紀伊半島Tour24#1
2024/4/27(土)二木島

二木島  0km

ニューサイ写真 RICOH GRV GR18.3mm1:2.8

 

 4/27は私の59歳誕生日。それなのに3時半に起きて4時半に自宅を出発する。
 品川でJR東海が誇る駅弁「山」を仕入れ、6:20、品川発。速攻で弁当を腹に入れ、いつの間にかうとうとして気が付くともう豊橋を通過するところだった。毎度ながら、のぞみは嫌んなっちゃうほど速い。

 

 7:50、名古屋着。次は南紀1で尾鷲まで。8:02名古屋発。関西本線も伊勢鉄道でも、天気はずっと雨か曇りで終始薄暗い。
 南紀の車両は前回の気動車キハ85系から、1年以上前にJR東海が誇るハイブリッド車HC85系に替わっている。GWだというのに以前より短い4両編成、こちらは指定券は押さえてあるので問題無いものの、両数が減っているのは気になる。

 9:16の予定が遅れて、9:20松阪着。
 松阪では事前に駅弁を予約してあった。高校生の頃から、松阪の駅弁は食べることにしているのだ。短い停車時間の間に、何両目のドアで受渡しかを決めておき、待ち合わせるのが毎回面白い。予約電話の中で、たまたま自分の誕生日の話をしたら、袋の中にお誕生日お祝いを入れてくださっていた。何だか照れくさく嬉しい。さすがは松阪の駅弁だ。

 予約してあった本居宣長と松阪もめん弁当は、もともと美味しい牛肉煮込みがほかほか容器で更に美味しい。ほかほか加熱を見込んで調理してあると思われる。説明書き通りに煮汁を掛け、美味しくいただくことができた。

 HC85系の走りには期待していた。というより、前任車キハ85系の力強い走りの感覚が無くなるかもしれない、と不安に思っていた。
 キハ85系は30年前、軽量ステンレス車体に海外製エンジン2台を搭載し、斬新なハイパワー気動車というイメージと共に颯爽と登場した。その後更に出力が高い気動車が次々登場したものの、引退した現在でもデビュー時の鮮烈な印象は全く変わらない。一方、今回のHC85系はハイブリッド車初の特急車、というより特急車初のハイブリッド車だ。いや、実はJR北海道キハ285系があるのだが、その話はとても長くなるので置いておく。とりあえずHC85系については、キハ85系からCO2排出を30%以上も削減しているとのこと。それに伴い、発電エンジンとモーターの出力がかなり下がっている。2年間の長期試運転により、エンジンとモーターの動力特性とその他諸々アシストバッテリーまで総動員して、凄くエネルギー効率の良い車両に仕上げてあるようなのだ。
 実際の乗車感覚として、キハ85系の高速時、特に伊勢鉄道区間などで感じられていた直結段での力強さ・高揚感は、HC85系ではほぼ完全に消え失せていた。スピードが落ちたという印象は全く無い。しかし、発電用のエンジン音はすれど駆動モーター音も含め、静かでスムーズすぎるのだ。高速域以外でも、多気から紀伊長島間の梅ヶ谷峠でHC85系はその本領を発揮していた。キハ85系が力任せに身体を震わせエンジン音を響かせて臨んでいた登り区間を、音も振動も少なく、すいすい事無げに進んでゆく。それはいかにも、気動車より圧倒的に坂に強い電車の走りそのものだ。
 全体的に全く同じか上回るようなようなペースと時刻で運転されているのにも拘わらず、HC85系の走りはキハ85系の力任せ感が全く無い大人の走りだ。しかし余りに静かで、趣味的に何も起こってくれない。以前新幹線から眺めた、浜松工場にバラで留置されていた廃車解体待ちのキハ85系を思い出す。キハ85系、乗る機会は数えるほどだったけど、南紀・ひだで楽しい列車の旅をありがとう。
 と思っていたら、車内ディスプレイに駆動状態が表示されていることに気が付いた。エンジンだけで発電中、バッテリーアシスト中、そして回生ブレーキ時などバッテリー充電中がわかるようになっていて、現在の走りとその表示で、静かな走行音のエンジン・モーター音を興味深く感じることができるのだ。起動時など、動き始めてからエンジン発電中の表示に替わるまで少し掛かっているようなので、表示のタイムラグはある気はする。しかし、これはこれで車両の走りを感じさせるための機構とは言える。そして、旅行しているだけでCO2を削減していると思わせることが、今後は高速道路から少しでも客を奪い取るのに意味があるようになってゆくのではないか。世の中の多くの商品・サービスは、直接間接のCO2削減をセールスポイントにしている。エンジンパワーや振り子式で電車を上回る高速性を獲得していた全国のハイパワー特急気動車が、結局高速道路に客を奪われて苦戦している現状を考えると、これこそ将来の在来線特急の戦い方なのかもしれない。やるねJR東海、さすがと思った。

 尾鷲到着20分前を過ぎ、日焼け止めを塗ってから、思い出して天気予報を確認しておく。すると、尾鷲市も熊野市も12時以降降水確率60〜70%、1mm、大変思わしくない。大阪、名古屋での曇り予報と大きく異なる直前予報に変わってしまっていたのだった。前線が近いから天気は不安定なんだろう。
 これなら中止が妥当だ。尾鷲での次の普通列車が12:00であることまで確認し、とにかく尾鷲に着いたら空を見てみることにした。

 

 10:45、尾鷲着。数名のお客さんが次々迎えの車で去ってゆく中、待合室に自転車と荷物を置いて駅前で曇り空を見上げてみる。
 まだ雨は降っていない。雲はどんより薄暗いものの、比較的明るいようにも見えないこともない。でも振り返る山々はもう4〜500m辺りまで濃い雲に覆われているし、やはり雲全体に如何ともし難い不透明感は感じられるようにも見える。降水確率はどこの予報でも12時から午後ずっと時間当たり1mm以上で60〜70%、これは1時間後ぐらいから確実に降るということだろうし、この空を見ればあと1時間で一転晴れ渡って青い空が出る、などということがあり得ないと確信できる。走らない方が正解だろうな。このまま12時の列車で二木島に行ってしまうことにしよう。
 その間お客さんに話しかけていた観光案内のお婆さん2名も事務所らしき方面へ去っていき、その後待合室はゲームに耽る若者と私の2人だけ。早々にホームに出ると寒い。

 

 このままだと昼食が食べられないので、駅員さんに尋ねて徒歩2〜3分ぐらいのオークワで秋刀魚寿司と唐揚げ、カップ麺を仕入れた。店を出ると、もう雨はぱらぱら降り始めていつのであった。今日は駅の近くの宿で良かったと心から思う。

 12:00、尾鷲発。断崖絶壁の熊野灘トンネル区間では、降水量1mmが納得できる本降りだ。走らないで良かった。
 普通列車はキハ25。駅間ではディーゼル時代の南紀と変わらない快調な走りで、12:25、二木島着。

 やはり降りた客が迎えの車で去って行った無人駅で、ゆっくりのんびり自転車を組立開始。途中犬の散歩とおじさんが現れ、驚かされはしたものの、組んでしまえば後は手持ち無沙汰で雨の音に身を任せるだけだ。

 そのうち肌寒くなってきたので、臨時の南紀81が去ったところでGPSの電源を入れ、宿に向かうことにした。本降りとはいえたかだか2〜300m。

A地点からC経由でB地点へ 赤は本日の経路

 13:10、旅館民宿川口家到着。
 宿に着いてさっき尾鷲で仕入れたカップ麺を食べ一寝入り。朝早かったので、疲れていたかもしれない。いや、去年と同じく連休前の仕事が原因だったんじゃあないか。今日は道中よほど眠かったなと思う。

 夕方になって、天気予報通り雨は止んだ。明日の晴天に向かって着々と事態は進行している。
 お風呂は16時、夕食は17時。その後19時前、私が寝る19時前、熊野古道訪問らしき4人組の客が到着したようだった。そのうちの親父1名が大変うるさい。自分も声が大きいので、気を付ける必要があるな。などと思っているうちに眠ってしまえるのであった。

 明日の天気予報は晴れ、降水確率は15時まで0%。朝の熊野灘、お昼〜午後の瀞峡で晴れるのだ。この際丸山千枚田も行けたら行くべきかもしれない。私的に空前絶後級の絶景ツーリングになるだろう。夕方に曇るようだが、もうその時間のことは知ったこっちゃあない。

記 2024/5/25

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Last Update 2024/6/15
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