魚沼丘陵の細道くねくね RICOH GR DIGITAL GR5.9mm1:2.4

頸城の秋07 #1-1
2007/11/3 浦佐→朴の木

浦佐→(県道363・71・58他)後山トンネル→(県道59)菅沼
→(県道388)西枯木又→(県道214)新水
→(県道59・国道252)市之沢→(市道他)木落
(以下#1-2) →(県道326)小白倉→(国道403)中仙田
(以下#1-3) →(国道403)木和田原→(林道)峠
(以下#1-4) →(国道403)大島→(県道13)大原
→(国道405)経塚峠→(市道・林道)朴の木
   97km

赤は本日の経路 濃い灰色は既済経路

 いろいろと忙しかった2007年もいよいよ11月。山も里も紅葉に彩られ、実りの秋が美味しいこの時期、気温もこの辺りを境に一気に冷え込むため、毎年この辺りを目掛けて頸城秋ツアーを組むのが恒例となっているのだ。

 東頸城丘陵の東は十日町、信濃川と飯山線の谷である。この谷と上越新幹線が通る魚沼盆地との間には、魚沼丘陵が立ちはだかっている。この魚沼丘陵をパスするほくほく線へは、越後湯沢で乗り換えが必要だが、ほくほく線には始発の次の新幹線しか連絡してくれず、走行開始が1時間も遅れてしまう。これでは朝の貴重な時間が無駄になってしまう。
 この観点で言えば、より早い時間から自転車に乗るために、十日町発が結果的に遅れてでも魚沼丘陵を越えて十日町方面に向かうというストーリーが出来上がる。この魚沼丘陵越えには今まで専ら越後湯沢発のコースを使っていたが、今回はちょっと目先を変えて、浦佐発としてみた。

浦佐から西枯木又経由で下条、木落へ 赤は本日の経路

 8:00、浦佐発。この地方らしい町並みが続く駅前の旧道から、朝霧が残る田圃の細道を辿って、県道58で山方面へ。

 道がするすると朝霧の溜まる谷間を登り始めると、すぐに山肌の紅葉が目立ち始めた。

 いきなり始まった登りに、何か口実を付けて少し一息入れたくなった辺りで、おもむろにトンネルの入口が登場。興味を持って眺めていた古めの地図の細道は、見事にトンネルに変わっていたのだ。

 確かにここまで登ってきた道も、地図の細道とは太さもくねくね度合いも全然違う。おそらくこのトンネルで、地図で読める小さな丘陵越えをくぐってしまうのだろう。

 徒然なるままに2つトンネルを抜けると、トンネル出口辺りでいくつかの方向から離合する道に、ようやく位置が確認できた。後山の集落だろう。ならばそろそろ分岐である。もう道の線形も辺りの景色も地図通り。

後山トンネルから西枯木又経由で下条、木落へ 赤は本日の経路

 安心して菅沼から県道388、魚沼丘陵の西斜面を辿る道へと足を向ける。

 緩斜面の集落とその間の田畑、森を紡ぐように、細道は水平方向にも垂直方向にもくねくねと、時々拡幅済みで太くなったりして続く。

 空は晴れたり曇ったりだが、常に青空が見え辺りは比較的明るく、次々と変わる景色を眺めながら時々地図を確認したり、のんびりと気楽な細道サイクリングが続いた。

 道がきりきり登り始め、辺りに西枯木又の地名表記が見られるようになると、いよいよこの道のピークである。辺りも開けて眺めが良い。

 森の中で下りに変わった道は、やはり森の中をするする抜け、尾根に取り付いて下り始めた。

 途中で森が開けて辺りはススキの原っぱに。あるいはかつての棚田のなれの果てかも知れない。

 原っぱの外れで上田原の集落へ。更に道はどんどん下って、新水でさっき菅沼で別れた魚沼丘陵越えの県道59に合流。

 その県道59もあまり続かず、焼野で更に国道252へ。ここでようやく下りは一段落。

新水から木落経由で中仙田へ 赤は本日の経路

 飛渡川沿いに信濃川へと下ってゆく国道252には、国道だけあって当然ながら今までの細道県道より全然交通量が多い。と思っていたら、対岸に黒線細道を発見。その行く先は、信濃川河岸の田圃を通り、多少くねくねしながら信濃川を渡る国道252の橋の方向へ向かっている。

 地図の印象よりややスリリングな瞬間もあったが、辺りは基本的にのんびり静か、谷間が開けて拡がった秋空が広々と開放的で、田圃から集落、そして国道117を経由、下条で信濃川を渡って対岸へ。いよいよ東頸城丘陵である

記 2008/3/26

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Last Update 2008/3/27
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