2008/7/20 朝日スーパー林道 鶴岡→村上 #1

鶴岡→(県道350)外内島→(国道112)下山添
→(県道383)宮ノ下(国道112)朝日→(県道44)行沢
→→(県道349:朝日スーパー林道)大鳥
(以下#2) →(県道349:朝日スーパー林道)林道元屋敷線分岐
(以下#3) →(県道349:朝日スーパー林道)猿田川野営場
→(県道206)猿田発電所
(以下#4) →(県道206他)村上
   90km

松ヶ崎の外れ 20km自主?規制 RICOH GR DIGITAL 2 GR5.9mm1:2.4 赤は本日の経路 濃い灰色は既済経路

 「村上〜」の車内放送に一度目が覚めた。2度寝して目が覚めると、鶴岡到着30分前。もう一度うとうとできるか微妙な時間である。と思っているうちに何となく時は過ぎ、辺りが明るくなってきていた。何だかまるで人生のようだ。
 窓の外は丘陵の森だったり田圃だったり、緑の勢いが良い。空気が何と無く霧っぽく、空もややどんより気味だが、それはそれで田舎の夏の早朝らしい。

 鶴岡着は4:35、ぱらぱら降りてゆく乗客とともに駅の階段を上り改札を抜け、駅前で自転車組立を開始する。
 この早朝、駅前には車で出迎えに来ているお父さんもいた。肝心の息子はと言えば、なんだかたばこをぷかぷか吹かしてかったるそうにぷらっぷらしていて、ちゃんと親孝行しろよ、等と思ってしまう。他には待合室にリュック姿の中高年が数名。特急あけぼのは、このご時世にまだ寝台特急として残っているだけあり、ちゃんと利用客がいるのである。JR東日本よ、寝台特急あけぼのを廃止するな!あけぼのよ永久に!!
 等と無理矢理テンションを上げつつ自転車を組上げ、5:05、鶴岡発。

鶴岡から朝日経由で朝日スーパー林道へ 赤は本日の経路

 駅前からの1本道は、街中で県道350となって市街地を抜けてゆく。おそらく昭和初期以前のけっこう古めの木造家屋が比較的目立つ町には、堀や道のクランク箇所など江戸時代辺りの名残りらしきものも目立つ。鶴岡と言えば藤沢周平である。いわゆる藤沢周平の世界というものを、私はTVドラマでしか見たことが無いが、おそらくこんな町並みに藤沢周平の登場人物達は住んでいたのだろう。そんな想像をさせてくれる、若干寂れてくたびれた佇まいの町並みがしばらく続いた。

 その町外れから田圃の中に景色が拡がる辺りで、県道350はだだっ広い国道112に合流した。国道112からはすぐに脇道の旧道、県道383が再分岐するので、間髪入れずそちらへ足を進める。

 地図では辺り一面田圃の中のはずだが、道の周囲にはずっと民家が絶えない。次から次へ現れる瓦屋根や手入れのいい農家の生け垣に、またもや藤沢周平の物語はこんな場所だったのか、等と思わせられる。

 等と考えている内に再び国道112に合流すると、間もなく旧朝日町中央部に到着だ。ここから県道44へ分岐、鶴岡の平野部から大鳥川の谷間の遡上の開始である。

 曇り空の下、県道44はのんびりと集落、田圃、畑の中を進んでゆく。

 肌に感じる風は涼しいものの、腕の裏側に汗がじっとり濡れているのは、紛れもなく実際の気温はそう涼しくはないのだ。何てったって7月の下旬、夏真っ盛りなのだ。山も田圃も緑が茂り、にぎやかである。

 と、道路脇に看板が立っていた。「県道349号鶴岡村上線、松ヶ崎から先新潟県まで通行止め」とある。
 えええ〜?これじゃまだ去年の6月に来たときと状況は全く変わらないんじゃないの。田舎道にありがちな撤去忘れの看板じゃないのか?しかし、松ヶ崎から先が通行止めの旨の看板は、しばらく進むともう1回登場したのだった。このまま今日は、大崩落の通行止めで撤退した去年の朝日スーパー林道OFFに続き、第2回鶴岡ポタ(しかも単独)となってしまうのかもしれない。そんな事態はなるべくなら避けたいので、ちょうど田圃から田圃へ作業を移る途中だった農家の方に聞いてみることにした。
「すいません、朝日スーパー林道って毎年今ぐらい開通ですよね。まだ通行止めなんですか?」
「うーん、今年はなんか長引いてるよね。まだ通行止めらしいよ。何か崩落してるらしいね。」
「それってひょっとして去年からですか?」
「うん、そう。でも今年はそろそろって話だよ。そうだなあ、自転車ぐらいだとどうなのかなあ。」
とのことで、結局真相は分からなかった。しかし、寝台特急あけぼのまで投入してここまで来たのだ。とりあえず行けるところまで進むしかない。

 大針の辺りから道はぐっと狭くなり、両側の山が迫ってきて谷が狭くなってきた。集落と集落の間が田圃から森になり、少し先の大泉ではその狭い谷に程良いスケール感の集落が続く。

 その外れから道は山裾の森の中を登り始め、そのまま一気に大鳥ダム岸へ登ってしまう。今までも涼しかった空気は、森の中の空気となって更に一気にひんやりし、道も昨夜の雨か何かかしっとりし始めた。

 去年眺めた新道とトンネルの建設もいよいよ大詰めに入っているようで、もう新道への分岐部分も盛土が進捗中だった。来年辺り完成するのだろう。

 待避所じゃないと行き違いできないぐらいの狭く眺めのトンネルが2本続き、乗り上げた湖岸に沿って湖を通過すると、対岸の集落、大鳥に7:20、到着。
 去年はここの大鳥池の分岐に建つ朝日屋旅館にみんなで泊まったのだ。結局その時は崩落で撤退となったので、翌日は鶴岡外周部ポタとなったのだった。ベテランツーリストが集まった旅館での一夜は、特に大騒ぎとかするわけではなかったが、翌日への期待と緊張が漂っていて旅としては最高に楽しかった。今日も朝日屋旅館の前には何と無く落ち着かない雰囲気の客が出動していて、去年の朝を思い出す。

荒沢から大鳥経由で県境へ 赤は本日の経路

 大鳥川を渡って田圃、畑の中を少し進むと、いよいよ最後の集落松ヶ崎だ。どことなくまとまりが良い田舎の景色が続き、個人的にはこの道の大きな楽しみの一つとなっている。

 最後は田圃の1本道から谷間が狭くなり、谷底の1本道となる。

松ヶ崎 無人区間手前の田んぼの道 RICOH GR DIGITAL 2 GR5.9mm1:2.4

 森の中を桧原川沿いに少し遡ったところで、まず閉まったゲートが登場。言うまでもなく通行禁止の証だが、せっかくここまで来たのだ。是非ともその所以をこの目で確認しておきたい。それに、路面には新しい車のタイヤの跡が、はっきり残っている。まだ行ける。

 去年撤退した崩落箇所は、林道に入ってからいくらもないはずだった。今か今かと思っていると、その記憶通りに崩落箇所が見えてきた。確か去年も大崩落が少し手前から見えていたことを思い出した。

 

 堆くつもっていた土砂が、もうかなり撤去されていて、当該箇所ではややこんもりした盛土となっている。一般乗用車だと通行はやや厳しいものがありそうだが、自転車を担ぐ分には何の問題も無い。工事の人もいないので、その盛土を登って向こう側を除いてみると、何の問題も無く舗装道路がまだ続いていて、自動車の通った跡が残っていた。あるいは一般乗用車でもこれぐらいはえいっと越えてしまうのかもしれない。
 まだ行ける。タイヤの跡を追い、そのまま先に進むとしよう。

記 2008/8/1

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Last Update 2019/7/25
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