九鬼港→(県道574)九鬼→(国道311)二木島
(以上#2-1)
(以下#2-2)
→(国道311)大泊→(国道42他)有井
(以上#2-2)
(以下#2-3)
→(県道141)永田→(町道)相野口
(以上#2-3)
(以下#2-4)
→(県道740)三和大橋→(県道780・国道169)日足
(以上#2-4)
(以下#2-5)
→(県道44)鎌塚
111km
宿のすぐ前には九鬼港の海面が拡がっている。その九鬼港と宿の間の茂みに、九鬼神社への階段があった。見上げると、階段はせいぜい建物4階建て程度の高さのようだ。そういうことなら、菅原道真を祭っているというその九鬼神社が、九鬼水軍発祥の九鬼港にあるということが何だか有り難く思えてくる。しかも出発前の5分10分でお参りできるとなると、いや、そんなに時間は掛からないだろう。やはりここはお参りしておかないわけにはいかない。
6:15、九鬼港発。県道574から国道311へ復帰、海岸沿いで熊野市を目指す。
この道は2006年に訪れているが、こよなく美しい海と緑の山々、そしてところどころ漁村部の交通量極小の癒しの道がずっと忘れられず、今回の再訪となった。
とはいえ九鬼からの登りは、交通量こそ少ないものの300番台国道標準というか、ごく普通の片側1車線ずつ、やや埃っぽい表情の道。
登りも激坂などではなく、入り組んだ湾の漁村から岬の山間へ登ってゆく、ごく普通の海岸国道である。うっそうと茂った常緑樹や法面のシダが、南国らしさを感じさせるだけだ。
ところが早田町への分岐の先、突如トンネルが登場。前回確かにこのトンネルを見た記憶はあって、だいぶ前のツーリングマップルにも載ってはいるが、手持ちの5万図には乗っていない程度に新しいこの道、ここまでのやや余裕の無い道とは違う、今時風の余裕のある道である。
400mぐらいのトンネルが終わると一瞬外に出て、50mぐらい先で再び1200mのトンネルが始まり、山間を一気に通過。トンネルを抜けると普通の国道っぽい表情が復活し、海岸の三木浦へだだっと下ってしまう。見渡す賀田湾の静かな内海と、萌える緑の対岸の山々が作る濃厚な色の景色が何とも感動的だ。早くもここを通るコース取りにして良かったと思う。
同じ湾の一番奥、三木里の手前では軽い登り返しがあるが、そんなものこの道では珍しくも何ともない。そのまま三木里の海岸へ向かって道は下ってゆく。この三木里で、道が海岸へ降りる途中で、前回とはやや雰囲気が変わっていることに気が付いた。それは、海岸に向かって行く道の海側、海岸に堆く砂利が積まれているのである。
一体これは道路でも拡幅するのか。更にその先、真っ白な砂浜に近づくと、何と人工の岬みたいな防波堤みたいなものが作られ、海岸に突出してしまっているのだった。誰がこんなの考えたかわからないが、あの美しく素朴な砂浜はどこへ行ってしまったのか。リゾート施設建設全盛のバブル時代を経て2000年も9年目に突入するこのご時世、まだこんなことを考える人がいるのか。
その先の三木里の集落は緑の山々を背景に美しい漁村のままだったが、ちょっと残念な三木里訪問になってしまった。
三木里で折り返し、賀田湾の内海の向こうに今まで通って来た岸を眺めながら古江町・賀田町へ。
賀田町はこの辺りではやや大きな漁港を擁する町で、町並みも密度が濃いように見える。
そんな密度の濃い町が湾の一番奥にあるため、高い山に駆け上がる新緑が背景となって、とても落ち着いた漁村の風景となっている。
賀田町では県道70が山の中へ分岐してゆく。この道は山中をトンネル越えでばんばん抜ける国道42へのショートカット道路となっている。一方、この先更に海岸沿いに続く国道311の熊野市甫母町には、幅員制限ならぬ、全長8m以上通行不可の長さ制限があり、大型車はほとんどここで県道70〜国道42で熊野市か尾鷲へ向かうため、こちらは今まで少なかった交通量が更に少なくなるのだ。
賀田町とほとんど港続きの曽根町を過ぎると、すぐに真新しいトンネルが登場。
5万図だけではなく、手持ちの一番古いツーリングマップルでもまだ破線の建設中で描かれるこのトンネル、この国道311海岸沿い区間でも開通が一番遅いのだろう。
例によって国道311標準より登りはかなり緩めで、長いトンネルが途中で一瞬外に出てまた長いトンネルが始まるところも、さっきの三木浦の手前のトンネルとそっくりだ。
トンネルから外に出た道が、二木島湾側の漁港を見下ろしながら通過。
道が下り始めると、急に道幅は細くなり、海から切り立った岩場の茂みの中をくねくね高度を下げていった。この道のもうひとつのハイライト、甫母町の全長8m制限細道区間開始である。
道は極端に狭いのに海側にはガードレールすら無い。ただ棒が等間隔で立つだけなのは落下防止のつもりか。下りきる手前から辺りの木々も無くなり、道と棒の外側はすぐ海になった。
下りきったとは言え、まだ海面まで高さがあるので、落ちたらただごとでは済まなさそうだ。
何と無く見ていて怖くなり、なるべく岩側に寄って通行するので、棒だけでもそういう意味では効果があるのかもしれない。
甫母町の漁村に入ると、民家と海岸線の防波堤の間に3m程度の道幅が続き、小さな湾をぐるっと回って反対側の岸へ。
この防波堤の中に直角に近い曲がりがある。これが車長制限の所以だろう。
国道としては狭く屈曲したイレギュラーさばかりが目立つが、景色は至って美しい。
二木島湾の中をまたくねくねと少し登って、道は同じ二木島湾一番奥の二木島へと向かって行く。
紀勢本線の駅があるだけのことはあり、二木島の漁港はどこか賑やかだ。そういえばこの熊野灘の漁村は、どこも元気そうな賑わいが感じられる。
集落の中から国道311へは少し急な登りである。昔はこちらが国道だったのだろう。すぐに紀勢本線を遙か下に見下ろすくらいまで登って、再び国道311に合流。
トンネルをくぐると次の新鹿湾である。
まずは遊木町を見下ろしながら、道は海へ向かって一目散に下ってゆく。
遊木町からは、岩場のエスケープなのか少し登り返して新鹿へ。
前回新鹿では、エメラルドグリーンの海に真っ白な砂浜がすっくと高く聳える緑の山々をバックに湾中央の漁村が現れ、それは度肝を抜かれるほど鮮やかな風景だった。
今回もそれがこの道の大きな楽しみの一つだったのである。
前回のインパクトが強すぎたのか写真を自分のHPで見慣れてしまったためか、天気も季節も同じようなのに、今回はそれほどの衝撃の景色ではない。
それでも深くこぢんまりした湾の空間感覚、美しい海と漁村と新緑は、それだけで十分すぎるほど素晴らしい景色である。
もうそろそろ終盤のこの熊野灘区間の、最後のハイライトである。
湾の反対側、砂浜沿いの広場で少し休憩して一息付く。
もう9時過ぎ、九鬼港を出発して3時間が経ちつつある。前回もそうだったが、全く時間の掛かる道ではある。まあこの景色が楽しくて、わざわざこの道を選んでいるのだから、願ったり叶ったりというところではある。これから熊野市へ向かうと、多分10時過ぎ。何と無く足を向けたかった県道52と国道168の瀞峡へは行けても、その後は時間が無くなってあまり面白くない国道168平坦区間でショートカットしなくてはならない。今日はその先串本まで行かないといけないのだ。
新鹿から先、またもや道は山の上に登って浦本トンネル、大吹峠を越える。
波田須町の集落は道の上からちらっと見下ろすだけ。もうちょっと漁村を眺めたいなあ、と思うとともに、改めてこの道の良さは沿道の漁村の良さであることを思い出す。
昨夜は九鬼港に泊まれて良かった。
大泊ではいよいよ熊野街道こと国道42に合流。交通量皆無に近いこの国道311だったが、こちらの国道42は何と渋滞に近い大混雑中だ。
トンネルを抜けると、いきなり市街地である。9:50、熊野市到着。
とりあえず市街地の雰囲気も規模も大体わかっているし、市街地そのものに差し迫った用事は無い。しばらく連なって砂浜にたなびく約200匹の鯉幟が見事な七里御浜、なんとなく抽象的な獣が海の遠くを見つめているような獅子岩を通過して、有井のサークルKへ。
紀伊半島では海岸部を除いてコンビニには滅多に会えない。昨日早朝吉野を出発してから、ここまで見かけたコンビニは尾鷲のただ1軒のみ。ちなみにそこもサークルKだった。コンビニが少ないと言うことは、補給計画にはかなり注意を要するということである。今日は宿で調達できちゃいるが、そういうわけでたかがコンビニ店先ではあるが、何と無くコンビニ休憩も腰を落ち着けたい気分ではある。
さて、この先のコースだが、希望的観測オプションだった県道52と絶景の瀞峡へ向かうとすると、その後串本へ向かうには自殺行為と言えるほど大回りになってしまうし、そうでなければ何かと既知の、しかも前回通ったばかりの道になってしまう。
ここは未済の、しかも地域としても訪れたことが無い、熊野市・新宮間内陸部の県道141へ向かうことにしよう。
熊野市から新宮への海岸部から少し内陸部へ入った辺りを、県道141は南下する。
最初は熊野市郊外らしくやや平地農村の趣漂う景色が続いたものの、すぐに紀伊半島の片田舎らしくのんびりした丘陵に道が続くようになった。
ツーリングマップル記載の通り、辺りにはミカン畑が多く、上市木、中立と南下するに従って次第に緑の中へ。
アップダウンのひとつひとつは厳しく、そしてまあ順当に時間と場所が対応しながらどんどん南下していったのだった。
永田からは祖谷野川沿いに河口へ下る。
川沿いの狭い平地に続く農村の中に続く道は、ここまで続いた県道141、畑の中ではあるがどこか幹線道路の表情漂う道より、やはり楽しい。
帰宅途中の学生が結構速く、一度追い抜いてから何と無く速度が似通っているためか、煽られるようにして熊野川との合流を目指す。
11:45、相野口着。ここから熊野川沿いの県道740へ。
この道も以前通ったことがある道だ。地形としてはかなり独特な場所で、幅の広い熊野川(及び三重・和歌山県境)だけで一杯一杯の切り立った谷間が、河口の新宮から20数km遡った熊野川町まで続くのである。その谷間に張り付いてあちらとこちらに2本の道が通っている。
あっち側の和歌山県側はけっこう交通量の多い国道168、こちらの三重県側は至って細道で至って交通量が少ない癒しの県道740。
河口から20数km、熊野川町の三和大橋まで両岸をつなぐ橋が全く無いため、両方の道には全く連絡が無い。
そんなわけで、ただでさえ細道の県道740沿いには、途中まとまった集落は一続きの津呂地・上地だけ。
時々桧杖、瀬原と森の中に民家は現れる程度で、あとは河岸の森の中にひたすら細道が続くのである。
森の中の細道からは、時々熊野川の谷間の景色を眺めることができる。ある時は木々の合間に対岸の切り立った山肌、ある時は広々ゆったり流れる熊野川を挟む新緑の切り立った山。
とにかく広めの川原からはすぐに山が切り立っていて、山裾の崖下に細道が張り付いているのである。
杉林と広葉樹林が次々入れ替わる薄暗い森の道を辿ってしばらく走ると、対岸が開けてきた。川の形やこちらの道の線形から言って、そろそろ和気のようである。
と思っていると辺りが開けて和気の集落に到着。
前回の記憶からはだいぶ早いような気もするが、県道780に入ってそろそろ1時間。平地だとまあ順当なペースだろう。
12:50、三和大橋到着。新宮からここまで1本の橋も無かったわけだが、これだけ岸が狭いと、そもそも橋を掛ける必然性が無いのだろう。
時間も頃良いので、国道169沿い、元熊野川役場前のAコープで少し補給休憩とする。この熊野川役場、2002年のツーリングではツーリングマップルを電話ボックスに置き忘れ、翌日取りに行った思い出深い場所である。当時の電話ボックスはどこにあったか忘れてしまったが、役場そのものの佇まいは全く変わっていなさそうな気もする。しかし数年前の市町村大合併で、この熊野川町自体が新宮市に変わってしまっている。
13:10、日足から県道44へ。赤木川に沿って8km、山間の集落小口を目指す。
やはり熊野川の谷と同じく山々はすぐ切り立っているが、山間の谷間には少しは平地があり、時々集落と、水を張って田植え作業真っ盛りの田んぼが現れる。
眩しい陽差しに青々とした山々、空。そして田植え、鯉幟。カエルの声も軽やかで、5月の良い気分である。
日足では連休で賑わうキャンプ場を眺めつつ、先へ進む。この日足では、前回通った和田川松根スーパー林道こと県道229と、それを上回る激坂細道、那智勝浦へ向かう県道44が分岐する。今日はこの県道44を更に奥へ進み、県道45から途中で古座川流域の県道43へ向かう予定なのだ。
こちらは2003年以来訪れていないが、狭い谷底の川に落ちそうな細道、澄んだ川と人が近づくと猿の大群がキャーキャー騒いで逃げて行く川原、そして隠里みたいな滝本の集落に森のダブルトラック舗装道と、見所満載の道でとても印象深い。
いつかまた来たいと思っていた道だったのだ。
前回の訪問から6年。
流石に道はところどころ崩落復旧のためもあるのか拡幅されていたり、柵ができていたりしたが、基本的には記憶通りの細道が新緑の谷間に続いた。
ただ、時刻はもうお昼過ぎ。流石に猿の大群は川原にはいない。
しばらく進むと森が深くなり、記憶通りに唐突に行く手に激坂が始まった。
この坂がまた強烈である。15%ぐらいは楽にあるのではないか。
えっちらおっちら少し登ると、森の中に突如現れる土手ノ本の廃校辺りから斜度は一段落。
鎌塚の集落(といっても民家が3軒と集会場だけ)では少し展望が開け、棚田と大雲取山が上下に現れた。これ幸いと脚を着いて写真を撮る。
その先は鬱蒼とした杉の森に登りが続く。
登りは緩急あるが、視覚が坂に麻痺してしまっていて、あまり見ただけではどれぐらいの坂なのかわからない。
向野の集落を過ぎ、また森の中へ。実はこの道、小口川沿いから何故か一山越えてまた元の小口川沿いに至る道だ。この先そう登らずに、もうそろそろ下りが始まって、下りきると滝本の集落が登場するのだ。とすると、同じ川沿いなのにわざわざこんなに急な道でしか行けない、しかしけっこう民家は集まっている滝本の集落は、あるいはほんとに隠し里なのかもしれない。まったく紀伊半島は奥が深い。
登りながらそんなことを考えていると、突然脚に固い弾力ある感触があり、その瞬間ペダルがすかっと空回りした。固い弾力の感触と同時にぶちっという音を感じたと理解したのは、実は1タイミング遅れてだった。まあそれぐらいペダルが急に軽くなった。
チェーンが切れたのだった。
自転車を停め、「その時ワタクシ少しも慌てず」等とつぶやきながら、携帯工具セットからチェーン切りを出そうとすると、何と今回に限ってチェーン切りが無い。トラブルとはそういうものだろう。等と呑気に考えるほど、今回に限っていくら探してもチェーン切りが無いのだった。チェーンの駒は端切れをU音も持ってきているのにも係わらずである。これじゃチェーンの端切れが役に立たないね。等とのんびり考えても、とにかくチェーン切りが絶望的に見あたらない。
ということはここでツーリング終了である。いや待て、ラジオペンチを持ってきているぞ。そこでラジオペンチでチェーンのピンを途中まで押し込んでみるが、満身の力を込めても最後のところで反対側のプレートにピンがはまらない。
うーん、これはほんとに絶望的かもしれない。
時計を見るとまだ14:30。一番確実なのは、小口まで下ってどこかのタクシーを呼んで新宮へ向かい、今日の宿の串本みさきロッジYHへは、とりあえず列車に乗れば何とか夕食の常識的な時間には間に合う。しかし、トラブルが無ければこの先ずっと夕方まで山奥の癒しの細道でひたすら串本を目指せたのだ。串本着予定は17時頃、紀伊大島へ渡ってちょっと一回りもできたはずなのに、悔しい。何とか滝本か、そのずっと先の樫原の集落で修理ができないか。
いや、滝本に自転車屋さんなんて無かったぞ。自転車屋さんがあったのは、歩いて1時間以上は楽に掛かりそうな樫原だった。しかも、それもうろ覚えの記憶というより希望的観測に近い。そもそもあんな小さな集落に自転車屋さんなんて都合の良い物があるわけが無いのだ。
落ち着け。もう1度時計を見た。14時半、まだ一番確実な大回りの方法で、今日の夕食には間に合うのだ。
結局そのまま来た道を引き返すことになった。途中ここに書くわけには行かない話含みの、あり得ないラッキー連発があり、何と問題無く新宮に向かえることになった。自転車も新宮の町でとりあえず応急処置が済み、串本みさきロッジYHには18時45分着。
記 2009/5/17