頸城の秋05 #1-3
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(以上#1-2) |
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再び戻って用心深く地図を再確認。GPSの画面と地図の黒線を照合し、狙いを定めて森の中へ。
きりきりと森の中を荒れた細道が下って行く間、本当にこの先集落はあるのか心配になってきたが、その辺りでようやく谷内外れの廃屋が登場した。
そのまま県道485を登り始める。この先の花立峠は1/5万で黒線だが、ツーリングマップルでは舗装林道っぽい白抜きの細道で描かれている。以前の事前調査ではこの辺りに抜け道は無かったはずなのだが、「あれ、行けるじゃん」と言うことになったのだ。
もう真っ赤っかの日差しの中、厳しめの登りをのろのろ登る。途中またもや道間違いの行き止まりで行って戻ってがあって、ようやく峠道のダートへ。
峠がダートという辺りで既に何となく怪しさを感じてはいたが、もうこの時間、名立側へ降りてもこちらの能生側へ戻る羽目になっても、海岸まで降りてそこから輪行というのが妥当だろう。ならば話の種に行ってみよう。
ダートは次第に荒れ、路面は水っぽくなり、周囲の茂みも鬱蒼とし始めたところで最後は自転車を押し上げるような山道になった。
13:10、花立峠着。峠の雰囲気には見覚えがあった。じんたんさんのHPで「向こう側で撤退」となっていた道だ。ならばあのツーリングマップルは嘘なのか。まあツーリングマップルならそれもあり得る。
しかしまあ、行けそうなら行くに越したことはない。それ以上にもう他へ行く余地は無い。もし向こう側に道ができていれば、名立側の下りは狭い谷間の集落の道、景色はとても楽しそうだ。
結局その先、山道は次第に細くなり、細かった道の足下が草になり、最後は藪こぎになった。見回すと、辺りは捨てられて茂みになってしまった棚田のようで、棚田の段々や道の位置は何と無くわかるものの、茂みが高くて進めない状態だ。かつてはこんな高いところまで棚田が作られていたのだと思った。
この景色にもじんたんさんのHPで見覚えがある。光栄にもほぼ同じ場所で撤退だ、と思った。我ながら全く学習能力が無い。
気が付くと衣服は草の種だらけ、露出した膝には草の切り傷とかぶれで腫れがいくつも。靴下には小さい毛虫まで止まっている。
辺りはまだ明るく、日差しは暖かい。まあそんなに大袈裟な話でもないが、暖かいうちに麓に降りたい。ここらが潮時だろう。
引き返すのもけっこう苦労が要ったが、何とか自転車を引っ張り上げるように登り切り、14:00、花立峠発。峠のすぐ下から再び自転車に乗って下り始めることができ、一安心。
ダートの路面が次第に広くなって舗装に変わり、そのまま下り続けて広い能生川の谷間へ出ると、さっき見えた鉾ヶ岳、権現岳が再び正面に立ちはだかった。
能生川の橋から上流方面には、やはり同じくとんがった妙高山が遠くに見える。澄んだ青空、まぶしい逆光の中、清らかで迫力の山と谷間の風景に思わず立ち止まる。糸魚川から直江津まで、今日みたいな景色の中を2日ぐらいかけて辿ってみたくなった。
そのまま、広い谷間の平野の道を一目散に下り、14:40、能生着。列車は15:02。理想的だ。
輪行して上着を脱ぐと、またもや毛虫を発見。一目散に下ってきたが、つい1時間ぐらい前まで山奥の茂みで立ち往生していたのだ。
直江津で買っておいた駅弁「謙信公お立ち飯」を食べながら、直江津で乗り換え、虫川大杉着は15:52。乗り換えの直江津で宿に到着時刻を電話すると、ちょうど別件で宿の車が駅へ行くという。この際なので、宿まで乗せてもらうことになった。
その車から眺める東頸城の山々も、明らかに紅葉の進行が遅く、まだまだ緑基調である。例年だともうこの時期は真っ赤っかだというのに。
「カルチャーセンター田舎屋」は、2002年9月にみんなで泊まったときのいい印象通り。
小綺麗で、檜風呂も広々と寛げ、地元の物主体の食事も美味しくボリュームたっぷり。出てきた物を一通り平らげたところで、自然薯のととろ飯をつるっと飲み込むと、とろろが腹でふくれてギヴアップ。もっといろいろおかわりしたかったが、そのまま撤収。
記 2005.11/17