2003.11/1
本名津川林道・船ヶ鼻峠
#3

御神楽岳
大内宿
中山峠
水抜
船ヶ鼻峠
昭和
会津川口
本名発電所
塩ノ倉峠
室谷
上川
津川
黒岩
沼越峠
村松
赤は本日の経路 灰色は過去経路

村松→(県道17)黒岩 →(国道49)津川
→(県道14・227)室谷(以上#1 以下#2)
→(林道本名津川線)
(以上#2 以下#3)塩ノ倉峠
→(林道本名津川線)本名発電所
→(国道252)会津川口 →(国道400)船ヶ鼻峠
→(県道346)水抜 →(県道131・329)大内宿
163km

塩ノ倉峠広場から福島県側方面を望む 通行止めの標識

 12:30、塩ノ倉峠を出発。今までより砂利が深い道が山腹を巻きながら、ぐいぐい下って行く。

拡がる奥会津の山々 斜面を下って行く道

 途中の北側斜面では、向かいの御神楽岳は太陽が当たっているが、こちらは日陰で凍えるように寒い。しかし豪雪地帯故の雪崩の跡なのか、細かい引掻きのような凹凸が刻まれた山肌が見事な迫力で、思わず見入ってしまう。

北側斜面に移って正面に現れる御神楽岳 けっこう激下り しつこい登り返し 身体が冷えていて泣きそうにつらい 再び奥会津方面へ展望が開ける 見渡す紅葉の山々

 冷え切った身体にかなり堪える登り返しで再び南側に出て、激下りがしばらく続き、補修工事現場を梯子上り下りで通過させてもらい、そう長くない舗装区間が現れて終わる頃には、周囲は再び赤っぽい秋の風景に衣替えしていた。

つづら折れ激下り区間に突入 激下り中 突然工事区間 道が荒れ出すのでそろそろ進む やっぱりあった工事区間 自転車を担いではしごを降り登り こちら側も舗装が進行中 だいぶ谷に降りてきた

 渓谷に沿った広葉樹のトンネルのダートは、紅・黄色・緑の木漏れ陽がぽかぽかと暖かい。ほとんど足を回さずに、スピードが上がるわけでもない程度の下りが快適だ。
 もう本名まで最後の渓谷である。多少時間が押してはいるが、もうあと少しで40kmの林道区間が終わってしまうのだ。さっきの新潟県側登りはなかなか厳しかったのに、いざ終わりに近づくとなかなか名残惜しい。

紅葉の道 上質のダート 静かな渓谷沿いの道が続く 全山紅葉 傾いた陽射しにススキがまぶしい 木洩れ日 更に下ると紅葉がやや黄色っぽくなる 陽射しも暖か

 やがて渓谷が急に広くなり、本名ダムの静かな水面に架かる釣り橋が間近に見えた。
 13:50、本名着。熊除け鈴を外し、国道252で会津川口に向かう。

いよいよ本名ダムからの道と合流 本名ダムの展望が開ける 遂に本名側ゲート到着 だいぶ下って会津川口 水に浮かぶような印象の小さな街 国道400を南下

※参考 本名ゲートの看板

 只見川に浮かんでいるような会津川口の美しい町並を眺めつつ、分岐する国道400に入る。取り付の激坂を少し登ると、そこから先、道はほぼ平坦なぐらいのわずかな登りとなった。ここからまた船ヶ鼻峠まで登り返しとなるのだ。
 スノーシェッドをいくつもくぐりながら、国道400は野尻川の谷を遡る。国道としてはかなり交通量が少なく、金山町半ば辺りから先、道はセンターラインが無い対向通行となる。
 断続する静かな農村では、懐かしいような風景が次々現れる。のどかな集落、刈り取り済の田圃、紅葉の渓谷。まだ14時台なのにかなり赤みが強い光の中、屋根をトタン板で補修した萱葺農家が赤い陽射しに染まっていた。

集落の中の国道400 国道400 国道400 のどかな農村を縫うように進む 昭和村手前から谷間が開ける 14時半過ぎなのに景色は真っ赤っか 道の脇に紅葉が目立ち出す 静かな里 昭和 昭和 多少の商店がある

 15:00、昭和村からむしの里発。15時といえども、もうすっかり辺りは真っ赤っかの夕方ムードで、一刻も早く宿にたどり着きたいような気分にさせられる。だが、この後これから標高1000m以上の船ヶ鼻峠から逃れることはできない。
 喰丸の小さな集落を過ぎると、平地が無くなって急に周囲は山深くなる。道の斜度も厳しくなって、いままでまあ順調なペースで来ていたはずなのに、行く先が心配になるぐらいがくっとペースダウンする。
 15時過ぎだと言うのに、周囲は急に暗くなり始めていた。低くなった太陽が、周囲の山々に遮られてしまったのだ。

喰丸 峠まで最後の集落 坂登り中 続く登り 右はトンネルの県道 左は旧道の国道

 いつも水汲み客で賑わう途中の水場で多少生き返るが、地図を見るとまだまだ登りのボリュームがあった。次第に薄暗く、寒く、景色が寂しくなる峠道はなんとなく気が急いて、気分的に疲れる。
 船鼻トンネルへの県道の分岐では、「しょうがねえなあ」と思いながら旧道の峠への道を選ぶ。何がしょうがないのかと考えると自分でもおかしいが、どうせトンネルと標高差は100mも違わないんだし、こっちの細道の方が雰囲気がいいのだ。

 あと2つ、あとひとつ、と思いながら、今までより多少だらっとしたつづら折れを何とかこなし、16:20、船ヶ鼻峠着。日没の時間が近くなっているようで、向かいの大きな山が青いシルエットに、空はほわんとした薄いオレンジ色から青い色に変わりつつあった。
 1000mを越える標高のせいもあり、気が付くと寒いと言えるぐらいの気温になっている。あと1時間、いや、30分早いと気分的にもう少し楽なんだけど、と思いつつ、さっきの水を飲み、最後のおにぎりを食べ、フリースを着込んでそそくさと出発。

谷は暗くなっても空は明るかったが、その空も次第に夕暮れムードに 船ヶ鼻峠到着 国道400と県道340旧道がここで分岐 メインルートは船鼻トンネルの新県道340 県道340旧道はこんな細い道 でもすぐ広い新道と合流

 峠で今までの国道400から分岐する県道340は、下り始めてまもなくさっきの船鼻トンネルからやってくる新道と合流する。国道400は峠の細道なのに、県道はトンネルの新道なのだ。
 しばらく拡幅された立派な道で一気に下り、最初の集落の木地小屋から先、旧道のままの狭い道となって更に下り続ける。周囲が山に遮られる山間部はもうかなり暗くなっていたが、集落の谷間が開けるとまだ少しは周囲がほんのり明るく、少し安心する。
 やがて斜度が緩くなり始めた辺りで、急に見覚えがある風景に出会った。99年に撮った写真を時々PCのデスクトップ画面にしている、安張だった。もういよいよ今日最後の中山峠が近いのだ。登りは見込みよりかかったが、下りでそれを帳消しにできたようだった。それがちょっと情けないが、いよいよ大内宿到着が見えてきて一安心。

木地小屋 もうすっかり薄暗い谷 振返ると空が明るい

 17:00、水抜発。県道の脇、「大内宿」の立て札が、かろうじて見える。杉林の中からススキの原へ、つづら折れで登り続ける道を、月が明るく照らしていた。もう11月だと言うのに、時々ウマオイのスイーッチョンスイーッチョンが聞こえる。ここまで来れば、もうあと少し。
 中山峠からもまだ少し道は登り続けた。が、1度通った道でもあり、18時半の夕食には余裕を持って到着できるという安心感もあり、楽しい月明かりの県道ではあった。が、以前この道で熊を見かけた人がいるという。野生動物との衝突には注意しないといけない。

 17:50、大内宿着。3回目の大内宿だが、いつも暗くなってからしか着いたことが無い。でも、宿屋毎の屋号が入った行灯の間、自分の宿を探すのが何とも楽しい。
 本家俵屋の囲炉裏の周りには何人かのお客さんがいた。その中にはτ.κさんの姿が。少し経って囲炉裏の周りで他のお客さんにビールを振る舞われていると、子連れ狼さんが到着。結局、3人とも風呂に入って夕食を取ることができた。

 おかず汁物も山の物、お客さんみんなで囲炉裏を囲んで楽しい夕食だ。品数も量も多いが、女将さんが歩き回って一品一品説明してくれるのが何とも有り難みがある。いつの間にかできていた大内宿の地ビールも美味しい。
 神奈川県から自走のτ.κさんは今にも眠りそうだ。それもそのはず、今日は2時から走りっぱなしとのこと。一緒に走ったことがある人には毎度お馴染み、各ポイントの通過予定時刻が詳細に書かれた時刻表を見せてもらった。今日は30分早着の17:00着だったらしい。私は1時間遅れの17:50着でちょっと反省。
 一方子連れ狼さんは、予告通り甲子峠を越えてきたとのこと。未開通国道の激山サイルートとして知られるこのコースを越えて、大内宿まで来たのだ。さすがとしか言いようがない。去年11月上旬だったかにこの甲子峠にチャレンジしたCASATIさんが、雪で撤退していた話を聞いていた。登り口まではかなり強烈な激坂だということも聞いていた。それを泥除け付ランドナー山サイである。インフレータを無くしてしまう程のかなりの激山サイだった模様だ。

 3人ともくたくたのぼろぼろである。夕食後、「じゃ、寝ますか」ということで即寝てしまったのが何ともおかしい。時計を見たら19:45だった。

記 2003.11/11

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Last Update 2003.12/21
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