開陽→(道道150他)養老牛→(道道505他)計根別
(以上#2-1)
→(町道・道道362他)矢臼別→(道道928)茶内原野
→(町道)中円朱別→(道道123)東円朱別
→(農道)大和→(道道988)姉別原野
(以上#2-2)
→(道道988)恵茶人→(道道142)榊町
→(道道123)霧多布
(以上#2-3)
→(道道123他)厚岸
174km
霧多布を過ぎ、茶内方面への交差点を過ぎると、1999年以来10年振りの道だ。
まずは霧多布の湿原が終わる琵琶瀬から、琵琶瀬高台への登りが始まる。
丘の上から見下ろす湿原が霧多布の町の広がりに続いて行く様は見事だが、いかんせん水滴が雨になり掛けている。先を急ごう。 ▼琵琶瀬高台にて 展望240°(Quicktime VR) 画像上でマウスをドラッグしてください
渡散布、火散布とさっきのようなアップダウンの後、藻散布への丘にはこの道数少ないトンネルが設けられている。ここにトンネルが無いと、何だかかなり急な坂になってしまうような気がする。さっきの榊町トンネルも何だかそんな感じだった。多分やってられないのでいち早くトンネルが造られたのだろう。
その短いトンネルを抜けると、藻散布の集落と藻散布沼が登場。狭い谷間の海側と陸側に続く、海と沼の開けた空間が独特の雰囲気だ。雰囲気だけではなく、ここは1986年の初めての北海道ツーリングで、とても印象に残った場所だった。
その日は、阿寒湖の向こうの野中温泉から、この藻散布に建っていた旅人宿「白鳥の宿」までの行程だった。標茶から先の根釧台地で、所々で地平線が拡がる景色に圧倒されつつ、上腕に日焼けの水膨れができたほど鋭い日差しに意識が遠くなるほどだった。ところが、厚岸の海岸に降りた途端に冷たい霧の中に突入。今度はトレーナーに上着を着ていないと寒くて歯がガチガチ鳴る低温で身体が縮んだところに、道道142で海岸台地の登りが登場。おまけにこの道道142がダートから歩道に舗装中で、随所の深砂利ダートでもうへとへと。濃い霧にくねくねカーブでどこを走っているのか全くわからない状態で、霧の中から唐突に現れた沼地がこの藻散布だった。
道の脇の看板を頼りに、何とか宿に辿り着いた時点でもう19時過ぎ。宿の前で荷物を下ろしていると、脚、腕、露出した肌にアブラムシみたいな細かい虫がいっぱいたかってきた。アブラムシだと思ってしばらく放置していたが、あんまりたかってくるので払うと、手が真っ赤っかになってしまった。血だった。虫は北海道独特の、網戸が役に立たないほどの微細吸血昆虫ヌカカだったのだ。
怖れおののきながら宿に入ると、何と食堂には真夏なのにストーブが焚かれていた。寒いのにようやく納得。ここはそういう場所なのだと思い知った。その食堂で食べた花咲ガニと毛ガニの合わせ味噌汁「花毛汁」の美味しさが、その日最後の強印象で、まあとにかく道東の驚異にやられっぱなしの道東初日だった。
白鳥の宿自体はいつの間にか宿を畳んでしまったようだったが、建物自体は前回訪問の1999年、まだ残っていた。今回も道道の橋の上から、藻散布沼のほとりに黄色くペンキが塗られた小さな番屋をすぐ見つけることができた。1986年から20年後以上、前回からでも11年。ちらっと眺めただけの再開だが、思い出すことは多い。
藻散布からの登りは、何と全面的にルートが変更されていて、地図とは全く違う経路で藻散布沼沿いに丘の側面を大きなカーブを描いて台地上に乗り上げる。
登った台地では、鬱蒼と濃く低めの不気味な雑木林が続く。熊出没注意の看板が時々立っていて、さらに不気味さを盛り上げる。
その表情は、この道の恵茶人海岸の更に東、根室市内の初田牛・落石間の森ととても似ている。違うのは向こうは道が延々とほぼ一直線、こちらはくねくねとやや迷走気味であることだ。
時々道が台地の際に近づくと、森が切れて辺りが笹原になり、見下ろす谷間に太平洋が登場する。▼動画35秒
所々に展望駐車場も設けられていて、青空の日の景色を想像してしまうが、いかんせん今日は軽くぱらついたり止んだりの冴えない天気。海もなんだかとりつく島のない鉛色なのだった。
海縁の道はまた内陸へ戻り、鬱蒼とした森が再開する。
時々鎖ゲート閉鎖中のダート林道入口が現れる。それらは間違いなく熊注意系の道で、なかなかこの道道142から更にその内側に踏み込みにくい原因になっている。
その林道の名前の地名で、自分の位置が少しずつ西へ進んでいることを理解できるのは少しありがたい。
標高60〜80mぐらいで推移していた道は、軽いアップダウンを繰り返しつつ高度を上げ、最後に130m弱の通信塔脇まで登ってからおもむろに下りが開始。
床丹からの道道955と合流すると谷間が拡がって、藻散布からここまで20数km登場することの無かった民家が登場。すぐに目の前に厚岸湖が現れた。
厚岸湖と陸側の小山に挟まれた狭い浜辺に続く漁村では、道の脇に建つ家々が新しめで、活気がある。全国に有名な蠣をはじめ、海の幸が豊かな土地なのだろう。そろそろ夕食の煮物らしい香りが路上にまで漂っている。自分の空腹にも気が付いた。
厚岸市街から1本裏手の道の厚岸港へ、その外海側に目指す厚岸愛冠YHがあった。17:50、厚岸愛冠YH着。
厚岸愛冠YHに泊まるのは今回初めてだ。厚岸への宿泊自体も初めてである。前述の1986年の低温ショックが強烈な印象で、もっと道東の奥へ訪れるようになり何が起きてもあまり驚かなくなったても、厚岸という場所にあまり根拠の無い警戒心が残っていた。泊まるときには腰を据えたい、と。このため、毎回の計画では経由はしてもなかなか泊まるまでには至らなかった。
まあ一方で太平洋岸・内陸、そして東側・西側相互間の移動には便利な場所ではあるし、釧路・根室間の最大の町で利用価値は非常に高い。というわけで、今回はごく自然に厚岸に泊まることにしたのだった。
その初めての厚岸愛冠YHは、遠藤旅館という旅館併設のYHである。旅館併設のYHの場合、建物は旅館エリアとYHエリアが分かれている場合が多い。今回はやや古めの建物だが、旅館とYHは完全に一体化していて、布団敷きと浴衣のサービスが無いだけのようだ。部屋も古めでいかにも商人宿そのもので素っ気ないが、鍵付き完全個室なところまで旅館と一緒、これは非常にポイントが高い。
ところが、それ以上に度肝を抜かれたのが食事だった。
何と作り分けるのが面倒くさいからか、旅館と全く同じ内容の食事が出てきたのだ。さっき漁村を眺めて腹を減らしたその厚岸の海産物が、色とりどり&ボリューム満点なのである。大きな蠣が貝殻付きで3個、これとは別に蠣の鍋が付き、もう一つ目玉が今朝取れたばかりのサンマ煮付け、刺身、そして甘エビ。その他鶏肉の大きな焼き物、野菜もたっぷり、と後は一緒くたにしてしまうが、おつゆに至るまでテーブルに乗り切らない。
旅館で出たとしても過去最上級の食事、それがYHで出てきたのである。蠣はさすが噂の厚岸、と言い切れる素晴らしさだったが、それ以上に良かったのがサンマ。魚好きの私は、サンマは特に大好きなのだが、煮付けも刺身も脂が乗っている以上に豊かとしか言いようが無い、新鮮というのも少し違う、食べたことの無い味わいなのである。この「豊かとしか言いようのない味わい」、昨年の羅臼でもいろいろな海の幸で感じることができたが、やっぱり道東の海産物はいい。良すぎである。
私的過去YH最高夕食は、幌加内で何年間かYHだったころの朱鞠内そばの花YHということになっていたが、これを軽く更新してしまう凄い食事なのだった。
記 2009/8/29
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