北海道Tour25夏#0
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北海道Tour24は悪天候に左右されまくった。10日行程中まともに走れたのは僅か3日。
宿と駅やバスターミナルの間だけを走った日も入れると日数だけはもう少し増える。でも、輪行が挟まる度に自転車を解体し4サイドを外しては括って纏め、大きく重い荷物を持って列車やバスで移動する必要がある。それも毎日のように。
自転車で走ると更に苦労するから輪行する、ということはわかっちゃあいるし、自転車ツーリングにやって来たのに輪行の旅になってしまっていることそれ自体は、あまり悪い気分じゃない。旅ができているからだと思う。しかし、苦労しているのもまた紛れもない事実だ。列車は年々本数と共に両数が減っている。バスですら、路線バスがいつの間にかデマンドバスに替わったりしている。そうでなくても、混雑している車内や出入口では、荷物の置き方というか身の処し方に気を遣う。特にバスでは、輪行袋と重く大きなバッグに隠れて小さくなる必要がある。動きづらさとともに、輪行時の荷物が大きく重いこと自体が招いている問題だ。
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そろそろ、旅の姿を考え直す必要に迫られていた。具体的には、ぶつ切りずたずたの行程を前提に、輪行時の機動性を重視すべきだ。もともと21歳の北海道Tour86の段階で、40歳になったらロードレーサーで荷物を持たず次の宿に郵送しておいて楽に走ろうと思っていた。そういう方にお会いしたからだ。現実としては結局40歳どころか50歳を過ぎても、私は何となくだらだらと4サイドのランドナーで北海道Tourを続けていた。もう60歳なんだから、そろそろもっと楽に旅をしようぜ、なあ。
という立場から、2025年はけっこう早いうちに、北海道Tour25では4サイドを止めようかなあと思い始めていた。
実はここ数年、4サイドの中身も少しづつ、以前にも増して減ってきちゃあいた。道北の朝でもフリースを着ることは無くなった。それに毎年走るコースが決まっているので、予備に持って行く計画範囲外の地形図は少なくなったし、いざとなったらスマホ地図があるので、ツーリングマップルも持たなくなって久しい。
一方で、フルサイズ機K-1 MarkUと大きなレンズを、以前フロント+サドルバッグでこなせていた2泊以上ツアーに、更に持って行く機会が増えている。でもそういうときは、通常のフロント+サドルバッグに加え、もう一つ小さいサドルバッグを元のサドルバッグの上に亀の子積載し、そこに荷物を分散している。今回も亀の子積載のサドルバッグの容量を増やせば、4サイドに入れていた荷物は大体収納できるかもしれない。実際、五島列島Tour19では、一眼レフのK-1は持っていかなかったものの、フロント+サドルバッグで旅を10泊こなせている。北海道Tour02では、T90とレンズ3本を持って荷物全体としてはやや無理があったものの、フロント+サドルバッグで9日行程だった。
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そこでまず荷物の内容を厳選した上で、配分と入れ方を工夫することにした。また、追加のサドルバッグに、何年か前に買ってから使ったことが無かったCarradiceの大きめを投入。サドルバッグ全体の重量が増えるので、VIVAのサポーターは折れちゃうかもしれない。実際に北海道Tour02ではVIVAサポーターが折れちゃったし、他にも過去折れたことがあった(どちらもやや虚弱だった旧型のサポーターではあったが)。それなら、頑丈な4サイド用Campeeのリアキャリアをそのまま使えばいい。ちょうど上部が頑丈な台になっていて、おあつらえ向きだ。
考えたことを、北海道Tour積載リハーサルのつもりで、7月海の日3連休に只見・檜枝岐・奥只見湖ツアーで試してみた。意外にも、荷物は電源系をはじめ、予備タイヤに予備GR、予備のアルファ米3食まで入れることができた。やってみたら入っちゃったので、この際要らないレンズも持っていった。全体として、檜枝岐から御池経由で奥只見湖に降りるコースに対して、荷物はやや大目になってしまった。しかし所詮2泊3日。用心して毎日丁寧に荷物を積んだこともあり、3日間全く問題が無かったことは大いに自信になった。
この荷物内容なら、4サイドと比べて不自由は無いと言っていい。これまでのサドルバッグよりは重いものの4サイドよりは軽く、何と言っても荷姿全体が(多少)コンパクトになった。輪行時にだいぶ動きやすいだろう。
ただひとつ、4サイドで走っているときの、重心の低さからくるんじゃないかと思われる独特の安定感は無いのが残念ではある。まあ、仕方無い。
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2025年5月1日、最愛の母が亡くなった。昨年8月末に母が入院してからというもの、仕事と生活に必要な時間以外の時間を可能な限り見舞いに充てていた私は、5月以降残務と共に、促成栽培のように毎週サイクリングに出かけて体調を整えた。もちろん2025年の北海道Tourのために。
宿は6月中旬には全部予約してしまっていたのは毎度の事。5月GWツーリングには行けなかったにしちゃあ、体調は意外に順調と思えていた。
しかし、7月海の日3連休の只見・檜枝岐・奥只見湖ツアーの猛暑で私は熱中症気味になってしまった。その翌週の徒歩尾瀬は、当日朝まで引っ張って結局しんどくて断念する始末。折角尾瀬沼ヒュッテを予約できたのに。
次の週はもう出発の週。まあ当然の様に、全国で猛暑が荒れ狂っている。猛暑それ自体はもう珍しくもないしどこかでいとも簡単に観測史上最高気温が出るのも珍しくない。しかし珍しいかどうかは暑さには関係無い。
熱中症が治りきらない状態で出発2日前。出発前の荷物選びがなかなか進まないのに、つい黒澤明の天国と地獄など観てしまい、夜更かししてしまったのであった。
北海道への飛行機は、もう毎度の12:45発14:40着の中標津便。以前は7時台発で釧路空港9時10分着、10時半前後発で120km走って開陽に向かっていた。しかし近年は折角早朝に出発しても雨で輪行移動になることが多く、もう直接中標津空港に向かうことにしている。
中標津便だと、早朝に出発する必要が無いのは大きなメリットだ。ということは空港に近い元母の家じゃなくて多摩地区の自宅から出発できるし、それは前日までだらだら出発準備が可能ということだ。
しかしそれでも空港混雑期。羽田空港へはなるべく早めに向かう方が良い。ということは平日の朝に電車に乗る必要がある。ラッシュだけは避けようと思っていたものの、やはり基本的にだらだらして結局一番混む時間になってしまった。
幸い、平日だというのに地元電車も山手線乗り換えも品川乗り換えも何とか混雑をこなせて、無事羽田空港には9時前に到着。羽田空港は意外な程空いていて、手荷物手続きが何と並ばずに済んだ。そういう時間帯なのかもしれない。
いつも通りに弁当だけ買ったら、もう検査を済ませて搭乗口に向かってしまうことにする。
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搭乗口は50B。バスじゃない。以前中標津便や釧路便で何度か使ったことがある、ブリッジ一番先端の搭乗口は、確か40番台だった気がする。50なら少しは手前なのかなと思っていたら、案内図によるとブリッジの一番先端だった。しかもそのブリッジは記憶より大分延長されている。実際に歩行距離はかなり伸びた。
歩いてゆくと、どうも去年使ったサテライトにそのままブリッジが付いたっぽい。つまり去年やっていた羽田空港の修繕工事が済み、登場ブリッジ全体が拡大されていたのだった。
搭乗口前の待合ロビーや店舗なども見慣れない雰囲気で、心なしか充実している。特に今まで売店以外に蕎麦屋までけっこう歩く必要があったのが、かなり近くに寿司屋ができていたのがありがたい。何もマグロ尽くしじゃなくても、私は安い鰯刺身の方が好みなのだ。
弁当を食べた後、待ち時間は9時半から12時半前まで3時間弱。結構寝れた。やはり今日までの暑さで疲れているのだ。
中標津便は視界不良の条件付運航とのアナウンスがあった。そんなのにびびる私ではない。
乗客搭乗までは時刻通り。しかし荷物ドアを点検したとのことで、出発は30分遅れた。まあ、中標津便が遅れるのは毎度のことだし、晴れたとしてもどうせ開陽まで回り道のネタは少ない。それに近年、北海道Tour直前には私は夏バテ気味で疲れてしまっている。機長アナウンスによると、中標津は21℃らしい。本当のことだとだといいな。と思ってしまうぐらい、東京は毎日暑いのである。
雲から抜けた飛行機は、もう釧路の上空にいた。春採湖から昆布森まで道道142がよく見える。記憶より大幅に拡大している住宅地に、もう10年以上行ってないもんな、と思わされた。
釧路市街から郊外に出ると、また視界は雲に閉ざされた。釧路空港で雨だったのが、輪行で釧路駅に向かうと意外にからっとしていたり晴れたりする例年のパターンを思い出した。
次に現れたのは中流域っぽい川の谷間に広がる山裾の町。標茶だろうと思っていると、少し先に磯分内っぽい市街が見えた。段丘の森に畑に牧場、根釧台地っぽい牧草地が広がって、特徴ある萩野の交差点で再び場所が確定できた。毎年来ていて通ったことがあると思ってても、逆に言えば通った道しかわからない。旅なんてそんなもんかもしれない。あまり来た気分になるのは控えないと。
記 2025/10/18