大内宿→水抜→(県道346号)
船鼻トンネル→(国道400号)喰丸
→(県道32号)滝谷
→(国道252号)坂本
→(国道49号)徳沢
→(国道459号)鹿瀬
→(国道49号)馬下
→(国道290号)村松
約161km
馬下
津川
鹿瀬
日出谷
徳沢
野沢
坂本
滝谷
居平
小野川
村松
船鼻トンネル
中山峠
大内宿
6時頃、まだ霧に包まれた大内宿を眺めようと外に出てみると、さすがは標高670m、ふるえるほど寒い。辺りは一面白い霧に包まれており、周囲の萱葺屋根もすっぽりと隠れている。空は何となく太陽が出ているようにも見えるが、じたばたしても始まらないという気になった。うろつくのはやめ、自転車を組み立て始めた。
7:50、大内宿の萱葺の中を出発。いつの間にか霧が晴れていた。今日の天気は昨日の厚い曇りからは想像できない激晴れで、どこまでも青い空と太陽光線に照らされた山々のコントラストが鮮やかだ。
杉林の上に霞が残っていて、斜光線がまぶしい。きりっとしまった冷たい空気の中、沼山の集落まで坂を登る。すぐに坂が終わり、沼山・桜山としばらく山の間のそう広くないエリアの農村地帯を行く。エリア的にはそう広くないが、丁寧に作られている田圃・畑、集落の中を抜けて走る。畑が切れると森があり、すぐにまた畑が現れる、という楽しい道だ。
今朝話で聞いていたとおり、大内宿の萱置き場があった。何でも屋根用の萱を、専門の工務店がまとめて近くの倉庫に保管しているとのこと。ここだったのか。萱葺の屋根はかつては集落全体で人手を掛けて補修していた。今は補助金が出るようだが、補助額も少ないらしい。なんでも1回葺くのに何だかんだ\4000万かかるらしいが、補助金は\800万。「文化財指定は勝手だけど、住むのは大変だよ」と宿の親父さんは話していた。
8:20、中山峠通過。
坂を下り、再び標高520m位の水抜まで降りてきた。ここから県道346号を、標高980mの船鼻トンネルまでまた登ることになるが、最後の集落、標高約700mの木地小屋までは緩い登りだ。
白く輝くススキの穂、刈り取りの終わった田圃の中、道路は谷間の農村を縫うように谷を遡る。所々小さな集落があり、道路の両側には昔ながらの農家やら商店やらが軒を並べて貼り付いている。道に並行する川の水を見ると、おそろしく透明だ。
いかにも会津の山間部らしい風景の道だ。道路はごく普通の片側1車線だが、時々道路脇の集落へ脇道が延びている。多分旧道だろう。旧道へ足を進めると、生活道路の雰囲気漂う狭い道が農家の軒先をかすめるように延びている。集落が終わると、また広い道路と合流する。
緩い登りが続く。ペースが上がらないが、これ幸いと風景を楽しみながらゆっくり走る。
峠道になると、標高が上がったためか紅葉が目立ってきた。けっこう急な登りが続く。閉鎖的な山間の道のため、気持ち的にはひたすら登るという状態だ。やがて船鼻峠の旧道との分岐が見えてきた。船鼻峠は県道にでかいトンネルができているが、国道400号は狭い峠道のままで残っているようだ。県道の旧道とは、峠の頂上で合流している。
10:05、船鼻トンネルを通過。間もなく、国道400号と合流する。黄色くなりかけたくらいの密な広葉樹林の中を下る。国道だというのに基本的に狭い道で、自動車が来るとすれ違うのに一杯だ。
紅葉のトンネルを抜けているような印象のある谷の1本道だったが、やがてスノーシェッドなどを抜けるうちに谷は少しづつ拡がり、間もなく10:25、喰丸の分岐点に到着した。標高約540m。400m以上も下ったことになる。
ここからまた200m強えっちらおっちら登り、ちょうど山の1つ反対側の谷を目指す。
標高800mの喰丸トンネルを抜けると、こちらの小野川はほとんど下りが無く、すぐに田圃の拡がる里の風景になった。向こう側よりこっち側の方がかなり標高は高いことになる。
標高約780mの小野川から、奈良布・下平・居平・前田・芋小屋・胃中と、約340mの西山温泉までひたすら滝谷川に沿って谷を下る道を行く。この道がまた狭く、所々に交換スペースが設けてあって、まともに自動車がすれ違えない位の狭さだ。谷が多少広くなって田圃やら集落の中の生活道路となったり、渓谷のように狭くなったら今度は道が森の中となり、ふと川の方を見ると、いつの間にか谷底が果てしなく深くなっている。やや色付きかけた広葉樹が深い渓谷を覆っており、何とも旅情に満ちたこよなく美しい秋の風景を演出していた。まだ午前中の太陽光線は赤みも少なく、風景がいかにも暖かい。
しばらく走って森が終わると、急に棚田のてっぺんに放り出されて、正面に迫る谷の周囲の山を眺めながら、青空の下、日なたの棚田をつづれ折で下ったり、もう最高に楽しい道だ。
下り坂は一定しただらだらした坂ではなく、少し平坦になってはまた下りという繰り返しが続く。下りの区間ではそこそこ速度の出そうな下りもあるが、こんな楽しく美しい農村風景をあせって通過するのはもったいない。さっきの2度の登りでペースは落ちているが、どちらかというと押さえ気味の速度でゆっくりと進むことにした。
西山温泉から先は更に標高220m位の会津柳津へ向かう。ほんの少しの登り返しの後、また下って12:00、滝谷着。スノーシェッドの中の分岐点を右折し、狭い道へ向かう。
滝谷には谷底の狭い道の両側に民家が密集していて、ここまで下ってくるともう川もそこそこの広さになっており、低いが険しい山の間の密集集落、という風情を醸し出していた。国道252号に合流するまで川沿いの道をあとほんの少し下るだけだ。地図を交換しながら、楽しかった今までの道を思い出し、川原側のガードレールに自転車を立てかけて一息付いた。ふと、何だか腹が減り出しているのに気が付いた。
12:30、国道252沿い、柳津の外れのファミリーマートで補給。
この後喜多方に向かうつもりだったが、落ち着いて喜多方までとこの先の距離を考えると、今日も日没打ち切りが予想される時間になってしまっている。まこと食堂・大安食堂・食堂松など、喜多方ラーメンを思い出すと口の中の唾液が止まらない。が、そんなに何杯もラーメンを食べていたら、ここから先阿賀野川河岸の国道459に到達するのは夕方になってしまうだろう。食べるか走るか、決断を迫られていた。
まあ実はそんなに大袈裟なものでもなかった。実はほんの1ヶ月前、喜多方には来ていたのだ。ここは走る方を選ぼう。すると、ここで昼食を取っておかなければ。
13:10、ファミリーマート発。すぐに坂本の分岐で新潟へ向かう国道49号に進路を変える。
すぐに国道49号は西向きになり、緑色の水がまるで湖のように溜まった只見川の上を、ごっついアーチ橋で渡る。国道49号は大型車の通行が比較的多い何だかホコリっぽい道で、走っていて決して面白くはない。よく見ると景色自体は山の中や集落の外側をダイナミックに通過して行くのだが…
14:00、野沢着。旧道に面した野沢の町中をあえて通ることにした。
高校2年の夏に磐越西線の写真を撮りに来て、この野沢駅やら後述の日出谷駅やらで駅寝したことがある。今回、それ以来の再訪を果たした野沢の町は、なんだかあきれるくらい変わっていなかった。土壁の傾きかけたような商店やら物々しい旅館、昔すごく暑い夏の真昼に意識朦朧としながら1度通ったっきりの風景が、その薄い記憶の中から蘇ってくるような気がした。いや、その懐かしさはもうすっかり赤くなってしまった秋の午後の太陽光線のせいかもしれない、という気もした。
町中から曲がって野沢の駅で、ほんの少し足を止めて駅前を見回してみた。
いかにも古い田舎町らしい趣のある旧道がバイパスの新道に合流し、再び国道49号を先へ急ぐ。時々集落の中の旧道らしい細い道に寄り道しながら、15:00、徳沢で細い道へ分岐し、阿賀野川に沿って新潟県の鹿瀬まで向かう国道459号線へ合流する。
カーブを曲がると、青緑色の阿賀野川の静かな水面が視界いっぱいに拡がった。阿賀野川は所々で水門を作っているようで、せき止められた水はまるで人造湖のように谷一杯に溜まっている。切り立った両岸の岩山の片側には磐越西線のスノーシェッド、もう片方には国道459号線が低く貼り付いている。
この阿賀野川という川の名前は、私にはミステリアスというか、少し暗い響きを持っている。それは阿賀野川に生息するツツガムシというダニが媒介する致死率の高い風土病のイメージだったり、そんな話を聞きながら父親の故郷の新潟県へ向かう列車の窓から見た夕暮れの鉛のような色の阿賀野川の水面の記憶だったり、有機水銀による公害病のイメージだったりする。
目の前の阿賀野川は心持ち黄色くなりかけた山の間、豊かな流れを湛えている。橋の欄干に自転車を立てかけ、少し身体を伸ばした。すぐ向こうには、新潟県との県境の標識が出ている。
アップダウンの少ない国道459号線は、とても自動車の少ない静かな走りやすい道だ。ガードレールのすぐ外に水面が見えたり、また木々に囲まれた森の中の道になったり、時々橋で広い阿賀野川を渡って対岸に移ったり、たまに川岸から少し登って集落の中を通ったり、走っていて楽しく、飽きることがない。
15:25 日出谷着。そろそろ太陽光線も赤一色という感じになってきた。何故秋の午後は、太陽光線がこんなに赤いのだろう。赤い光に照らされた狭い駅前では、今夜が駅前の集落のお祭りらしく、テキ屋が屋台を出していた。駅前の朝日館を覗いてみる。昔からこんな山奥の静かな駅に、なんと駅弁を作っている店だ。日出谷名物と言えば、この「とりめし」と何故か同じく立ち売りの「アンパン」なのだ。アンパンも餡がこちっとしていてなかなかの名品らしい。とりめしはすでに今日は売り切れだった。いつも11時くらいまでに売り切れるとのこと。昔も何だかそうだったような気もする。
日出谷から鹿瀬まではスノーシェッドと素堀のトンネルが続く。このトンネルのほとんどが片側通行しかできない広さのため、国道459号には車が少ないようだ。やがて鹿瀬の水門が見え、小さな山を越える。鹿瀬の広い敷地の工場は、休みのためかまるでゴーストタウンのように静かだ。裏手の山から工場を回り込むように鹿瀬の町に降り、隣の津川まで更に川沿いの道を走って、16:20、津川通過。
国道49号に再び合流する。山の向こうの空は、弱々しい赤みがかった色になっている。先を急ごう。少し感傷に浸りすぎた。
追い風に乗り、17:05、馬下分岐通過。もうすっかり夕暮れの視界一杯に越後平野が拡がっている。国道290号線で村松町へ向かう。
刻一刻と暗くなる中、17:25、村松到着。すでに自動車のライトがまばゆい暗さになっていた。
村松に住んでいる両親と会うのは半年以上振りで、何だか自分の家に帰るより自分の家に帰ってきたような気分がした。
記 1999.10/11
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