことは、この時まだ知る由も無かった。
記 2017/2/18