2005.7/24 夏沢峠 #2-1 |
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オーレン小屋→夏沢峠→硫黄岳 |
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2度ほど夜中に目が覚めたが、枕元の水を飲んで寝直した。結局起きたのは5:10、「朝食ですよ」の声だった。10時間寝たことになる。最近下界で寝不足気味ではあったが、それにしてもよく寝た。
食事中、窓の外はうっすら青くなってきていた。天気予報通り、今日は雲の上が晴れそうだ。
食事が終わって行ったり来たりしているうち、急に人が少なくなったのに気が付いた。もうみんな行動開始しているのだ。残っているのは最大勢力の中高年団体と私とあと何人かのようだった。
午後の気温が快適なだけあって、朝の小屋前は多少肌寒い。Tシャツの上にポロを着たり、広場の片隅の強清水「オーレン水」をペットボトルに詰めたりしていると、件の中高年団体の朝礼が始まった。なんでもこの後、夏沢峠方面ではなく直接硫黄岳へ向かうらしい。どこかで更に別の団体と合流して、100人以上の大団体になるようである。
準備をしている間に「自転車なの。頑張ってねえ」と小屋のおやじさんが話しかけてきた。ちょっとした会話の中で、昨日夏沢鉱泉で聞いた夏季自転車規制について聞いてみたが、どういうわけだか聞いたことがないとのこと。
6:10、夏沢峠へ出発。
昨日と同じような幅員と斜度、もう少し石と木の根が大きい道が森の中に続く。
苔生した幹、倒木、漂う濃い霧が鬱蒼・幽玄とした雰囲気の森の中。しかしながら昨日とは比較にならないほど多くの鳥の声が響いていた。鳥の声は絶えることは無かったが、その合間合間には深い森のボリュームある静かさというか、力のある静かさを感じた。
周囲の木々は広葉樹や針葉樹で、高くなったり開けたりした。順当に時間と行程が過ぎてそろそろと思う頃、順当に発電設備らしい低い連続音が聞こえるようになり、霧に包まれたヒュッテ夏沢の屋根が現れた。6:35、夏沢峠到着。
辺りは霧が濃く、小屋脇の広場からすとんと落ち込んだ佐久側の風景は全く見えない。ヒュッテ夏沢からお兄さんが出てきて、「あ、自転車ですかあ。いいですねえ」と話しかけてくれた。やはり自転車規制の話は聞いたことがないらしかった。
ここから本沢温泉に下ってしまう前に、硫黄岳へ往復したい。自転車をヒュッテ夏沢の裏手に置かせていただくことをお願いすると、快諾していただけた。
「今ちょうど子供達が出ていったところですよ。きっと頂上は賑やかでしょう」
何でも中学生が移動教室で昨日ヒュッテに泊まり、今朝は朝から硫黄岳へ登っているとのこと。
フロントバッグとペットボトルだけ持って6:45、夏沢峠発。霧が漂い鳥の声の響く森の中の山道を、ちょっとぐいぐいっと登り始めたら、すぐに周囲が開けた。森林限界を越えたのだ。
少し登ってから後ろを振り返ると、夏沢峠から向こうの茅野側と佐久側の少し下った辺りから下側に、真っ白な雲が拡がっている。そこから濃い緑色の夏山が、島のように立ち上がっている。さっきまでいたヒュッテ夏沢の青い屋根が間近に見えた。まだこれしか登っていないのである。
足下の道ばたには、松ぼっくりを付けたハイマツに、赤い実を付けたやはりハイマツのような低木、そして黄色い花を付けた高山植物が続いた。
途中ではさっき夏沢ヒュッテで聞いた中学生の団体が下ってくるのとすれ違った。中込の中学校とのこと、この辺りの中学生は中学2年で八ヶ岳登山に出かけるらしい。しかし中学生でこんな経験ができるなんて羨ましい。人生が変わってしまいそうだ。
登るとともにどんどん視界が開けて雲も引き、周囲の山々やほぼ垂直に落ち込んだ硫黄岳頂上の岩場が見渡せるようになってきた。石原の中に続く登山道の脇にケルンが続くようになり、7:50、硫黄岳着。
見下ろす下界は、茅野側と佐久側の雲海が多少引きはじめ、頭を出す八ヶ岳連峰がさっきよりもよく見えるようになっていた。一番晴れていそうな山頂の反対側へ腰を下ろして、今まで見れなかった南側の横岳・赤岳・阿弥陀岳をじっくり眺めることにした。
目の前の山々までは視界が非常にクリアで、山肌の木々や岩、登山道、山小屋の屋根がはっきり確認できる。それらと地図を照合する。景色だけ見ていると意外に近いそれらの山々との間の空気がとにかくクリアで、空中を歩いて向こう側へ行きたくなってしまう。
木々の中や、今いる頂上のすぐ下には、山小屋の屋根が見える。あまりに険しい山奥や高い場所にある小屋は、何だかとても華奢に見える一方、風雪に耐える力強さも感じさせる。昨日泊まったオーレン小屋やさっき自転車を置かせてもらったヒュッテ夏沢を思い出した。
記 2005.7/31