去年秋、子連れ狼さん、さんぽさんと清水峠に行こうという計画を進めていた。しかし、何回か計画した清水峠行きの事前の天気予報は、ことごとくイマイチだった。天候がころころ非常に変わりやすくすぐに大雨が降り、沢の鉄砲水や斜面の崩落・強風など、遭難の危険が多いこの地域、降水確率30%以上なら中止せざるを得ないのだ。日程を合わせては天候不調で中止というパターンを繰り返すうち、昨シーズンは終わってしまった。
これが無念で、今年もHPの予定に清水峠行きを書いておいたら、何と子連れ狼さんが清水峠行きを計画してくれたのである。
3連休の土曜日、事前の天気予報は最高気温31℃、気圧配置も申し分無い。気がかりだったのは新潟県の降水確率50%だが、それも金曜日になって「夜から50%」と判明。行くしかない。
子連れ狼さんから「清水峠決行」の連絡を受け、会社17:30定時とんずら体制でスタンバイする。いつもこれができるとは限らないが、幸い今日は清水峠決行に備えて何かと準備を進めていたのだ。
果たして上手く会社を脱出、19:50には武蔵野線に乗れた。これで23時過ぎには水上に着くことができる。
武蔵浦和で武蔵野線から埼京線に乗り換えだ。早めにドアに向かうと、何か足の裏にずるっと滑る感触があった。何かおかしい。足元を見る。と、何と靴の裏が丸一枚ぺろっとはがれてしまっている!やばい!やばすぎる!!
よく見ると、どうやら靴底の発砲樹枝材が劣化して崩壊してしまっているようなのだ。もともと某店の閉店バーゲンセールで半額以下で買った物だったが、それでもけっこうしたぞ。買ってからまだ1年、使ったのは去年1回。泣けてきた。
これが清水峠の峠道まで発覚しなかったら、とぞっとする。むしろここでわかったのはラッキーだとも言えなくもない。少し気持ちが和らぐが、今回の行程が中止の危機に晒されていることに変わりは無い。そのまま惰性で埼京線のホームに立ったところで、明日の朝、車で土合までやってくる予定の子連れ狼さんに電話して靴を借りるしかない、という結論に達した。
22:08、高崎発。
列車待ちの間にホームで飲んだビールが次第に効いて、うとうとしながら1時間。ロングシートの2両編成の車内は、渋川と沼田と後閑で段階的に減っていった。車両と椅子の並びが変わっても、全国どこでも夜の普通列車は同じようにごとごとと揺れ、その揺れとは関係無く、窓の外を距離感の掴めない灯りが過ぎて行く。
23:11、水上着。
登山者が多いこの駅では、事前に情報収集しておいたとおり、駅の軒下で寝ることを許してくれた。閉鎖された駅舎の外、玄関軒下に壁と扉が付いたような場所の隅のベンチに横たわる、という程度のものだが、なかなか寝やすい。高崎からの最終を待ちながら、外で世間話を続けるタクシーの運ちゃんに聞くと、多い時期には登山客がWC前の軒下でも寝るようだ。
0時少し前に最終が到着し、ぱらぱらっとお客さんが車や徒歩で駅前のどこかへ消えて行くと、駅の灯りが消されてようやく寝ることができた。
夜中に何度か、意識の外で貨物列車の音がした。その度、上越線特急撮影に情熱を燃やしていた中高校生時代を思い出す。
記 2004.9/20