北海道Tour07 #2-3 2007/8/9 都→壮瞥

 

都→(道道740)宮野→(国道229)栄浜 (以上#2-1)
→(国道229)北作開→(道道9)熱郛→(道道265)白井川
(以上#2-2)
→(国道5)相生→(道道934)蘭越→(国道5)元町
→(道道230)桜川→(町道・道道97)桜川
→(町道・農道)加野→(道道230)三ノ原→(国道230)大原
→(道道132)滝の上→(道道2)壮瞥  224km

国道5で元町・支笏湖方面へ い灰色は既済経路
実は#2-2区間 寿都湾 樽岸町にて RICOH GR DIGITAL GR5.9mm1:2.4

 以前1998年に通った国道5は、記憶通りに一桁国道としては異例の交通量の少なさである。

 のどかに拡がる緑の牧草地や畑に続く、道の幅だけは一桁並で、奇妙にのんびりゆったりした道だ。

 しかし交通量が少ないのは良いが、造りが古いためか、目名峠の斜度は道内国道標準レベルからはやや厳しめの7%。ちょっとしんどい。

 目名峠を下ると、裾野が緩やかに拡がって見晴らしが良い。標高は低いが、高原という言葉を思い出す景色である。

 その拡がり、様々な種類の作物でにぎやかな畑は、十勝の畑と雰囲気が似ている。しかし人口密度はこちらの方がかなり密で、道路脇の農家や各施設も十勝より多い。この辺りの関係は、やはり景色は似ているが畑の内容と人口密度が違う十勝と道東の関係に似ている。

 田下、讃岐、相生と、開けた農村にしばらく下り基調の軽いアップダウンが続き、概ね快調なペースが続いた。しかし、途中では大粒のにわか雨が数回に渡って突如降ってきたりもした。近くの山々は低い雲の中で、裾野からすぐ上は完全に低い雲の中。特に行く手には土砂降りを確信させるほど黒目の雲で、ちと先行きが思いやられた。

 相生の下手で、次第に自動車の増えてきた国道5からしばし道道934へ。国道5はやや大回りで蘭越へ向かうのだが、そこをショートカットする道である。

 まあ地図でショートカットでも、実際にはアップダウン連続なのは道道では当然だが、やはり森の中の静かな道はいい。

 その道道934で裏側から入った蘭越で、国道5に再合流。ところがその国道5は、打って変わって道内幹線国道並に交通量が増えていたのであった。

 おまけに起伏の少ないJR函館本線に近づいたり離れたりの線形なのだが、裾野に通っている以上、起伏の少ないルートから離れると高低差が生じるのは当たり前だ。

 かくして昆布、西富、福井、宮田、里見と、際限無いアップダウンと頻繁に通る大型車に延々悩まされ、非常に疲れる行程となってしまったのだった。

 道の周囲だけ見ていれば森や畑が続き、そう雰囲気は悪くないのだが。

 16:05、「道の駅ニセコビュープラザ」着。くたくたになってしまっていたが、とりあえず売店のそれっぽい焼ソーセージとそれっぽいソフトを集中的に食べて助かった。
 ここで今後の予定を見直すが、ややうんざりするような長い行程であることが改めて確認できた。明らかに国道5での、そして今後の真狩・留寿都でのボリュームを見誤ったかもしれない。その結果どうなるかというと、どうも終着の北湯沢温泉まで、この先余程順調に進めなければ、到着は相当遅れてしまいそうなのだ。とりあえず宿に電話を入れ、到着は19時台になりそうな旨報告しておく。
 悩んでいても、無計画に食いまくっても、例によって時間は容赦なく過ぎてしまう。要するに国道5で疲れてしまっていたのだ。結局出発は16:30。

元町から大原経由で支笏湖へ 赤は本日の経路

 元町から入った道道230は、道なり分岐から町道・道道97へ乗り換えつつ、豊里、富里、落合、桜川と知来別川沿いに、北海道の畑らしい穏やかな表情の農地や森の中を通ってゆく。

 しかし丘陵の谷を遡る緩い登りだけと思っていた経路には、道道230の頭の100m程度のアップダウンを一発読みこぼしてしまっていた。

 豊川の交差点からは町道・農道へ。道道から規格が下がっただけあり、この期に及んで道の斜度が更に上がった。おまけに何回か渡る川には、全部けっこうしつこい下り登りの谷越えがあった。景色は相変わらず北海道らしいのんびりした畑の中だが、空にも次第に雲が増え、もう何でもいいから粛々と行程をこなすだけという気分になってきた。

 加野からは留寿都、真狩へ向かう道道230へ。もう17時半過ぎ、辺りは次第に暗く、霧に包まれ始めていた。あるいは洞爺湖から流れてくる霧か、向かいの谷の向こうなどすっかり霧の中である。

 薄暗くなってそろそろ気温も下がっている。今まで均衡を保っていた厚い雲からいつ水分が落ちてきても不思議ではない状態が続いた後、ついにまたもや霧雨になってしまった。

 谷を下って登った向こうの三ノ原で国道230に合流。すぐにまたもや高低差60mアップダウンの登り返し、しかももう洞爺湖までこの期に及んで道はちっとも標高を下げてくれない。でも、もう洞爺湖外輪山に取り付いている。国道になって車は増えたし、もう薄暗いし、とりあえずあまりごちゃごちゃ考えずにのろのろと進むしかない。
 登り返しも一段落する大原からは、看板に従って道道66へ分岐。外輪山の縁を越え、いよいよ洞爺湖への下り開始である。

 下り初盤、突然木々の隙間に、標高差200m下の洞爺湖が現れた。

 どんよりした厚い雲の下、山間の景色全体が次第に薄暗いモノトーンに変わり始めていたが、その向こう、空を写した遠くの洞爺湖がほわんと明るく、薄暗い中の鏡みたいである。夕方遅くの暗くなり始める時間帯、あまり余裕は無いが、つい足が停まる。今までこういう湖の眺めは見た記憶が無い。つくづくこちらから降りて良かったと思った。
 その先、道は森の中をくねくねと、一気に洞爺湖畔まで下りきってしまった。森が深いため、下りきるまで洞爺湖がさっきのように現れることはなかった。

 18:20、洞爺町着。湖畔の洞爺町には何とセイコーマートがあった。もう一刻も早く先へ進まないといけない時間だが、白とオレンジの看板を見ただけで反射的に休憩だと思ってしまうのが我ながらおかしい。でも、疲れて気が急いては判断を誤ってしまうことがある。ここは何かちょっと腹に入れて、落ち着いて今後の行程を決定しよう。
 というのは、この先洞爺湖畔半周だけで20km弱、今日予約している北湯沢の宿まではその先更に約20km。この時間からあと40km、しかも登りで山間の道で危うい空模様。どう考えても下方修正したい状況だ。
 とりあえず洞爺湖畔には確かYHがあったと思った。いや、これぐらい有名な観光地、YHぐらいあるに違いない。あってくれー。半分祈りながらツーリングマップルを開くと、あった!ちょうど洞爺湖の反対側の南岸に、昭和新山YHが。
 もうYHの夕食時刻も過ぎている。電話で素泊まりをお願いすると、部屋が空いているとのこと。そのままYHを確保、もう夕食の支度も終わっているであろう今日宿泊予定の民宿へは、謝って今夜の宿泊をキャンセルさせていただいた。

 洞爺湖東岸をぐるっと半周する道道132は、森の中のほぼ平坦な道だ。夕方から夜に移るこの時間帯、時々現れる別荘地の街灯が懐かしく思えるぐらい辺りは薄暗かったが、時々木々の間に最後の空の明るさをぼんやり写す洞爺湖がいつまでもちらちら見えた。

 その洞爺湖がようやく真っ暗になる頃、ようやく南岸の温泉街が近づき、19:15、壮瞥「昭和新山YH」着。
 ホテル併設のこのYH、YH受付へ行ったら「ホテルフロントで受付」との張り紙が。さっきの電話で聞いちゃいたが、ホテルの食堂は営業終了で、フロン戸脇の食堂でいつまでも宴会を続ける客の食事が羨ましい。予定通りに着ける行程を組めれば、私も予定通りにあんな夕食が食べられたのだ。遠くの来た湯沢飲泉では、食べられることの無かった夕食が、今頃捨てられているのかもしれない。
 感傷に浸っていないで、さっき電話で聞いた、YHの近くというセイコーマートの位置を再確認する。セイコーマートさえあれば、とりあえず食事の問題は解決したはずだった。ところが、おじさん相手だったさっきの電話と違い、フロントのおばさんによるとセイコーマートまでは車で10分。「6kmぐらい?」と聞くと「そうですね」とのこと。話が違う。
 夕食まで厳しいハードルを越えないといけないことになってしまった。それでも非常食で持っているパンとケーキだけで今夜をごまかすわけには行かない。体結局今夜はこの選択しか無いのだ。おばさんには、「湖畔で花火もやってますよ。ついでに見てきたらどうですか」と言われた。いい気なもんだなあ。

元町から大原経由で支笏湖へ 赤は本日の経路

 意を決してそちら方面へとろとろ向かってみると、10分ぐらいでおもむろにセイコーマートが登場。近いじゃないか、こいつは有り難い!おばさん情報がガセだったのである。
 覚悟していたよりだいぶあっけなく辿り着けた夕食。いろいろあった一日だったが、終わってみれば、湖畔の花火の音を聞きながらだいぶのんびり良い気分な夜である。まあそんなものかもしれない。ゆっくり休んで、明日からも前向きに頑張ろう。

記 2007/9/2

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Last Update 2007/10/14
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