2005.10/9
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(以上#1) |
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さっきまで稼いだ標高差は400m。それだけに、豪快な下りが森の中に続く。途中には、さっき行地で見た看板の「殿様街道」の石畳文化財もあった。
下りきると狭い平地の農村に広々とたぷんたぷんに満水状態の阿賀野川が現れ、津川に到着。
しばらく阿賀野川の川岸の道だ。ここから上流、会津盆地まで、阿賀野川にはダムがずっと連続し、途中は全て人造湖のように流れというものがほとんど無い。広々と静かな水面、河岸から切り立った山、その水際の道と鉄道は、独特の渓谷を作っている。
川岸の森の県道174では、津川町民の駅伝大会で、自動車は通行止めになっていた。児童から老人まで男女問わずかなり幅広い層が参加していて、普段静かなこの道にしちゃ応援の人出がなかなか多く、にぎやかで楽しい気分が一杯だ。
道を包み込む木々はやはり紅葉が始まっていた。津川辺りから差し始めた陽差しも、白っぽくて秋らしい。時々森が開け、広々と湖のような阿賀野川、対岸の切り立った山々が色付き始めているのが眺められる。平坦な道、広々とした風景は、ここまで狭い谷間や峠道ばかりだったせいか、新鮮に感じられる。
10:00、鹿瀬通過。阿賀野川沿いの道は鹿瀬から国道459となる。
昭和電工の工場を眺めながら川岸の丘を越えると、広々とした阿賀野川を切り立った岩山が挟み込む。その渓谷の水面近くに、国道459は張り付いている。
渓谷の国道459は、400番台国道にありがちな、国道とは名ばかりの細道だ。連続する岩場のためにトンネルも橋も狭いまま残っていて、交通量も少ない。しかし、却って自転車には楽しい道だ。トンネルと橋に12ヶ月の暦名が付いているのも楽しい。
まあしかし、途中にはかなり長い拡幅済区間の覆道もある。まあこれだけの岩場、覆道は当然の措置だろう。
切り立っていた渓谷が広がると、川岸に農村が拡がって、10:30、日出谷着。
ちょっと国道から逸れて、日出谷駅へ立ち寄るとする。23年前にこの駅で食べた、知る人ぞ知る駅弁、「とりめし」を食べたかったのだ。
この日出谷駅は、磐越西線で会津若松から最初の新潟県の駅だ。風光明媚で有名な磐越西線、その福島と新潟の県境の小駅、かつて走っていた急行も停まらないこの小さな駅に、何と駅弁が売っていたのだ。しかも、喜多方から新津までただ一箇所の駅弁。
駅前の旅館が作るその弁当は、その当時毎日朝7時からの販売のみ、昼前には売り切れ終了。すでに知る人ぞ知る「幻の駅弁」だった。駅弁とあんパンが併売されていたのも珍しく、更に伝説の度合いに輪を掛けていた。このとりめしを、当時高校生の私は、磐越西線に列車の撮影に行ったときにちゃんと食べていたのだ。
その希少度とは裏腹に、味はあっけらかんと薄味だったとりめしは、その後20年弱を経てさすがに風前の灯火になったらしい。ところが、磐越西線にSL列車が運転されることになり、この列車への駅弁販売でとりめしは息を吹き返したとのこと。
この話を聞いて、再会のチャンスを伺っていたのだ。
23年前、既に運転要員の配置しか無かった日出谷駅は、今は完全に無人駅である。軒下で寝させてもらった駅舎は、農協の建物と一体化されて昔と変わっていたが、駅前の旅館「朝陽館」の木造家屋は変わっていなかった。
SL列車対応のため、駅弁の営業は11時からのようだったが、1食だけなら何とか作ってもらえることになった。昔は朝しか食べられないこのとりめしを食べるために、旅程の最終日にわざわざ日出谷駅泊を組んだのだった。記憶通りの絵柄の包み紙を開けると、薄目甘辛の鶏肉そぼろに卵焼きのそぼろがご飯の上に仲良く並んでいたのも、あっさり目の味付けも記憶通り。
人気の無い駅舎の入口、日溜まりの中にに座り込む。朝陽館とまだ閉まっている商店が、これもまた記憶通りに並んだ駅前広場を望み、23年振りのとりめしを味わった。
気が付くとけっこう風が強くなっている。幸いにというか、完全に追い風なので、今まで気づかずに来れたのだった。
11:00、日出谷発。再び阿賀野川河岸の森の中の道となる。
途中なみなみと静かな水面の阿賀野川を渡ったり、対岸の丘の上に登ったり、今までと同様バラエティに富んだ川沿いの道が豊実まで続いた。
豊実からは阿賀野川を離れ、馬取川の狭い谷間を遡る。
空は急に曇り始めていた。まあそう雨を心配するような雰囲気でもないが、低い雲が比較的速く動き、時々不穏な暗さの重い雲が空を覆ったりも、その後すぐに陽差しが現れたりもした。
荒沢を過ぎると道がぐっと狭く、木々は密に、断続的だった坂が連続し始めた。
狭い道に狭い森の中を登り詰め、高森の峠部分を過ぎると、向こう側は農村エリアが峠部分まで続いていて、比較的開けた雰囲気の下りである。
道ばたには大きなコスモスなどの草花が植えられていて、茂みのススキの穂と共に、またもや秋を感じさせる。
畑から森、森が開けて集落、地形の関係か2度ほど軽い登り返しがあり、しばらく下って奥川沿いの谷間へ。
12:15、豊島着。
記 2005.10/16