北海道Tour00 #4 2000.8/13 サクルー原野→弟子屈

サクルー原野→(道道137号)古丹沢
→(上古丹4号沢林道・ウチャンナイ林道)上藻前
→(道道305号)鴻ノ舞
→(道道137号)遠軽
→(国道242号)遠軽南町
→(国道333号)端野
→(国道39号)美幌
→(国道242号)弟子屈
→202km

弟子屈

美幌峠

美幌

端野峠

ルクシ峠

旭峠

遠軽

上原峠

白樺峠

滝上

サクルー原野


 起きて自転車の準備をしているとかなり肌寒いが、天気は今日も晴れだ。眠そうな目をして早織さんが起きてきて、今日の弁当だと言っておにぎりをくれた。出発が早いので、朝食をキャンセルしたにも関わらずである。眠そうな早織さんは、またすぐにに寝てしまった。
 6:50、サクルー荘を出発。ひんやりした空気の中、滝上の町へ、緩い下りを惰性に任せてのんびり下り始める。いつの間にか周囲は道北の風景の中に北見地方のニュアンスが混ざっており、あまり起伏の無いなだらかな畑の向こうに稜線のぴしっとした山々が並んでいた。

 9年前は単なる田舎町で、5月(だったかな)の芝桜と渓谷が売りだった滝上には、町中に英国風の橋やらホテルやらがあっちこっちにできていた。英国風というところに何か非常に唐突なものを感じる。滝上のすぐ東の濁川で紋別への国道との重複区間が終わり、道道137号は中立牛方面を目指す。

 小さな峠を越えた先の中立牛は、そう広くない谷間の交差点に古ぼけた郵便局や集会場、数件の農家が集まる小さな集落だった。
 この先はダート林道で丸立峠から丸瀬布を目指す予定だった。が、さっきの峠の入り口には「通行止め 丸立峠」という看板が出ており、この中立牛の集落にも同じ看板があった。昨夜の早織さんの話だと、一昨年の台風で林道がずたずたになってしまったとのこと。なるほどと思い、おとなしく昨夜地図で当たりを付けておいた白樺峠へ向かうことにする。
 工事区間未通のため農家や田んぼの中で極端に道が狭くなる、道道137号線の山側を、ダートの入口を探した。しかし、結局白樺峠への入り口は、地元の方に道を聞かないとわからなかった。

 取り付き部分のほんの少しの間、砂利が異常に深くてとても乗りにくかった白樺峠への林道は、しかしながらすぐに走りやすい締まった道になった。足にストレスを感じない程度に緩い登りの杉林の中の道は、とても涼しい。鳥やエゾゼミの声がうるさいくらいに聞こえる。ヒマラヤスギのような針葉樹林が広葉樹になって、またエゾスギに替わったり、薄暗かった道の頭上が開けて青空が見えてくると、トンボ・フキバッタ・キリギリス、アゲハ・モンシロチョウ・タテハ系などの様々なチョウなどが現れたり、鳥やセミの声と併せて実に賑やかな楽しい林道だった。
 坂が急になり、砂利が深い箇所で押さないと進めない位になると、標高が上がった木立の隙間から、周囲の山々の稜線と青い空が見えだした。

 峠の頂上は、坂道の途中から現れたシラカバが道の両側に林になっていた。これが名前の由来か。背後には近くの高い山、前方は空が見えている。白い枝と太陽が透けて黄緑になっている葉っぱの木陰、そこから透けて見える青い夏の空が、最高に気分を盛り上げる。
 これが北海道ツーリングだ!と、また思った。

 森の中の緩い下りを10km程度延々と下った後、上藻前で再び道道305号に出た。ダート18kmの後の、何だか久しぶりに走るような舗装道路の滑らかな感触。やはり走りやすく、懐かしくありがたいような気もした。
 すぐに再び中立牛→鴻ノ舞の未開通区間を過ぎた道道137号線と合流する。ここからは道道137号も遠軽までつながっている。いずれこの区間も道道137号スルーで抜けられるようになり、「ダートの白樺峠を走ってねえ」なんてきっと語るようになるのだろう。
 ふと路面を見ると、畑の泥の水たまりから、見たこと無いほど大きな肉球の足跡が舗装道路をよぎっていた。ひょっとして夜間に熊が歩いたのか。

 周囲の山々を見下ろす上原峠を過ぎ、峠区間が終わって丘陵地まで降りてくると、丘陵に拡がる畑の主役は道北方面のような牧草ではなく、トウキビ・ジャガイモ、水田や麦畑など、様々な農作物だった。山間部の農村は過疎化が進んでいるらしく、木造の廃校は遠軽市の山の家として使われており、黒ずんだ板壁や色あせたトタンが入植者の苦労を忍ばせた。

 12:10、遠軽着。予定の時刻よりかなり遅れているが、少々休憩。これから先は浜頓別から延々つなげてきた道道ではなく、国道を通らなければいけなくなる。
 峠から降りてきた遠軽の町は異常に暑く、太陽光線は浴びていると意識が薄れてくるような気がするくらいの厳しさだった。だが、熱中症でやられた去年と違い、今年は最初から帽子を被っている。
 12:50、遠軽を出発、町外れで美幌までの国道333号に出る。と、美幌まではあと55kmの標識が見えた。甘く見すぎていたと思った。単なる55kmではない。小さいが峠越えが3つある。美幌まで15:30までに着かないと、去年から懸案の津別峠再訪は絶望的だ。
 まあ、悩んでいても美幌へは着かないのがつらいところだ。

 旭峠・ルクシ峠・端野峠と3つの峠越え、谷間の田んぼやら畑、牧草地や農村を経て、ようやく15:40、端野発。津別峠どころか今日の宿泊予定の弟子屈すらかなりあやうい。しかも、美幌から美幌峠、弟子屈までの距離を正確に押さえていない。地図上ではなんとかなるかな、と言う気はあったが、どうしようもなくなったら宿に詫びを入れるしかなかった。
 気ばかり急く道中、しかしながら広い谷間から峠、峠から広い谷間が繰り返す周囲の風景は素晴らしく、国道とは言え交通量も想像よりは遙かに少なくて、楽しい道だった。特にルクシ峠からは谷間に拡がるパッチワークのような水田・畑・牧草地の輝く緑、薄茶色の麦畑、低い山の向こうのサロマ湖水面やその北岸、空の中に霞むオホーツク海まで見渡せた。

 一方、帽子効果はかなり大きく、1日で一番暑い時間帯にこの激暑地帯の遠軽・サロマ・網走周辺で極端に体力を消耗すると言うことが全く無かった。
 端野から先は、去年激暑下に熱中症で死にそうになりながら通った道だ。あんなにつらかった坂やら生命力を吸い取る砂漠のように感じられた周囲の風景は、傾いて赤く色づき始めた午後の優しい陽差しの中では、全然違った印象だった。去年のあの時は、本当に大変だったんだなあ、と今では少しは懐かしく思えた。

 16:30、美幌着。今回の旅程中、初めてPHSが使える町だ。ちょこちょこっとレポートをアップしたり、コンビニで補給したりしていると、あっと言う間に17時。宿に電話を入れると、美幌峠までは25km、弟子屈まではまあ50kmぐらいとのこと。峠自体は標高で500m無いので、20時には弟子屈に着けるだろう。
 17時過ぎからの峠越えになるが、行くしかなかった。

 夕方の柔らかな光に包まれた畑・水田・牧草地、その向こうの紫色になった山々を眺めながら、美幌峠への国道を進む。
 峠区間では夕焼け空に照らされた木々は、まるで紅葉しているような色に見えた。薄暗くなった周囲の山の中では、セミの声がキリギリス系の夜の虫の声に変わり、下ってくる車の補助ランプがそろそろまぶしくなってきた。時々恐ろしいスピードで車が過ぎてゆくというのに、アスファルトの路上には毛虫やフキバッタ、カタツムリやエゾミヤマクワガタまで我が世の春(夏?)を謳歌していた。
 峠近く、坂が一段落する笹原周辺からは、沈んでしまった夕日の残りの弱々しい夕焼けの下、美幌方面の山々がうっすら重なっており、紫の山陰の中に美幌の町らしい灯りが集まっているのも見えた。

 18:50、美幌峠着。下り始めると、夕方の最後の明かりで湖面がうっすら明るくなり、雲間の月が湖面に細長く反射しているのと、向こう岸の硫黄山・摩周湖岸の西別岳やカムイヌプリがシルエットになって重なっているのと一緒に、まさに暗闇の中の淡い風景と言うような物を見ることができた。この時間に下らない限り、誰もこんな風景を見ることはできない。もうあとは下るだけという安心もあり、ちょっと優越感とともに気分は高揚していた。しかし、下る途中の動物の飛び出しには十分注意しなければならない。
 通り過ぎる車のライトに照らされて、闇の中をガがうようよと飛んでいる光景も見えた。顔にも当たってくるが、まあ仕方ない。

 月明かりに照らされた屈斜路湖岸の農地やら森・原野、夜空の中の更に黒い山の形を眺めつつ、20:10、民宿「鱒や」着。

記 2000.8/14

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Last Update 2004.1/1
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