長者→矢筈峠→新田→布施坂→寺野→西川角
(以上#4-1)
(以下#4-2)
区間2
(以上#4-2)
(以下#4-3)
区間3
(以上#4-3)
(以下#4-4)
区間4
(以上#4-4)
(以下#4-5)
区間5
75km
ルートラボ
雨が止んだ5時過ぎ。早朝の長者散歩に出かけてみた。
宿の前の県道18を、まずは上手へ向かう。
地形だけで言えば山の斜面をつづら折れで離陸してゆくこの道、目の前の景色だけで言えば落ちついた町中の路地であり、何故この二つの要素が一つになっているのか、興味深い風景にはやはり何か興味深い理由が有るのではないかと思う。
とにかく畑も町並みも、徹底的に斜面に貼り付いているのが見事だ。
しかしあまり遠くまで行かないうちに空がかなり暗くなってきたので、宿まで戻ることにした。
今日のコースは、国道439で矢筈峠を越え、まずは四国カルスト裾の県道304、そして四万十川ならぬ四万川沿いに県道2へ。その後は県道25から国道439細道区間再訪、最後に国道194から四万十川上流部の谷間を宿までのんびり下るコースを計画してある。手っ取り早く言えば、檮原方面川沿い細道の大回り道周遊と、四万十川上流部の再訪である。ボリュームもそこそこあるはずだった。
しかし天気予報は出発前は晴れだったのに、昨日の段階で既に雨後曇りとなっている。しかも昨日の午後から今朝にかけて、予報はどんどん悪化し続け、今はここ仁淀川村で午前中雨の予報となった。まあもともと降水量の多い高知で山間でこの季節、雨なのは当たり前だということはわかってはいる。
7:15 長者乙「高木旅館」発。
町の出口で谷間を少し見渡し、晴れの日の再訪を誓う。谷間に掛かった鯉幟も、今日は雨でしっとり垂れ下がっていた。
町の少し先で県道18は国道439に合流。
昨日最後の区間の続き、長者川沿いのごく普通のローカル国道からは、ところどころで旧道が分岐。拡幅新道がトンネルでばんばんショートカットする屈曲した谷間を、舐めるように大回りしている。
最初のうちはそんな旧道へ脚を向けていた。集落があるからか旧道区間に寂れた雰囲気は無く、静かで落ちついた田舎道が楽しめた。
しかしそんな旧道周回は、霧粒が雨粒に変わるに至り、新道トンネルへの待避に替わっていった。
低い機器音を発する石灰運搬コンベアをくぐり、矢筈峠手前の太郎田へ。空中歩廊のようなこの石灰コンベア、地図で見ると昨日訪れる予定だった石神峠から、何と須崎まで延々と山中に続いているのだ。そういえば2011年の訪問でも、須崎からの県道317でこのコンベアを見かけたことを思い出した。2001年にもこの場所で、雨の中でこのコンベアを見上げている。過去の旅と同じような場所に出かけていると、何かと過去の旅と繋がる物事が見つかるものだ、と思った。
太郎田で拡幅新道が終了、ぐっと細くなった国道439は峠へ登り始めた。
取付部分がやや急な他、基本的に斜度7%程度の杉の森。
ほとんど景色が開けないものの、時々小集落が現れた。
また、森が切れる場所では切り立つ山々が雨雲に霞む、幽玄たる装いが眺められた。
霞が晴れていれば、更に見事な眺めなのだろうとも思う。
一方森の中では、雨に濡れた路上に真っ赤なサワガニがひょこひょこ出動していた。2001年の訪問時にも、与作の所々でサワガニを見かけたことを思い出す。立ち止まって眺めると、威嚇のためかこちらに向かってはさみを振り上げるのが可愛らしい。いや、当人達は上から迫る脅威といえばほぼ100%鳥、嘴攻撃に対する最後の抵抗なのだ。驚かせて申し訳ない。
8:45、矢筈トンネル着。雨、トンネル内に煙る霧、ナトリウムランプが、またもやここも2001年の記憶のままだ。トンネル入口で分岐する当時の四万十林道は、いつの間にか目出度く全線県道378となっている。入口から見える部分は舗装化されているものの、まあこれもほとんど2001年のままだ。
自分はと言えば、長者からここまで1時間半もかかってしまっている。昨日森から長者まで30分。2001年は森から長者まで1時間半だった。昨日今日と途中で雨具を着たり旧道を経由したり自販機で必要以上に休憩したり、かなりのんびりしてはいるものの、これが今の実力かもしれない。まあ2001年の時は焦ってたしな。思い出すに付け自分がかわいそうになってくる。今日は2001年と同じく雨は降っているものの、時間たっぷり、安心感一杯の行程だ。人間いつかはこういう日が来るのだ、真面目に地道にやっていれば。
矢筈トンネルまでは山腹だったのに、トンネルの向こうは地形ががらっと変わって狭い谷間まっただ中。すぐに谷底へ降りてしまった。森も杉ではなく広葉樹が主役で、路上に梢が伸びて雨に煙る新緑が生き生きと魅力的だ。しかし雨が強くなり始めたらそうも言ってられない。
しばらく未拡幅の林道然とした細道が、谷底の森に続いた。
寺川から集落が現れ始め、唐突に与作は拡幅済区間に移行。やや拡がって見通しが良くなった谷間を、与作は更にどんどん下ってゆく。この期に及んでも、周囲の山々の道から100mぐらい上は、もう完全に雲に煙っていた。
これでは本来のコースの山間方面にはとても向かえない。
チャンスがあったら行ってみようと思っていた芳生野の四国カルストへの県道48、続いて郷内で本来のコースの県道304への分岐、両方とも何の迷いも無く続けて通過。どうせ高いところへ登ったり谷間が狭くなったら雨だ。それに激坂だしな。次回、晴れそうな時期にちゃんと姫鶴高原で泊まる計画を立てて再訪したい。
下り斜度が落ちついてほぼ平坦になると、谷間の屈曲は全体的に大きくなったが、くねくね度は相変わらずだ。変化のある地形、景色の中を、晴れの日に走りたかったと思う。しかし天気は雨でも、山肌は相変わらず落葉樹も常緑樹も若葉が色とりどり、水が張られてまだ田植えしていない田んぼでカエルが賑やかだ。農村で自販機を見つけて立ち止まると、地元の方が声を掛けてくれた。
10:00、新田着。与作のほぼ全区間が、遂に私的既済区間となった。ほぼというのは、徳島近郊の一部で数km迂回する県道を、高知県の豊永から本山で吉野川対岸の県道113・262を20kmほど経由しているからだが、両方とも与作に車が増える区間なので、自分としてはこの区間の与作に興味は無い。ともあれ2001年から始まった与作分割払い最後の区間の矢筈峠〜新田、細道は峠下りでそこそこ残っていたし、拡幅済み区間も静かでのどかな道だった。
新田を2011年に訪れた時、国道195沿いのヤマザキデイリーで、確かおにぎりぐらいは食べたような気もする。そしてここのおにぎりや弁当には、有り難い以上美味しい系方面のいい印象がある。今朝高木旅館でたっぷり朝食を食べているので、まだ弁当を食べる気にならないものの、どういうわけか軽く寒気がしていたので、カップ麺にコンビニコーヒー、暖か系を集中投与。
何とか凌げるぐらいに身体が落ち着いたところで、この先の身の振り方を検討せねば。国道197の谷間まで降りてきても雲がかなり低く濃く、少し標高が上がったり谷間に入り込むとすぐ雨が降り始めそうなので、今日の目玉コースは全てあきらめる必要がある。しかししばらく天気はこの調子でも、今日の宿の四万十町では15時頃から曇りの予報になってはいる。それなら、2001年から興味があった、もうあと10数kmの「道の駅布施坂」辺りで早めのお昼にして、午後は四万十川上流をのんびりてれてれ流し、早めに窪川手前の宿に着いてしまう方がいいかもしれない。四万十川上流部のやや開けた谷間なら、雨が強まる事はないだろう。それで行こう。
10:30、新田発。谷間の行く手はかなり煙っている。やはり今日は最短コースで窪川へ向かうのがいいのかもしれない。
国道197は、与作より大分交通量が多い。昨日の国道33と較べると国道33の方が少し多いぐらいだが、まあそれぐらいに車が多い。谷間自体の風景は諸々の県道とそう変わらないような気もするものの、道の外側に自分の意識が向かいにくい。国道の空間を車の気流に乗って、なんとなくしかしひたすら、黙々淡々粛々と、そんな国道走りが続いた。
四万十川上流部の谷間と交叉する船戸は、源流の森から農村の小川に変わった四万十川が、急斜面を駆け下りて多少は開けた谷底の拡がりに下りきる場所で、構えの立派な民家や宿が県道沿いに並んでいる。こんな場所で一度のんびり泊まってみたいものだ。四万十川の谷間ではあるものの、道の駅布施坂はもう少し先なので、まずは県道19への分岐は通過。
県道378分岐のヤマザキデイリーには記憶があった。雨の中ここでいよいよ暗くなり始め、1分1分を気にしつつ休憩した場所だった。その先では国道197旧道への分岐が登場。旧道はくねくねで、新道は旧道と付かず離れずぐらいの全く別の道なのである。まあそんなことは四国や紀伊半島の今時の国道では当たり前のことだ。
布施坂トンネルを抜けると、何と山腹のまっただ中。谷間を渡る橋など、山々と雲海を見下ろす空中の道と言ってもいい程である。船戸はこぢんまりした里の外れだったのに。あまりに違いすぎる。
雲に覆われた山の森に、くねくね続く細道と茶畑がよく見えた。地形図には布施坂と書いてある。あっちが旧道、本家の布施坂なのだ。峠ではなく坂自体に名前が付いているところが、いかにも四国の道らしい。それでも峠部分に拘り、峠部分を布施坂峠なんて呼んでいる人もいるかもしれない。
11:05、道の駅布施坂着。道の駅はトンネル出口からすぐ近くの山腹まっただ中、意外な道の意外な場所に立地していて印象的だ。
自分はと言えば、昼前だがもう全然昼食OKである。まずは道の駅の食堂で角煮ラーメンを注文。店の外で雨具を脱ぎ、自転車を裏手の食堂から見えやすい場所へ移動。
ラーメンを待つ間、落ちついて地図でも眺めることにする。さっき見下ろした国道197旧道は、実はさっき通った船戸から分岐していた道だった。旧道の峠は船戸からほとんど登らず、峠のすぐ下では別の道が分岐。分岐した道は再び稜線を越え、四万十川の支流へ戻っているではないか。登り返しは100mも無さそうだ。もちろん未済経路である。そして、この先船戸へ戻って向かうつもりだった四万十川の谷間に続く県道19とは、数km先の寺野で合流していた。
県道19は景色が素晴らしいことはわかっているのだが、2011年、つまり前回の四国で通っている。そして昼飯を食べている間に雨は弱く、空はやや明るくなり始めているような気もする。山間へ向かうとは言え、これぐらいの迂回は全く問題無いだろう。これで行こう。
角煮ラーメンの後、唐揚単品、更にソフトと集中的にがっつき、道の駅には長居しすぎた。12:20、道の駅布施坂発。
船戸へ戻り、国道195旧道でまたもや布施坂側へ。
旧道の峠から下り、地図の通りに分岐した県道377では、雨が再び強く降り始めた。
標高は450m、さっきの道の駅布施坂は400mぐらいだった。400mちょっと上ぐらいに雨天の境があるのかもしれない。
布施坂側は山中の道だったのに、峠部分の向こう、四万十町側の程落では、すぐに再びあきれるぐらいに開けた集落まっただ中となった。それは布施坂・船戸と同じパターンだ。
雨の中ではあったが、谷口、寺本、新改と、のんびり穏やかな四万十上流らしい農村風景が続いた。「ちかやの」などという平仮名集落もみられた。しかし雨は更に強まって、どこかの軒下で少し休みたい気分になっていた。
寺野で当初のコース、船戸から四万十川とともに下ってくる県道19に合流。寺野は2011年に須崎から訪れている。県道どうしの交差点なのに生活道みたいな道、ラジオ体操の音楽が流れる早朝の小学校など、楽しい田舎道の雰囲気が印象的だった。
今日は県道19を下流方面へ。こちらの道は2001年以来となる。
ゆっくり風景を見逃さないように進みたい、僅かだが下り基調だし。と思っていたら、神母野で軒の深い商店を発見。依然として雨は本降りなので、大きな軒下は有り難かったが、あまり休憩時に食べでがありそうなものは無かった。まあ、缶コーヒー程度飲めれば、宿までもう何の不自由も無い。
四万十川の谷間を国道197が横切る船戸は標高400m、寺野は標高300m。船戸から寺野への8kmで、四万十川は100m下っていることになる。一方、寺野から先、四万十川の谷間は下りが完全に一段落。標高300〜200の窪川まで、上流部なのに窪川以降の中下流より余程平地っぽい広い谷間が続くのだ。四万十川の大きな特徴のひとつと言える。
2001年の訪問時は、この辺りでもう18時半過ぎ。もともと雨で薄暗いのにそろそろ日没時依然として刻を過ぎ、辺りは目に見えてどんどん暗くなり始めていた。のんびりしたいい風景だなとは思いつつ、宿までまだあと20kmぐらい、ひたすら気が急いて焦っていた。
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今日、この道ののんびりと穏やかな、ちょっと拍子抜けするぐらいに普通っぽい農村風景に、記憶が全く無い。余程何も目に入らなかったのだ。
奈路から竹原には、四万十川が屈曲して一気に40m標高を下げる渓谷がある。河岸に山肌が切り立ち、谷間の集落は途切れ、県道19は河岸の小山を乗り越えて屈曲部をショートカットする。この四万十川沿いには珍しい登りで、2001年の訪問では真っ暗な森で路上の石に乗り上げてパンクしてしまった。既に200kmを走っていてやや疲れていて、坂でしんどくて先行きを焦り、更にインフレータを道中で紛失していてパンク修理もできない。雨中の修羅場だった。16年来のトラウマ区間なのである。
前回しんどかった坂は、今日通ってみればたったの40m程度。ピーク付近で改めて四万十川を見下ろすと、この風景には確かに記憶がある。
次第に谷間全体は拡がっていった。
窪川にも近づいているせいか、栗の木辺りから四万十川東岸の県道19の交通量は増え始めた。
ちょうどいい具合に西岸へ向かう県道322へコースをとってある。それに宿は西岸側だ。
県道322は県道19の裏道的なポジションにあるようで、かなり静かな細道だ。そもそも西岸自体が東岸に比べ、どちらかと言えばそういうポジションであるようだ。かつて西岸には窪川から木材運搬用の鉄道が通っていたらしく、道はあくまで鉄道風に平坦に道幅にしては整った線形で、河岸の集落や田んぼ、畑、山裾の森を通り抜けてゆく。
雨はかなり弱くなり、もう小雨ぐらいになっていた。ただ、やはり雨具は手放せない。
米奥で2001年と2004年に泊まった四万十の宿(現在休業中)こと松井商店のおばさんを再訪。
寺野から20km下って来てつくづく思ったのは、四万十川流域の農村風景と四万十川上流部の雰囲気は一体であるということだ。草むらや竹藪に鬱蒼と覆われた川岸は、どこかにニホンカワウソぐらい住んでいそうな雰囲気が一杯で、一見のんびりとごく普通の農村風景を緩めに彩り、その表情を決定付けているように思えた。「最後の清流」と呼ばれる四万十川だが、護岸箇所が全く無いかというと決してそうではない。それに今回出発前に知ったことだが、ダムも実は窪川の下流側に一つあるらしい。しかし、その清流純度よりも、流域農村と川が一体となった風景にこそ、四万十川ならではの特徴があるように思えたのだった。
作屋で仁井田米を家に送り、15:35、西川角「四万十川ほとりの宿」着。
到着段階で雨は一段落し、道は乾き始めていたものの、16時過ぎには再び雨が降ってきた。明日の天気は曇り後晴れで、明後日は雨後晴れ。最終日は晴れらしいが、やはり出発前の天気予報から次第に、そしてかなり悪化していると言えた。まあ、明日午後の土佐清水での晴れを期待したい。
宿は外人のお遍路さんと同泊で、更に夜には別棟に広島の家族連れが到着。楽しい晩ご飯となった。
記 2017/6/18
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