長者→矢筈峠
(以上#4-1)
→新田→布施坂
(以下#4-3)
→寺野→西川角
75km
RIDE WITH GPS
矢筈トンネルまでは山腹だったのに、トンネルの向こうは地形ががらっと変わって狭い谷間まっただ中。すぐに谷底へ降りてしまった。森も杉ではなく広葉樹が主役で、路上に梢が伸びて雨に煙る新緑が生き生きと魅力的だ。しかし雨が強くなり始めたらそうも言ってられない。
しばらく未拡幅の林道然とした細道が、谷底の森に続いた。
寺川から集落が現れ始め、唐突に与作は拡幅済区間に移行。やや拡がって見通しが良くなった谷間を、与作は更にどんどん下ってゆく。この期に及んでも、周囲の山々の道から100mぐらい上は、もう完全に雲に煙っていた。
これでは本来のコースの山間方面にはとても向かえない。
チャンスがあったら行ってみようと思っていた芳生野の四国カルストへの県道48、続いて郷内で本来のコースの県道304への分岐、両方とも何の迷いも無く続けて通過。どうせ高いところへ登ったり谷間が狭くなったら雨だ。それに激坂だしな。次回、晴れそうな時期にちゃんと姫鶴高原で泊まる計画を立てて再訪したい。
下り斜度が落ちついてほぼ平坦になると、谷間の屈曲は全体的に大きくなったが、くねくね度は相変わらずだ。変化のある地形、景色の中を、晴れの日に走りたかったと思う。
しかし天気は雨でも、山肌は相変わらず落葉樹も常緑樹も若葉が色とりどり、水が張られてまだ田植えしていない田んぼでカエルが賑やかだ。農村で自販機を見つけて立ち止まると、地元の方が声を掛けてくれた。
10:00、新田着。与作のほぼ全区間が、遂に私的既済区間となった。ほぼというのは、徳島近郊の一部で数km迂回する県道と、高知県の豊永から本山で吉野川対岸の県道113・262を、それぞれ与作の代わりに20kmほど経由しているからだ。また、東祖谷、西祖谷の随所で国道指定から外れた集落の旧道も、並行する拡幅済新道の代わりに経由している。どこも与作に車が増える区間なので、自分としてはこの区間の与作にあまり興味は無い。ともあれ2001年から始まった与作分割払い最後の区間の矢筈峠〜新田、細道は峠下りでそこそこ残っていたし、拡幅済み区間も静かでのどかな道だった。
新田を2011年に訪れた時、国道195沿いのヤマザキデイリーで、確かおにぎりぐらいは食べたような気もする。そしてここのおにぎりや弁当には、有り難い以上美味しい系方面のいい印象がある。今朝高木旅館でたっぷり朝食を食べているので、まだ弁当を食べる気にならないものの、どういうわけか軽く寒気がしていたので、カップ麺にコンビニコーヒー、暖か系を集中投与。
何とか凌げるぐらいに身体が落ち着いたところで、この先の身の振り方を検討せねば。国道197の谷間まで降りてきても雲がかなり低く濃く、少し標高が上がったり谷間に入り込むとすぐ雨が降り始めそうなので、今日の目玉コースは全てあきらめる必要がある。しかししばらく天気はこの調子でも、今日の宿の四万十町では15時頃から曇りの予報になってはいる。それなら、2001年から興味があった、もうあと10数kmの「道の駅布施坂」辺りで早めのお昼にして、午後は四万十川上流をのんびりてれてれ流し、早めに窪川手前の宿に着いてしまう方がいいかもしれない。四万十川上流部のやや開けた谷間なら、雨が強まる事はないだろう。それで行こう。
10:30、新田発。谷間の行く手はかなり煙っている。やはり今日は最短コースで窪川へ向かうのがいいのかもしれない。
国道197は、与作より大分交通量が多い。昨日の国道33と較べると国道33の方が少し多いぐらいだが、まあそれぐらいに車が多い。谷間自体の風景は諸々の県道とそう変わらないような気もするものの、道の外側に自分の意識が向かいにくい。国道の空間を車の気流に乗って、なんとなくしかしひたすら、黙々淡々粛々と、そんな国道走りが続いた。
四万十川上流部の谷間と交叉する船戸は、源流の森から農村の小川に変わった四万十川が、急斜面を駆け下りて多少は開けた谷底の拡がりに下りきる場所で、構えの立派な民家や宿が県道沿いに並んでいる。こんな場所で一度のんびり泊まってみたいものだ。四万十川の谷間ではあるものの、道の駅布施坂はもう少し先なので、まずは県道19への分岐は通過。
県道378分岐のヤマザキデイリーには記憶があった。雨の中ここでいよいよ暗くなり始め、1分1分を気にしつつ休憩した場所だった。その先では国道197旧道への分岐が登場。旧道はくねくねで、新道は旧道と付かず離れずぐらいの全く別の道なのである。まあそんなことは四国や紀伊半島の今時の国道では当たり前のことだ。
布施坂トンネルを抜けると、何と山腹のまっただ中。谷間を渡る橋など、山々と雲海を見下ろす空中の道と言ってもいい程である。船戸はこぢんまりした里の外れだったのに。あまりに違いすぎる。
雲に覆われた山の森に、くねくね続く細道と茶畑がよく見えた。地形図には布施坂と書いてある。あっちが旧道、本家の布施坂なのだ。峠ではなく坂自体に名前が付いているところが、いかにも四国の道らしい。それでも峠部分に拘り、峠部分を布施坂峠なんて呼んでいる人もいるかもしれない。
11:05、道の駅布施坂着。道の駅はトンネル出口からすぐ近くの山腹まっただ中、意外な道の意外な場所に立地していて印象的だ。
自分はと言えば、昼前だがもう全然昼食OKである。まずは道の駅の食堂で角煮ラーメンを注文。店の外で雨具を脱ぎ、自転車を裏手の食堂から見えやすい場所へ移動。
ラーメンを待つ間、落ちついて地図でも眺めることにする。さっき見下ろした国道197旧道は、実はさっき通った船戸から分岐していた道だった。旧道の峠は船戸からほとんど登らず、峠のすぐ下では別の道が分岐。分岐した道は再び稜線を越え、四万十川の支流へ戻っているではないか。登り返しは100mも無さそうだ。もちろん未済経路である。そして、この先船戸へ戻って向かうつもりだった四万十川の谷間に続く県道19とは、数km先の寺野で合流していた。
県道19は景色が素晴らしいことはわかっているのだが、2011年、つまり前回の四国で通っている。そして昼飯を食べている間に雨は弱く、空はやや明るくなり始めているような気もする。山間へ向かうとは言え、これぐらいの迂回は全く問題無いだろう。これで行こう。
記 2017/6/18