北海道Tour22#5
2022/8/14(日) 常元→かなやま湖

赤は本日の経路 濃い灰色は既済経路
ニューサイ写真 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8

  発着地点
置戸発
北見バス
陸別着
9:00

09:41
陸別発
十勝バス
池田着
10:00

11:58
池田発

JR根室本線

新得着
12:39

おおぞら6

13:32
新得発
JR根室本線代行バス
幾寅着
13:57

15:05

 とりあえず4時に起き、荷物の準備(というより店開きの片付け)と朝食を始める。輪行前提だろうが二度寝前提だろうが、近年私は普段から4時起きだし、寝坊すると時間を損した気分になるのだ。
 4時半過ぎにベッド脇のカーテンを開けてみると、何と雨の天気予報とは裏腹に、夜明けの空がけっこう爽やかに晴れているではないか。しかしこちらは既に輪行する気満々だ。それに、こんなもんに惑わされ悔しがる私ではない。

 

 案の上、6時半過ぎに再び外を見ると、空はすっかり低めの雲に覆われているのであった。

 昨日予約しておいたタクシーで7:50、ぱらつき始めた雨の中を勝山温泉ゆぅゆ発。雨に濡れる道道88を眺めるにつけ、つくづく昨日タクシーを予約していて良かったと思った。
 途中セイコーマートで、道東で使用済みの地形図やこの後多分道北でも使うことは無いと思われるフリースを送り返す。あっという間に旅程も今日で5日目だ。えっ、もう5日目?と思うものの、考えてみると5日目はこれから始まるのだし、ここまで4日間、初日はほとんど走ってないから実際には走行3日終了時点、とも捉えることができる。それなら走行8日の3日終了ということになり、これなら実際の感覚に合っている。
 楽しくても楽しくなくても、休暇でも仕事の間でも時間はとにかく驚かされる程どんどん過ぎてゆく。全輪行の今日も、その時その場所に来ていることに意味があることを意識し、1日終わって悔いを残さないよう過ごしたいものだ。

 

 8:05、置戸コミュニティホールぽっぽ着。
 置戸でこなすべき用事をセイコーマートで終えてしまったのは手際がよかったものの、バスの出発予定時刻が9時であることを確認したら、あとはバス出発まで1時間もある。しかしぼうっと過ごせるわけじゃないのが私の貧乏性だ。荷物のバッグ入れ換えやら行動予定の確認やらやることはいろいろある。それらが全部一段落した後は、雨がぱらつく外のバス停を避け、商工会議所側の比較的狭い軒下の階段に腰掛けて待つ。某検索アプリの言うとおりに、町外れのバス停でバスを待つようなことをしないで良かったと、つくづく思った。
 意外に早く時は過ぎていった。この間、置戸コミュニティホールに去来する人は地元のおばさんと若者の2名だけ。ハエのようにうるさい自称旅人が話しかけてくるようなことが無いのが大変有り難い。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8

 9:00ちょうど、小雨の中北見方面からおもむろに陸別行きの北見バスがやってきて、置戸発。バスの運転手さんには自転車別料金500円、陸別までお客さん乗ってこないからどこ乗せても良いよと言われた。お言葉に甘え、後部ドア脇の座席に輪行袋とともに陣取るとする。
 置戸の町外れ、拓殖橋で昨日通った道道88から陸別方面へ分岐、拓殖橋を渡った国道242はすぐに狭い谷に入り込んでいった。結局陸別の近くまでお客さんが乗ってくることは無く、それより想像以上に国道242が静かな道で道沿いが無人なのには驚かされた。
 池北峠を越えて小利別の手前までしばらく、いや、延々と狭い谷間と茂みと森の無人地帯が続いた。というか、停留所すら無い。その間交通量は皆無に近かった。国道なのにほとんど車が来ないのは特筆に値する。国道242のこの区間は、確か1989年に通ったことがあるはずだ。その時のこの道の印象は全く残っていない。この区間の次に通った同じ国道242の置戸・留辺蘂間の丘越え(と言い切るにはややボリュームがあるアップダウン)と、その後サロマ湖までの道道をいくつか乗り継いだ距離感と美しい畑の風景、そしてその先紋別・滝上まで延々国道239・273を走ったことしか憶えていない。あの頃はオホーツク街道とか言って国道239だって喜んで通っていたし、実際今より交通量は少なかった。そしてその後留辺蘂・置戸間と池田方面・陸別間は時々通ったことはあったものの、どちらも交通量皆無ということは無かった。
 これは良い道だと思った。しかし、道端の茂みや森は道を浸食しそうに濃い。熊が怖いようにも思われる。という私の妄想を余所に、現実として無人の森を淡々とバスは通り過ぎてゆくのだった。こりゃ、池北線が無くなるわけがよくわかる。その池北線も、もう廃止されて20年近く経っている。
 小利別にはかつて夢舎という有名なとほ宿があった。私は確か3回お世話になっている。宿主さんは今頃どうされているのだろう。

 9:41、陸別着。
 かつては元池北線の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線陸別駅が道の駅と一体となっていた。そして当時から、道の駅には「オーロラハウス」という宿泊施設が併設されている。ここには2004年に泊まったことがある。十勝方面から道東へ向かう場合の交通の要所陸別にあり、小綺麗なホテルっぽい部屋に充実した食事、近くにセイコーマートがあり、宿としての印象は大変いい。ただ、自転車置場として指定された場所が、ツーリング用の愛車を置くのにはあまりにも陸別駅用通学自転車置場然としていたので、一度組み立てた自転車を再び輪行袋に詰めて一晩部屋置きしたことを憶えている。そんな事を思い出しつつ施設を外から眺めていた。自転車置場はその時から改善されていない。改善する必要は無いのかもしれない。

 1989年に池北線が第3セクター化されたふるさと銀河線が、2006年に廃止されて16年。道の駅自体は今日は結構賑わっているようだ。やはりここも置戸コミュニティセンターぽっぽと同じく、元池北線(及びふるさと銀河線)の駅だった場所が地域での人と人のつながりの場となっていてそれを大切にし、活用しているのだ。例え鉄道の乗客が少なくて採算が成り立たなくても、地域にはそういう場所が必要なんだろうな。
 などという感傷の再確認は程々にしておく。今の所、池田までがっつり2時間近くかかる次のバスに乗るまでに、セイコーマートでの物資買い出しを進める方がミッションとしてよほど重要だ。トイレも済ませておく。

 10:00、十勝バス帯広行きで陸別発。バスは十勝バスに替わって、自転車料金は不要だった。お客さんは私を含め2人。輪行袋とともに最後部座席に腰を据えた。さあ2時間、どんと来い。

 帯広行きバスは国道242を足寄、本別、バスは時々元駅っぽい停留所に寄ってゆく。その度にこのバスがふるさと銀河線代行バスだったことを思い出し、古びて黒ずみつつある停留所の建物を眺めて鉄道が無くなってからも軽く10年以上経つことを思い出す。
 陸別から国道242には急に車が増えていた。しかしその状態で、以前この道を通った時の印象に対し違和感は無い。ということは、やはり陸別で急に車が増えるんだろうな。多分津別方面の道道51が合流したり、或いは陸別の町そのもので車が増えるのかもしれない。例え陸別に家が少ないように見えても。
 お客さんは陸別以降足寄までいなかったが、足寄郊外からやっと学生さんが数名所々で乗ってきた。池田まではまだ1時間以上かかる。ふるさと銀河線・池北線も、こういう感覚だったかもしれない。両線とも乗車したことはあるものの、十勝での車窓風景以外もうすっかり忘れてしまった。

 高島から先、バスは道道237へ入り込んだ。2006年に幕別から足寄へ向かうのに、私はこの道を経由した。同じ谷間に並行する国道242の裏道的ポジションにあるこの道は、道自体は静かで落ちついたとてもいい道だという印象がある。しかしいかんせんこの道を経由するために、国道242や天下の国道36など他の交通量が多い道を通る必要があり、もっと好ましい別の谷間を通るようになっていたためその後こちらは通っていなかった。今日はバスに乗っているため、国道242で車が増えて来たら居眠りしてしまえばいい。そして道道237でのんびり静かな風景を楽しみ、旅しているという気分になってしまえばいい。自転車じゃなくてバス行程であっても。

 辺りが段々明るくなってきたと思っていたら、池田まであと20分ぐらいになって、急に雲が切れて陽差しが現れていた。途端に窓から差し込む陽差しが、暑いというより熱い。外だけじゃなく、それまで冷房がやや肌寒かったバス車内まで一気に気温が上がり、驚くほどだ。直撃しないようにしていたエアコン吹出口の羽を変えて冷風を身体に当てる。

 

 池田市街で根室本線を跨線橋でオーバークロスする直前、おおぞらが走り去ってゆくのが見えた。その後何だか平べったく均一に2階建てと平屋が建っている印象の町中をぐるっと回り、11:58、池田駅到着。
 次に乗るおおぞら到着まで40分。その間に池田でのミッションがある。30年以上ぶりのレストランよねくら「十勝牛ワイン浸ステーキ弁当」だ。初渡道の1983年の前からずっと池田駅の駅弁だったこの弁当をいつか食べてやろうと思っていて、確かその後学生時代の渡道で念願を果たしこの弁当を食べた記憶もある。しかし学生には旅先での1食に1200円もかける訳にいかず、かなり奮発して買ったんだよな、確か。ということを、未だに4代前のキハ82特急おおぞらっぽい列車が描かれている弁当見本の包装紙を眺めて思い出した。
 結論から言えば、今日のレストランよねくらは大変混んでいて、これから弁当を注文して完成まで1時間以上掛かるとのことだった。もう少しリサーチしておいて予約しとけば良かったな。今回は縁が無かった、ということかもしれない。そして私の池田という町への訪問頻度を鑑みると、次回のチャレンジはまた30年後なのかもしれない。そしてこれで新得まで昼食がお預けとなってしまった。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8
 
 
 

 12:39、おおぞら6で新得へ。
 乗車したのは1号車のグリーン車。普通指定席と料金は\800しか違わない。愛するJR北海道支援のためにもこれぐらいはしておかないと、根室本線が廃止になったときに後悔してしまう。等と思うぐらい、北海道の多くの主要幹線は、先行きが危ぶまれるようになってしまった。偉そうなことを言っている私も、かつては北海道ワイド周遊券を徹底的に使い倒し、特急乗車は言うに及ばず夜行列車往復まで活用して宿泊費を浮かせていた。
 などと思いつつ眺めるおおぞらの車窓風景は、驚く程勢いよくびゅんびゅん過ぎ去っていった。十勝川、帯広周辺の高架区間、現代の都市化した帯広郊外、そして芽室から先、やっと十勝は昔ながらの緑一色になった。前任者のキハ283系よりスピードダウンしているはずなのに、帯広周辺の平野部、羽帯・御影・十勝清水と次第に高度を上げてゆく登り区間で、キハ261系1000番台の走りは大変快調だ。頑張れ頑張れ特急おおぞら!しかし池田から新得までずっと雨も降らずに薄曇りなのは、やや悔しいような気はしていた。遠景の山裾辺りが、ずっと濃い雲に隠れているのが救いだった。

 13:32、薄曇りの新得着。
 ここも初渡道の1983年以来2度目・3度目の印象が強い。新得という駅は、私にとって安心して駅寝できるホームグラウンドだった。かつてD51による旧狩勝峠越えの雰囲気が色濃く残っていたこの駅は、すっかり十勝の観光地然とした雰囲気の駅舎に建て替わっている。そして夜行列車の十勝がまりもに変わり、まりもが急行から特急になって廃止され、駅近くの風呂屋は温浴施設っぽく変わっている。それでも、未だに私に取って新得の、何だか帰ってきたなという親近感、安心感は変わらない。
 しかし実は、ここも2015年以来7年振りの訪問になっている。これだからじじいの旅は思い出ばかりで嫌だね。等と思うのはいち旅行者の一方的な勝手である。

 次の代行バス出発まで25分。さっき池田で昼食難民になっていたので、ここで昼食にしないと今日の宿まで携行食のパンだけになってしまう。幸い懐かしい新得蕎麦の売店が開いていた。初渡道時から思い出深いかしわそばに天ぷらをトッピング、これでレストランよねくらの借りは返せた。私はステーキの代わりに駅蕎麦で十二分に満足できるのである。どうだ。

 蕎麦を食べ終わった段階で代行バスの列にはまだ誰も並んでいない。そして急行八甲田や青函連絡船の頃から、こういう列になるべく早く並ぶのが、北海道旅行の鉄則だ。有り難く乗車場所の先頭に待機し、やがておもむろにやってきたバスではトランクがOKとのことなので、自転車を載せてもらう。代行バスでこれさえできれば、もう全てにおいてキハ40で新狩勝峠を乗車するより正直快適だと思われる。
 まあ、久しぶりにキハ40の新狩勝峠の登りを味わってみたかった気もするものの、多分もうそれは叶わないことだろう。JR北海道は新得・富良野間の根室本線廃止にノリノリなのだ。

 13:57、新得発。代行バスは国道38を狩勝峠までストレートに登ると思いきや、途中でサホロリゾートに立ち寄っていった。ここで乗客を拾えるのも、鉄道に比べた代行バスの大きなメリットだろうな。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8

 記憶より拡幅区間がやや増えたような気もする国道38を、悠然と余裕綽々でバスは登っていった。途中7合目を越えた辺りから大粒の雨が降り始め、狩勝峠で一旦ほぼ上がったものの、その後幾寅まで雨は大粒の本降りだったりぱったり止んだり。下るに連れ雨が上がるという訳でもないし、黒々濡れた路面と、かなり大きな水たまりでバスが盛大に水を跳ね上げるのを眺めるにつけ、やはり今日は輪行にして正解だったと思わざるを得ない。などと歯切れが悪い、という方が実際の気分には合っている。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8
 

 15:05、幾寅着。ここで代行バスを下車する。
 今日の宿はかなやま湖。代行バス終点、東鹿越の方が幾寅より近い。しかしもし東鹿越に着いた段階で雨が降っている場合、待合室で落ちついて輪行できるとは限らないし、宿まで雨中走行になってしまう。幸い今のところは空中に水滴が舞う程度ではあるものの、もう幾寅から宿までタクシーに乗る気まんまんになってしまっている。それに幾寅で下車すれば、セイコーマートに寄って明日の朝食ネタを仕入れることもできる。
 それよりも期待通り幾寅ハイヤーで、2018年にお会いした自転車乗りの社長さんに再びお会いでき、運転をお願いすることができたのは大変嬉しいことだった。ロード・MTB乗りでかなり締まったお身体の社長さんが、夏に発生するゴマフアブのように北海道にやって来て去ってゆく内地ツーリストの私を思いだしてくださったのも、とても嬉しいことだった。

 社長さんが運転して下さるタクシーは、かなやま湖南岸の森に続く東鹿越側の町道を通り、かなやま湖畔に向かっていった。その間、一旦空はかなり暗くなり、大粒の雨が少し降り、宿到着直前に突然雲が切れて陽射しが射し始めた。安心する訳には行かない不安定な天気である。陽差しが当たった緑を眺めるにつけ、今日の行程が輪行であることが残念な気になるものの、気を許す訳には行かないのもまた確かだ。
 乗車中には、2018年以来訪れていなかった幾寅の近況をいろいろと伺うこともできた。幾寅の道の駅に道内最大のモンベルアウトレットショップができたこと、道の駅が賑わいなこと、近くにマリオットが素泊まりの宿を作ったことなど、大変興味深いお話も伺うことができた。以前幾寅で立ち寄るのを楽しみにしていたお店の近況も伺った。営業再開まではまだ時間がかかりそうだ。北海道に来ていない2年間で、私の旅先事情は激変しているのだと実感した。また、東幾寅でこの春遭遇したという熊のお話には、やはり東鹿越から自走しないで良かったとか明日は絶対北岸の道道465を通ろうと思った。

 

 15:20、かなやま湖ログホテルラーチ着。アプローチは道道465から少し高い場所にあるので、タクシーで少し高度を得した気になれた。まあ、これぐらい得してもどうにもならないことはよくわかっている。
 かなやま湖で泊まるのは2004年以来、18年振りだ。2004年までに確か3回訪問した時には、このログホテルラーチと同じくかなやま湖キャンプ場に面するかなやま湖保養センターに泊まった。しかし数年前からかなやま湖保養センターは供食を止め、素泊まりとお風呂だけの宿になった。そのため、今回は、同じ南富良野町の第3セクターが経営主体となっていて食事が食べられるこちらのホテルにしたのだ。
 むしろこちらが、現在のかなやま湖保養センターのあるべき姿と言えるのかもしれない。いや、私が初めてかなやま湖保養センターに泊まった1998年から、確かログホテルラーチはあったように記憶している。宿泊料が高いのと、いつ電話を掛けても満室だったのでこちらを選ばなかったのだ。まさかここに泊まる日が来るとは、などと自分が考えていることそのものが驚きだ。

 などと感慨に耽りつつ、まずは共用棟のエントランス・ロビーでチェックイン手続きである。外部はコンクリート打ち放しとなっているロビー棟の建物は、内装に木材がゴージャスに使われている。絨毯はかなり毛が長く、これもかなりゴージャスだ。
 客室は更に豪華なのである。何と人生初のメゾネット客室、ベッドはロフトのような2階にある。そういえば予約時にそんな説明文を読んだ気もしていた。その時は毎日の行程を宿で繋いでゆくのに必死で、飯が食べられればどこでもいい、何でもしますぐらいの勢いだった。そこに宿があって宿泊予約できるということがひたすら有り難く、宿泊料が1泊2万以上などということは全く気にしていなかった。
 現実の客室はメゾネットでありながら1階が普段私が泊まるホテルの2倍ぐらい広い。輪行袋も部屋置が余裕で可能である。のみならず、明日の出発に向け自転車を室内で組立させていただいた。客室での輪行、しかも2日連続。なかなか痛快だ。もちろん悦に入ってるだけじゃなく、部屋は絶対汚してはいけない。メゾネット客室に見合う品格というものが、サイクリストにも求められるのである。そして私の行動は、このホテルにとってサイクリストの品格となってゆくのだ。緊張しつつも組み立てはぱぱっと完了、あとは明日の朝まで自転車は部屋置きだ。
 広い部屋なので、当然のように部屋にユニットバスが付いている。徒歩5分の場所?(という話だったが5分よりは掛かりそうなことを私は知っている)にかなやま湖保養センターがあり、その温泉大風呂も無料で利用できるとのこと。でも、あちらには以前3度泊まったし、風呂にはキャンプ客が押し寄せるのも知っているので、こちらで大きなユニットバスで脚を伸ばしてゆっくりする。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8
 PENTAX K-1 MarkII HD PENTAX-D FA15-30mm1:2.8ED SDM WR パノラマ合成

 1階ベランダは軒下が深く、バルコニーから芝生の向こうにカラマツ林、更にその奥にはかなやま湖湖面がちらちら伺える。素晴らしいと言っていい眺めだ。キャンプ場と懐かしい保養センターもよく見える。ひんやり涼しかった、晩夏の湖畔の夜を思い出す。
 道東某湖畔、1泊3万の某ホテルに何度か泊まった身としては、1泊2万円台前半など怖くも何ともない、などと考える自分にも驚きだ。2009年以来、毎年毎年同じような場所ばかり走っているようだが、私の経験値というものも確実に上がっているのかもしれない。まあ、この充実の内容を見れば、宿泊料は高すぎるとも思わない。それに、じじいの旅なんだから。学生時代汗みどろで国道を走りながら、「歳取ったらもっと楽にリッチな旅をしよう」と思っていたじゃないか。ゴージャスで何が悪い。

 夕暮れの空は晴れから曇りへと推移していった。まだ天気は安定していない。

 18時からお願いした夕食は、確かグレードのいい方だったっけ。当然の如く美味しく量もたっぷり、全く不満が無い。特筆すべきは水の美味しさである。自慢の水のようで、南富良野・麓郷水マップなる地図もいただく事ができた。ベベルイ基線周辺も2箇所描かれていた。明日通る予定なので、久しぶりに立寄り、水を汲んで下ろうと思った。

 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8

 明日の天気予報は曇り時々晴れ。特に午前中の南富良野町は7時から晴れになっている。北落合で晴れてくれるかもしれない、などと今回の旅程中これまでの好天と、高円寺気象神社の御利益をあてにして、甘い期待を抱いておく。
 問題は美瑛から仁宇布に向かう予定の明後日だ。美瑛町と愛別町と下川町で朝のうち曇りで9時頃から雨、美深町は1日中雨。降水量はずっと2〜3mm/hである。これなら全く何の躊躇も気後れも負い目も無く輪行決定だ。明日走って明後日はまた輪行、である。

記 2023/1/12

#6-1へ進む    #4-7へ戻る    北海道Tour22 indexへ    北海道Tour indexへ    自転車ツーリングの記録へ    Topへ

Last Update 2023/3/11
ご意見などございましたら、E-Mailにてお寄せ下さい。
Copyright(c) 2002-23 Daisuke Takachi All rights reserved.