(途中まで#1-1)(途中まで#1-2)孟地 |
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まだまだ蒸し暑かったが、そろそろ昼間のような暑さは少しずつ収まっていて、再び風景を眺めて感動できるぐらいの余裕が戻ってきていた。
何度目かのアップダウンの後、国道253に合流。さすがに東頸城で一番交通量が多い道だけあり、松代までわずかに登り基調ながら快調な道が続く。
1/5万に描かれている旧道らしい細道が、ところどころで国道から分岐していた。が、どれも一目で通行不能とわかるぐらい、分岐してすぐジャングルのような草むらになっていた。
15:00、松代の町外れから再び東頸城の北側エリアに向かう。
取り付きの激坂で高度を上げてから、名立・莇平・小貫と小さな集落をつなぎつつ、際限無く登って下ってが続いた。丘陵の尾根部分から一気に谷底の橋まで急降下し、そのまま次の丘陵まで一気に登り返す、豪快な登り下りではあったが、着実に今日の宿がある大島村田麦には近づいていて、地図で現在位置を確認しながら、のんびり少しずつ進む気楽な道のりになっていた。
谷底から少し登ると、谷間の風を感じるようになる。だいぶ涼しくなってきた風に吹かれ、少し余裕が出てきたところで辺りを眺めると、もうそろそろ陽射しの中には疑いようがないほど赤みが含まれていて、森や緑の山々に青い影を作っていた。
季節のためか、いつもより植物のボリュームが全体的に多い。ふっくらした緑の中に、ところどころ農家の屋根が見えるのが、何とも山深く楽しい風景だ。しかし、同時にそれは、人がいなくなった農家や畑、棚田が植物に埋もれてゆく課程のようにも感じられた。
16:30過ぎぐらいから、緑の谷間に青い影の強烈なコントラストを作っていたオレンジ色の陽射しにもさすがに勢いは無くなり、原色鮮やかだった風景には赤色の印象が強くなった。その頃になるともう自分でも信じがたいほど坂が登れなくなっていて、重力の束縛を感じながらえっちらおっちら何とか坂をこなす。
登り切ると、広がる谷間がこの季節ならではのほわんとした明るい穏やかな光に包まれていて、坂一つごとに涼しくなる風も感じられ、この季節に来て本当に良かったと思った。
最後の坂を登り切ると、もう竹平だ。ここと宿のある田麦は一続きの集落だ。直前までの登り細道からは意外な賑わいの印象がある道沿いに、農協・商店と確認しながら進むと、すぐに見覚えのある「庄屋の家」の曲り角が見えてきた。
17:40、「庄屋の家」着。一時は16時ぐらいには宿に着けるかも、とすら考えていたが、頸城に入ってからのペースダウンは著しいものがあったように思う。まあこれは疲労によるものが大きいのだが、それにしても頸城の地形の険しさを改めて感じていた。
大島村営の体験宿泊研修施設「庄屋の家」は、廃校になった小学校の敷地に作られている。このため、2棟ある宿の建物の周囲は、いかにも山の小学校らしい杉の巨木に囲まれている。この杉の木に囲まれた中庭が、とても雰囲気がいい。
みんなはもうあらかた到着していたようで、例によって茅葺きの「体験棟」の前に自転車が何台か置いてあった。そうか、こっちでうだうだ休ませてくれているんだな、と思った。荷物を下ろして中にはいると、もうビール瓶が何本か見えた。早速今日のコースなどを報告するうち、事前には隣の鉄筋コンクリート造「宿泊棟」と言われていたのが、何と茅葺き「体験棟」に泊まれることがわかった。
今日の暑さに悩まされたのは私だけではなかったようで、みんな口々に「昼はばてたよー」と語っていたのにちょっと安心。
じんたんさんが「農家の方が亡くなると、農家は廃屋になって田圃や畑も草ぼうぼうの荒れ放題になってゆく。今年はそれが目立った」と言っていたのが印象的だった。山深い印象、緑に覆われた印象は、この季節だからと言うだけではないのかもしれない。
宴会後は屋根が高く広々とした畳の間、板の間にばらばらと6つ布団を敷き、そのまま就寝。中庭に出てみると、夜風はまあまあ涼しく気持ちが良く、空はうっすら星が見えるぐらいにガスっぽい。明日の雨は心配無いだろうと思った。
記 2004.6/22