横川→(国道18他)碓氷峠
(以下#2)
→(国道18・県道92)追分→(県道137・町道)草越
→(県道156)安原→(市道他)中込学校→(県道138他)北中込
48km
3月も下旬というのに、とても寒い1日でした。
横川で輪行作業中、既に冷気がしんしんと身体に染みる程でしたが、アプトの道で谷間に入ると、まあ当たり前のように谷間効果(?)で更に寒さがパワーアップ。
一方、横川で見上げる妙義山は、上の方が既にうっすら雲に包まれてやばげでしたが、アプトの道で早くも白い物がぱらつき始めたのでした。
ところで非乗車の押しで辿るアプトの道ですが、
「かつてのアプト式旧線を遊歩道に整備した」
と、まあそういう理解しかありませんでした。いや、それはそのものずばりで100%正しいのですが、実際に通ってみると、
「かつて雑誌で眺めた(信越本線横軽の)写真のアングルの中に自分がいる」
「(粘着線転用区間では)かつて列車から眺めた風景が、列車に乗ることなく眺められる」
ということだったのでした。考えてみれば当たり前の話なのですが、こういう体験は他ではあまり経験がなかったので、感動を通り越して軽いショックすら受けました。
非乗車の押しで横川機関区脇の25‰から丸山変電所までの40‰区間を過ぎ、66.7‰に移行する辺りはもうかつての鉄雑誌の横軽特集ではお馴染みのアングル。信越本線にはあまり縁が無かった私でも、懐かしくて懐かしくてたまらない景色です。
非乗車の押しで粘着線区間からアプト旧線区間を経由、トンネル5本を抜けてめがね橋に到着。
昭和30年代後半国鉄時代のPSコンクリートの美しいカーブの下り線上り線を、めがね橋から眺められることは、信越本線現役時代から鉄道雑誌定番アングルでよく知っていました、知識としては。しかし2010年の今、これらの橋は、未だ架線もそのままに2本とも「日本国有鉄道」の素晴らしい遺構となっています。
建設時期が違う3本の橋、それら近代〜現代の遺構を包む幽玄と山深い上州の森、空に舞う粉雪、風の音。他には何も無く、それ故に3本の橋が自然に立ち向かった存在意義、リアリティはより研ぎ澄まされていました。仰ぎ眺めるコンクリート橋には今にも169系急行信州や189系特急あさまが甲高い汽笛のEF63をくっつけてやってきそうで、元鉄的には更にナミダちょちょ切れでした。
旧横川機関区、そして丸山変電所手前の25‰→40‰→66.7‰の場所とともに、アプトの道やってくれすぎです。来て心から良かったと思いました。
めがね橋から国道18旧道に移行、碓氷峠の登りとなりますが、この道を登るのは何と高校1年の初の宿泊ツーリングの時以来28年ぶり。
11月の十国峠オフで訪れた松井田駅で初めてツーリングで泊まった翌朝、全部押してしまった道なのでした。
下りでは5年前に訪れているこの道。基本的に緩緩以下の坂が延々と続くのはわかっていたので、今回は粛々と進むだけですが、やはりもう懐かしくて仕方ありません。
と懐かしさに浸っている一方、雪は断続しながら次第に強くなり、辺りの山肌にも積雪が登場。
標高750mを越えた辺りからは道ばたにも雪が現れ、900m辺りからとろんとした霧が辺りを包み始めました。
11:15、碓氷峠到着。峠は雪、霧の他に強い風まで吹いていて、先着していた皆さんが死にそうになりながらも待っていて下さいました。3月下旬だというのに気温は-1℃、吹き付ける雪に本日の行程自体が危ぶまれます。しかし、何しろとりあえず軽井沢まで下り、到着予定時刻から1時間も待っていて下さっているであろう雑木さんとNUTSさんと何とか合流し、蕎麦屋でも見つけて暖を取ろうということになりました。
記 2010/3/29