(前夜水上泊#1) |
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10:30、白樺尾根避難小屋着。ここで少し休憩する。
笹に囲まれた小屋の周囲は、遮る物の無い大展望が拡がっていた。先の笠ヶ岳、朝日岳の塊、そして山肌をまっしぐらに駆け下りるような大倉沢が迫力満点である。あんな急降下の広い沢で鉄砲水に出会ったら、まず助からないだろう。そして、それはこっち側の沢でも同じことなのだ。
目の前の谷の上、開けた空は湯檜曽川の下流方面へと続いてゆく。後ろを振り返ると、ここから分岐する蓬峠から続く山肌が、これから進む方向へずっと続いている。山肌の上の方はやはり雲に隠れていたが、行く手の先端、鉄砲尾根には2つの送電線鉄塔が見えた。
「あの鉄塔へ行くと、その先に清水峠の小屋が見えます。あそこから1時間ぐらいかな」
と、子連れさんが教えてくれた。鉄塔の近くには、ほぼ水平に山肌を走るかすかな線が見える。あれが旧国道だろう。
茶色く塗られた小さな小屋の鍵は開いていて、多少かび臭い内部には、非常時なら3、4人ぐらいまで避難できそうだ。しかし、あまり避難が必要な事態には陥りたくない。
当初の見込みよりもやや遅れている。あまりうだうだするわけにもいかず、少し休憩してから出発。
湾曲する山肌に、ほぼ水平に細道が続いた。最初のうちは、広葉樹林の木漏れ陽の下に石の少ない道が続き、このまましばらくこの天国のような道を、ずっと自転車に乗って行けるのかと思った。
ところが、木々が切れて高い草の中には、四つん這い状態の段差登り降りと、踏み外すと一気に数百m下に滑落しそうな沢が待っていたのだ。沢はみんな小規模で、段差が無い沢もある。しかし、つるつる滑る石をおっかなびっくりで渡るような沢や、足場が緩んだ段差など、かなりの危険箇所と言っていい場所も多かった。沢の周囲の崩落で、旧国道の路盤がすっかり無くなってしまったのだ、と思った。
また、路盤が残っている部分も、山側を土砂が埋めてしまっただけではない。ほんの少しだけ残った路肩部分はもはや風前の灯火で、足を滑らせてしまった場所もあったほどである。そのまま滑り落ちると、やはり谷底まで一直線だ。
「こういうのがあるから、ここは一人じゃ来れないですね」
と子連れさん。
「でも、落ちちゃったら助けようがないですよ、他の人も」
「いや、一応下山して連絡することができるでしょ。一人だと永遠にわからないもんね」
山肌の凹部分は沢や崩落で危険箇所が続くが、凸部分は広葉樹や笹に囲まれた平坦な細道がそのまま尾根を巻く。この繰り返しが大きく湾曲した山肌に延々と続いた。遠目には水平に見える旧国道の実態は、廃道寸前の危険な山道なのか、と思った。
一方、細かいこれらの沢で、水はますます甘さを増していた。湧き水ではなくて、沢の水が美味しいというところが凄い。
また、大きく湾曲した山肌を進むに連れ、谷を挟んだ笠ヶ岳と朝日岳の姿は少しずつ変わっていった。ボリュームたっぷりの山、谷間の空間ボリューム。目の前が谷間まですとんと落ち込んでいるだけに感じられる、この大きな空間との一体感。かなりやばいシチュエーションだとは思うが、それ以上にここへ来ることができた喜びをひしひしと感じる。
12:15、鉄砲尾根着。鉄塔防風板の裏で休憩する。
子連れさんに教えられて下草の間に目を凝らすと、確かに意外なほど近くに、写真で見慣れた清水峠の送電監視小屋の赤い屋根が見える。さっきの白樺小屋から山肌を進む間に、上空に溜まっていた嫌らしい雲はすっかり消え失せていた。七つ小屋から清水峠に下りてくる稜線、その下に拡がる黄緑色の笹原、そしてこれから進む行く手の旧国道跡の線が、澄んだ空気の中にくっきり見渡せる。「清水峠」という名前にびびりながらここまで来たが、峠周辺のその風景、緑の稜線の上の赤い屋根は、意外なほど可愛らしい。
笠ヶ岳、朝日岳も、もはや上のごく一部にしか雲は掛かっていない。当初計画の清水峠12:00着からはだいぶ遅れそうだが、ここへきて最高級の天気に恵まつつある。もう最後まで行くしかない、と確信できた。
「高地さん晴れ男?私晴れ男なんですよ〜」
「ええ、晴れ男。一人で行ったりはじめての場所は晴れが多いですね」
と、2人とも有頂天だ。地図で見る限りこの先は湾曲も細かい沢も少なさそうで、ここまで来れば、この後はもう少しだ。
記 2004.9/20