小松→日ノ浦
(以上#2-1)
(以下#2-2)
→寒風山隧道
(以上#2-2)
(以下#2-3)
区間3
(以上#2-3)
(以下#2-4)
→土小屋
(以上#2-4)
(以下#2-5)
→河口→七鳥→下畑野
103km
ルートラボ
4時半前。外の空気はきりっと冷えていたものの、震える程ではない。それよりも東京に比べて明るくなるのが30分以上遅いことが、知ってはいても新鮮だ。そして、明るくなってきた早朝の空が澄み切っているのが有り難く感動的だ。
空が明るくなってきても、山に隠れて日差しはまだ谷間に射してこない。真っ青な明るい空と真っ青な山影を、さめうら湖が鏡のように映しているのがまたいい。この宿に泊まって良かったと、心から思った。
今日は町道瓶ヶ森線で四国山脈を越え、愛媛県の久万高原町へ向かう。1500mまではほぼ一発登り。その後も四国山地稜線の道、町道瓶ヶ森線で多少アップダウンはあるものの、基本的には1700mを越える最高地点まで登り基調が続く。今シーズン的に標高1700mまで登るのは初めてだ。更に、一眼レフとレンズ4本を持った状態でこれだけ高いところに登るのも過去初めてだ。ややびびっているので時間はたっぷり取っているし、今日のこの快晴なら天気は全く心配無い。何を見ても素晴らしいと書いてある程の展望にも期待できる。
朝食は6時半。おにぎりを貰って、6:50小松「筒井旅館」発。
流石にもう日差しが谷間を照らしていて、朝日はまばゆく、辺りはすっかり明るい。小松外れの橋で渡る、さめうら湖支流の谷間に思わず脚が停まる。奥の山肌は日なたで山肌の緑が明るく輝き、手前の日陰の山肌は相変わらず青く見える影の中だ。
県道17では、新緑、水、青空、眩しい朝日ときりっと涼しい影が静かな道に続き、上流側に進むにつれ、山の表情は山深さを増していった。今朝は初っぱなから既に脚がなかなか進まない。
時々対岸に渡る橋が現れた。県道17は湖岸の森に続く一本道なので、分岐そのものが新鮮だし、赤く塗られた橋の鉄骨が谷間の緑に映え、まるで「渡ってくださいよ」と言わんばかりだ。こちらも計画時には少しでも静かな道がいいと思ったので、対岸の県道285を今日のトラックデータとしてGPSに入れては来ている。
しかし実際にはこちらの県道17で十分静かというか、静かすぎて行く手に猿がうじゃうじゃしている程。あちらはずっと森の中、全く人気が感じられなくてなんだか恐ろしい。さすがは日本最小人口の村だ。
気が付くと見下ろす貯水池が次第に狭くなり、谷底の川原に巨大な岩がごろごろし始めていた。県道17はそのまま山肌に張り付き、ダム湖から川に戻った吉野川を遡ってゆく。対岸の岩場には、時々旧道らしき道の痕跡を見つけることができた。こちらとそんなに距離は離れていないが、岩越え谷越えの道に先人のご苦労が忍ばれる痕跡だった。
谷間に現れた小集落、上小南川を過ぎて、急峻な山肌、谷底の荒々しい岩と透明度の高い吉野川が、奥へ奥へと続いてゆく。県道17も、登りではあるが急に斜度を上げるわけでもなく、かといって谷底に降りることも無く、淡々と谷間を遡ってゆく。
谷間が深いので、既にかなり高いはずの日差しは道の向きと山の位置によって時々遮られ、まだ山影は青く見えた。日陰では空気はきりっと涼しく、木陰では木漏れ日の緑に染まるようで、日向では鋭い日差しで一気に気温が上がった。
この先標高1000m以上の区間へ臨むにあたり、極上の天気だ。
道沿いに民家が登場し、続いて山腹へ登ってゆく道、山肌や道沿いの民家がぱらぱら断続し始め、8:00、日ノ浦着。
大橋ダムを見上げて小休止とする。谷間に立ちはだかるコンクリートの壁が経年で黒ずんで、谷間の地形と一体化しつつあるような威容である。
筒井旅館を出てから1時間以上経っている。距離は15kmぐらい、200m程登ってはいるものの、時間はやや掛かり気味である。しかしここまで、吉野川の素晴らしい風景をたのしめている。つくづく余裕を持った計画で良かったと思った。こんなところで急いだって簡単に距離を稼げるものではないし、こういう風景をじっくり楽しむために四国へ来たのだ。
日ノ浦の集落を過ぎ、再び谷間は険しくなり始めた。この後、少し国道194を経由してから寒風山へ取り付くはずだ。一体国道194と県道17がどのような形で合流するのかと思っていたら、唐突に道の行く手に、ずばーんとやや幅広い国道194が横切るのが見えた。反対側の谷間には、コンクリート舗装の激坂が山に貼り付くように登ってゆく。地形図やその辺の古い看板によると、それは国道194の旧道のようだ。
手持ちの昭和61年版地形図「日比原」で細道の国道194が既に拡幅済みなのは、ルートラボやツーリングマップルを見てわかっている。実際の道も、やや多めの交通量で谷底を直線や大きなカーブでどんどん遡る、幅広の今風の道だ。地形図「日比原」の、未拡幅の道を通ってみたかった気はするものの、現状の国道194でもぎりぎり許容範囲内の交通量と思われた。
並行する吉野川は相変わらず清らかだし、たかだか数kmの国道より、むしろもうすぐ始まる登り区間開始がそろそろ気になり始めていた。
行く手に高速道路のように立派なトンネル入口が見えてきた。看板には「寒風山トンネル」、そして全長「5123m」と読める。国道トンネルのはずなのにそんなに長いのか。北海道道南各所のあの長い海岸岸壁トンネルでも、2000mなんてのは希なのに。ましてやこちらは山岳トンネルだ。後で調べると、一般国道では日本最長のトンネルらしい。これから向かうのはその旧道でもある。そして、正面に立ちはだかる山がその寒風山であることが理解できた。
寒風山トンネルを眺めつつ、こちらは旧道へ。標高710mから標高1110mの寒風山隧道まで標高差400m、斜度は7%程度、つづら折れが11段+最後に3段。森の中ではつづら折れの上段、下段とも、2段先、時には3段先までよく見える。さすがは11段。荷物が多い今日は特に、優しい斜度が有り難い。
最初は谷底の杉の森、離陸が始まると杉と若葉色の木漏れ日の中。車はこの手の旧道にしちゃやや多い。県外ナンバーが多く、おそらく物好きな人がGWだというのでやってきているのだろう。私も人のことは言えたものではない。
標高800mを越えた辺りから、生い茂っていた新緑は若葉に替わり、900mを超えるとちょりちょり気味の新芽に替わった。そしてその辺りから山肌が急になったためか、木々の外に展望が開け始めた。
寒風山は、空の中に突き出るぎざぎざの稜線が大変荒々しい。寒風山から東に続く、笹に覆われた山は、その通りの名前の笹ヶ森だ。脚を停める口実に、道の向きと山の形を照合する。
後半、周囲の森が一気に開けた。これから向かう町道瓶ヶ森線が、正面の山肌を斜め一直線に横切っている。地形図の等高線から予想はしていたが、あの感じだと斜度はここまでよりキビシイはず。
そりゃあすぐ先の寒風山隧道まで400m登り、その先とりあえず1500超まで400mちょっと、やっと半分なのだ。更にその先に、100m単位で登り返しが何回かある。まあのんびり行こう。
9:50、寒風山隧道着。
標高1110mのトンネルは、ここまでの道幅と同じく、トンネルも狭い入口だ。入口には係員が立っていた。道巾が狭いので、もしかしたら長いトンネルの対面通行制限を行っているのかもしれない。この手の長めで高めで狭いトンネルによく見られるように、白い切みたいなガスが吐き出されているのも通行調整を行っているのが大変ものものしい。それでも昔はこの狭いトンネルが、高知県と愛媛県を結んでいたのだ。
入口手前には掘立小屋の茶屋と便所、そして水場もある。あまりあてにしてはいなかった茶屋は、今のところは営業していないようだった。寒風山の神様がくれる水を、有り難くボトルに頂いておく。
寒風山隧道前の広場の向こう、これから向かうべき道と「町道瓶ヶ森線」という看板が見えた。冬期は通行止めになるという看板も立っているが、もちろん今日は通行可能だ。
身体があまり冷えないうちに町道瓶ヶ森線突入。
道の外側に木々は低く、やっと新芽が出てきたところ。外側の景色がちらちら眺められて、基本的に開放感一杯だ。
所々で周囲の展望が開けて周囲の山々を見下ろし、さっき見上げていた笹ヶ森〜寒風山はもう真っ正面からよく見える。しかし、谷間は底が見えにくいほど落ち込んでいる。
1200m、1300mと、明らかにさっきの旧道以上のペースで、標高がぐいぐい上がってゆく。1300m以上では斜度は10%、またはそれ以上となった。さすが町道。
気が付くと風がかなり冷たい。1400m以上では山肌に目立って岩場が増え始め、道端に残雪が普通に現れるようになった。
とりあえず標高1500mの最初のピークを越えた。登りは最初の一段落、この後下りと登り返し含みで、最終的に標高1700m段階的に登り詰めてゆくはずだ。
下り始めた道は、細かく入り組んだ山肌を短いトンネルで抜けてゆく。道が狭いためその入口は小さく、入口は小径トンネルで時々みられる側面が垂直で、そして内部では素掘りの岩肌が露出していた。
ここまでトンネルが無かったのに2〜3本連続して短いトンネルが現れ、またそのトンネル自体が特徴的なことは、道が次の段階に入ったことを物語っていた。
2〜3本トンネルを抜けると、登り返し始めた道の前方は一気に開けた。ここまで狭い道をひたすら登ってきただけのつもりだったのが、一気に開けた空間の中に放り出されたことが理解できた。
前方には山々の稜線が続き、稜線付近の切り立った岩場に道が貼り付いて、奥へ奥へと登っていた。道の周囲はやはりかなり切り立った岩場で、木々が全く無いために上空から谷底へ完全に一体の空間が真っ逆さまに落ち込んでゆく。
開けた空間の中に続く道は、まさに空中の道そのものだ。岩肌はここまでとは荒々しさのレベルが違い、空間の大きさによる開放感より、その中での自分の高さに恐怖すら感じる。
迫力の風景に、ただただ圧倒されていた。こんな道は見たことが無い。西日本にはこんな道があるのか。
荒々しい岩山の伊予富士の下で、標高は再び1500mを越えた。
前へ続く稜線の少し先、岩肌から笹原に変わった次の頂は西黒森。町道瓶ヶ森線もそのまま稜線近くを横切り、西黒森の下でへの字を描いている。
あの辺が1620m、2度目のピークのはずだ。その後一度1500m台へ下ってから、まだ1700m台へ登り返すことになっている。
天気も時間も全く問題は無いのに、登りがキツそうというより風景が何となく怖くて、さっきから不安と言っていい気分だ。つくづく晴れで良かった。これで小雨だった日にゃあ。
西黒森を巻いたその向こうはまだ見えない。しかし地形図によると、まだまだ稜線区間の半分にも来ていないはずだ。
標高1620mのピークから先、眺めや地形図の通りに道はけっこう勢いよく下り始めた。こちらも先のことはあまり考えず、いや、多少は登り返しの事を考えてどきどきしつつ、当面は下るに任せて稜線近くを回り込んでいった。
次第に見え始めた次の稜線は、何とまだまだしばらく、というよりはるか彼方へ延々と、稜線は同じような高さで続いていた。いや、上下しながら少しずつ高度を上げていっているっぽい。その稜線に、岩山の険しい表情と所々に続く道が見えた。愕然とした。そして、地形図通りにまだ稜線区間の半分も来ていないことが良く理解できた。
まさにこれからもう一度1500mぐらいまで下ってから、再度瓶ヶ森下の1700mまで登り返すのである。いや、瓶ヶ森自体は地形図で眺める限りそんなに遙か彼方というわけではない。むしろその先の、下り基調区間にあるシラサ峠、よさこい峠、土小屋までのアップダウンを、甘く見ていたのかもしれない。それほど、事前計画での印象と、目の前の風景は違っているのだった。
落ち着け。まだお昼だ。何とでもなる。
落ち着いて、というより全てを心静かに受け入れる気になって腹を据え、空中に浮かぶような周囲の山々を見下ろし、次々に姿を変える行く手の荒々しい岩山、稜線近くに続いてゆく行く手の道を眺め、ゆっくりゆっくり焦らずに脚を進めていった。
やはり瓶ヶ森は意外にもそう遠くではなく、12:40、瓶ヶ森下着。標高1720m、今日の最高地点だ。ああ、近くで良かった。
少し向こうに、道が行く手の稜線を乗り越えているのが見えた、その向こうで稜線自体はまだ更に高度を上げてゆくようだ。しかし、ここが町道瓶ヶ森線の最高地点のはず。
果たして稜線の向こうにも下りは続いていた。一度落ち込む稜線を挟み、正面に小持権現山がぶつかりそうに迫っていたが、道は意外にも小持権現山へ登り返すこと無くあっさりいつの間にか山肌を巻き、更に上下に開けた空間の中をつづら折れで一気に100m下っていった。落ち込む道の外の高度感、これから現れる登り返しには少しどきどきしていたものの、結局最初のルートラボの印象通り、もうシラサ峠への下り基調区間に入ることができていたのだった。
シラサ峠には「山荘しらさ」という建物があり、ここで「JAZZを聴きながらカフェでゆっくり休憩」できるとツーリングマップルには書いてあった。ちょうどお昼を過ぎたところで腹は減りつつあり、立ち寄る時間には事欠かない。しかし、肝心の建物に人気が全く無いのでは仕方無い。ここでの昼食をあてにしていなくて良かった。昼食自体は、この先面河渓まで下ってしまえばどこかに何かが必ずあるだろう。
シラサ峠から再び登り返しが始まった。少し下っただけで身体が冷え、登りがしんどくなっているものの、例によって例の如く目一杯ペースを下げて進めばいいだけの話。そして周囲には木々が復活。迫力ありすぎの風景が、少しはごく普通の稜線林道の風景に戻って、気持ちも落ち着いた。
阿伊吹山を巻いて下り始めた道は、よさこい峠と少し先の名野川越を通過後、またもや登り返しに移行。もう次のピークは瓶ヶ森線終端の土小屋。これが瓶ヶ森線では最後の100m登り返しのはずだ。ぐっと斜度が上がった岩肌の登りは、しかし所詮120m、そして予定通りの順当な登り返し。まだかまだかと思っているとすぐじゃなくても、腹を据えてじっくり行けば、意外に早く前方に駐車場が、その向こうに建物が見え始めた。
13:30、土小屋着。町道瓶ヶ森線、ど迫力の道だった。
今日はもう石鎚スカイランを標高400mの七鳥まで下り、200m登り返して宿に着けばいい。距離はあまり把握していないが、200m登り返しは宿手前まで約10km一発。石鎚スカイライン途中の100m登り返し以外はひたすら下るだけ、極めて単純な、そして楽そうな行程だ。
このような状況で何とまだ13時半。レストハウスには「軽食」という文字がみられる。渡りに船、もう何か食べるしか無い。肉うどんを頂き、出会ったロード乗りから行く手の情報収集後、更にぽかぽかの屋外でソフトを追加。広場の反対側には石鎚山登山口もあるが、石鎚山往復の時間を確認する気持ちは全く無い。まあ、後で調べたら片道2時間だったし。
13:50、土小屋発。
道の名前は県道12に替わり、道幅はかなり広めの対向1車線ずつ。車もまあそれなりに多い。石鎚スカイラインは、ここまでの瓶ヶ森線とは一応一続きではあるものの、もはや全く別のテイストの道だ。
時々景色が開ける場所では谷底が見えにくいぐらいにかなり切り立った山腹も、もうほとんどが森の中。
しかし、つづら折れや山肌くねくねで豪快に下ってゆく間、ところどころで森が開けて、西日本最高峰の石鎚山を真横にばっちり見上げることができた。さすがに石鎚スカイラインと名乗るだけの道である。
途中、標高900m辺りから登り返しが始まった。知ってはいても、たかだか100mぐらいの登り返しはもう結構しんどい。しかし、登り始め以外斜度は緩く、それにまだ14時過ぎ。この先まだ600m下り、宿まで最後の200mだけ登り返しという段階での14時なのである。
再び下り始めると、もうそれからは下り一辺倒。斜度が急すぎて速度を上げにくいということ無く、あれよあれよという間にどんどん地形図上での位置を進め、そして高度も下がってゆく。
標高800mぐらいから目に見えて木々に緑が復活、周囲は再び賑やかな春の森に替わった。
標高670mで石鎚スカイライン区間も終了。仰々しい料金所の痕跡を出口で眺めるのがなんとなく楽しみだったものの、実際には既に建て替えられたばかりなのか、新しい鳥居が建っていた。
面河川の谷間を県道12は更に下り続けた。
川面と谷間は次第に深く、広くなり、険しいという印象しか無かった周囲の山々は低く、山肌も森も畑も常緑樹の濃い緑と新緑ばかり。
道幅は広いものの、道端には石垣が目立つ集落が断続した。
村の駅おもごで小休止し、またもやソフトをいただいた後、15:00、村の駅おもご発。
河口からしばし国道494へ。ほんの少し大回りに見えるのみならず、その先の県道12と212の重複区間を明日も通る予定だが、宿まで登り返しが一番少ない経路である。
渓谷には落葉樹が多く、新緑が赤みを帯び始めた日差しで鮮やかだ。
渓谷のまっただ中、時々分岐する旧道では、道巾が4m程に狭くなった。そういう区間がボトルネックになっているのか、車はさっきの県道12より余程少ない。
400番台国道の面目躍如である。
七鳥から県道12へ。
宿まではもう10km、最後の200m登り返しだけだ。とはいえ時々拡幅済の静かな細道に、森や渓谷、軒を掠めるような集落、基本的にはもうこぢんまりと穏やかな空間が続く。
登り基調で少しずつ、次第に高度を上げ、最後は100mぐらいの緩いゴルフ場越えへ。
ピーク部分には国民宿舎があった。こちらも計画時には検討したんだよな、と思う。
16:40下畑野乙「民宿和佐野」着。周囲は田んぼが山間に拡がり、蛙の声がよく聞こえる。私にとって蛙の声は、5月の旅の楽しみなのだ。宿もいかにも農家風だし、周囲も昨日の大川村「筒井旅館」よりよほど里っぽいが、標高は遙かに高い610mなのが面白いところだ。
明日の天気予報は、高知県仁淀川町で曇りのち雨。出発前の1日中晴れ予報から大分悪化していた。予定としては長年の懸案「とろめき」訪問、そしてやや謎めいた「石神峠」訪問の二本柱となっているが、午後雨だとすると、標高1000m超の石神峠は割愛せざるを得ないかもしれない。そしたら、明日はむしろ喜んで大手を振って休んでしまえばいい。今日一杯登った瓶ヶ森線の印象は、それほど強かったのであった。
田んぼの蛙けろけろを聞きながら、まだ明るい19時に早々と就寝。幸せな1日であった。
記 2017/5/26
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