神ノ浦から、道は県道22となる。県道22は有川から峠を2つ越えて神ノ浦に降りてくる道で、雨で終日運休になった4/30に、有川から訪問するはずだった。
漁港の外れから早くも、県道22は中通島の稜線へ登り始める。
神ノ浦港と対岸を見下ろし、尾根を巻いてまだ90m。更に180mの稜線を目指して登ってゆく。さすが中通島南部だ。
対岸に、山の形が変わるほどの採石場が見えた。斜面に穿たれた段が、遠目にはやや草生しているようにも見える。交通量は少なく教会も無く、一般的な観光ネタは何も無いこの場所で、かなり大規模の採掘が行われている。まあこういう事例は秩父の武甲山でも見慣れてはいる。五島列島では、美しい風景の隣で当たり前のように、人の営みの為せる事柄が同居する場所が多いようにも見える。それは人が少ないことと、あまり他人が構わない場所であることが理由なのかもしれない。
岬を巻いて更に稜線へ登る途中、眼下の断崖下に漁港がちらっと見えた。船隠である。斜面が急なので海岸の漁村は見えず、辛うじて漁港だけが見えた。漁港には車が何台か停まっていた。さっきの神ノ浦の静かな漁港を思い出す。もしかしたら船隠は、神ノ浦より賑やかな漁港なのかもしれない。続いて海岸へ急降下する道の分岐も現れた。船隠に立ち寄るようなGPSトラックがGPS画面に現れてはいるのだが、あそこまで下って登り返さなくてならない。
若松10時半を有り難く大義名分として、通過することにする。
県道22は160mまでぐいぐい登った後、稜線を越えて一旦西側斜面へ移った。標高は低くても稜線は稜線であり、この切り立った中通島の稜線を西へ東へと、凄い道である。
最高地点は約180m。最高地点近くでは、またもや東岸の浜串への分岐があった。地形図だと浜串はややまとまった規模の集落として描かれている。道端の看板によると教会もあるようだ。見下ろす入り江には後浜串、浜串の漁村と漁港が見えている。海のしぶきなのか光線の具合か、入り江の中は少し霞んでいるようにも見える。ツーリングを標榜する以上、あそこには行っといた方が良いんだろうなあとも思う。しかしここも大義名分と言い訳にまみれながら通過してしまう。
再び稜線を越え、東側斜面を急降下開始。
途中の登り返しには、この道には珍しく福見峠の名前が付いている。
ここにも海岸の岩瀬浦への分岐があったものの、もう当然のように通過してしまった。こんな1周系ツーリングになってしまっていいのかとは思うものの、こういう所へ行くべきだったのは4/29と30であり、その2日は雨で大幅運休になってしまった。
今日は今日の予定を進めるべき、という立場で気を取り直して現在位置を見直してみると、中通島南部に脚を進めつつある今の段階で、まだ8時半になっていない。ひょっとすると若松10時半は間に合うかもしれないと思い始めた。ならば今の所は、あまり悩まず迷うこと無く、先を目指しておこう。
8:40、高井旅通過。入り江の奥の陸地に小中学校と教会が、明るい日差しに照らされていた。今日も陽が高く昇りつつあるのだ。
高井旅の先で国道384に合流し、再び90mまで登って下る。かなり岸が切り立っているこの辺りで時間を喰うと、若松10時半が危うくなるかもしれない。
道が国道394に替わってから、道幅はそれほど広くないものの、道の表情はやはりどこか国道っぽい。海の眺め、道端の森や茂みの雰囲気とも、県道22に比べて居所に困るような気がする。
奈良尾郷はさすが中通島南端だけあり、やや大きな奈良尾港がある小奈良尾と、市街地と漁港っぽい小さな港がある奈良尾が岬の丘を挟んで分かれている。国道394は奈良尾港の山裾を、飛び越すように通過してゆく。港の規模はなかなか大きく、見下ろす広い波止場が印象的だ。さすがに高速船が着く港だけのことはある。
国道384は奈良尾から先、福江島まで航路となる。国道384が奈良尾へ下って行く途中、県道203が分岐して、奈良尾の町を見下ろしながら中通島南部へ向かってゆく。
奈良尾の港町は、狭い湾にぐるっと、切り立つ急斜面を駆け上がるように民家が張り付いている。特に下手の市街地はぎしっと高密だ。学校か公共施設なのか、ハリウッド・ボウルとシドニー・オペラハウスを足して2で割って思い切り小型化したような形の屋外ステージもあり、またもや眼下の風景に立ち寄れなくてやや残念な気にさせられた。
中通島最南部周回区間への登りが始まっていた。民家脇の自販機でコーヒーを飲みながら考えた。
小奈良尾通過の段階で8:50、もう9時過ぎ。高井旅までいいペースだったように思っていたけど、若松10時半はもう無理かもしれない。こんなことなら、最初から土井ノ浦13時50分を目指して、いろいろ立ち寄っても良かったかもしれない。まあ、走っているのは自分なんだし、寄り道対象区間の省略も全部納得づくだ。焦らずにもう一登りをのんびり落ちついて楽しもう。
奈良尾を過ぎると道はかなり狭くなり、道両側の森がもこもこと背を伸ばし始めた。木々の間には明るい色の海がちらちら見える。
未だ若松10時半が完全に諦めきれずにやや気は急くものの、道自体はとても楽しい。
南下していたGPS画面のトラックがおもむろに西を向き始め、佐尾への分岐が現れた。
佐尾は周回道より更に南に位置する漁港の集落だ。教会もある。奈良尾から辿ってきた県道203は佐尾へ下ってゆく道であり、佐尾から中通島西岸へ向かう道は林道となる。そういう位置づけの集落なのだろう。
地形図では、標高130mの分岐点から、例によってかなり切り立って入り組んだ斜面をくちゃくちゃに急降下する県道203と、入り江のやや大きな漁村が描かれている。計画時には「ここは行かねば」と思っていた。中通島最南の周回道から更に南の集落は、何だかジャンプ漫画の最強の敵を倒した後の更なる最強の敵、そんな場所のような気がしていた。ならば中通島の行程を終えるには、佐尾に行くべきだ。津和崎灯台にも行ったのだし。
時計を見ると9:20。最高地点の尾之上峠まであと30m残しているだけの状態で、よく考えると若松まで1時間以上ある。
何だ、これなら若松には間に合うんじゃないか、と気が付いた。やや気が急いていて、残りの行程を何か思い違いしていたようだった。奈良尾周辺で意外に時間が掛かった上に、やたらと等高線が詰まったこの辺りの地形図にびびって、更に焦っていたかもしれない。
しかし、若松10時半を目指すなら佐尾に立ち寄っている時間は無いだろう。結局は若松という大義名分で、130m登りを省略しただけだったかもしれない。しかしこの後、福江島で余裕ができたお陰で夕方の大瀬崎に立ち寄れ、翌日の行程にも余裕ができたのは、間違いなくいいことだったとも思う。
当然のように10%以上の登りが続いたが、GPSトラックはおもむろに西を向き始め、そして完全に北向きへと回り込み始めた。こうなるといよいよ中通島西岸である。
一旦欺し峠のように下りがあって再び少し登り返し、9:30、尾之上峠着。もう後は大した登りは無いはずだ。この段階でやっと、若松に行けるという気がしてきた。あと1時間、いや、切符と乗船時間を見込んで55分。未だ見込みはぎりぎりではあるものの、ぼんやりした目論見の形が実態になり始めてきた。
尾之上峠の山道分岐には何と堂々たるニワトリがいて、ちょっとどぎまぎした。キジではなく、黒々と艶やかな毛並みの、堂々たる大型のニワトリなのである。恐らくどこかの農家から逃げ出したのかもしれない。
記 2019/6/15
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