羽幌→(国道232)上平→(国道239)霧立峠
(以下#12-2)
143km
意外に低い雲が出ている。風も強い。目が覚めてしまったので薄暗いうちから準備を始めるが、辺りが明るくなってもあまり状況は改善されない。すでに日が昇っているためか、雲の薄い部分は意外に明るくもあり、この低い雲から逃れてしまえば、という気もする。
ちょっと時間が早いが、もう行ってしまえ。時間が早ければ、幌加内で落ち着いて蕎麦を食べることができるのだ。
5:30、羽幌「羽幌遊歩YH」発。高台の運動公園の一番上っ縁に建つこのYH、国道までは住宅街を下ってゆく。田舎の宿が多かった今回、何だか新鮮な風景ではある。
昨日に引き続き、国道232には海岸の台地のアップダウンが続く。どんよりした曇り空の下、台地から海岸際へ一気に降り、また登ってゆく道に、「朝っぱらから無駄だなあ」などと思ってしまう。
苫前は比較的早い時期から風力発電の風車が建てられていて、国道232からの眺めは有名だ。今回も国道から3本ぐらい眺められたが、その裏側には十数本だかの本数が建っているらしい。町の南側の台地上にも、確か風車が建っていたはずで、むしろそちらが元祖だったと思う。
2000年に泊まった民宿30ノットを眺めながら、坂の町の苫前をえっちらおっちら登りながら通過。
また下り始めると、そのおびただしい数の風車が行く手の丘の上に建ち並んでいるのが見えてきた。
6:20、分岐点にしては何も無い上平で国道239に分岐。この国道239は、海岸から内陸へ向かい、約50km弱もかけてたった380mの霧立峠を経て、道北中部の添牛内から士別へ達する道である。今日は途中の添牛内で国道275に逸れ、幌加内から道央方面へ向かう。
分岐すると、今までとは打ってかわって古丹別川河口の平野、田んぼが拡がる静かな景色が拡がった。もともと少なかった国道232の車はこちらにほとんど流れて来ないので、交通量もほぼ皆無と言っていい。
行く手の小山の裏側に回り込むと、古丹別の町が現れた。低い民家に学校、商店と、のどかな内陸部の町である。海岸の分岐点、やや殺風景な上平よりよほど栄えているのは、ここがこの辺りでは少ない開けた谷間で、農業が息づいているからだろう。古びた町の片隅には何とセイコーマートまである。表敬で缶コーヒーを飲んでいると、通学途中らしい体操服の中学生が朝食を買いに来た。あるいは夏休みの部活へ向かうかも知れない。北海道もいよいよ明日で夏休み最終日だ。
岩見、東川と低山に挟まれた古丹別川の谷間に田んぼが続く。くねくねのたうち回る古丹別川の通りに、谷間も曲がりくねって続く。
そう広くない谷間ののどかな農村は、ちょっと東北地方の風景にも似て、位置的にはかなり露骨な道北まっただ中だというのに何だか北海道離れしている。
しかし時々現れる狭い牧場に、辛うじて北海道らしさを思い出す。
東川の農村を過ぎると、次第に両側の山が近づき、谷は古丹別川と国道だけになった。
迫ってきた低山の岩肌が切り立って、その斜面全体に露出した岩面には地層の模様や断層が明瞭に見える。くねくね曲がりながら遡上する谷間が、何かもの凄い力でぐねぐねに変形した地層断面の間を抜けて行く様を想像してしまう。標高はまだ60mぐらいなのに、何か凄い山奥に来てしまった気分になる。
その岩山に張り付いて、廃道化したような細道がずっと続いているが、あれはひょっとしてこの道の旧道なのか。昔はあんなに獣道みたいな道が50km以上も幌加内まで続いていたのだろうか。
それにしてもこの道、霧立峠まで50km弱。見ただけではわからないぐらいの登りがなんとなくだらだらひたすら続く。途中峠らしきものに全然当たらず、谷間を遡るだけなのである。
それでも霧立辺りから谷間は広葉樹林で鬱蒼とし始め、登り傾向が鮮明になってきた。地図を見ると、道道742、以前足を向けた霧平峠への分岐はまだまだだ。峠から分岐までだけでも20分も下ったはずだが。
辺りはすっかり鬱蒼とした樹海になって、通る車もほとんど無い。きついとか激坂とかではないが、標高や斜度ではない距離というか、かつて余り体験したことの無い、じれったいしんどさのある峠であることを実感した。
やっと道道742の分岐を過ぎても、地図を見ると峠までまだしばらくある。
最後は谷底の樹海から離陸して、山肌を巻きながらするする高度を上げてゆく。何とか峠の面目躍如というところか。
峠の手前で辺りの景色が拡がった。遠くに奥羽幌の山々、木も生えない荒々しい山肌を見上げ、眼下に鬱蒼と密に拡がる広葉樹林、樹海を見下ろす。以前前述の霧平峠、小平蘂湖を訪れたときにも思ったが、標高はそう無いのに、この辺りの山の山深さはあまり類を見ない。何たって海岸まで50km、ほとんど道が無いのである。
9:50、霧立峠着。標高たったの380m。
記 2007/10/1