都→(道道740)宮野→(国道229)栄浜
(以下#2-2)
224km
夜明けにしとしと続いていた雨も、明るくなるに従って何とか納まってきた。倉庫から自転車を出して荷積みを始める段階では、何だか乾いた風まで吹き始めている。天気予報では朝のうち雨とのことだが、今日はこのまま雨が上がるのかもしれない。そうだといいな。
旅程もまだ序盤、昨日の疲れはほぼ全く残っていない。いい感じである。
宿の前の道道740は、都の町を東西に抜けている。西側の行く手には緑の山が、裾から上がすっぽり雲に包まれているものの間近に見えた。この先西へ向かうと、この道道740は10kmほど海岸線を辿った後、完全に途切れてしまう。多分切り立った険しい岸壁に阻まれてしまうのだと思う。時間があればそんな景色も一度見てみたい。それを見に行けないのは、いつも余裕の取れない行程を組む自分が悪いのだが。
とにかく函館からここまでは、前回1994年の訪問時にも晴れに恵まれなかった。いつか再訪しよう。
6:10、都「大成荘」発。道道740を逆走し、昨日国道229から分岐した宮野へ向かう。
台地上の都から海岸の久遠へ降りるとやや雨がぱらついたものの、国道229へ戻って檜山トンネルへの登りですっかり雨は上がり、下り途中では道が乾き始めた。いいぞいいぞ。
もともと檜山トンネルは標高たったの190m。下りきった北檜山へは、二俣川沿いに下り20km以上、農村や畑、牧草地が続く。
そんなわけで下りとはいえ、斜度は下りだかなんだかよくわからないぐらいの緩さである。しかし、けっこう強い向かい風の中、緩い登りでないのはやはり助かる。
日本海沿岸からほんの少し内陸、海岸の台地縁を越えた程度に位置する北檜山から、まさに海岸沿いの瀬棚へはほんの僅か。初訪問時の1986年には、まだこの道に平行して国鉄瀬棚線が走っていた。終着駅へ向かう錆びた鉄橋ガーターと、国道沿いのテトラポット置場が何故か寂しげな表情で印象に残っていて、今回の訪問でもその面影を確認することができた。
道の正面、立象山の山頂から町を睥睨する展望台を眺めつつ、7:55、瀬棚着。
先の下り区間の向かい風で手間取り、出発からここまで2時間も掛かってしまった。これも前回の記憶通り。地図で見るより時間が掛かるのだ、この区間。
瀬棚の先は、しばらく再び日本海海岸沿いの道となる。
元浦、島歌、北島歌と小刻みに断続する岩場の漁村を抜け、海岸からすぐに切り立った緑の山々、海に荒々しく突き出した多くの奇岩の間、海岸際に張り付いて国道229は敷設されている。
奇岩が無い場所でも岩場の海岸はごつごつ険しく、ウミネコが道の近くに止まってきたり飛び立ったり。
行く手の山は次第に垂直に切り立った岩となる。黒々とした巨大な岩山が海面からすかっと立ち上がった景色は他では積丹半島か黄金道路ぐらいか。岩場の上の方までは数10m〜100mぐらいの落差はあるだろう。
その岩場の最下部に国道229は相変わらず張り付くのだが、岩場には次第に道の入る隙間すら無くなり、トンネルで一気に岩山を抜ける箇所が増えてくる。
トンネルの外側には、崩落土砂で埋まった細い旧道が、じりじりよじ登るように岩場を越えて行くのも見える。昨日から辿ってきたこの道の中でも、随一の迫力である。初訪問の1986年、この迫力は強烈な印象となった。
延々と続く山々の、遠くの方は霧の中。路面は乾いているものの、まだ大きな水たまりも見られる。とりあえず近場で雨が降る気遣いは無さそうだが、何と無く先行きは不安ではある。
須築から先は岩場が更に切り立ち、しばらくトンネルの連続となる。この初っぱなが茂津多岬、道は少しだけ内陸に向かい、茂津多トンネルで一気に山を抜けてしまう。海岸から見事に切り立った山のてっぺんには、標高270m余、全国で一番高い場所にあるという茂津多灯台が建っているとのことだ。例によって貧乏性プランニングで、寄り道するほど時間の余裕が無いのが毎度つらいところだ。
茂津多トンネルから狩場、兜岩、新白糸と続くトンネルの合間では、それぞれ少しだけ外に出て、岩場に挟まれた入り江を少し眺めて道はまたトンネルへ入って行く。その間、確か数年前に崩落した白糸トンネルの残骸も見ることができた。その入口は完全に塞がれ、立入禁止となった旧道が茂みに飲み込まれていた。
新白糸トンネルが終わると突然岩山は緩くなって、漁村の栄浜に到着する。
小さな湾ごとに別れた静かな小さい漁港は愛らしく、又同時にこの険しい土地で生計を営むご苦労も忍ばれる。
長大連続トンネルの間にいつの間にか道は向きを変えていて、遠くには寿都から岩内、そして積丹半島へ続いて行く海岸線が距離に比例して薄くなってゆくシルエットで見えるようになっていた。
記 2007/9/2