2005.10/9
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村松→(県道17)五十母川→(町道)岩谷→(町道)川口 |
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6:15、村松発。まだ昨夜の雨で濡れている道を、まずは既知の沼越峠へ。今日は五十島まで弟が一緒である。弟と自転車で走るなんて、小学生以来のことである。
町を抜け、田圃やソバ畑を抜け、阿賀野川支流の早出川を遡る。松野から谷間が狭くなり、やがて更に谷が狭くなって小面谷で県道17は早出川から分岐。道がぐっと狭くなり、谷底の渓流沿いに登りが始まる。
10月も初旬、谷間の木々は部分的に赤や黄色く色付き始めていた。茂みにはススキのまだ開いていない穂も目立つ。
通りの良い谷間からつづら折れで高度を上げ、山肌を巻きながら稜線の凹んだ部分へ。多少登って谷間から離陸すると、谷間一杯に木々の色が変わり始めているのが見えた。
今日は曇りなので森は石みたいに重い色だが、もう少し季節が下ると全山がかなり鮮やかになるはずだと思う。
最後に再びつづら折れで辻褄を合わせると、そこが沼越峠だ。
狭い切り通しの峠を抜けると、しばらく森の中につづら折れの下りが続き、その後すとんと谷が落ち込んで深い渓谷になった。
切り立った岩場とその上の生い茂る杉、広葉樹に目を奪われる。
道は山肌に張り付いて一目散に谷底へ。五十母川の橋を渡ると県道17は大須郷へ登り返すが、今日はここから分岐して、川沿いに直接五十島へ下ってしまう。
森や畑の中の穏当な道をしばらく下ると、間もなく五十島の集落が登場。物々しい磐越自動車道のコンクリート橋をくぐると、集落の農家の間からいつの間にか磐越西線が近づいてきた。カーブした線路、信号機、そして静かな農村の細道はなかなか雰囲気がいい。
阿賀野川を渡り、8:15、国道49との合流点、岩谷着。ここで弟は国道49号を新潟方面へ。
一方私は、道の駅の向こうの町道で、阿賀野川沿いに川口へショートカット。川岸の丘を登って下る町道からは、蛇行した阿賀野川の眺めが美しい。
空の中にはさっきより部分的に明るい部分が登場し始めていた。これだと曇り後晴れの天気予報通り、良い傾向である。
川口から阿賀野川支流の新谷川沿いに内川の集落へ。そのまま行地方面の看板から、行地川の渓谷沿いの町道へ入り込む。狭い谷間の頭上には広葉樹と杉、道近くまで迫る渓谷の水面が楽しい。
間もなく谷間が少し拡がり、行地の集落に到着。集落の中で道は唐突にT字路に突き当たる。
「殿様街道」の看板を眺めつつ、ここで地図を確認、津川方面へ足を進める。津川赤谷林道の看板も確認。何となくどこかで聞き覚えのある名前である。
細い登りが山肌に張り付き、次第に高度を上げ、谷間が再び狭くなってきた。周囲の山は低いが、密な木々が鬱蒼と迫力がある。坂がやや急になってきたところで、唐突にダートが開始。まだ最高地点までしばらくあるはずだが。
その後道はやや狭くなったり、斜度が急になって砂利が増えたりすることもあったが、全体的には幅広で直線基調、良好な路面の穏当な林道が続いた。
ここでも森の広葉樹は色付き始め、ススキの穂が目立っている。曇り空の下の道端、色付いた葉の艶やかさは独特だ。時々周囲が開けると、一面樹木の低山の谷間が拡がるのも楽しい。
山肌の形通りにくねくねした道は、最後につづら折れでぐいぐいっと高度を上げて、峠に到着。地図によると、すぐ脇の旧道らしき山道に「諏訪峠」とある。それならここも新諏訪峠とでも呼びたいところだが、こっちには名前は無いようだ。
ここまでの頭上は開けていたが、概ね周囲を木々に囲まれた道だった。それが一転、峠を越えてからは、高い茂みの中をダートが一直線に下ってゆく。茂みが多少開けると、周囲の山々、津川へ続く谷の見晴らしが何とも素晴らしい。
しかし、素晴らしいのは最初だけだった。すぐに道が狭くなり両側の高い茂みが道に張り出し、藪漕ぎ下りみたい道になった。路面も荒れ始めぐらいのうちはまだ良かった。そのうち大きな石と窪みが増えて一気にガレガレ状態になり、あまつさえ昨夜までの雨のせいか水まで流れ始めた。こうなると岩の部分は滑りやすいし、砂の部分はぐじゅぐじゅである。
ふと、実はこの道廃道じゃないかと思い始めて心細くなったところで、約50m前方に灰色の物体を発見。瞬間、「熊であってくれるな〜っ!」と思ったが、真っ赤な振り返る顔が見えた。大猿だった。少し睨み合った後、その猿は、こちらの気持ちを見透かしたようにのそのそと面倒くさそうに茂みに消えていった。その辺りを通過するときに、がさっと茂みの中で音がした。
とりあえず最悪の事態が免れただけで、やばい状態に陥りつつあると思った。
それだけに、そのうち道が拡がって路面が落ち着き始め、行く手にアスファルト舗装が復活したときは心から安心した。
記 2005.10/16