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信越国境山裾、東頸城丘陵最上端の1本道、林道菱ヶ岳2号線へ。
ここまで下ると辺りは再び秋まっただ中。赤や黄色の広葉樹林や真っ白なススキの穂の間、下り基調のアップダウンがくねくね続く。
道の方向が変わる度に真正面には夕日がまぶしくなったり、紅葉の丘陵が見下ろせたり、時には真上に深坂峠・野々海峠の稜線から続く菱ヶ岳がどかっと現れたりする。
キューピッドバレースキー場を過ぎ、国道405が里へ下って行く分岐に着くと、一方の林道方面にこの先災害復旧通行止めという看板が登場。なんか雲行きがあやしい。予定ではそちらへ向かうはずだったが、この通行止めをクリアしても、更にその先朴の木林道がどうなっているかわかったものではない。こうなったら多少回り道ではあるが、一旦国道405で里へ下ってしまおう。
棚田の間の細道をどんどん下ると、スキー場のレストハウスから道は普通の田舎国道程度に広くなった。
須川、信濃坂と、拡がった谷間なりに集落や田んぼの中をどんどん下り続け、樽田で国道403と一時的に合流、16:00、和田到着。
安塚の谷間をもう少し先へ進む国道403と別れ、国道405は上越平野までの丘陵横断へ向かう。
登り返しの初っぱなは経塚峠。いかにも東頸城らしい、堂々と黒々とした民家の間を細道でだらだら登りはじめ、いつの間にか斜度が増しているという感じの道だ。
峠を越えると道はやんわりと下りはじめ、切光の集落へ。
農家の壁や庭先には大根が何本も干してあるのが目立つ。そういえば今夜の食事は大根料理と鯉料理が主体とのこと。想像するとますます腹が減る。
高塚、川上と、田んぼやススキ、集落に森が次々入れ替わり、国道405は西へ向かう。川上を過ぎると、再び道は拡幅済の国道標準幅となった。
アップダウンの斜度も緩くなり、太陽が丘陵に隠れて辺りは一気に薄暗くなり、アップダウン一つ一つを牧へのカウントダウンで数えながらこなすような気分である。
しかし時々谷間が開けると、薄暗い谷間の棚田が空をほんわり明るく映していたり、その向こうのまだ明るい夕焼けの中に、信越国境のシルエットが紺色になっていたりした。
国川から旧牧村中心部の柳島まで、最後は豪快に200mを一気に下る。辺りは終始集落と棚田、未拡幅細道の時に訪れたかったと思うような山里である。
16:45、牧到着。ここからはもうあと10km弱。登り返しと言ってももう谷間を遡るだけ、多分だらだら程度だろう。地図通りなら。
太陽が山に隠れているだけではなく、普通にもう日没の時間帯、秋のつるべ落としの秒速で辺りは暗くなる。ほわんと明るかった空も、青かった山の影もどんどん濃い色に、時々現れる地元の車のライトはまぶしくなってきた。
どんどんトーンが落ちる空の中、ほぼ満月手前の大きな月が明るく輝き始める。そんな空を見上げながら、時々辺りの地名と地図を照合、残りの道のりを再確認しつつのんびりと進む。どうせ宿までもうあと数kmも無いのだ。
目指す今夜の宿「ほほえみ荘」は住所は棚倉だが、その棚倉の集落で地元のおじさんに聞いてみると、後2km程登った上手とのこと。その通りにしばらく登りが続くと、棚倉の集落から一旦辺りは森と田んぼの谷間に変わり、完全に真っ暗になったところで再び集落が復活して一安心。17:15、「ほほえみ荘」着。
登りだったので気が付かなかったが、日が沈んでから急に気温が下がっていた。「真っ暗になっちゃったなあ、τ.κさん一人でビールでも飲んでるかなあ」などと思いながら黙々薄暗い道を登ってきたが、私の方が先着だった。しばらくしてようやく連絡の取れたτ.κさん、結論から言うと一つ谷を間違えたようで、到着は18時半過ぎだった。
というわけで、2人とも風呂で暖まったところで、19:00夕食開始。ちゃぶ台に一杯のお皿にまずびっくり。何しろ地元の食材が工夫一杯の料理と味付けで、とても美味しい。
期待の大根料理、鯉料理、それに山菜や蕎麦、野菜の天ぷらなど、おばさんがひとつひとつ説明してくれる。鯉の煮付けに鯉こくはかつて食べたことが無い味で、大根餃子の皮の薄切りスライス大根は、逆に普通の餃子の皮みたいに柔らかい。また、家で飼っているとの名古屋コーチン地鶏のお汁も、鶏の豊かなだしと堅いが味わい豊かな肉が何とも言えない。ある程度ビールが進んだところで、宿のHPにも載っていたどぶろくをおっかなびっくり頼んでみる。と、これがまたヨーグルトのような何とも爽やかで不思議な味で、とても美味しい。
そのようにして全部食べ終えると、苦しくて動けない。必死に2階の部屋に這い上がると布団が敷いてある。こうなると、もう2人とも寝るしかないのはいつものツーリング通り。ちなみにこの段階でまだ20時過ぎ。
記 2006/11/19