(以上#8-2)
→(道道494)日出→(町道西19他)相内町
→(国道39)留辺蘂 120km
道道494はそのままチミケップ湖の外周道路となり、明るい木漏れ陽の良好ダートが湖畔の森の中に続く。
日差しはやはり暑いが、それでも木陰の涼しさは天国のように思えた。
13:10、チミケップ湖キャンプ場到着。とりあえず外周道路から湖畔の広場へ向かい、いつもの木陰に自転車を停めて、キャンプ用流しで水を飲む。うまい。冷たい。自転車乗りにとって最高のご馳走は美味しい水であることを実感する。ここに来るまでに津別で汲んだ水が無くなりかけていたが、美味しさと一安心で気持ちが一気に楽になった。
今日はキャンプ客が多いが、なぜか撤収中のテントが多い。テント自体そう数が多いわけではないので、これから家路に就く安心感と、去りがたさが混じったキャンプ客の気持ちが漂っているのがよく感じられる。そんな中の一時の通過者であり、傍観者である自分の位置付けを意識する。みんなのチミケップ湖の登場人物の一人になれているのである。
いつもの波打ち際、個人的展望ポイントでしばらく湖を眺めた。今日の景色は本当に鮮やかで、青空を映した真っ青な湖面に、強力な陽差しが降り注いできらきら眩しい。岸辺にはぽちゃっぽちゃっと静かに波が打ち寄せ、波の音の他にはトンボの羽根の音と遠くのセミの声、そして遊ぶ家族の声だけである。
本当に来れて良かった、とまた思う。あるいはこのままずっと、日暮れまでこの景色を眺めていたいが、現実はそれを許してくれない。
13:50、チミケップ湖出発。本岐から外周道路となってここまで来た道道494で、今度は訓子府の日出へ向かう。
湖岸のダートを抜けると、道は一旦舗装に変わり、チミケップ湖の外周部の山越えへと向かう。森の中、頭上が開けた広い道がしばらく続くが、登りは緩く、しかも舗装なので、てれてれ足を回せばいい。この後は峠越え、なるべくこの舗装区間で標高を稼ぐ道であってほしい。
その後は森の中のダート峠越え。ダート区間に入ると同時に急に斜度が増し、一気にグリップが悪くなるのは毎度のこと。こうなるともう全く足に力が入らない。「売り切れ〜」等とつぶやきながら諦めモードで押しに入った。
途端に寄ってくるアブめら、ムシペールでも喰らえ。あと少し、何とかやり過ごして峠を越えれば訓子府まで下りなのだ。
しかしこの力の抜ける感覚、これは間違いなく熱中症である。幸い意識ははっきりしているし、動けることは動けるので、熱中症も軽いものなのだろう。でもこの先、1時間で下れなければ15時留辺蘂、19時前湧別のストーリーに乗ってこない。どうするか。
チミケップ湖岸から北見盆地へは概略下りのため、森の中の登り自体あまりボリュームは無い。押しと乗車を併用して何とか峠をクリア、稜線部分から眺められるちらちら風景は意外なほど山深く、道自体はなかなか楽しいのだった。
下りの山腹トラバースからポンオムロシ川の谷間に下りきると舗装が復活。
深い森の谷底、渓谷下りのやや荒れて苔生した道は長い間続き、その後オロムシ川と合流して一気に谷間が拡がり、しばらく畑の中にやや荒れた道が続いた。長い下りである。
14:10、日出着。津別以来のコンビニ休憩だ。何だか人里に戻ってきた気分で、今後の予定を再検討。
山の中のチミケップ湖岸から開けた北見盆地の日の出に降りてきて、気温は再び上がってしまっていた。さっきの下り途中からとにかく暑く、おまけに向かい風気味で、身体に力が全く入らない。非常事態である。おまけに今日はこれから大雨の予定だが、その予報を裏付けるように、西の空の奥にものすごいボリュームの暗い雲が漂い始めていた。
こうなると、もはや諦めがついて有り難いぐらいだ。余り悩まずに輪行を決定。あとはこの先丘をいくつか越えた相内で終わるか、もうちょっと先の特急も停まる留辺蘂か、ということだけである。選択に悩む余地は無い。相内駅の時刻表で決めればいい。
町道西19で日出、福野と台地越えへ。向かい風の熱風で、40m規模のアップダウンでもはや足に全く力が入らないのが情けない。悩んでいても始まらない、とにかく乗り切ろう。
開けた台地は畑が豊かに拡がり、何とも北見らしいいい景色である。しかし、西には真っ黒い雲が更に大きく拡がりつつあり、向かい風の中に時々水滴まで感じ始めるようになっていた。
▼動画17秒
15:50、相内着。案の定時刻表に列車はしばらく無い。仕方無い、このまま留辺蘂へ行ってしまえ。もうあと平坦で10kmだけ。
国道39は、大型車と乗用車の仁義無き幹線道路である。埃っぽい道に暗い空、しんどい身体と、全然印象が良くない。とはいえ、まあ平地ではなんとなくまだまだこの先行けそうな大丈夫な気もしないでもない。留辺蘂からサロマ湖畔へ、その先湧別の三里浜へと、脳内で捕らぬ狸の到着時刻シミュレーションなどを試みてはみるものの、留辺蘂手前の線路越え登り程度ですらもはや全然だめだめなのだった。
16:30、留辺蘂着。
列車は17:39。特急ではなく、結局さっきの相内で乗れたのと変わらない列車である。まあ輪行は余裕を持って作業できそうなのは有り難い。
輪行作業を終えたら次は宿に連絡だ。遠軽からの交通機関を聞かないといけない。湧別まで20km、そこそこ距離はあるし、湧別からサロマ湖岸の宿までまた20km弱。列車が遠軽に到着するのは18:31、自転車を組み立てて出発が19時過ぎ。ずっと平地だが、ナイトランの40km、しかも雨の中、しかもこの体調。自走を前提とするわけには行かない。
結論から言えば、路線バスは遠軽到着後1時間以上後の出発で、しかも湧別終着。宿の三里浜までは20km弱タクシーに乗らないといけないが、湧別にはタクシーはあるとのこと。
各駅停車の気動車に乗る頃には、頭上にはすっかり雲が垂れ込めていた。
小雨の山間をぐいぐい進む気動車。SL時代は難所だった金華峠も、居眠りしながら通過である。
遠軽に着いて驚いた。石北本線の途中からだいぶ雲は出てはいたし、もうすっかり薄暗くなっていた。しかし、そんなばかな、というぐらい涼しい。いや、肌寒いのだ。体の中にまだ残っている昼の熱気がどんどん抜けていくのが気持ちいいが、もはや笑うしかない。
駅前へ降りて、もはや何も躊躇うこと無くタクシー輪行へ。遠軽を出ると、辺りはどんどん暗くなっていった。もはや8月中旬過ぎ、夕方も釣瓶落としの季節である。中湧別辺りからは雨も降り出したが、それ以上に霧が漂っている。この中を走る気はしない。輪行にして良かったと思った。しかし、湧別を過ぎ、メーターの料金は料金はここに書くのが恥ずかしい位どんどん上昇する一方なのだった。
運ちゃんによると、遠軽で真昼は35度、夕方で一気に16度まで下がったとのこと。あの寒い紋別で33℃、美幌は36度まで上がったらしい。津別で感じた暑さがようやく納得できた。美幌の盆地の山側の津別は、いつも美幌より気温が高いので、多分37度ぐらいまで上がっていたと思う。それならあのお湯のような熱風と辻褄は合うし、熱中症もまあ仕方無い。体力不足とか疲れというより、天災のようなものだ。
19:30、霧の中の三里浜「町営レイクパレス」到着。いろいろ紆余曲折あったが、とりあえず今日も予定の宿で夕食が食べられることが有り難い。
サロマ湖北岸のこの宿、どんな場所なのか興味があった。今まで南岸は何度か泊まったことがあるし、かつては国鉄湧網線が通っていたので、一般的にもメジャーである。サロマ湖北岸というのはあまりイメージが沸かなかった。まあ来てみればすでに真っ暗だし、辺りは霧の中だ。この肌寒さの中、部屋の中だけがまだ昼間での猛烈な熱気が籠もって暑いのがなんだかおかしくすらある。
とにかく計画通りとは言え、かなり交通の便が悪い場所に来てしまったことは確かなようだった。こんな状況で明日は大雨の予報だが、さて、どうなるか。
とりあえず部屋の中は暑いので、窓は網戸にして寝ざるを得ない。
記 2007/9/24