八雲→(道道42・263)日進
→(農免農道金原今金線・道道810)鈴金
→(道道232)北檜山→(国道229)元浦
(以上#1-1)
→(国道229)島牧 100km
一通り食べ終えると、都合良く雨はさっきより弱くなっていた。あまりうだうだしていても降るときは降るし止むときは止むのである。ここは腹を決めて先へ進もう。
相変わらず追い風が続いてはいたが、雨は次第に弱まっていった。
眼前に続く海岸から切り立った岩山の上の方には濃い灰色の低い雲がべったり張り付いていたが、先へ進むと共にどういうわけかようやく雨が収まり、須築を過ぎ、茂津田トンネルを抜けると、奇跡的に雨はほとんど止んでいたのだった。
茂津田トンネルから先は、数百mから約2kmぐらいの長大トンネルが続く。崩落が多い切り立った高い岩山の足下を、全部トンネルと覆道で抜けてしまうのである。
トンネルとトンネルの間にはほんの少し外に出る区間がある。トンネルのつながりが悪いぐらいの狭く切り立った岩場、澄んだ美しい日本海、岩山と海岸が作る荒々しい風景はかなり独特で、道内でもここ以外ではあまり見かけない厳しい表情を持つ。
景色は厳しいが天気は次第に回復しているようで、それらの場所でももう雨は止んでいた。こうなるともう一安心だ。一方で相変わらず追い風は続いているのが有り難い。
栄浜から先は、岩山が若干緩やかになるのか海岸際に平地が断続し始めるのか、連続長大トンネルが覆道に代わり、今までとは変わって静かな岩浜が続く。
空が多少明るくなってきたせいか、今まで鉛色だった海面はくすんだ濃紺色ぐらいにはなっていて、近くの海中の海草が見えはじめていた。時々水滴を感じながらも、その後次第に天気は落ち着き、原歌では辺りが何となく明るくなりはじめた。
元町で前方に見えてきた今日の終着地、島牧の中心部がある辺りの平地は、何とそこだけ町と外の山に完全に日が当たっている。
太陽が当たっているため、日なたの海がそこだけ鮮やかなエメラルドグリーンだが、向こうの雲のどす黒さ、辺りの海の金属的な不透明感と奇妙な対象を見せていた。
15:30、島牧YH着。行程が短かっただけあり、かなりの早着だ。初北海道ツーリングの1986年、渡道初日の最初の目的地がここ島牧YHだった。その時建っていた平屋の建物は、1993年北海道南西沖地震の津波で全壊。その後島牧YHは同じ場所に新築されて現在に至っている。
もうすっかり晴れて涼しい風が吹いている。バッグの中身はポリ袋に入れているの濡れずに助かったが、スコッチガードでこてこてにしたはずのバッグはびしょ濡れじとじとだ。靴もジョッキみたいに水が溜まってしまった。これらをとりあえず乾かす必要がある。YHの玄関先で店開きさせてもらい、本体のワタクシは早々に風呂に入って、とりあえずくつろぐことができた。
時々乾かし物の様子を伺いに外に出ると、何とYHは道の駅「よってけ!島牧」の隣なのだった。そういえばそんな位置関係だったような気もするが、それがわかると夕食まで耐え難いぐらいに腹が減っているのに気が付いた。99年に食べたっきりの、海鮮浜焼きのレストラン、炭火焼きの味がリアルに思い出されてならない。
ツブ貝、ホタテ、アワビに厚岸のカキ、たっぷり炭火焼きを楽しんで、再びYHへ。空の雲は切れ、青空まで現れ始めていた。そろそろ辺りは夕方の赤く弱々しい光に包まれ始め、さっきまでの大嵐が嘘みたいに爽やかに風が吹き、こちらも平和な気分で一杯になる。やっぱり早めの宿到着は余裕があっていい。
島牧YHの夕食はメバル焼き物、カニの海鮮汁、ヒラメとウニの刺身と地魚オンパレードで、何だか恐ろしくゴージャスである。1986年にもここで鰯の刺身が出て大いに楽しめたのだが、このように地元の食材を大切にしてくれるのがとても嬉しい。
お盆休み1週間前にして早くも北海道へ来ている訳ありの旅人同士で話も弾む。今日は奥尻島からここまで来たと言うライダー夫婦によると、奥尻島では横殴りの大雨、江差に渡ってから日本海沿岸の追分ソーランラインではもうすっかり雨は止んでいたとのこと。しまった、北檜山でもう少し待てばあんなに降られなかったかもしれない。ちょっと悔しい。
これから毎日4時起きだ。遅くとも21時、できれば20時半には寝たい。というわけで夕食後はすぐ自主消灯タイムだが、軒下で風に当てているバッグと靴の様子を伺いにもう一度外に出てみると、たまたま雲の切れ間に現れた星空が見えた。銀河も衛星も流れ星もばっちり、幻惑的ですらある。
昨日出発前の天気予報で今日の夜から雨だったはずだが、何だかそれが早まっているように思う。明日はこの調子で晴れてくれると良いのだが。
記 2008/9/6
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