岩尾別→(道道93)ウトロ→(国道334)以久科北
→(町道)以久科南
(以上#9-1)
(以下#9-2)
→(国道244)西北標津→(農道・町道・道道975)武佐
(以上#9-2)
(以下#9-3)
→(町道北19他)開陽台
→(町道北19・道道150他)俣落→(町道)北進
(以上#9-3)
(以下#9-4)
→(道道150)養老牛→(道道885)虹別
→(国道243)札友内 159km
深夜一度目が覚めたとき、大雨に気が付いた。布団の上で悩んでも仕方無いし、眠いのでそのまま寝たが、4時に目が覚めると、やはり外ではしとしと雨が降っていた。寝ている間に確実に時間は過ぎて、今日も今日とて出発の時間が近づいてきてしまった。
雨も降っているが、雨だろうが何だろうがとにかく1日掛けて、今日の夕方には弟子屈の札友内にいなければならないのである。できればもう30時間ぐらい寝ていたい。何でこんな計画したんだろう、とも思うが、また前田慶次の名セリフを思い出した。「だが、それがいい」。
朝食は頼んでいないので、とりあえず出発の準備は終えておき、いつでも出発できるようにしておかなければならない。案の定ちょうど準備が終わった頃、都合良く外の雨は止んでくれた。
5:40、岩尾別YH発。早速標高差100m以上の登りとなる。まあそれでも最大7%程度、えっちらおっちら粛々と登っていると、意外に早く岩尾別の谷間を見下ろせるようになった。
雨がひどかったのは岩尾別の谷間だけだったようで、登りが一段落して知床自然センターを通過する頃には路面はすっかり乾いてしまった。何より岩尾別のように寒くない。
更にウトロ側の幌別に下ると、もはや雨が降った形跡さえ見られないのだった。
昨日の「3回天気が変わる」相泊への道や、かつて雨の下界から登って峠手前から先がキレイに晴れてしまった知床峠を思い出す。知床半島の天気はこのようにはっきりところころ変わる激情系なのだろう。
ウトロで朝食休憩後、斜里へ向けて出発。
どんよりと雲が垂れ込めた空の下、国道334は岩場や山裾の一番海岸際にとぼとぼと続く。
去年夕方通ったときは、時刻にやきもきしていたせいか長い道だと思ったが、今回はまだ朝で気持ちが落ち着いているのか、あるいは追い風のせいか、オシンコシンの滝、真鯉、日の出大橋と、岩場の合間に現れる各ポイントをすぐに通過してしまったような印象がある。
海岸際を離れて知布泊、日ノ出と更に西へ向かうと、辺りが次第に明るくなってきた。昨日から今朝にかけての寒さ、雨は、知床半島の北側先端にだけ雲が懸かったものだったようだ。
改めて振り返ると、その雲の厚さがよく理解できた。一方、正面は先の方ほど明るくなっているようだ。その明るい方向、再び夏の明るさを目指して進まなくては。
峰浜で道は内陸部へ向かう。海岸沿いからすぐに山が立ち上がり、およそ平野というものの無かった知床半島から、その付け根の海別岳の裾野、斜里・小清水の平野に辿り着いたのだ。
内陸部に入ると、空の雲が切れ始めた。今日はまともなツーリングになりそうである。
斜里の平野では針葉樹の防風林が目立つ。名前は知らねどぼそぼその枝っぷりが一種独特のこの針葉樹、道内でもここ以外に余り見かけたことが無いように思う。斜里の開けたちょっと薄い色の空、じゃがいも畑とこの防風林の組み合わせは、海別岳裾野独特の、いつも楽しみな風景である。
裾野から斜里へ下る途中、森に囲まれた小さな集落の朱円も、のんびりした雰囲気がいつも楽しく、知床半島手前最後の集落として印象深い。
8:20、以久科北着。ここで国道244へのショートカット町道へ。
ジャガイモ、トウキビなどの畑の中をのんびりと、以久科南ののんびりした雰囲気は、交通量が少ないとは言えやはり決定的に幹線道路である国道334とは違う。気持ちからしてのんびりてれてれできるのである。それもこれも想定よりやや早着、順調な行程のためだ。朝起きたときは感じなかったが、1日ゆっくり休んだのがかなり効いているように思われる。いい傾向だ。
まもなく以久科南で辿り着いた国道244で根北峠へ。
斜里平野部の畑のグリッド系統を斜めに突っ切ってゆく国道からの景色は、それだけで何か明らかに周囲の畑から違う空間になってしまうのが面白い。
越川は最後の集落、万屋に廃校改造の集会場がいかにも北海道の田舎らしい。
ここから幾品川の谷間を遡ってゆくが、斜里から再び知床に取り付いたからなのか、再び空の雲が厚く低く、そして黒っぽくなってきた。頼む、何とか根北峠を越えるまで持ちこたえてくれ。
根北線の遺構、鉄橋跡を過ぎると、谷は次第に狭くなってゆく。辺りは低い広葉樹森主体の谷間、どんどん暗くなる空が不気味である。
たかだか標高400m台の根北峠まで20km以上もある。こちらから登るのは初めてで、いつもだらだらした登り下りに予想以上に時間が掛かってしまう道だ。
残り標高100m台になって斜度が増し、山肌をえっちらおっちら登り出すのは北海道の峠のいつものパターンだが、離陸して見渡す谷間の森の深さは、なかなかの見物である。知床峠よりはかなりスケールダウンするものの、やはり知床半島の根本ならではの深い森だ。
等と思っていると、ついに雨がぱらついてきた。
10:05、根北峠着。もともとあまり展望も無く、しかも弱い雨が降っているので、標津町の標識だけちらっと確認してそのまま通過。どうせこの先森の中の長い下りなのだ。
山肌から谷間に下りきって斜度がやや収まるのは斜里側と同じだが、こちらには瑠辺斯辺りで何回か登り返しがあったのを、その場所に来てようやく思い出した。
そんな登り返しもあって、長い下りである。かつての訪問で、あまり標高差は無いのに意外に手を焼く峠だったのを、またもや思い出した。
金山まで下ると、その先はもうほとんど平地の状態。糸櫛別からは緑の牧草地が拡がって、2日ぶりの根釧台地の景色となる。
雲が高くなったように見えて、どうかするとまた雨がぱらついたりしていた天気も、下りきってようやく辺りが本格的に明るくなってきた。
10:40、西北標津着。11時までに根北峠を越えられたのが非常に有り難い。これでこの後のんびりできる。
まずはグリッド北端の農道・町道へ少し寄り道。
一面の牧草地や森のグリッド北端をジグザグの経路でダート含み、根釧台地と知床山地山裾の道らしく軽いアップダウンはあったが、この根釧台地へ入ったばかりの場所で、根釧台地の地平線を早くも見下ろすことができた。
道道975からはもう武佐まで一直線。
知床山脈の裾野は平地のようでいて、内陸に進むに連れ次第に川を渡る谷の彫りが深くなる。
北川北、北武佐と少しづつ標高が上がるとともに、辺りの牧草地、周囲のカラマツの森も、防風林から内陸の森へと表情が少しずつ変わってゆく。
武佐で北端の道は一旦途切れて、更に北側の道へスライドする。道の番号はここからあの「町道北19号」、地図を見ればいつの間にかもう開陽台までほんの少し。
ここへ来て雲が切れ、日差しが現れ始めた。辺りが照りつけられた途端に気温がぐんぐん上がり始める。
振り返ると防風林の中に根釧台地の地平線、横を見ても地平線。一番晴れて欲しい場所で、ようやく天気が良くなってきた。
大きなバウンドを繰り返しながら、1回ごとにアップダウンの規模がどんどん大きくなってゆく町道北19号。
いつの間にかその景色は開陽台下から一直線に伸びる道の景色そのものになっている。
北開陽を過ぎたところで、行く手の開陽台下の撮影ポイントに、ライダー達が列を作っているのが見えてきた。
年々人が増えていた場所ではあったが、ああ、ここもついにこういうことになってしまったか。まあいい、景色はみんなのものだ。みんなが愛するのを妨げる権利は誰にも無い。だから頼むから、出発気分なのか何なのか、こんなに静かな場所でアイドリングしてしばらくエンジンを回すのと、こんなに風のすてきな場所でタバコをふかすのは何とか止めて欲しいのだ。
町道北19号がそんな具合なので、こちらはすぐ近くのプライベート撮影ポイントへ。ところが、満を持してNewF-1を取り出すと、今まで出ていた日差しが急に雲に隠れてしまった。なかなかうまくいかないものだ。
その後結局北19号でも、バイクとバイクの狭間の漁夫の利状態で旨い具合に入り込んで、ニューサイ写真を撮影。
開陽台入口までと、そこから開陽台取り付きの激坂を登り切り、12:40、開陽台到着。
実は去年、この開陽台手前で足を着いたのみならず、押しが入ってしい、それを10時前の羅臼ですでに30°だった程の高温のせいにしていた(実際熱中症寸前でふらふらだった)のだが、今年けっこう楽にすいすい登れて、何とか一安心である。と同時に、昨日のリハビリで、ここまでの疲れが何とか回復できていることにも確信が持てた。
いつものように駐車場に自転車を停め、眼下に拡がる緑の根釧台地を少しぐるっと見渡す。
さっき通ってきた町道北19号が牧草地を一直線に横切って、防風林に入ってゆくのもよく見える。いつもながら厳しい登りだったが、あそこから登ってくるのだから当然だ。
億劫がらずに展望台の建つ高台へ登り、1階の軽食「caffe kaiyodai」で食事とする。けっこう大きめのサンドイッチが次から次へとすいすい腹に入ってしまい、店員さんが驚いているのが我ながら可笑しい。
勤め先にお土産を送った後は、最上階で270°の展望を眺めないと。
牧草地、防風林、延々と地平線へ続く緑の濃淡。空の雲は拡がってはいるものの、温度がそう高くないせいか、雲の下の遠景は意外にも見通しが良い。快晴の日は遠景はけっこう霞んでいることが多く、何かダメなら何かいいところがあるものだと思う。それこそ旅というものかもしれない。
ぼうっとして眺めていると、今年もここに来れたという嬉しい気持ちで一杯になる。一方で、それはまた同時に自分の行きたい気持ちの結果でもある。非常に恵まれている条件が前提ではあるが、行こうと思って計画しなければ、またその計画を実施できなければ、ここに来ることは無いのだ。
ふと、「その気持ちがあれば、どんなことでもいつかは実現するものです」と昔ある方に言われたのを思い出す。単なる旅でしかない開陽台訪問も、最低限その気持ちが無いと、いつまで経っても物事は実現しない。この広々とした根釧台地も見渡す限り牧草地に防風林、つまり人の手が入った景色だ。ここで生活しよう、という人の気持ちが無い限り、この風景は無いのである。もちろん気持ちだけでは実現しないが。
13:40、開陽台発。
町道北19への下りは、いつも空中から根釧台地を見渡すような開陽台から、まさにその根釧台地に着陸するような気分になるが、同時に今回も開陽台訪問が終わったという証の景色でもある。
俣落から北進までは目先を変え、南側の町道経由で第二俣落へ。
いつもの道道150とちょうど四角形の2辺と2辺の関係だが、北進手前で谷底から一気に台地に登る道道150と違い、こちらは台地下手からじりじりと台地上を登ることになる。という地図から分かる話だけではなく、いつもと違う広々とした牧草地の景色はとても新鮮だ。
特に北進手前辺りの広々とした景色は素晴らしい。
道ごとにそれぞれ新鮮な表情が楽しめるこの根釧台地北部の魅力が改めてわかった。
北進からはいつもの道道150、根釧台地最北端の山裾の1本道である。
北進〜養老牛の細かいカーブ、行く手から現れて過ぎて行く防風林、すべていつも通りだ。
とても好きな風景であると共に、開陽台と同じく、何だか今年も訪れることができた喜びで気持ちが一杯になる。
15:00、養老牛着。ここから標茶側は同じ1本道でも道の名前は道道885となる。
地形は川を渡るアップダウンが少なくなり、ほぼ平らな台地にほぼ一直線の道、広々とした牧草地、防風林に、北側の西別岳、仁田山等の山々。
養老牛から最高地点の西別岳登山口、そして町境を越えた標茶町の中虹別と、国道243合流の虹別まで続く。
気が付くともうその景色を照らす日差しが、今日もすっかり赤くなっている。
養老牛を過ぎると開陽台から虹別までもう半分以上。今回も根釧台地が終わりつつあるのが何だか寂しくて、時間があるのをいいことにのんびりのんびり進むが、いつかは終わってしまう道でもある等と思い直したりもする。
虹別で国道243に合流、最後に最高地点の電波中継所で見返りの地平線を眺め、今回も根釧台地にお別れである。
大型車がやや多く、落ち着かない国道243ではあるが、下り基調の道できょろきょろしていると、仁和の牧草地や森の間の起伏の多いダイナミックな風景が続く。
根釧台地の縁から裏摩周へ続く裾野の谷間を下っているのがよくわかる、そう悪い道ではないのである。
16:50、弟子屈着。町の外側をそのまま国道243でバイパス。
屈斜路への台地へ乗り上げて、塩分とカロリーに釣られて国道沿いの「弟子屈」でラーメンを食べた後、夕日の中をのんびりてれてれと、17:50、札友内「鱒や」着。
ここ何年かと違い、夜の気温も宿の中も北海道の例年通りで、過ごしやすく寝やすいのが有り難い。旅程9日目にして何とまだお盆休み前半、フェリーと長時間走行で道東に到達する常連さん達がまだ移動中なのか、今日の鱒やはお客さんが5人。その5人中3人がデジイチフル装備で、宿主さんのデジイチも含め、なんだかヨドバシカメラ状態である。
夕食は新サンマにホタテ、新鮮な野菜もたっぷりで、美味しくてバランスが良いのがとてもウレシイ。
明日はいよいよ津別峠にチミケップ湖。欲張り&熱中症&悪天候でタクシー輪行になってしまった去年の苦い経験を活かし(笑)、終着はサロマ湖に抑えてある。各ポイント、そこまでの経路とも、1日のんびりできるだろう。お天気なら。
記 2008/10/4
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